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⑧有馬冬花編 五日目ー1

リアルいそがしい

「ふわぁ……」

「珍しく眠そうだな拓也」

康人と並んで坂を登っていると大きな欠伸が出た。

「ああ、まあ昨日寝てないしな」

「大変だねえ」

「そりゃまあ俺の経験に無い相談だしな。

それに、昨日は商店街に行ったり課題を片づけるとかで忙しかったんだよ」

昨日商店街に赴くという予定は本当はなかった。

しかし、金曜日に訪れた際に商店街の男衆に邪魔され、日を改める必要があったのだ。

「そういえばそうだったな」

商店街、その単語を聞いた康人は金曜の商店街での出来事を思い出して苦笑する。

「おかげで全体の予定がずれてこの有様さ」

再びこみあげてきた欠伸を噛み殺しながらぼやく。

実際、この調子だと授業中に寝落ちしてしまう可能性が大きい。もとい寝落ちする。

せめて昼までは持ちこたえて、神社の掃除が終わった後に眠たい。


「せんぱーい!」

待て授業の合間があるか・・・・・・。しかし10分しかないか。時間・・・10ぷっいかんねる。しかし勉強できる。先輩・・・授業時・・・間・・・。

「おごっ」

「せんぱーい!それに北条先輩も」

「ん?ああ、栗本ちゃん。おはよう。

拓也、お前の可愛い後輩ちゃんだぞ」

「・・・・・・」

「おーい拓也ー?」

「せ、せんぱーい?。ええと・・・桃園先輩はどうしたのでしょう」

「・・・・・・」


***


気持ちの良いあいさつをしくれた栗本ちゃんにあいさつを返した後、うんともすんとも言わなくなった拓也に顔を覗き見てみた。

あらあらまあまあ。

「桃園先輩はどうしたのでしょう?」

そう聞かれた俺は、ありのまま答えることにした。

「寝た」

「へ?」

「ほら、見てごらん」

そう言って俺は拓也の顔を指差す。意外にも素直に従った栗本ちゃんは拓也の横顔を覗き込んだ。

「う、うわぁ……」

驚きか呆れか、はたまたそのほかの気持ちを抱いた彼女が口にした言葉はもっともな言葉であった。

「で、でも可愛い寝顔してますよ?」

「い、いや俺にそういったコメントをしてもらっても……」

前髪でよく見えないのに、よくもまあそんなコメントを。

しかも可愛いときた。おそらくこれがブサカワとかいうやつか。まあ本人には伝えることはしないが。

「あっ!でも歩いてるじゃないですか!お二人で私を驚かせようとしてるんですね!」

その発想もなかった。これがおそらく一般的な発想なのだろうか。

まあその前に俺が教えてしまったのも悪いが。

「なんかね、たまにやるんだよ。こいつ」

寝ながら歩くことを。

「い、いやいや。そんなことがあっていいのかと私は思いますよ?

実は起きていて、私にドッキリを仕掛けようとしいているとかじゃないですよね?」

そんなつもりは全くないのだが…。まあいいか。

これはこれで面白そうだ。もう少しこのまま遊んで行ってみよう。


幸いなことに、理由はわからないが今の拓也は勝手に昇降口に向かってくれる。

靴の履き替えとかは俺が手伝う必要はあるが、中履きおいて靴しまえばいいだけの話だしな。

そして拓也を介してでないと関わり合いの持てなかったこの少女に、俺はある疑惑を抱いていた。

その疑惑を解消したかったので、彼女をいじるついでに確認してみることにした。


疑惑といっても、彼女自身が悪さをしたということではない。

俺の親友が拓也である。

この事実を知った一部の女たちは、昔から俺との仲を拓也に取り持ってもらおうとした事があった。

むしろその目的以外に拓也に近づいた女は、これまでは花くらいのものだ。

まあ、学力学年トップなこの子だ。なら「恋愛よりも勉学」くらいは言ってくれそうだけどな。

「なあ、楓ちゃん」

「ど、どうしました先輩。桃園先輩のこの不思議現象の種明かしをしてくれるのですか?」

「いや?やっぱり可愛い子だなって」

そしてすかさずイケメンスマイル(拓也命名)。いわゆる営業スマイルだ。

こうすれば俺目当てかどうかはすぐ判断がつく。いやあ顔立ちが整っているっているのは助かる。


「は?」


・・・ん?

