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QPドライブ  作者: 夏村 傘
第一集「QP捜査官・生島将星の誕生」
1/11

#1「QP捜査官・生島将星」


   #1.「QP捜査官・生島将星」



キューピー 〔QP〕 恋愛系SNS「QPブック」から発展したネットアバター。二〇五〇年代に普及し、人々の生活における重要な基盤となる存在。


                    <岩波書店 広辞苑/第二○版より>



   【Aパート】


 河川敷沿いの歩道を歩きながら、生島将星いくしましょうせいは満足感たっぷりに言った。

「今日の俺はついている」

「ああ、そうね……」

 隣を歩いていた丸井坂慎之介まるいざかしんのすけがげんなりとぼやく。

「まさか、新発売のシャーペンの為だけに一時間も並ばされるなんてね」

「発表から三か月も待ったんだ。一時間なんて些細なモンだろ」

「君がそうでも僕は全く興味が無かったんだけどね。何で付き合わされたんだろ」

 慎之介が丸メガネの奥をすぼめるのも無理は無い。件の新商品に興味があったのは将星だけで、慎之介を連れて行ったのも、その場の気分以外の何でもない。

「……お? あれは――」

 何やら騒がしいと思って見下ろした河川敷の芝生では、将星や慎之介と同じ中学校の制服を着た生徒達が十人くらいで群がっていた。まるでキャンプファイアーでも取り囲んでいるみたいだ。

「将星。あれ、白沢さんと宇田川さんじゃない?」

「ホントだ。何やってんだろ?」

 ほとんどが男子生徒で形成されている群れの中に、ひときわ目立つ女子生徒が二名だけ存在している。ミディアムショートの黒髪と常に眠たそうな目をしているのが白沢雪見。彼女はいま、群れの中心で一人の男子生徒と対峙している。

 そして金髪のポニーテールが眩しく、利発で活発そうな面立ちをした少女が宇田川星乃。彼女はいま、群れに混じって中央の雪見達を楽しそうに見守っている。

「ただいまQPバトル中~」

 拍子抜けな声と共に、将星の顔の横に、アイヌ民族風の衣装を纏った手のひらサイズの小人が出現する。小さな手にはシャボン玉のスティックとボトルが握られ、髪は深いネイビーで、のほほんとした顔からは本心が窺い知れない。

 彼は将星のQP、セイランだ。

「白沢雪見のQP、グレイスがバトルモードを起動中~」

「じゃあ白沢さんの目の前にいるのは、その対戦相手ってワケか」

「おっぱじまるるる~」

 群れが作った囲いの中で、雪見と相手の男子がそれぞれのQPドライバーを構える。QPドライバーとは簡単に言うとQPの容れ物で、現代の携帯端末でもある。

 雪見と相手のQPドライバーは細い取っ手みたいな形をしている。これはグリップ型と呼ばれ、数あるQPドライバーの中でもごく一般的な形状だ。

『GET READY!』

 お互いのQPドライバーから、合図となる音声が出力される。

『GO!』

 バトルスタート。

 先攻は男子生徒。QPドライバーの先端から緑色に光る刃を伸ばし、雪見に猛然と斬りかかる。踏み込みは猪突猛進そのもので、はっきり言って芸が無い。

 対する雪見は全く動かず、QPドライバーの先端から白い刃を伸ばした。

 合計、九本の刃を。

「げっ!?」

 男子生徒が目を剥き、急に立ち止まって横に回り込もうとする。雪見は体の向きを変え、生物の尻尾みたいにしなる九本の刃で男子生徒を猛追、凄まじい速力で相手の体を斬り裂いていく。

 とはいっても、QPバトルで発動されるこれらの武装は全てバーチャルだ。いくら攻撃が人体に触れようが実際のダメージは皆無だ。

 でも、バーチャルのダメージはモロに入る。

 将星はQPドライバーの操作を一手に担う腕時計型の端末、リンクウォッチのホログラムディスプレイに、現在展開されているQPバトルの情報を表示させる。

「いまのでヒットポイントメーターの三分の二が削られた。勝負アリだな」

 言っている間に、対戦相手の体は串刺しになっていた。

『GAME SET!』

 勝者、白沢雪見。まさか、一歩も動かずして勝利を収めるとは。

「ひゃー、白沢さん、やっぱ強いねー」

「アホか。QPの性能がおかしいんだよ、あれは」

 慎之介の感嘆を一蹴し、将星は呆れ混じりに述べる。

「白沢さんのグレイスは現行で最強クラスの基本性能を誇っている。聞いた話だと、娘に悪い虫がつかんようにって、親父さんがグレイスを彼女に買い与えたそうだ」

 雪見のQPドライバーから白い刃が消えると、彼女の横に真っ白な小型の狐が現れる。あれが雪見のQP、グレイスだ。

「でもさ、そもそも何でこんなところでQPバトルなんかしてるのかな?」

 慎之介が素朴な疑問を口にする。

「あ? んなモン、賭けに決まってんじゃん」

「賭け?」

「QPバトルはただのホビーじゃねぇ。例えばいまの野郎も、勝ったら俺と付き合ってくださいとか言って白沢さんに挑んだんだろう」

 元を辿ればQPも恋愛系SNSのアカウントだった。QPを恋愛絡みの賭け事に用いるのも、考えようによっては間違っていない。というか、この現代では一つの一般的な求愛行動でもある。

「よくある賭けの一つだ。マッチングリンクが成立しようがしまいが、機械だけで人間の本能は推し量れない。つーか、お前は手前が何でいまの彼女と付き合うハメになったのかを忘れたのか?」

「うっ……そうでした」

 慎之介が気まずそうに顔を逸らす。

 この男は何をどう間違ったのか、QP同士で起きるとある反応をきっかけに同い年の女子に交際を申し込まれ、拒否したものの強引にQPバトルを申し込まれて敗北した挙句、強引にその女に自分の彼氏として仕立て上げられたという、自分だったら恥ずかし過ぎて表を歩けないレベルの悲惨(笑)な過去を持っている。

 しかもその相手はチンパンジーみたいに騒がしい困ったちゃんだ。ご愁傷様。

「お? 次は星乃か。……え? 星乃?」

 さっきの男子が泣く泣く群れの中に戻って他の連中に慰められているのを尻目に、今度は何故か宇田川星乃が雪見と対峙する。

「何で宇田川さんが? もしかして宇田川さん、白沢さんの――」

「ちげぇだろ」

 慎之介の尻を蹴っ飛ばす。察しの悪さもここまで来ると病気である。

「俺も一瞬ビビったが、よく考えたら星乃は生粋のバトルマニアだ」

「そ……そういえば……イテテ」

「面白そうだから、もうちょっと見ていこうぜ」

 他の連中ならいざ知らず、この対戦カードは良い見世物だ。

 宇田川星乃。幼い頃から男子に混じって遊ぶだけならまだしも、今年で十四になるにも関わらず、元気に同級生の男子達にQPバトルを申し込んでは勝ち星を上げ続けるという、男勝りを通り越して無邪気にすら思えるお転婆娘。その年にしては発育が良すぎる為によく好奇の視線に晒されているが、可愛いことに当人には自覚が無い。

 対する白沢雪見は、クラスのアイドル兼マスコットキャラだ。外見からすると非常に大人しそうな感じではあるが、発言がいちいち独特で面白いと、これまた意外な人気を得ている美少女だ。

 つまりこれは美少女対決でもあり、最強クラスのQPと最高レベルの身体能力が激突するという、目にも優しく面白い試合展開が予想される好カードなのだ。

 雪見と星乃の準備が整い、試合がスタートする。

 先に仕掛けたのは星乃だった。グリップ型のQPドライバーから発生したのは黄色いビームの大剣。先程の男子と同じく、猛然と駆けて雪見に斬りかかる。

 雪見はやはり一歩も動かず、白い九つの刃をQPドライバーの先端から伸ばし、突撃してくる星乃に多方向からの斬撃をお見舞いする。

 さっきと同じような展開に見えて、その先は全く違う。驚くべき事に、星乃は物量で押し切ろうとする雪見のブレードの数々を、たった一本のブレードで全て的確に捌きまくっていた。

 攻防は一進一退。これは面白くなってきた。

「へぇ? やるなぁ、あのパツキンの子」

 観戦していた将星達の横に、新たな観客が追加される。ちらりと横を見ると、将星はいましがた現れた彼らの奇抜さに、試合を忘れて思わず瞠目してしまう。

 一人は赤、緑、黄色の頭髪を色物のバンダナで纏め上げた二十代後半の男性。もう一人は小柄で顔立ちが綺麗なショートシャギーの少女だった。男の外見はともかく、何でこの組み合わせの男女が並んでいるのかという疑問が真っ先に浮かんでしまったのは果たして自分だけだろうか。

 派手派手しい男がグラサンのブリッジをくいっと上げて述べる。

「超絶高性能QPのお嬢ちゃんと、バカ高い身体能力を持ってる可愛い子ちゃんの試合か。目の保養にはうってつけだな」

「雄大さん。あの子達、多分私と同い年ですよ?」

 少女が綺麗な顔をしかめる。

「あんまりイヤらしい目で見ないでください」

「花香ちゃんといつも一緒にいるんだから、慣れたもんだっつーの。大丈夫、俺にロリコンの気は無い! ……多分」

「いま、多分って言いました!?」

「気のせい気のせい。――さて、俺ならどう戦うかな?」

 なるほど、男は雄大、隣の美少女は花香というのか。

 それにしても、雄大なる男が呟いた最後の一言、あれは少し気になる。

「しょーせーい」

 頭の上で呑気にシャボン玉を吹かしていたセイランが呼びかけてくる。

「星乃ちゃんが絶賛ぼっこぼこ~」

「本当だ」

 再び二人の美少女の戦いに意識を引き戻してみると、いつの間にか星乃のヒットポイントゲージが半分を切っていた。現に雪見と距離を開けて息を整えている星乃もお疲れの様子だ。

 千手観音が如きグレイスの<ブレード>をどうにかしないと、星乃は相手に手傷を負わせるどころか、近づけさえしないだろう。

 なんだか、見てるだけで可哀想になってきた。

「慎之介。俺、ちょっと行ってくるわ」

「は?」

「すぐ戻る」

 戸惑い気味の慎之介を置いて、将星は河川敷まで降りて星乃の傍に駆け寄る。

彼女もこちらに気付き、驚きからか、目を大きく見開いた。

「え? 将星?」

「よう、星乃。まだ元気は残ってるか?」

 将星は軽口を叩くや、さらに星乃との距離を詰める。

 すると、雪見の白いブレードから凛々しい女の声が発せられる。

「あなた、一体何のつもり? 邪魔しないでくれるかしら?」

「悪いな、ちょっとタンマだ」

 グレイスを一旦制すると、将星は星乃にしゃがむように促し、あからさまに彼女と内緒話を始める。星乃は将星の告げた内容を飲み込んで何度か頷くと、まるで電球が光ったかのように表情が明るくなり、縮みきったバネが伸びるようにバチンと立ち上がる。