今まで話していた、見た目相応の女の子らしい声とは打って変わった。

それこそ好意を持っていたら出せないような声を聞いた。

「・・・楓ちゃん?」

「私がそんな甘ったるい言葉とそんな顔にときめくとでも思ったのなら、いっぺん死んだ方がいいですよ。先輩」

それは敵意というか、悪意というのか。最悪殺意も含まれているんじゃないだろうか。

顔立ちの整った男に対して何か不信感でもあるのだろうか。

「あ、じゃあいいや。悪いな、不快な思いにさせて」

「へ?」

なんにせよ、彼女の返答で十分な成果は得た。

個人的には勘違いするメンヘラな女の子以外からの久しぶりに敵意を感じ、個人的にも大満足であった。

「いやあ拓也はいい後輩をもったな!」

たぶん。あいつの周りはやっぱり面白そうな人材が集まってくれる。

今のあいつに良い影響を与えてくれればいいがな。

「え?あっ!あのっ!北条先輩っ!」

「んー?どうしたよ楓ちゃん」

「もしかして変態級なマゾヒストさんだったんですか」

真剣な顔でそんなことを俺に問いかけてくる後輩に、俺は思わず

「だーっはっはっはっは!」

思わず爆笑してしまった。

そ、そりゃ罵倒した先輩が嬉しそうにしてたら怪しんだりするわな。

「な、なんなんですか!やっぱりど変態さんなんじゃ」

「なーに気にするな。いやあ変態級のマゾヒストさんか。ぶふっ」

「や、やめて!忘れてください!

そ、それだったら、どうして嬉しそうなんですか!」

頬を少し赤らめた後輩がこちらを睨みつけてくる。

「だから深い意味はないって」

「わ、わたしが気になるんです」

まあ話しても問題ないか。

「じゃあ聞くけど、君は何のためにその委員会に参加した?」

「へっ?

「別に色恋関係じゃないんだろ?」

「それはそうですね」

あの委員会は内申に響いたりはしない。そもそも内申が高いような連中向けな委員会だしな。

よっぽど暇だったのだろうか。

しかし、彼女の返答はそんな俺の予想を大きく裏切った形となった。

「そうですね…。北条先輩に折り入ってのお話があります」



***



昼休みとなり、哀哭神社の掃除の手伝いをする時間となった。

事前に申請はしておいたぞと康人に伝えられ、俺達は前回と同じように事前準備を済ませさっさと神社に向かった。

今日は天候もよく、何事も起きることは無く神社に到着した。

手早く掃除を終えた俺たちは神主さん宅の居間で昼飯にありつき始めた。

「それで拓也。有馬さんの件どうするつもりだ」

「どうするっていってもな」

この唐揚げ美味しいな。確か冷凍食品だし、後で買いだめておこう。

「あの子は単純に医者になる目的を喪失してしまっただけだからな。

はっきり言って、俺が今いろいろと手回ししていることは無駄な気がするんだよな」

「無駄なのにやるとかお前は何がしたいんだ」

うるさい、一応職場体験だけでもやらせてみようってだけだよ。

少なくとも、彼女へのそういったパフォーマンスは必要だろ。

まあ!おおかた接客業だけどな!

「まあいい、有馬さんがについて話をするぞ。

幼い頃から道が決められていた。もといお母さんの病を治したかったんだろう。

さて、医者になるにはそれ相応の学力が必要だ。この学年になったら増えた謎の進路セミナー曰く、必要偏差値は70オーバーくらいか。ん?どうした康人。そんなに震えて。なに?俺の偏差値はこれを超えているかって?当たり前だろ、むしろ超えてないのかお前は。うわっ!汚っ!泡吹いて倒れんなや。

で、まあ彼女の現在の成績を見るに、これまで彼女は十分な目標をもって勉学に励んできたんだろう。つーか俺超えるとか、ほんとどんだけ勉強してるんだろうな。

だが、その目標は唯一まともに話せる親族と一緒に消えてしまった。夜、灯りに照らされた道を歩いていたら突然灯りが消えたようなものか。これが暗中模索ってやつだ。覚えとけよ鳥頭。

それで、新しい何かを見つけようにも肉親と話をする機会もほぼない。おまけに父親の職種のせいで大人は近寄らず、その子どもたちも近寄ることが無く孤独。俺よりも話す相手居ないとかどんだけだよ」

・・・んむ?!この唐揚げはおばさんが作ったやつだな!なかなかな味付けだ・・・。

「うちのオカンは料理うまいからな

しっかし有馬さんはお前以上のボッチか…」

「俺にはお前とかしかいないけどな」

「お前言ってて恥ずかしくないのかそういうの・・・。話変わるけどこの冷凍食品の唐揚げどこの?」

「近所のゲロー系列の業務用スーパーで売ってた」

「へー、今度買ってこよ」

うまうま。

「君ら仲いいねえ。一個頂戴」

「いいですよ」

「わりがとう。わお!ほんとにおいしいね。今度の休日買ってきてくれないかい」

20袋分くらい。

そんなに食べるんですか。休日にここ来てもいいんすか…。

「休日はフェンス越しに声かけてくれたらいいよ」

「ちなみに休日とかなにしてるんです?」

康人が最後の唐揚げをほおばりながら神主さんに尋ねる。

「まあもっぱらゲームかな」

「そ、そっスか」

「話をもどしますが神主さん、先ほどのまとめは適切だったですかね」

「いや、本人を私は知らないわけだが…。まあ君の話を聞く限りではその通りだと思うよ。

と言っても私が本人を知らないから何とも言えないけれど

それで、君が考えている解決策は?」

「もごもご」

「食べ終わってからでいいよ」

俺が口の中の唐揚げを飲み込むまで静寂が包み込む。

「んぐ。さて、解決策でしたね神主さん。

まあ初手としては知識を経験に変えようか、ってあたりですね」

「ほう、どうやって?」

「つってもやれることは少ないんですがね。職場体験させてみましょう」

「職場体験か・・・。しかしそれをやって何の意味があるんだい?」

やることへの意味、か。

「まあ実際に働くことになんらかの意味を見出してもらえればな、と思いまして」

有馬さんを説得する際にも使おうとしている考えを神主さんに伝えると、神主さんは箸を置いて目を細めると俺を見据える。

「本当のところは?」

「え?」

「君の本当の狙いは何なのか教えてくれよ」

「い、嫌だな。本当の狙いもなにもさっき言ったことが目的ですよ」

ここでばれるようなら彼女にもばれそうな気がするので、何とか隠し通したい。

「いいから言いな」

神主さんは普段の温厚な雰囲気からでは考えられないほど冷め切った声色で言った。

「それとも当てようか?