 将星がすぐにまた慎之介の傍へ戻ると、未だ近くにいた雄大が話しかけてくる。

「なあ、坊主」

「はい?」

 突然話しかけられて少し慌てかけるが、相手はこちらの反応を気にせずに訊ねてきた。

「あの金髪の可愛い子ちゃんに何を吹き込んだんだ?」

「あの白いQPの攻略法です」

「へぇ?」

 雄大が興味深々に反応する。

「何だよ、教えてくれよ」

「僕も聞きたい」

 慎之介も乗っかってくる。

 ……まあ、別にいっか。

「見ていれば分かりますよ」

 話すにしても、まずは星乃の行動を見てからの方が説明しやすい。

 星乃の再突撃。ここまではさっきと同じだが、ここから先の星乃の動きは、さっきまでとは少しだけ違っていた。

 飛んできた九つの<ブレード>を捌き、星乃が右側に大きく移動する。雪見も体の向きを変えて<ブレード>の軌道を変更し、さっきと同じように星乃を攻撃する。

 星乃はこれも全てクリアし、今度は左側に動く。雪見がさらに体を回し、左側から仕掛けてきた星乃の動きを<ブレード>で牽制する。

 雄大が怪訝そうに唸った。

「何だぁ? 左右に振るだけで、さっきと何も変わんないじゃねぇかよ」

「いえ、白沢さん……いや、グレイスからすれば凄くうざったい動きです」

 ここから将星が解説モードに入る。

「あの九つの<ブレード>を白沢さん一人が操ってるなんて普通は考えられない。操作を担当しているのはグレイスでしょう」

「見りゃ分かるっつーの」

「ただ、グレイスの脳みそも一つです。<ブレード>を一本一本操作するのにも随分な負担が掛かってる筈。だから星乃にああも機敏に動き回られたら、さすがのグレイスもさらに高度な処理を行う必要がある」

「まあ……たしかに」

 雄大が考える仕草をしている間に、今度は花香が質問してくる。

「でもそれって、攻略法と何の関係があるんですか?」

「これも見ていれば分かる。ほら」

 大きく雪見の周囲を巡るように動いていた星乃が、飛んできたグレイスの<ブレード>を、片足を軸に回転して左右に移動しながら打ち払い続けている。テコンドーや剣道などに通じるその動きは、並大抵の人間には成しえない優れた体術だった。

 しかも弾かれた<ブレード>が、他の<ブレード>と接触してその動きを阻害している。これも大体予想通りだ。

「<ブレード>同士がぶつかり合った……!?」

「いくら九本生えていようが根本は一つ。あんな風に大きく動いて攻撃を弾き続けていれば、いずれはああなる運命だ」

 九本あったうちの二本の<ブレード>が絡まり合うと、残りの七本の動きがもたつき始める。ただでさえ接近戦において常識外の物量を操らなければならないのに、こうなってしまえば物量もへったくれも無い。

 雪見に大きな隙が生まれる。

そこを見逃す星乃ではない。彼女は大きく踏み込み、軌道が単調になっていた<ブレード>の全てを真上に跳ね上げる。

「そこがグレイスと白沢さんにとっての最大の弱点。そして、そこを突けるのは――」

星乃が黄色く光る大剣の刃を大きく振り上げ、

「宇田川星乃――俺が知る限りだと、ただ一人」

 渾身の一閃。満タンを保っていた雪見のヒットポイントゲージが全損し、この試合は星乃の勝利で幕を閉じた。

 傍らで彼女らの奮闘を見守っていた同級生達の歓声がどっと湧く。当然ながら、勝った星乃が一番喜んでおり、何度もジャンプして叫んでは見境なく他の男子達と肩を組んで勝利の熱気に浸っていた。

 本当に驚いたらしい、雄大が唖然として呟いた。

「本当に勝ちやがった……あの可愛い子ちゃん、本当にバケモンか?」

「あれだけの性能差だったのに……凄い」

 花香も同様に呟くと、驚いたまま将星に訊ねた。

「どうしてあの白いQPの弱点を見抜けたんですか?」

「少し考えればすぐ分かる。それに、あくまで星乃だからこその攻略法だ」

 将星はにんまりとして言った。

「あんな激しい運動をこなす体力、多方向からの斬撃を見切る動体視力、どんな無茶にも応える対応力。単にあれは、星乃が天才だったって話だ。俺はそれを後押ししたに過ぎない」

「いつになく宇田川さんをベタ褒めするね」

 慎之介が意地悪っぽく言った。

「やっぱり宇田川さんのことが好きなんだー」

「他人の恋路の成り行きよりもてめぇの心配をしやがれ。こないだ、三か月記念日を忘れたとかで仲がこじれたらしいじゃねぇか」

「何でソレを!?」

「知りたきゃ迷惑メールフォルダにぶち込んだお前の彼女からのメールを、六十件近い着信件数と一緒にいますぐ全部見せてやっても良いんだぜ? あぁ!?」


 友人の恋人から送られてきた嫌がらせメール、迷惑メールフォルダ包み

~六十件近い着信履歴を添えて~


 このように、何でもおフランスにすると何でもお上品に――ならないか。むしろ聞いた瞬間に腹筋が爆発するぐらいには品が無い。

「なるほどねぇ……」

 二人のやり取りを見守っていた雄大が呟くと、花香に短く呼びかける。

「花香ちゃん、もう帰るぞ」

「え? あ……はいっ」

 さっさと歩き始める雄大の背を、花香がこちらに軽く一礼してから追う。

 何歩か歩くと、雄大は一旦立ち止まり、振りかえらないまま告げてきた。

「生島将星。今日はお前のおかげで面白かったぜ」

「え? 俺、名前なんて名乗りましたっけ?」

「さてな。じゃ、機会があったらまた会おうぜ」

 謎めいた言葉を残し、彼は花香と一緒にこの場から去って行った。


「雄大さん」

「ん?」

「彼を知ってるんですか?」

「まあな」

 答える雄大の横顔からは何も窺い知れない。

「あいつの頭の上に乗っていた、あのセイランっていうQP。あれ、どっかで見た事があると思ったら、駆のヒスイによく似てやがる」

「っていう事は、あれってもしかして――」

「間違いねぇな」

 雄大の口調は確信に満ちていた。

「生島将星。あいつはマテリアライザー暴発事件の加害者だ」


   ●


 帰宅する前にやるべき事と言えば、まずは夕飯の買い出しだ。

 将星は行きつけのスーパーで今日の夕飯に使えそうな食材を物色していた。時間が時間だけに店内はこちらと同じ目的で訪れた主婦達でごった返しており、タイムセールで売り出された商品がうず高く積まれたシマに、そんな客達が鳩のように群がっている様子が見受けられる。

 しかし今日の将星はタイムセールの目玉に興味は無い。授業中に頭の中でぼんやりと組み立てていた献立に必要な品だけを腕に引っ掛けたカゴに放り込む。

 目の端で、他の客のQP同士が仲良く手を繋いで踊っている姿が映る。二体のQPの間にはハートのエフェクトが桜のように散っており、踊っている当人達を使役しているユーザーがそれに反応してお互いに距離を詰める。

 ユーザーと思しき仕事帰りの若いサラリーマンらしき男と、小奇麗な身なりをした若い女性が、QP達の様子を見て、お互いに何かを話している。

 あの二人の間に、マッチングリンクが成立したのだろう。

「……っ!」

 激しい吐き気が襲いかかり、将星は手に持っていたカゴを取り落とす。周りの客が将星の異変に気付いて目を丸くするが、なんとか吐き気をこらえ、落としたカゴを拾い上げて早足でレジへと向かい、手っ取り早く会計を済ましてサッカ台で商品を袋に忙しく詰め込んだ。

 店を出ると、ようやく吐き気が収まった。少しでも遅れたら大変な事になっていた。

「――っはぁっ! 畜生、だから人混みは嫌いなんだ!」

「しょーせい、大丈夫?」

 セイランが心配そうに訊ねてくる。

「ああ、大丈夫。心配かけてごめんな」

「やっぱり食材はデリバリーがよろしい? 無理は禁物だよ?」

「いや、これも治療の一環だ」

 将星は目一杯強がった。

「カップル成立の予報ごときで情けない姿は晒せないからな」

「おいらはすごくイヤだ。しょーせいは何も悪くないのに」

「悪くなくても下るもんなんだよ、天罰ってのは」

 自分で言っておいて何だが、たしかにこれは天罰なのかもしれない。

 吐き気を催したあの時に将星の脳裏に蘇ったのは、小学五年生の頃に起きた惨劇の記憶だった。

 父親が複数の女とマッチングリンクを成立させたという異常事態。

 返り血で汚れた、自分の掌。

 あれから三年以上経ったいまでも、あれに勝る恐怖は無い。

「帰ろう」

 将星はセイランを掴んで頭の上に乗せ、再び住まいであるアパートに続く帰路を辿る。歩いている最中でもセイランが心配そうな態度をしていたので、何度か頭を撫でたり頬をつついたりして、とりあえずは彼の心を満たしてやることにした。

 自宅の玄関をくぐり、扉を閉めて鍵とチェーンを掛ける。部屋の規模は1DKのトイレと風呂完備という、人間一人が暮らす分にはほとんど不自由しない仕様となっているので、中学二年生で一人暮らしの将星からすれば文句の一つすら浮かんでこない。

 ただし不満があるとすれば、家賃と仕送りの元手が親戚の伯父と叔母であるという一点だけだ。両親と死別して親戚間をたらい回しにされた結果、義務教育が終わるまでは金を払ってやるから私達の家には来ないでくれと迂遠に言われ、将星はいまの一人暮らしに落ち着いている。

 最初からこちらを見捨てる気が満々の連中から、仕方ないと恵まれた金で生活する気分は、はっきり言って最低だ。それでも生きていくには、いまの将星にはこれ以外に道が無い。

 ちなみに今日の夕飯は丼ものだ。というか、毎日丼ものだ。思春期の育ち盛りが日々の食事で満足する献立の筆頭が丼ものであると、将星自身が勝手に思い込んでいるからそういう食生活になるのだが、一人暮らしの身の上では些末の問題だ。

 今日はカリカリに焼いた豚の丼だ。グリルの上でぱちぱちと音を立てて焼き上がっていく豚の変容を見届けつつ、余っていた大量のご飯を解凍し、豚のついでに買ってきた諸々の材料でタレを作っていく。