拓也君。職場体験はただのパフォーマンスで、本命は別なんじゃないかい?」

「ははは、そんなことは」

「そうしなければならない理由もわかるが・・・。まあいいだろう、君もわかっているんだろうからね」


「とりあえず話をつけれたのは商店街にあるお店とかが主なんですよ」

「派出所ならいいぞってさ」

「この学園の系列の幼稚園なら許可を出させるよ」

今なんつったこの神主。

「ありがとうございます、康人も助かった」

拓也は俺と神主さんそれぞれにわざわざ頭を下げる。

「とりあえず放課後とかに向かおうかと思っています」

「いつからだい?」

「Today」

なぜ英語なんですかね。

「そうか、まあ頑張りなさい。少なくとも間違った選択ではないはずだ」

「はい」

「それで?拓也よ。眠らなくて大丈夫か?」

ふと思ったことを拓也に尋ねた。その問いに、我が親友は久しぶりのにこやかな笑顔と共に言った。

「もう限界」

机に突っ伏してその思考を停止させた。

「あまり彼に無茶をさせないでね。あの事件みたいにとんでもない無茶をしでかすかもしれないから」

心配そうに言う神主さん。

この人はおそらく学園でかなり地位の高い……いや、そんなやわなものでもないのかもしれない。

「……言われるまでもないですよ。今度こそは些細な変化だって見逃しません」

俺は過去の過ちを思い出しながら、神主さんに返事をした。


***


いない、いない。

教室、廊下、食堂、どこを探しても校内には彼の姿は見当たらない。

自分でもなぜここまで執念深く、彼の姿を探しているのが不思議に思えてきた。しかし、私は購買で買ったパンを手に歩き回っていた。

ーーー私は一体何をしているのだ。

私があの委員会に足を運んだのは目的があったからだ。彼は関係ない。

彼の姿を探し求めて歩いていた私は、裏庭の日当たりのよい位置に設置してあるベンチの前で足を止めた。周囲には私以外に他の人はいないのに、この辺りはなぜか綺麗に掃除されている。用務員の方々の中にここを気に入っている人でもいるのだろう。ベンチも綺麗にされている。

「もうここでご飯を食べよう」

私は誰に言うでもなく呟いた。私はベンチに腰を下ろすと、買ってあったコッペパンをもそもそと食べ始めた。

味の無いパンを食べ、牛乳を飲む。

ここ学園の購買のパン、特に菓子パンやランチは非常に絶品だという話を、以前クラスメイト達が話していることを聞いた。

だが、私にはそれらに手を出していない。手を出さない。

入学式以来会っていない父親から、毎日の食費代をもらっているがその食費を使いたくはない。

「なんだかなぁ……」

私はぽつりとつぶやいた。


***


「失礼する」

5限目が始まる20分前、突然神主さんの家の扉が開かれた。

「おや、待っていたよ。有馬君」

「こんにちは、神主さん。おや、今日は学生もいるようだ」

「相談委員会の子だよ。ここの掃除をお願いしているね」

「ああ、そうか。今日は月曜か。では出直すことに」

玄関にて神主さんと有馬さんが会話する。

しかし、先客が居たことに気が付くと踵を返して帰ろうとする。

「いや、その必要はないよ。有馬君。彼らは君に用があるんだ」

帰ろうとしていた有馬議員を神主さんが呼び止める。

「わたしに…ですか?…いや、ですが」

「要件は私からは伝えられないが…。おそらく君にとって、かなり重要な話になるだろう」

「重要な話?ですか」

「ああ。君の娘さんについての話だ」

「わかりました。要件を聞きましょう」

「娘さんとなると手のひらを返す君のありようのは好ましいよ。なにせ話が早い。

そしてだが、ここにいる相談委員会委員長は君の娘ちゃんの同じクラスだよ」

「!!」

「蛇足だったかな?」

「いえ、でしたら一緒に娘の生活態度も聞きましょうか」



「わ、私は相談委員会の委員長が用があると聞いたのだが?」

「ああ・・・すみません。ちょっと睡眠不足だったもので。ちょっと失礼します」

あきれ顔の有馬議員の前で眠気が完全に取れていない俺は、神主さんが出してくれたアイスコーヒーを一気に飲み干す。

「ぷはぁ!うっし、やるぞ!

初めまして有馬≪ありま≫秋人≪あきひと≫理事。相談委員会の委員長を務めています、桃園拓也です」

改めて有馬議員に向き直り姿勢をは正し、自己紹介をする。

「ああ、名前は聞いてるよ。過去にこの学園でいろいろ活躍していたそうじゃないか」

「いえいえ、活躍という活躍はしていません」

「なに、謙遜はいいよ。陰の功労者の桃園君」

「ッ!」

陰の功労者、その言葉を聞いた俺と康人は体を揺らして反応する。

その呼び名を知っているのは、この学園に努める大人が知っていておかしくない呼び名ではあった。

「その呼び方をご存じなのですか」

「伊達にこの学園の理事を務めていない。

もう何度も言われているかもしれないが、私からも言わせてもらおう」

有馬議員は姿勢を正すと、俺に向かって頭を下げる。

「桃園拓也君、君には大変な苦労を掛けた、申し訳ない」

「…頭を上げてください議員。そもそも世間様には伝わっていないような話です。頭を下げられるようなことはしていませんよ。

それに、今はあなたの娘さんについての話を伺いたいんです」

「ああ、そうだったね。私の娘の冬花について聞きたいというと?」

「ええ。

ここからは相談委員会の委員長として、理事の有馬秋人さんではなく有馬冬花さんの父親の有馬秋人さんにお話を伺います」


***


「まず、娘さんから伺った話では親子関係は良好ではないそうですね」

「ああそうだね。

かれこれ妻がこの世を去ってから、ほとんど娘は答えてくれないね。私はよっぽど嫌われてしまったようだ」

「原因は思い付きますか?」

「幼少期に縛り過ぎた、だろう?妻との喧嘩はいつもそれが原因だったよ・・・」

「縛り過ぎた、というのはどのくらいですか?」

「小学校の4年生までは週に2回づつ月曜木曜はそろばん教室と火曜金曜は英会話塾があった。どちらも17時から開始だ。水曜と土曜はピアノ教室だったかな。

小学校5年生からはそろばん教室をやめて塾に入った。

私からすれば、確かに毎日習い事があったりしたがそこまで縛っていたとは思って無かったんだ」

「いえ、その…その程度なら縛られていたと言えるのでしょうか?僕も似たようなものでしたし」

「拓也、お前をノーマルと考えるなよ。お前はアブノーマルだ。

だが、ここは有馬理事の言う通りだと思うがね。うちの道場の門下生の中にはもっと多くの習い事をしている子もいる」

「そうか。ああすみません。こいつは幼馴染兼アドバイザーの北条康人です。

この場では人間の形をした漬物石だと考えておいてください」

「ひでえ」

「漬物石か…わかった」

「なんてこった!わかられちまったよ」

「話を戻します。それ以上の習い事はしなかったんですよね?」

「ああもちろんだとも。妻が本格的に崩した年・・・娘が小学校5年生の時だな。

まだその頃は関係は良好だったし、娘は妻の見舞いに頻繁に行っていたしね。妻のためにも娘のためにも二人にはできる限り一緒にいさせてあげたかったしね」

「……」

「どうしたんだい?そんなに驚いたような顔をして」

「い、いえ…。

奥さんはよく体調を崩されていたのですか?」

「ああ、生まれつき病弱でね。娘が生まれてからは4回は入院していた」

「ちなみに幼い頃の娘さんに医者になることを勧めたことがありますか?」

「医者を勧める?