 焼き上がった豚や海苔などを丼に盛ったご飯の上に乗せ、タレをかけて居間の座卓の上に置く。

 さあ食べようと思ったところで、癇に障るチャイムの音が鳴る。

「はーい」

 いまは夜の七時台だ。こんな時間にどんな客だろうか。

 鍵を開け、うっすら玄関の扉を開けて外の様子を窺った。

「よっ」

 扉越しに立っていたのは宇田川星乃だった。さっきまでの制服姿ではなく、パーカーにホットパンツといったラフな格好だった。何でアルミ製の鍋を抱えているのかは、まあ、彼女を部屋に上げた後で聞き出すとしよう。

「なんだ、星乃か」

「あたしだけじゃないよーん」

 星乃が言うと、彼女の隣に立っていたもう一人の女子が、外を覗く将星の眼前にぬっと進み出てきた。

 目と鼻の先にあった顔は、紛れも無く白沢雪見のものだった。

「やぁ、生島君」

「何でいるの?」

「公衆の面前で私に無様な敗北をプレゼントしてくれた君に対してささやかな嫌がらせをしに馳せ参じた」

「帰れ」

 扉を閉めて鍵を掛けて座卓の前に戻る。

「お、おーい? しょーせーい? 何で閉めちゃうのー?」

「開けろコラ。さもなくばここで星乃と大合唱するぞ」

「…………」

「うーみーはーひろいなー」

「おおきーなー」

「あー、もう、うるせぇ! 分かったから少し黙ってろ!」

 ここで雪見と星乃に喉自慢されてはご近所からクレームが飛んでくるのは必然だ。将星は仕方なく玄関の鍵とチェーンを外し、二人の客人を部屋の中に招き入れる。

 二人が座卓の前に座ったところで、将星も再び丼の前に腰を落ち着ける。

「で、お前らはマジで何をしにきたの?」

「あたしからはー、これっ」

 星乃が座卓の上に置いたのは、さっきから大事に抱えていたアルミ製の大きな鍋だった。将星の予想が間違っていなければ、その中身はきっと煮物か何かだ。

「……星乃。自炊できるからおすそ分けは良いって前に言ったろ」

「いつも丼ばっかりの中学生を心配しない訳が無いでしょ?」

 星乃がこちらの手元に置かれた豚丼を見て言った。余計なお世話だ。

「ああ、見てたらお腹空いてきた。将星、同じの作って」

「太るぞ」

「食べた分以上に動き回るからノンプロブレム」

「私にも作ってくれたまえ」

 雪見まで片手を上げて要求してくる。

「大丈夫。私は食べても太らない」

「…………」

 実は雪見とこうして普通に話すのはこれが初めてなのだが、それでも彼女の言動や行動をいちいち指摘していたらキリが無いのだけはすぐ分かった。

 しかし、ご近所付き合いのある星乃は別として、何で今日になるまでただのクラスメートでしかなかった雪見が、突然この家までやってきたのか。

 考えていても仕方ないので、とりあえず追加で豚丼をもう二人分用意し、せっかくだから星乃が持ってきた鍋の中を皿の上に出して座卓の中央に置く。

「ところで白沢さん。君は本当に何をしに来たの?」

「君はさっきのQPバトルでグレイスの弱点を的確に見抜いた」

 雪見が丼を両の掌で包み込んでから言った。

「加えて星乃の潜在能力を充分に引き出し、グレイスを相手に見事勝利を収めた。そんな芸当をやってのけた君を、私が注目しない筈が無いだろうよ」

 何でそんなに偉そうなんだ、お前は。

「星乃にもアドバイスしたんだ。だったら私とグレイスに反省点ぐらい教えてもらわないとフェアじゃない」

「化け物QP従える奴が何を言うか。君の言葉を借りるなら、俺がそれを教えた方がもっとフェアじゃない」

「……駄目?」

「可愛いフリしても駄目」

 雪見が瞳を潤ませて上目遣いにこちらの顔を覗き込もうとするが、いざ拒否されると一瞬で元の無表情に戻って舌打ちする。

 何故だろう。さらに雪見が可愛く思えてくる。

「じゃあ、別の質問」

 意地になったのか、雪見が頬を膨らませて訊ねてくる。

「生島君はQPバトルやらないの?」

「はい?」

「いままで君がバトってるとこ、見たことないんだけど」

 雪見の質問は当然かつ的確だ。

 QPバトルは日本の国技みたいなもので、オリンピックみたいな世界大会なんぞが開かれているくらいには大流行している。少なくとも中学生なら、何らかの障害を負っていない限りは一回ぐらいやった事がある競技だろう。

「ゆっきー、あのね、それは――」

 事情を知っていた星乃が口を挟もうとするが、将星は彼女の眼前に手を翳してその口をぴたっと黙らせる。

「いい。自分で言うから」

「でも……」

「大丈夫。これも治療の一環だ。反省点を答えなかった代わりにでもしといてくれ」

 さっきと同じ事を言って、将星は可能な限りの穏やかさを以て答える。

「さて。じゃあ、結論から答えるよ。セイランからはQPバトルと恋愛に関わる機能の全てがオミットされている」

「オミット……という事は、元に戻す方法もあるんだな?」

 普通は驚く筈だろうに、意外にも雪見は冷静かつ聡明だった。

「あるにはある」

 将星は立ち上がると、ハンガーに掛けてあった制服のブレザーの内ポケットから市販の消しゴムくらいのサイズしかないケースを取り出し、中を開いて中央に収まっていたメモリーカードを雪見に見せてやった。

「こいつをQPドライバーのメモリースロットに挿して、中のデータをダウンロードするだけで良い。そうすればセイランは元の力を取り戻す」

「けど、いまの君にその気は無い」

「オフコース」

 雪見の察しがある程度良くて助かった。バカの慎之介とは大違いだ。

「それにも色々事情はあるんだけど、今日はここまでだ」

「ふむ……」

 雪見が少し考え込むような仕草をする。

「まあ、事情は人それぞれだけど……」

 またもや雪見が何かに気付いたらしいが、星乃が慌てて彼女を制止する。

「ゆっきー、もう良いでしょ? ね?」

「だね。失言だった、忘れて欲しい」

「別に良いさ」

 きっと、いまの雪見はこう思っている筈だ。

 QPバトルに使えないQPを所持していながら、何でさっきの試合でグレイスの弱点を見抜けたのだろう――と。

「あ、そうだっ」

 今度は星乃が何かを思い出したようだ。

「ねぇねぇ、将星。今度の土日は空いてる?」

「空けられはするけど」

「ヘイワダイ体育館で、新作ベースコード発表会の招待チケットが届いたんだ!」

 星乃が財布から嬉しそうに三枚のチケットを取り出して見せびらかす。

「ネリマ在住の人の中から抽選で届くチケットなんだってっ。次世代型のQPにフライングで触れるチャンスだよ!」

「ああ、それか。話には聞いてるよ」

 ベースコードとは、いわゆるQPの骨格だ。例えばセイランのベースコードは小人型で、グレイスのベースコードは妖獣型といったように、そのQPの姿形を決めるのがベースコードというプログラムなのだ。ベースコードごとに特殊な能力を有している場合も多いので、QPバトルのレベルを上げたいユーザーからすれば朗報以外の何物でもない。

 そのイベントで新しく展示すると告知されたベースコードは小人型と動物型の最新作バージョンだ。聞いた話だと、当日でしか見られないものを含めると、今期の新作は五から六種類ぐらいあるらしい。

 興味深い話ではある。だが、あまり気乗りはしない。

「……悪いけど、俺はパス。そういうイベントに行くと正気を保てそうにない」

「まだキツいの?」

「まあな」

「そっか」

 ただでさえ素で人混みが苦手なのだ。そこでマッチングリンクのデモンストレーションでも見せられた日には、吐く前に失神して救急車に搬送されるという散々な末路を辿るだろう。

 星乃は雪見に水を向ける。

「ゆっきーはどう?」

「面白そうだ。行こう」

 好奇心の塊みたいな雪見はすぐに快諾する。

 よく考えれば女子と出かける数少ない機会をみすみす逃した気がして、将星は軽く損した気分になる。

「雪見。電話よ。お父様から」

 グレイスが着信を報せる。雪見がリンクウォッチの上にディスプレイを呼び出すと、「SOUND ONLY」と書かれた画面から大音声が鳴り響く。

『雪見ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ! こんな夜遅くまで何処ほっつき歩いているんだぁあああああああっ! パパりんはお前が心配で心配で、もう本当にどうにかなってしまいそうだよぉおおおおおおおっ!』

 うるせぇ、と心の中で呟いておく。

 雪見は慣れたものらしく、叫ばれた際に軽く上体を軽く引いただけで、後は普通にやかましい声の主と会話する。

「すまぬすまぬ。いま、クラスメートの男の子のお家にいる」

『何だとぉッ! けしからん! 良いか、雪見。中学生男子は思春期真っ盛り、大人も裸足で逃げ出す程の性欲をその身に秘めた精力の権化だ。そんな相手の家に、しかもこんな夜遅くに気安く上がり込むなど言語道断! いますぐ帰ってきなさい!』

 誰が性欲まみれの淫獣だって? えぇ?

「大丈夫。友達の女の子も一緒にいるから」

『3●《ピー》だとぉ!? おのれクズめ! 娘の体では飽き足らず、他の女にも手を出す不逞の輩よ、いまそこにいるんだろう! いますぐ私の前に出てこんかいワレェ!」

「あんたは自分の娘を何だと思ってるんだ!?」

 とうとう耐え切れず、将星は雪見の後ろから画面に向かって怒鳴り散らす。

「さっきから聞いてれば思春期真っ盛りとか精力の権化とかバイ●グラとか好き勝手ぬかしやがって!」

『出てきたな淫獣め。いますぐ娘を解放しろ。さもなくば、貴様の首を娘のQPドライバーの迷惑メールフォルダにぶち込んで端末ごとスクラップにしてくれるわ!』

「お父様、それだと私も一緒にスクラップになるのでは?」

『大丈夫だグレイス。お前には新居を買ってあげよう』

 それはそれでどうなんだ、と言いたい。

「さっきからうるせぇ!」

 また新たな声が割り込んだかと思ったら、今度は星乃の頭の上に、星の模様をあしらったマントを纏う小人型のQPが現れる。

 星乃のQP、コメットだ。

「せっかく気持ちよく寝てたってのに、一体何だ、この騒ぎは!」

『おや? その声はコメットかい? という事は、そこにいるのは星乃ちゃんか』

 コメットの声が良い薬になったのか、雪見の父親が忘れていた我を取り戻す。

『そうか。星乃ちゃんが一緒なら安心だ。いやー、真っ先に変な疑いをかけてすまんね、少年。娘の事となると、私も見境が無くなってしまってな。はっはっはー』

「星乃。ありがとう。色んな意味で、ありがとう」

「?」

 雪見パパと将星がそれぞれの意味で安心するが、星乃は終始ぽかんとしているだけだった。

『雪見。友達と一緒にいるのは良いが、あまり遅くならないようにな』

「うーい」

『では、また後で』

 通話が切れると、雪見は何事も無かったかのように言った。

「キリが良いし、そろそろお暇するとしようか」

「うん、まあ、その方が良いよ…」

 口に出しては言えないが、正直な話、雪見には早く目の前から消えて頂きたい。いくら誤解が解けたとはいえ、彼女がきっかけでこの先どういう事態を招くのか、いまの将星には全然予想がつかない。

「そういえば、さっきから気になっていたんだけど……星乃って白沢さんの家に行った事あんの?」

「ゆっきーのお家は喫茶店やってんだよ。そこでゆっきーのお父さんにも会ってる」

「へぇ」

 小学生時代から星乃と慎之介の二人と付き合いのある将星だが、星乃と雪見が一緒にいる場面をあまり目にはしない。とすると、星乃が雪見と仲良くなったのは本当につい最近の話らしい。

「さて、じゃあ、あたしもそろそろ帰るとしましょうか」

「鍋は持ち帰れよ」

「おっと、そうだった」

 星乃は立ち上がるとアルミ鍋を持ち上げ、雪見の後を追って玄関口で靴を履き、

「じゃあ、お邪魔しましたー」

「また来るZE」

「今度は遅くない時間にな」

 女子二人は丁寧な仕草で将星の自宅を後にした。

 さっきまで騒がしかったのが一気に静まり返る。将星はしばらく訳も無く立ち尽くしていると、すぐに思い直し、自分と女子二人が平らげた丼の器を台所に持っていく。

 流し台に洗い物を置いてみて、将星はふと思った。

 美少女二人がさっきまで口をつけていた箸が、目の前に、二つ。

「…………」

「しょーせい、不埒~」

「何故バレた?」

 何か自分が情けなく思えたので、将星は煩悩を振り払うように、流し台に置いた食器を全て水道水で水洗いしてやった。


   ●


 ヘイワダイ体育館。エリア・ネリマで開催される新作QPの発表会が開かれる場所だ。イベント直前なだけあって会場は人でごった返しているが、私服と仕事服の区分だけで一般参加者と企業関係者の明暗がくっきり分かれているようになっているのは見ているだけで面白い。しかも報道関係者の名札まで提げている者も多く見られ、普段では滅多に見ないようなテレビカメラなどの機材まで数多く運び込まれている。どうやら、テレビで生中継もするようだ。

 雪見の隣で星乃が感嘆を漏らす。

「ほへぇ、人でいっぱいだぁ。将星が来たがらないワケだ」

「人混みが苦手って言ってたからな」

「それもあるし、やっぱりマッチングリンクを見てるだけでもキツいんじゃない?」

 星乃から意外な情報が飛び出し、雪見が怪訝な顔をする。

「マッチングリンクを? どうして?」

「将星はマッチングリンクを見るだけで吐き気がするんだよ」

「ほう」

 将星には何かしらの凄惨な過去があるらしい。そして、いまもその後遺症が続いていると考えるなら、なるほど、彼の言動や行動には何となく納得がいく。

「私も彼ではないが、あまり良い気分ではないな」

「え? どうして?」

「いままでマッチングリンクを成立させた相手が人生で一人もいない身からすれば、他の男女が結ばれていく様を見るだけでイラっとする。リア充マジくたばれ」

「そんなん、あたしだって同じだよー……」

「私がそう易々とマッチングリンクを承諾する筈が無いでしょう?」

 いつも通り、肩の上に乗っていたグレイスがつんとして言った。

「マッチングリンクはQPに記載されたプロフィール情報――つまりは年齢や収入、容姿やQP自身が観測したユーザーの性格を参照して、それに見合う恋人候補を付近から自動でサーチするシステムでしょう? あなたに見合う相手がそうゴロゴロいてたまるもんですか。少なくとも、あの生島将星だけは絶対に認めません」

「グレイスは生島君が嫌いなの?」

「それもあるし、それ以前の問題。セイランはマッチングリンクの機能を封印されているのよ?」

「ていうか、グレイスって選り好みが激しいんだね」

 星乃がいまさらのように言った。

「まあ、あたしのコメットも似たようなもんなんだけど」

「おれは強い男しか認めん!」

 コメットが星乃の頭の上から毅然と言い放つ。星乃は将星とそこそこ長い付き合いだと聞いたが、それでもコメットからはあまりよく思われていないようだ。

 このように、この現代ではQPがいわゆる恋のキューピッドのような役割を担っている。もちろん、QPの意志に反してマッチングリンクが成立しないような相手と付き合う者も多数いる訳だが、恋に自信が無い人間からすれば大助かりのシステムである。

 このシステムが運用された当初は国民の過半数から反感を買ったが、いまでは生活の基盤として、そしてホビーとしての機能も備えるようになり、徐々に民衆に享受されていまに至っている。

 それでも最終的にマッチングリンクを受け入れるかどうかを決めるのは、ユーザー当人の意志ではあるのだが。

「将星君とセイランって、何者なんだろう」

 雪見が呟いた。

「あの夜、グレイスがこっそりセイランに記載されていた生島君の情報を探ろうとしてたんだけど、細かいところでプロテクトがかかっていたらしいし」

「将星の事はあまり深入りしない方が良いよ」

 聞きなれない声がしたと思ったら、いつの間にか傍にクラスメートの丸井坂慎之介が立っていた。いつも将星とつるんでいる男子生徒だ。

「おはよう、宇田川さん、白沢さん」

「シンちゃん、おっすおっす」

「君にもチケットが届いていたのか」

 挨拶を返さずに問うと、慎之介が苦笑して答える。

「まあね。どうせ暇だし、ちょっと行ってみようかなと」

「なるほど」

 ここでまた将星に関する質問を浴びせると、今度こそ星乃に怒られそうだ。いまの慎之介の一言で確信したが、どうやら星乃と慎之介は将星の事情をある程度知っている立場の知人らしい。

 雪見がしばらく考えていると、会場の光源が全てフェードダウンする。

 やがて会場の床より一段高いステージの中央にスポットライトが当たり、MCらしきスーツ姿の男が闇の中からすうっと姿を現す。

「皆様、本日は我が古川電子産業株式会社の新作QPベースコード発表会にお越しいただき、誠にありがとうございます。今日ご覧に入れますは、一週間前に公式サイト上で発表した、新世代の小人型ベースコードに始まる新作の六点でございます」

 あの大手企業が発表したい作品は事前に集めた情報通りだ。雪見は話を流し聞きしながら、グレイスに小声で話しかける。

「どうするよ、お父さんが妖獣型ベースコードの新作買ってきたら」

「私のはオーダーメイドよ? そうそう新しいのを買う気なんて起きないでしょう」

 グレイスは市販のベースコードを用いた一般的なQPと違い、父親が最高の性能を追い求めて数えきれない程の注文を業者に叩き込んだ末に生まれた最強のQPだ。バトルコードをあまり登録していないとはいえ、それでも<ブレード>一本の攻撃力は、現実の攻撃力だとダンプカーを一刀両断する程に強化されている。

「頼んでもいないのにここまで強化されたら、後は全てどうでも良くなるわ」

「ですよねー」

 つくづく娘に甘い父親だ。悪い人ではないが、もうちょっと節度を弁えて欲しい。

「――これからその性能を簡単ながらご覧に入れましょう」

 司会がさくさく進み、新型QPの性能を見せびらかす段になる。

「まずはこちらのステージに我らのスタッフと――あと、一般参加者の中から一人だけ選ばせていただきます」

 MCが会場全体でうごめく人の顔をざっと見渡し――偶然、こちらと目が遭った。

「じゃあ、そこの金髪の可愛い女の子!」

「え? あたし?」

 指名されて驚く星乃。この会場で綺麗な金髪を伸ばしているのはただ一人なので、金髪の可愛い子と星乃は同意義だ。

「こちらまで来ていただけますかね?」

「あ、ハイッ」

 緊張でがっちがちになりながらも、星乃はなんとかステージの前に出て、おっかなびっくりな手つきで司会者から白いグリップ型のQPドライバーを受け取る。

「いまから二人にはデモ仕様の新型QPで簡単にQPバトルしていただきます。メインコードは<ブレード>と<シールド>が搭載されていますが、それで大丈夫ですか?」

「大丈夫ですっ」

「ありがとうございます。では」

 MCがテストプレイヤーと思しきスタッフと目配せし、星乃を適度な位置に立たせて、スタッフもまた星乃と距離を開けて対峙する。

「新作のベースコードには当社の新技術、シンクロシステムが備わっております。QPとユーザーが精神的に感応、同調する事で、より直感的なQPドライバーの操作が可能となっております。まずはその様子からご覧に入れましょう。お二方、QPドライバーの真ん中にある丸いスイッチを押してください」

 星乃とスタッフが指示通りにスイッチを押す。すると、何故か星乃が怪訝な顔をして、何度もスイッチを押し込んでいた。

「あれ? 何も起こらないよ?」

「んン? おかしいな、故障かな……」

 MCが星乃に近づいて、QPドライバーの調子を確認している、その時だった。

 離れて対峙していたスタッフの体が、突如として激しく痙攣する。

「が……ががっ……あああああああ……ああああっ」

「! 危ない!」

 異変に気付いた星乃がスタッフを突き飛ばし――彼女の脇腹に、ビームの刃が深く突き立てられた。

「っ……!」

 星乃を刺したのは、白目を剥いたテストプレイヤーのスタッフだった。彼は虚脱しているかのように首をだらんと反らし、力なくグリップ型のQPドライバーを掴み、ただ茫然と立ち尽くしていた。

 QPドライバーの先端から伸びた<ブレード>が、星乃の返り血で赤く汚れる。

 会場が一気に静まり返った。

「いっ……」

 事態を飲み込んだ一般参加者の一人がしゃっくりみたいな呻きを上げ、

「いやぁああああああああああああああああああああああああっ!?」

この金切り声が起爆剤になったのか、他の一般参加者達が一斉に背を向けてこの会場から走り去っていった。

 企業関係者以外のただ二人、雪見と慎之介を除いては。

「星乃っ」

「宇田川さん!」

「来るなっ!」

 駆け寄ろうとした雪見と慎之介を鋭く制し、星乃は負傷したとは思えない程の力強さで後ろに下がり、刃を脇腹から真っ直ぐ引き抜いた。

止めどなく血が溢れる傷口を片手で抑え、星乃は余った片手で自らのQPドライバーを起動させる。

「コメット! マテリアライザー・オン!」

「てめぇ、よくも!」

 コメットがQPドライバーに潜り込み、先端から大きな<ブレード>を展開。刃の上を走る激しい雷電が、ステージの床をがりがりと削って破片にしていく。

「らぁっ!」

 星乃が剣を一閃し、相手が力なく握っていたQPドライバーの<ブレード>を破壊。すかさず相手の懐に潜り込み、器用にQPドライバーを逆手に持ち替え、剣術で言うところの柄当てをスタッフの顎に決める。