いや、私達は娘には自分で進む道を選んでほしかったから、そのあたりにとやかく口を出すことはしなかったはずだ」

「些細なことでもなかったですか?医者について、娘さんに話したことは?」

「医者になる……?いや、さすがに覚えていないな」

「そうですよね…。大変恐縮ですが、奥さんが無くなられたのはいつ頃ですか?」

「今から二年と一か月前だね、娘がちょうど中学二年生の春休みの時だったよ」


***


本日の6限目の授業を、なんとか眠らずに乗り切った俺は荷物を早々に鞄にしまい、有馬さんの元へと向かった。

「有馬さん、ちょっといいかい」

「……何か用ですか、桃園君」

クラスの中が静寂を支配した。

前髪で見えないが、俺が誰かに話しかけることと有馬さんがそれに返事をしたことに驚きを隠せないといった様子なのだろう。

「以前、川滝先生が君に聞かれたオススメの参考書、見つけたそうだ。

それについての話をするから物理準備室に来てほしい、とのことだ」

「……わかりました」

「それだけだ、じゃあ失礼」

俺は片手を挙げ、さっさと立ち去る。俺が有馬さんから離れると同時に、クラス内にはいつものにぎやかさが戻ってくる。いやいや、俺が何をしたっていうんや。

もちろん参考書の話などは嘘っぱちだ。

これは前もって決めておいた俺から彼女に用がある際に使うことになっている暗号のようなものだ。

なぜかまだクラス一同からの視線が集中している中、俺は足早に教室を出た。

視線が集中していたことに関しては康人に尋ねればそれなりの回答がもらえるだろう。

そのあたりは俺よりも冴えている。

相変わらず睡眠不足な俺は、物理準備室に向かう前に眠気覚まし代わりのブラックコーヒーを購買で買っていくことにした。

「この時間帯に来るのは初めてだが……すさまじいな」

部活前ということもあってか、それなりに購買の中はごった返していた。ジャージ姿の女子のが多いのは部のマネージャーなのだろうか。

さすがにあんな中に俺みたいに体積を取る体格の人間は突っ込むのは迷惑だろうと、壁に寄りかかりしばらく待つことにした。

ぼけーっと、何を考えるでもなく虚空を見つめているとどこからか女の子たちの声が聞こえてきた。

佳奈蛇かなたちゃん!待ってよう」

「ほらほら!真奈まなちゃん!早く早く!」

「そ、そんなこといってもあぁ!危ない!」

「へっ?」

気が付くと、目の前で制服姿のポニーテールの女の子がバナナの皮で滑って尻から落ちそうになっていた。うっわ、綺麗に滑ってるなっと。

「あっ……」

「廊下は走っちゃだめだぞ、一年生ちゃん」

ボトボトと落ちた2リットルペットボトルの一つがつま先に直撃する。

めちゃんこいたい問題は現状の俺。

俺はお姫様だっこでポニーテールの女の子を抱きとめていた。アカン。これアカンやつや。

俺たちの周りに大量のペットボトルが落ちて転がった。女の子が一人で持ち運べるような量じゃないぞこれ。それよりも早く降ろさねば。

「なんにせよ怪我が無くてよかった」

そっとポニーテールの女の子、略してポニ子を地面に降ろした。

「あ、ありがとうございます」

「いや、気にするな。それよりも」

俺は転がっていたペットボトルのうち一つを持ち上げた。

某有名コカ・コーラ会社が販売しているアク・エリアスだ。周りを見渡すとそれが5本転がっている。つまりこの子は12?分持っていたことになる。

「なんでこんなに持っていたんだい?危ないじゃないか」

俺は努めて優しい口調で言った。

「え?持てるからですよ?」

そう言って、周りに散らばっているペットボトルを拾い上げて両手で持つ。

「ささっ、それを乗せてください!」

「いや……見るからに危なそうなんだが」

一見するとか細い腕のために持ち上げるのもやっとかと思えたが、確かにこの子の腕の様子から一応持てることが分かった。

だがポニ子と一緒にいた女子生徒が問題だ。彼女はポニ子とは違ってそろそろ限界が近そうだ。

しかしそのことにこのポニ子は気が付いていない。

「確かに君は大丈夫だろうけど、お友達はそうとも言えなさそうだぞ」

俺はポニ子の友人が持っているペットボトルのうち4本を代わりに持つ。