 脳を揺さぶられたスタッフが抵抗無く仰向けに倒れるのを見届けると、星乃はようやく膝をつき、その場で息を荒くして動きを止める。

「っ……こりゃ、ヤバいかも」

「星乃!」

 雪見が駆け寄り、星乃の傍にしゃがみ込む。

「バカか、あんたは! 何て無茶な真似を……!」

「あそこで倒さなきゃ、他の人まで襲われちゃうかもしれなかったから」

 星乃は気丈に笑みを作った。雪見はそんな彼女の頑丈さに呆れつつ、口の端からこぼれる血を拭いてやり、肩を貸して彼女の体を立ち上がらせる。

「とりあえず、ここから離れよう。丸井坂君!」

「分かったっ」

「うう、ああ、あっ」

 近くにいた慎之介と一緒に星乃を運び出そうとするが、さっき星乃が倒した男の呻き声が聞こえて足を止めてしまう。

 スタッフの彼は、まだ意識を保っていたらしい、ふらふらと立ち上がり、未だ握っていたデモ機のQPドライバーから再びブレードを伸ばし、覚束ない足取りでこちらに歩み寄ってきた。

「嘘……? さっきのが効いてなかったの?」

「ガキ共、伏せろ!」

 スタッフの足元で火花が散った。

 ステージ外で銃型のQPドライバーを構えた派手派手しい外見の男が叫ぶ。

「ぼさっとすんじゃねぇ! 早く逃げろ!」

 男は裾の長い青のジャケットを着用していた。胸には『QP/』と刻まれたバッジが眩しく銀色に光っている。

 彼はおそらく、QP/の上級捜査官だ。

「あの人、あの時の……」

「ぼやぼやすんな、早く行け!」

「は、はいぃ!」

 慎之介が何やら妙な反応を示したが、事態は一刻を争う。雪見達はステージを降り、この部屋の出入り口までどうにか辿り着く。

 その途端、突如としてこの部屋の全ての扉がひとりでにばたんと閉まり、カーテンも同じように全ての窓を覆い尽くしてしまった。

 閉じ込められた――雪見は一瞬で、そう理解した。

「そんな、扉が……!」

「丸井坂君、星乃をお願い」

 雪見は星乃を慎之介に預け、背後で展開されている戦闘をちらりと見遣る。

 あの上級捜査官らしき男は苦戦しているようだ。撃った銃弾が全て相手に見切られ、回避され、挙句には打ち返されたりもしている。さっきまで映画のゾンビみたいだったのに、あの動きは明らかにおかしい。

 こうなると、この部屋に星乃を長居させるのは危険だ。多少の無茶をしてでも、早めにこの部屋から脱出しなければならない。

「グレイス。マテリアライザー、オン」

「駄目、発動できない!」

「何だって?」

 グレイスの警告に、雪見は耳を疑った。

 QPドライバーには、QPバトルに使われるゲーム用の武装を現実化するマテリアライザーという機能が備わっている。危険な機能故に普段は使用が制限されているが、ユーザーの生命を脅かすような危機が起きた際にその機能は発動する。

 男性と女性とではマテリアライザーの起動条件が大きく違う。しかも女性の場合は男性よりもその発動が容易だったりするのだが、グレイスはこの状況でそれすら不可能と言っているのだ。

「この状況で何を言ってる? このままじゃ星乃が……!」

「違うの! 使おうとしても解放できないのよ!」

 こんな時に故障か――内心で毒づいた時、雪見はある事に思い至った。

「じゃあ、何で星乃とあのスタッフのマテリアライザーが起動したの? ていうか、あの捜査官も現にああやって――」

「この会場全体に、おかしな磁場が発生しているようね」

 グレイスが不調の解析を進めながら言った。

「あのスタッフが星乃さんに倒された後に展開されたものよ。もうここでは一般人のマテリアライザーは起動しない。ていうか、電波が通らない……この場所じゃあ救急車も呼べやしない!」

 ずがんっ! と痛快な銃声。振り向いてみると、いままで虚ろな目をしたまま暴れていたスタッフが地に伏しているのが見えた。手元に転がっていたQPドライバーは完全に破壊されているので、仮にまた彼が起き上がっても暴れられる心配は無い。

 相手が完全に沈黙したのを見届け、捜査官の男がこちらに駆け寄って来た。

「何モタモタしてんだ。何があった?」

「僕達この部屋に閉じ込められちゃったんです!」

 慎之介がわたわたと手を振りながら説明する。

「しかもマテリアライザーも起動しなくて……このままじゃ宇田川さんが!」

「たしかにやべぇな」

 捜査官の男が、腹の出血を抑えながら白い顔でぐったりとしている星乃を見下ろす。このままだと出血過多で彼女の命にも関わる。

「しょうがねぇ。下がってろ。俺がここの鍵を破壊する」

「でもどうやって?」

「俺のQPドライバーは特別製でね」

 男は銃型QPドライバーのセレクターを捻って、自信満々に呟いた。

「音に気を付けな。俺のメテオは吠えるぜ」



 ヘイワダイ体育館の門前は騒然となっていた。将星が来た頃には、玄関口から少し離れたあたりで人だかりが形成されていて、とてもじゃないがこれ以上の進路を確保できる状態ではなかった。

 将星は人だかりの向こうを見ようとしながら毒づいた。

「くそっ! 星乃は何処だ!」

「多分、まだ中におる~」

 セイランがヘイワダイ体育館のマップをリンクウォッチの上に表示させる。

「この体育館は三階建て。一階の多目的ホールがイベント会場。多分だけど、星乃は電波の届かないところにいる」

「誰か外にあいつを引っ張り出さなかったのか?」

 実は会場の様子はテレビで生中継されていた。休日で特にする事が無い将星はぼんやりとその番組を眺めていたのだが、テストプレイヤーに選ばれた星乃がステージの上で相手のスタッフに刺されたのを見て、泡を食ってこの場に走って来たのである。

「そうだ、慎之介! あいつもメールで今日ここに来るとか言ってたな」

「シンちゃんにも繋がらない」

「くっそ! あの野郎も中にいるってのか!」

 とにかく、早く星乃を見つけないといけない。救急車も来ている様子が無いので、もうとっくに星乃を乗せて病院へ運んでいったか、単純にまだ来ていないかのいずれかだ。

 将星は近くにいた適当な大人の男に訊ねてみる。

「すみません! 会場で刺された金髪の女の子が何処にいるか知ってますか?」

「まだあの中だ! やべぇよ、取り残してきちまった……!」

「っ!」

 どうやら予想は当たっていたらしい。

 将星は衝動に駆られるまま、人混みをがむしゃらにかき分けてその向こう側に飛び出した。人間一人一人を一本の樹木とするなら、ここはさながら人間の樹海だ。

樹海を抜け、再び体がまともに動かせるようになると、真っ直ぐ会場の玄関口から体育館のエントランスに走り込む。

 当たり前のように、エントランスはがらんどうだった。外はあんなに騒がしいのに、事件が起きている屋内がこんなに静かなものとは思わなかった。

「星乃! おーい、星乃! 返事をしろ!」

「もしかしたらイベント会場に留まってるかも」

「行くぞセイラン。時間が無い」

「おっと? 待ちな、お坊ちゃん」

 走り出そうと力を蓄えた将星の前に、異様な風体の大柄な男がゆったりと歩み出てきた。

 迷彩服の上にタクティカルベストを装備し、大きなガトリング砲を脇に抱えたその姿は、ゲームなんかに登場する砲兵そのものだ。どんぐり眼からは想像もつかないような威圧感と、それに反するリラックスした態度も、迫力だけで人一人を押し潰すには充分な重量感を備えている。

 男は厚い唇で薄い笑みを作る。

「この先、通りたきゃ通行料を払いな」

「……俺は大怪我をしてる友達を助けに来ただけだ」

 震えそうになる自分を押し殺し、将星は気丈に言った。

「あんたらが何をしようが邪魔はしない」

「だったら尚更通せねぇな。お前さんの目的が、実は俺達にとっては一番の邪魔なのさ」

 男はやれやれと肩を竦める。

「どういう意味だ」

「本当はべらべら喋るべきじゃねぇんだろうが、友達想いのお前さんにはご褒美で教えてやるよ。俺はある企業から雇われた……分かり易く言えば、傭兵さ」

 たしかに、言われてみればそんな感じのする風体ではある。

「俺の目的は単なる時間稼ぎ。テレビで中継されているのを見てここに来たなら分かるだろう? あの金髪の嬢ちゃんを刺した奴と、会場の外で待機していたQP/の連中が鉢合わせにならないように見張るのが俺の役割だ。あえてその嬢ちゃんをデッド・オア・アライブの境界線に迷い込ませているのも、会場のステージで見張りをしていたもう一人の捜査官の判断を鈍らせるっていう立派な理由がある」

 QP/とは、QP絡みの事件を解決する為に設立された警察の下部組織だ。事件の捜査だけでなく、たまにこうした護衛みたいな仕事をする時もある。

 いまの話だと、現在この付近に配置されているQP/の捜査官は、最低二人だ。

「人質は生かしておくから意味がある。つまり人質の命を脅かされ続ければ、あの税金泥棒共はさらに動きを制限される。そこにお前さんみたいなハイパーレスキューに来られちゃ、こっちの計画も台無しになるってもんよ」

「何の為にそんな事をするのかは知らんが、つまりお前を倒せば全て丸く収まるっていう話だな」

「察しが良いじゃねぇか」

 傭兵の男が楽しげに唸る。

「ただ間違いを指摘するなら、俺は絶対に倒されないっていう一点だけさ」

 問題はまさしくそこだ。この男を無力化しない限り、仮に星乃を連れた誰かがこのエントランスまで辿り着いたとしても、決して外へは出られない。被害者の星乃を人質とするなら、救急車が来たとしても救急隊員は玄関口をくぐれない。

 中でも外でも缶詰状態。この体育館は、まさに理想の牢獄だ。

「ちなみに窓を割って逃げるのも無しだ。この体育館の窓は全て防弾ガラスに張り替えられている。テロ対策の一環だな。そんな事より、こうしてお喋りしている間にも、そのお嬢ちゃんの寿命は刻一刻と迫っているんだぜ? のんびりしてて良いのかよ?」

 騙されるな。これは奴の心理作戦だ。煽るだけ煽っておいて、こちらの致命的な隙を突いて一撃で崩す構えだ。

 どうする? セイランにはマテリアライザー以前に、バトルコードの使用が封印されている。このままではこれより先、一歩も進めないどころか引き返すしかない。

「ヘイヘイ、さあ、どう踊ってくれるんだい? ええ?」

「このっ……!」

 わざとらしくガトリングの砲身を揺らしながら、傭兵の男がさらに煽ってくる。

 その最中、焦る将星の鼻先を、真っ白な花弁が掠めて通り過ぎた。

「……ん?」

 白い……花弁?

 何でこんなものが、こんなところに――こんな場面に、漂っている?

「っ……! ぐぉああっ!」

 突然、傭兵の男が巨大なガトリングを取り落とし、頭を抱えてその場に蹲った。どうやら激しい頭痛に襲われているらしく、男はひたすらスキンヘッドをがしがし掴んではかきむしり続けていた。

 左側の通路の角から、ほっそりとした手がこちらを招かんと上下しているのが見える。将星は事態を把握できないまま、とりあえず手が見えた方向へと駆け出し、通路を折れてその角に引っ込んだ。

「君は……」

 招かれた先に辿り着いた将星は、言葉を失って目を丸くした。

 いましがた自分を呼んだ白い手の主は、先日の河川敷で偶然出会った二人組の片割れ――花香とかいう、清楚や可憐という感想が先に出る、あの少女だった。


   【Bパート】


 多目的ホールを塞いでいた扉を木端微塵に吹き飛ばし、小坂雄大はその場に居合わせた中学生三人と共に部屋の外へ出た。腹を押さえて気丈に意識を保っている星乃の生命力に内心で感嘆しつつも、さらなる危険に備えて警戒は怠らない。

「小坂さん、そろそろ宇田川さんが限界です」

 慎之介が焦燥も露に告げてくる。

「これ以上歩かせるのは危険です」

「分かった」

 さて。星乃はあと何分持つだろうか。

 彼女の傷口は、緊急事態に備えてあらかじめ携帯していた液状止血剤でなんとか塞いである。液体絆創膏を本格的な重傷を見越して止血用に発展させただけあって、その効力は意外と抜群だった。

 だが、それでも失われた血液は帰ってこない。いまの星乃の容体が、その現実の無情さを雄弁に物語っているようだった。

「とりあえずここで待ってろ。俺が外まで行って救急隊員を案内する」

「残念ながら、そうは問屋も卸さないぜ」

 雄大の周辺を旋回していたテッポウウオのQP・メテオが言った。

「さっき長官から秘匿回線で暗号通信が来た。エントランスに傭兵がいるってよ」

「傭兵だぁ?」

「そいつが入り口を塞いでるんだと。花香ちゃんもそこで立ち往生を食ってる状態らしい。このままじゃ外に出るのはおろか、外から救急隊員も呼べやしねぇ」

「なんてこった……そういや、通常の電波はまだ復活しねぇのか?」

「どっかで妨害電波が働いてるっぽいな。一般QPのマテリアライザーを封じているのとはまた別口だ。いま文彦の野郎が解析と無力化を進めてるらしいが、そうしてる間にも――」

「嬢ちゃんが危ないな」

 雄大は雪見の腕でぐったりしている星乃を見て呟いた。

 いままでは何とか意識を保っていたが、時間が経つごとに発汗が激しくなっている。出血多量に脱水症状が加わり、さらにタイムリミットが狭まっていくのが見て取れた。

「っと――ようやく音声での通信が出来るってよ」

「よし!」

 リンクウォッチで秘匿回線用の画面を開くと、ノイズ混じりに女性の声がした。

『――……答せよ、スラッシュ・スリー。応答せよ。こちらスラッシュ・ゼロ』

「こちらスラッシュ・スリー。回線は良好だ」

『良かった……』

 画面の向こうから安堵のため息が聞こえる。

『スラッシュ・スリー。いまの状況を報告して』

「いま会場を出て、一般人の三人を連れて屋外に出ようとしている。うち一人は怪我人で、かなりの量の血が失われている。いつ死んでもおかしくないぞ」

『スラッシュ・フォーの報告によると、エントランスにガトリングで武装した男がいるらしいわ。あなたとスラッシュ・フォーで彼を無力化できる?』

「スラッシュ・フォーと連絡が取れなきゃ難しい。何度も呼びかけてるが応答しない」

『いますぐその回線も繋ぐからもう少しだけ待って。交信終了』

 通信が切れ、雄大は毒づいた。

「クソ! もたもたしている余裕は無いってのに……!」

「だい……じょう……ぶ」

 星乃が息も絶え絶えといった様子で呟いた。

「しょう……せい……が、また……助……け……」

「もういい、喋るな」

「しょう……せい……」

 星乃はぶれ続ける目の焦点を、必死に真ん中に寄せようとしながら、ひたすら彼の名を呼んだ。

 それほどに、星乃にとって生島将星は大切な存在なのだろうか。

「……生島、将星」

 雄大は誰にも聞こえないように呟いた。

「生中継見てたんだろ? 役に立たなくても良いから、早く来やがれってんだ」



「分かりました。やってみます」

 誰かとの通信を終了し、花香は歩きながら将星に言った。

「これからあの男を私と私の仲間が無力化します。あなたはその間に何処かへ隠れていてください。決して勝手な行動はしないように。それと、宇田川星乃さんの傷はどうにか止血が済んだらしいので、彼女の生命力ならもうしばらくは持ちそうです」

「そうか、良かった……」

 最大の心配が和らいだのは非常に大きい。

「ところでその仲間って、こないだ会った派手な人の事か?」

「ええ。私と同じ、QP/の上級捜査官です」

 この空井花香うつろいはなかという少女がQP/の制服を着ているのを見た時、将星は自分の目を何度も疑った。自分と年が近い少女が、警察と同じか、あるいはそれ以上の危険を強いられる組織に従事しているなんて、とてもじゃないが考えられない話だ。

 いまは二階の広々とした廊下を歩いている最中だ。丁度、あの傭兵の真上にあたる位置を歩きながら、将星は考えていた。

 エリア・ネリマに配置されたQP/の上級捜査官が、その二人だけというのはまず有り得ない。おそらく同じ立場の人員が増援に駆け付けるだろう。だが、それを待っている間に、もし何かあって瀕死の星乃の命運が尽きてしまったとしたら――

「空井さん」

 立ち止まり、将星は彼女の背中に呼びかけた。

「もしも――もし仮に俺のセイランが、事態の早期解決に役立つとしたら、君はその能力を活用するかい?」

「はあ?」

 花香は振り返って立ち止まり、素っ頓狂な声を上げる。

「何を言ってるんですか。この場所だと一般のQPはマテリアライザーが使えないんですよ? しかも男性はマテリアライザーの発動条件が厳しいんです。それに、セイランにはそもそもバトルコードが装備されていないじゃないですか」

「その口ぶりだと、セイランの秘密を知ってるみたいだな」

「え? あっ……!」

 花香は途端に慌てるや、自分の口を塞ぐような仕草を見せるが、将星からしてみればその反応を見せた時点で既に何もかもが遅い。

 やっぱり、何か知っているのだ、この少女は。

「君の相棒は俺の素性を知っているような口ぶりだった。なら、俺が三年前のマテリアライザー暴発事件の加害者だってのはご存知な訳だ」

「それは……」

 花香は一瞬口ごもるが、何かを考え直したらしい、将星を真っ直ぐ見つめ直す。

「ええ、知ってます。当時小学五年生だった少年が、マテリアライザーを暴発させて父親を殺害したという異例の刑事事件。その少年はいくつかの精神治療を受け、いまはごく普通の中学二年生として生活している」

「そしてその少年のQPは、とあるQP/の上級捜査官の手によって、恋愛と戦闘に関わる機能の全てを封印された」

 将星は頭の上のセイランを掌に乗せて言った。

「あの事件の捜査を担当していた上級捜査官・音無駆のQP・ヒスイのベースコードを移植して、俺のセイランはいまの姿になったのさ」

「やっぱり……」

 あの事件は、事件というよりは事故だったし、現に当時はそう処理された。それでもQP絡みで起きた事件の中では異例のケースだった為、その実態を探るべく派遣されたのが、いまでも将星が心の師と慕う上級捜査官、音無駆だった。

 父親を殺害した直後で茫然自失となっていた自分に優しく接してくれた人は、星乃と慎之介以外だと彼が初めてだった。

「最初は優しい父さんだった」

 将星は滔々と語り始める。

「でも母さんが病気で死んでから荒れ始めて、日替わりで別の顔をした女の人を家に連れ込んで……性質の悪い事に、父さんは連れ込んだ女との間に必ずマッチングリンクを成立させていた」

 普通、マッチングリンクが成立している最中だと、お互いのQPは他のQPと別のマッチングリンクを構築しない仕様となっている。だから、一人の人間が別々の異性と繋がるというのは、システム的にも倫理的にも大きなバグとして見做される。

 将星の父親は、バグをバグと思わず、その異常事態を受け入れたのだ。

「それを気味悪がった俺を、父さんは何度も殴ってきた。気づいたら他人のマッチングリンクを見るだけで吐き気が止まらなくなって――そんな毎日が続く中で、父さんがとうとう本気で俺を殺そうとしてきた」

「それでセイランのマテリアライザーが発動したんですね」

「ああ」

 後は簡単な話だ。父親の暴行に対して、将星が殺害という形で応じた。

 ただ、それだけの話だ。

「俺はその時、QPが作り上げたこの社会を酷く憎んださ。それを音無さんに話したら、あの人は何をしたと思う?」

 将星はポケットから、あの時よりずっと御守り代わりに持っていたメモリーカードのケースを取り出した。

「このカードに、セイランの戦闘用と恋愛用の機能を全て封印してくれたんだ。これで俺は同じ過ちを犯さずに済む。あの人のQP、ヒスイのベースコードのコピーをセイランにインストールしたのもあの人だ」

 つまり、見た目は駆のQPとほとんど同じでも、中身は全く違うという訳だ。

「そういう話だったんですね」

 花香はしんみりと頷く。

「概要だけは知っていたんですが、詳しいところまでは知らなくて……でも、これで先程の質問に答えられます」

 彼女の言葉は、ただひたすらに真っ直ぐだった。

「そのメモリーカードにはおそらく、駆さんがもしもの為にとあなたに託した希望が詰まってます。私は、私の信じた駆さんを――駆さんが信じたあなたを信じたい」

「音無さんとは親しかったの?」

「掛け替えの無い人でした。少なくとも、私にとっては」

「……そっか」

 それを聞いて、将星はこのカードを受け取った時に聞いた駆の言葉を思い出す。


 ――このカードにはセイランに備わっていた戦闘用と恋愛用の機能を封印してある。これを使えばセイランは元の力を取り戻すけど、もう僕が施したような処置は二度と行えない。

 つまり、君がこのカードを使う時は、本当に戦わなければならなくなった時だ。


 大切なものを護る為なら、後戻りはもう許されない。


「……人間、大切なものはそう多くない。でも、一つじゃない」

 将星は駆の言葉を、ゆっくりと口に出して繰り返す。

「だから一つでも多くのものを、俺は見捨てない」

 ケースからメモリーカードを取り出しつつ、将星は小さな恐怖を思い出していた。

 このカードを使えば、もう後戻りが許されない世界が待っている。

 自分が誰かとマッチングリンクする度に吐き気を催すのも、何かの弾みでマテリアライザーが再び暴発するのも、そんな状況の全てを、俺は我慢しなければならない。

 だからどうした?