「「へ?」」

二人から素っ頓狂な声が上がる。

「運ぶの手伝うよ、それに一年二人だけでこんなにも運ばせる人たちに苦言を言わないとな」

「えっと、その……私が二人で大丈夫って出てきたので……」

滅多にない相談委員会の仕事の一つを行おうとしたところ、ポニ子が事情を説明してきた。

詳しい事情を彼女らの部活の活動場所である柔道場に向かう途上で話してくれた。

他の一年の生徒のクラスのHRが延長されてくるのが遅れてしまったこと

事情が事情なので二年生も手伝うと言ってくれたが、先輩の手を煩わせるのも申し訳なかったから、二人だけでやると言ったこと。

かっとなってやってしまった、今は後悔していると。

まとめかた下手すぎかよぉ…。

「まあ次にこういった機会があったら、しっかり先輩を頼るんだよ。

怪我するかもしれないんだから」

「「はい……すみません……」」

そこで俺は柔道着を身に着けた男子が慌てて走ってきている姿を確認する。

「佳奈蛇ちゃん!真奈ちゃん!」

「先輩!」

どうやら二人の先輩のようだ。どれ、仕事するか。

「ちょっとよろしいですか?」

「ん?ああすまない!気遣ってくれたようだ。ありがとう。

……ん?おや、期待の新人君じゃないか!」

どうやら相手は俺のことを知っているようだ。

そしてこの呼び方をするということは、去年の相談委員会を知っている三年生のようだ。

「こんにちは、それとこれを」

そう言って俺は屈強そうな三年生に5本のペットボトルを渡す。

「おおっと。すまないね、手伝わせてしまって」

「いえ、仕事のついでのようなものですから」

「あ、アレのかい…?えっと……書類は川滝先生に出せばいいんだな?」

「ああまあ今回はこの一年生組が先走ったようだったので先ほど説教しました。ので、今回は不問とします」

「本当かい?!それは助かるよ!部費を削られちゃ困るからね!」

ポカンと口を開けて二人の先輩の会話を聞いている一年生二人。どうやらうちの委員会の存在は知られていないようだ。

名前を知られるようにしないといけないかなあ……。

「いえいえ、では俺はこれで失礼しますね」

そう言って俺は先輩に軽く会釈を、後輩ズには片手を挙げて別れの意を示し、歩いてきた道を戻ることにした。



「先輩、あの人は?」

私を抱きとめた人の背中を見送った後、三人で柔道場へ向かう中で尋ねた。

「ん?知らないのか?相談委員会の委員長、桃園君だよ」

「相談委員会っていうのは、なんでも相談に乗ってくれるっている委員会ですよね?」

「そうだ。

まああそこは相談だけじゃなくて、愚痴も聞いてくれたりするし話をするだけの目的でも行ってもいいんだけどな。おいしいお茶もお菓子も出る。いいところだぞ」

「そうなんですか?」

「ああ。

昨年の委員長さんが可愛くて柔道部の一部のやつもサボってたりしたっけか。俺もやったことあるけど」

朗らかに笑いながら話す先輩。それは大丈夫なのか、と思いながらも口にはしない。

「彼は目つきこそ悪いがいいやつでな。

しょうもないことから重要なことまで、何から何まで真剣に聞いてくれるって俺達や先輩の学年には人気でな。それこそゲームやアニメのサブカルチャ-な話から、国の政治についても話ができると有名だったんだぜ?

それの上勉強もできるときた、下手すりゃ俺よりも頭良いぜ。あいつ」

「せ、先輩よりですか?!」

「勉強の仕方とかも教えてくれるしな。

ほんと、なんであんなに一部に嫌われてるのか」

「そうなんですか?」

「ああ、なんか中等部の頃に何かあったらしいけど、箝口令でも布かれてるのか誰も話してくれないんだよ」

「ああーっ!」

「おおっ、どうした」

「あの人たぶん柔道すごい強いはずですよ!昔の大きな大会で名前見たことあります!」

「そうなの?」

「うん!」

「そういや少し前学校で花火やろうとした馬鹿どもを一人で鎮圧したっていう噂があったな。

いわゆる文武両道ってやつかな。今度勧誘でもしてみるか」

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