 少なくとも、いま星乃が苦しんでるのに比べたら、こんな痛みや苦しみなんて。

「セイラン。お前が戦えるようになったとして、その勝率はどれくらいだ?」

「一パーセント足らず~。でも」

 セイランが将星の眼前に踊り出て、小さな拳を突き出して言った。

「一人で一パーセントでも、二人なら百パーセント」

「よく言った」

 迷いは全て吹き飛んだ。

 将星は花香と頷き合い、QPドライバーのスロットにメモリーカードを挿入した。



『こちらスラッシュ・フォー。聞こえますか、スラッシュ・スリー』

「ああ。ようやく新しい回線の用意が済んだんだな」

 雄大は星乃らとは少し離れた位置で花香と通話していた。

『そちらの位置を教えてください』

「イベント会場を出てからほとんど先には進んでいない。患者の容体も考えると、エントランスの野郎を片付けない限りは下手に動けねぇ」

『いまから私達で対象を無力化します。スラッシュ・スリーはバックアップを』

「待て、いま「私達」とか言ったな。他に誰かいんのか?」

『詳細を話している余裕はありません。敵に見つからないように、エントランス付近まで急行してください。到着次第、作戦行動を開始します』

「……よー分からんが、了解した。交信終了」

 何か釈然としないが、花香の声は明らかにいまの自分より冷静だ。なら、いまは彼女の作戦とやらを支持するしかない。

 雄大は雪見と慎之介の傍に戻り、二人から電話番号を頂戴すると、

「すぐ戻る。お前らはそこにいろ」

 三人を置いて、雄大は素早くエントランスへと繋がる通路を走り、目的地の一歩手前、通路の陰からおそるおそる顔を出し、対象の様子を窺った。

 ガトリングを武装した大柄な迷彩服の男は、未だ鷹揚な態度で仁王立ちしている。たしかに、あの武装――いや、あの覇気を前にして、「怪我人がいるので通してください」だなんて口が裂けても言えやしない。

 雄大は小声で再び花香と通信する。

「こちらスラッシュ・スリー。射撃ポジションについた」

『分かりました。では――』

 エントランス全体に、少ないながらも、ひらひらと白いアヤメの花弁が舞い踊る。花弁は一枚一枚が分裂し、さらに数を増し、いつしか花吹雪と呼べるような光景へと進化する。

 当然、あの傭兵の男もそれに気付かない訳が無い。ガトリング砲の筒先をあらゆる方向に突き出し――天井すれすれを飛んでいた、白い花弁を纏う妖精型QPの存在を捕捉する。

 男がガトリングを斉射。轟音と共に、天井が黒い弾痕だらけとなるが、その妖精型QPは一発も弾丸を貰わなかった。

 何故なら、そのQP――花香のアイリスは、被弾の直前で姿を消したからだ。

『作戦、開始です』

 花香の力強い宣言と共に、天井が一気に木端微塵となり、青く細い閃光が花吹雪ごと貫いて雨のように降り注ぐ。誰かが二階の床をレーザービームで貫通し、そのままエントランスに向けて撃ち下ろしたのだ。

 レーザーの豪雨が男の周囲に着弾し、激しい爆発音と煙幕が乱舞する。数秒くらいして爆発音が止み、相手どころかこちらの視界まで脅かしていた煙幕も次第に晴れていった。

「……あーあ。ガトリングが壊れちまったよ」

 男は生きていた。球状の薄い緑色の膜で自身を包み込んでいたのだ。彼に与えられたダメージと言えば、さっきまで脇に抱えていたガトリング砲をスクラップにしてやったくらいのものだ。

 足元に散らばったガトリングの残骸をうざったそうに蹴散らしていく男を見て、雄大は背中に嫌な汗をかいた。

「おい、普通に生きてるぞ! つーか、何だ、いまの射撃は!」

『ガトリングを盾にして、その直後に<シールド>を張って防ぎきったんでしょう。まあ良いです。あの程度で死ぬような相手なら、もっと早く片付けてましたし』

「お前、何を言って――」

『後は彼が何とかします』

 煙幕が晴れ、視界が明瞭になる。

 傭兵の男はシールドを解除すると、視線の先にいた一人の少年を、油断でもなければ好奇でもないような視線で見据えていた。

 量が多い髪のせいで目元がやや隠れ気味の、一見すれば根暗に見える出で立ち。

 握っているグリップ型のQPドライバーの先端からは、淡い水色の<ブレード>が伸びている。他の<ブレード>とやや違うのは、剣脊に細長い肉抜き穴が空いているくらいのものだろうか。

「よぉ。会いたかったぜ、おっさん」

 生島将星は、怒りに満ちた眼差しを湛えて言った。

「あんたさっき、自分を倒せると思ったら大間違いみたいなことを言ってたな」

「だったら、何だ?」

 男が試すように訊ねる。

「お前を倒す」

「ほぅ」

 傭兵の男はグリップ型のQPドライバーをタクティカルベストのポケットから抜き出すと、先端から斧のような形をしたビームの刃を伸ばして腰を落とし、

「やってみなっ!」

 疾駆。その図体からは想像のつかない俊敏性と瞬発力で将星に肉薄する。

「いくぞ、セイラン」

「うい~」

 ブレードに変化したセイランが応じ、将星は左に大きく駆けだした。

 男が彼の動きに対応して猛追してくる。将星は<ブレード>を盾として掲げながらエントランスを所狭しと逃げ回り、必要とあらば直接相手の斧を<ブレード>で慎重に弾いていった。

 あの男はおそらく歴戦の戦士だ。そんな相手を前に物怖じしない胆力を、一介の中学二年生がどうして持ち合わせているのだろうか。

「嘘だろ、オイ……何で生島将星が……?」

『スラッシュ・スリー、彼の援護を!』

「りょ、了解!」

 全てはこれが終わった後で花香に問いただそう。

 雄大はメテオが入った銃型QPドライバーによる牽制射撃で傭兵の動きを制限する。その分だけ将星が動きやすくなるが、相手は次に鬱陶しい攻撃を仕掛けてくる雄大にターゲットを切り替え、襲いかかってくる。

 雄大は仕方なく物陰から飛び出して相手に接近し、至近距離で発砲。が、彼は首を逸らすだけで銃弾をかわし、すかさず斧を一閃させる。雄大はすんでのところで身を逸らし、彼の間合いから離れ、次に将星をちらりと見遣る。

 自分が囮になっている間、将星と傭兵の距離は大きく開いていた。彼は一旦その場にしゃがみ、<ブレード>の肉抜き穴に唇を近づけ、息を吹きかける。

 すると、肉抜き穴全体に張っていた虹色の膜が彼の吐息を孕み、無数の大きなシャボン玉となって大気中に散っていく。

 空間を遅々と漂うシャボン玉の中に、それぞれ青い光の粒が三つだけ生成された。

「いくぞ、セイラン。<バブルブリンガー>!」

「ふぁいあー」

 拍子抜けな合図と共に、飛んでいたシャボン玉の半数が破裂。閉じ込められていた青い光の粒の一つ一つが一条の光となって伸び、ターゲットに向かって真っすぐ飛んで行った。

 男は一瞬目を剥くが、すぐに気を持ち直し、周辺を走り回りながら青い流星群を回避する。

 雄大が発砲。太腿に銃弾が直撃し、傭兵の男は大きくよろめいた。

「いまだ、やれ!」

 雄大が合図する。

 将星が撒いていたシャボン玉は、男の周辺を取り囲むようにして、まだ十個ぐらいは頭上で炸裂の時を待っていた。

「<ランス>」

 将星が冷淡に告げ、頭上のシャボン玉を全て破裂させ、合計三十発前後の青いレーザーを真っ直ぐ撃ち下ろす。

 一直線の細い光線は全て男の体を掠めるようにして通り過ぎ、全身の皮膚と衣服に斬り傷みたいな細く鋭い切れ込みを刻んでみせた。

 いまや全身血塗れの男は、苦しげに呻いてその場に立ち止まる。

「ぐぅ……っ……ううっ……!」

「いまのが星乃の分だ。そして――」

 将星はQPドライバーを握る手を逆さにして、

「こいつが、俺の休日を台無しにしてくれた分だ」

 親指を伸ばし、くいっと下に落とす。

 さっき吹き抜けにしてやった一階の天井のさらに上、二階の天井が爆発し、無数の青いレーザーが降り注いだ。

 発射されたうちの何本かが標的に命中。男は全身を痙攣させるや、白目で天井を仰ぎ見てしばらく静止し、ぐらりと前のめりに、重々しく倒れ込んだ。

 警戒を続けながら、雄大は男の傍まで歩み寄り、彼の脈を測った。

 生きている。どうやら、ただ気絶しているだけらしい。

「やった……のか?」

『こちらスラッシュ・フォー。スラッシュ・スリー、応答してください』

 花香からの通信が入る。

『対象の状態は?』

「気絶している。無力化には成功したみたいだ」

『たったいまスラッシュ・シックスから、妨害電波の発信源を二つ、電子戦で沈黙させたとの報告が入りました。これで通常のQPドライバーでも外との通信が可能になります』

「いまさらどうでも良いっつの。つーか、すぐ近くにいんだろ。出てこいよ」

『あ、そうでした』

 通信を切るや、花香が何食わぬ顔で別の通路の陰から小走りで寄ってきた。

「これで救急隊員を中に呼べますね。私、行ってきます」

「頼んだ。俺はここに残って野郎を拘束する」

「分かりました」

 花香が心なしか嬉しそうに駆けだすと、雄大はいままで溜まっていた緊張を吐き出し、倒れる男の傍で突っ立っている将星の背後まで歩み寄った。

「花香と何があったかは後回しだ」

 こちらがそう切り出すや、将星が静かに振り返る。

「でも、その前にやる事があんだろ」

 雄大は手錠を取り出し、将星に差し出した。

「倒れてる相手には酷な仕打ちだろうが、それでも野郎にはこっちでワッパをかけてやんなきゃならねぇ。お前がとっちめた犯人だ、お前がやんな」

「…………」

 将星はしばらく押し黙るや、手錠を受け取り、うつ伏せに倒れる男を仰向けにしてから、その太い両の手首に手錠をかけてやった。

 これがいわゆる、現行犯逮捕、という奴である。

「……こちらスラッシュ・スリー。一四二○時、身元不明の男を傷害未遂の容疑で現行犯逮捕した。容疑者を含む怪我人達の搬送も始まる。よって、状況の終了を宣言する」

『ご苦労様。さあ、後が大変よ』

 QP/の最高責任者は、からかうように言った。

『例えば、彼の事とかね』

「ああ」

 ウェアラブルコンピューターとなっていた雄大のサングラスに、将星の隣でシャボン玉を吹かして遊んでいたQPの新たな情報が表示される。

 なんと、セイランは既に、QP/仕様の特別製QPに進化していたのだった。



 警察からの取り調べは、QP/の強引な言い分によって回避され、代わりにQP/から後日取り調べがあると通達された。でも、単なる警察組織に尋問されるよりかは何倍も気が楽に思えてくる。

 あれから三日後。将星はこの町で一番大きな病院に赴いた。目的は勿論、宇田川星乃のお見舞いだ。

 彼女の病室の前に立ち、静かに扉をノックする。

 そっと扉が開かれると、意外でも何でもなく、白沢雪見が出迎えてくれた。

「おっすおっす」

「先に来ていたのか。星乃は?」

「意識を取り戻した。こっち」

 雪見に手を引かれ、普通に起きていた星乃の傍まで連れられる。

 星乃は少しだけ驚いたような顔をするが、すぐに柔らかい笑みで応じる。

「や、将星。なんか久しぶり」

「傷はもう大丈夫なのか?」

「うん。足りなくなってた血も回復したし、あと一週間もすれば退院だってさ」

「良かった……」

 将星は三日前の事件から続いていた緊張を解いた。

「本当に、良かった……っ」

「ちょっと、ヤダ……泣かないでよっ」

 気恥ずかしくなったのか、星乃が顔をほのかに赤らめる。

「いや、だって、俺だって、命かけて頑張ったつもりなんだよ。それなのに、それだけ頑張ったのに、もし星乃が死んじゃったらって思うと、どうしても怖くって……」

「……やだなぁ、あたしが死ぬ訳無いじゃん」

 星乃が困ったように笑い、将星の頬に片手を添える。

「聞いたよ。海外で有名だった悪者をやっつけたんだって?」

 後から調べを進めていくうちに判明したのだが、あの時将星が倒した相手の名前は鞍馬康成といって、日本ではなく海外を拠点として活動していたプロの傭兵だったんだとか。今回は特殊な事情があって日本でいくつか特別な依頼を受け持つ事になったらしいのだが、いまはその事情とやらに関する詳しい取り調べの真っ最中だ。

「将星は頑張った。凄く頑張った。だからあたしも生きてる」

「ああ……頑張ったんだよな、俺」

 後戻りできない道へと突き進む覚悟をした。

 いまこの頬に伝わる星乃の温もりは、その対価としては充分に過ぎる代物だろう。

「感動の余韻に浸ってるところで悪いが、お前にはもっと頑張ってもらわにゃならんぜ」

 病室の出入り口から、聞き覚えのある声がしたので振り向いてみると、そこには先日共闘した小坂雄大と空井花香が立っていた。

「生島将星。お前に話がある」

「私達の上司が、一階の待合スペースであなたを待っています」

 そう話す二人の捜査官の表情は実に楽しげだった。

 将星は頬に張り付いていた星乃の手をやんわりと下ろす。

「すぐ戻る」

 それだけ言って、将星は二人の後を追う。彼らに連れられた先の待合スペースの一角では、雄大や花香が着ているのと同じ制服を纏う、四十代くらいの女性が静かに佇んでいた。

 彼女は将星の姿を認めるや、柔和な笑みをこちらに差し向ける。

「実際に会うのは初めてね。初めまして、生島将星君。私はQP/の最高責任者、新條由香里です」

「ど……どうも、初めまして」

 本当に、言われてみれば初めて会う人だった。鞍馬康成を無力化して人命救助に大きく貢献したと評価されはしたものの、何者かの手回しで将星も星乃や雪見らと同じように「事件に巻き込まれた被害者」として扱われ、結局事件当日は何事も無かったかのように家に帰されたのだ。

 だから将星は、警察はおろかQP/の取り調べすら未だに受けていない。当然のように、QP/のトップと会える道理も無い。

「今日はあなたに話があって、直接こちらから出向かせていただいたわ」

「その……話とは?」

「その前に、いくつか知りたい事があるでしょ?」

 由香里がどこか試すように言った。

 たしかに、聞きたい事は山程ある。

「――だったら一つだけ。結局、あの事件は誰が何の目的で引き起こしたんですか?」

「誰がやったかは現在調査中。でも、目的ははっきりしているわ。簡単な話ね。古川電子産業の繁栄を良く思わないライバル企業の妨害。おそらく古川の中に産業スパイを潜り込ませ、デモ機に使う予定のQPドライバーを不良品にしたんでしょう。不運にもテストプレイヤーに選ばれた二人は、古川を陥れようとしたバカ共の策略に巻き込まれた。しかもあの発表会はテレビで生中継されていた訳だし、どのみち古川はあれで世間からの不審を買ってしまった。相手の目論見は結果的に大成功に終わったのよ」

「そんな事の為に星乃が巻き込まれたってのか……!」

 再び怒りがこみあげ、将星は無意識に拳を固く握りしめた。

「会社同士のいざこざに、関係の無い人達まで巻き込みやがって……」

「QP産業はライバルが多いからな」

 雄大が淡々と言った。

「何せ生活の根幹を支える最新技術の塊だ。巨万の富を得たいならQP関連の職についた方が年収は安定する。ある意味、欲望の坩堝って感じだな」

「あの鞍馬康成も、QP産業という樹木の幹から垂れる甘い汁を啜りたかった口なんでしょう」

 顔に似合わず、花香が生々しいことを口にする。

「彼の役割はデモ機の暴走を長い間持続させる為の時間稼ぎです。暴走が長ければ長い程、世間に与える不審感は増していく一方でしょうから。そして彼は危険を冒して長居した分だけの金を得られる。クライアントから提示された時給があまりにも良すぎたから、わざわざ海外から帰ってきて引き受けたんだと思います」

「いずれにしたって闇は深し、という話よ」

 由香里が言葉に深みを持たせる。

「ねぇ、生島君。あなたは許せる? QPを悪用して、人様の大切なものを奪おうとする外道畜生を」

「許せない」

「だったら、私達と一緒に戦いましょう」

 由香里がついに、決定的な話を持ち出した。

「あなたのQP、セイランには既にQP/のライセンスが登録されている。おそらく、三年前の事件で駆君があなたに渡したメモリーカードに、そのライセンスも一緒に封入されていたんでしょう」

「俺が? QP/の捜査官に?」

「ええ。加えて、あなたにはその素質がある」

 由香里はリンクウォッチの上にカルテらしきデータを表示してから述べる。

「マテリアライザー暴発事件以降にあなたが受けたのはメンタルカウンセリングだけじゃない。知能照査と称して、いくつかのストラテジーゲームをやらされたでしょ? メンタルカウンセリングも含めたそれらのデータを統合した結果、あなたにはQP/の上級捜査官への適性判定が下されたわ」

「つまり、俺や花香の同僚になれるって訳だ」

 雄大が楽しげに告げる。

「さあ、どうする? 生島将星」

「…………俺は」

 将星は言い止して、思い返す。

 QP関連の事件を捜査するなら、必然的にマッチングリンクやマテリアライザーなどが仕事に必要な要素として絡んでくる。

 その時自分は、吐き気を、恐怖を、堪え切れるだろうか。

「おお、勇者よ。迷ってしまうとは情けない」

「いやー、でもこればっかりはちょっと考える時間が……って、うぉい!?」

 やけに背中が重いと思ったら、いつの間にか雪見がぴったりと将星の背後に張り付いていた。いくら何でも心臓に悪すぎる登場だ。

「おお、おおおい、いつの間に!?」

「面白そうだから後を尾けてみました。てへぺーろ」

 雪見が舌をちろりと覗かせ、わざとらしく可愛げなウィンクをする。

「そんな事より、君は何を迷っている?」

「何をって――」

「後戻りしないって、決めたんだろう?」

 雪見は将星の肩の上でシャボン玉を飛ばすセイランをちらりと見遣って言った。

「私だけじゃない。星乃も知ってるよ。君がどんな気持ちで戦う決心をしたのか」

「…………」

「大丈夫、君なら出来る」

 雪見は将星の両肩に手を乗せ、確信めいた口調で告げる。

「星乃はあの時、自分よりも他の人の心配ばっかりしてた。そんなバカみたいなお人好しが、バカみたいに最後まで信じて君の助けを待っていた。そして君はあの子の期待に応えて、いまこうして君を信じる別の人の求めを受けている。それに、君は許せないんだろう? QPを悪用する悪者を」

「……見かけによらず、よく喋る奴だな」

 将星は薄く笑い、由香里に向き直る。

「本当に僕で良いんですか?」

「ええ、あなたが良いわ」

 これで良いではなく、これが良い。

 そう答えてくれるなら、こちらが示す答えも、また一つ。

「長官。僕のコールサインは?」

「あ……そうねぇ、たしかに必要だわ」

 由香里は少し考える仕草をすると、

「いまうちの背番号は六番が最新だから――そう、スラッシュ・セブン。生島将星、あなたのコールサインは、これからスラッシュ・セブンね」

「了解です」

 そして将星は、雄大と花香に向き直り、敬礼の真似事をして自己紹介する。

「本日付でQP/ネリマ本部に配属されました、生島将星です。コールサインはスラッシュ・セブン。至らないところもあると思われますが、何卒よろしくお願いします」

「スラッシュ・スリーの小坂雄大」

「スラッシュ・フォーの空井花香です」

 彼らもまた、こなれた仕草で敬礼して返答した。

「生島将星。貴君の着任、心より歓迎する」

 雄大が見た目にそぐわぬ堅物な文言を並べ立て、

「ようこそ、QP/へ!」

 花香が年相応の笑みを浮かべ、こちらに真っ直ぐ手を差し伸べてきた。


 こうして、生島将星はQP/の捜査官となった。

 後には引けない道の先に何が待っているのか。それは、歩いてみてのお楽しみだ。


                    #1「QP捜査官・生島将星」 おわり


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