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①有馬冬花編 一日目ー1

ここは機泣(はたなき)学園。

住宅街の中心にある丘、泣ヶ丘の上に立地した私立の 中高一貫校である。

機泣高校は県内でもトップレベルの進学率を有し、尚且つ部活動も盛んであるという、文武両道を体現している、そう言っても過言ではない学校である。

そんな機泣高校には他の高校には無い、珍しい委員会活動があった。

名前は『相談委員会』。

この物語は、その委員会を中心として繰り広げられる少年少女が非現実と向き合う青春の物語である。


***


「・・・はぁ」

桃園ももぞの拓也たくやは入試問題を解き終え、手に持っていたシャーペンをノートの上に転がした。

その同時にため息が出たのは、きっと予想以上に解いた問題が簡単だったからではないだろう。

桃園ももぞの先輩?どうしたんですか?」

向かいに座って問題を解いていた後輩、栗本(くりもと)(かえで)が苦手教科であると言っていた物理の問題集から頭を上げて尋ねてきた。

「いやあ・・・、暇だなって思ってね」

俺が物理実験室ここに居る理由は、相談委員会に入っているからのはずだ。

後輩、ましてや女の子と放課後一緒に勉強するためではない。

俺が委員長となって2週間経つが、栗本さんのお友達やら俺の友人が顔を出す以外、人は来ない。




この相談委員会というのは、中等部、高等部どちらの生徒が持つ恋愛、友人関係、部活動等の「不安な事」や「悩んでいる事」への相談相手となってくれる委員会である。


そんなもの教師の役目だと普通はそうだろう。

だが生徒数が増えることによって、相談相手たる教師の数が相談者の数に比べ少ないために処理しきれなくなった。それに、生徒数が多くなると教師に相談できないような事も起きたり起きなかったりする。

いやまあ基本的には起きないが。年に一回二回くらい。

なんにせよ、「教師よりも同年代の方が話しやすいこともあるよね!」という安直な発想からこの委員会は存在するらしい。少なくとも俺はそう教えられた。

確かにいろいろ厳しいこの学校では、「同年代の愚痴を聞いてくれる人」や「自分たちの代わりに先生方に直接意見してくれる存在」は重宝されるらしく、利用者は多く居る。

いや、去年は居た。

「去年の今頃は毎日10人は来てたんだよなあ。やっぱり先輩の人望のおかげか・・・」

新年度早々に閑古鳥が鳴いていた。

今年で二年目の俺は、多忙な日々を送った昨年と比較してしまい、先代委員長と自分の人望の差を思い知らされた。

自分に人望があるとは思ってなかったが、ここまで露骨になるとつらい。

「まあいい事なんじゃないですか?相談することが無いということは」

最近になってようやくまともに話せるようになった可愛い後輩が言う見方もできる。

「確かにそういう見方もできるが、それは安直な考えってやつだよ。

相談したくてもあてにならないからと、そうだんできずにいる生徒がいるかもしれない」

「それも・・・そうですね。

あはは、この会話機能もしましたっけ?」

確かに似たような会話は既に何回もしている。ただ、それだけ人が来ないのだ。

俺達二人の間に会話が無くなって、妙な空気が流れる。

栗本さんもまた勉強を再開すれば良いものを、どうしたことか、俯いて両人差し指をツンツンと合わせながらこちらをチラチラと覗き見してきている。

話を振った方がよさそうだ。



「しかし栗本さん。どうしてこの委員会に入ろうと思ったんだい?」

俺は当初から不思議に思っていたことを聞いてみることにした。

もしかしたら、例の特権を知っているのかもしれない。

この相談委員会に参加すれば、報酬として有名大学への推薦がもらる、という特権を。

・・・い、いや!俺は断じてそんなことのために参加しているわけじゃないぞ!ホントホント、割とマジな感じでお願いします。

「え、えっと・・・その、ひ、秘密です」

顔を上げた栗本さんは初めは驚いたような表情を見せたがにへらと笑って言う。

何この子可愛いんだけど。狙ってんのか?


栗本楓は美少女である、そう幼馴染が鼻血を流しながら力説していたことに、今更ながら納得した。

「そ、そうか。なら仕方ないな」

俺は慌ててシャーペンを持ち直して赤本に取り組もうとする。

つーか何が仕方ないんだよ!可愛いことがか!このヘタレが!

そんな心の中で自分自身に罵倒の言葉を浴びせていると、不意に物理実験室の扉が開いた。

「こんにちは、桃園君、栗本さん」

「あ、こんちは」「こんにちは」

杖をつきながら入ってきた白髪を蓄えた老人は、我が委員会の顧問を務める川滝かわたき先生だった。

「相変わらず閑古鳥が鳴いておるのう……」

栗本さんが立ち上がり駆け寄ると、川滝先生の代わりに扉を閉める。

「おかげで勉強がはかどりますよ」

俺は先生が残念そうに呟いた言葉に心にもない返事をしながら立ち上がり、いつも通り川滝先生専用のふかふかの椅子を俺たちが勉強道具を広げる実験机の側に運ぶ。

「ふぉふぉ、いつもすまんのう」

よっこらせ、と腰を下ろす川滝先生。

この先生、昨年で70歳を迎えているんですよ。あまり無理をされて体を壊されたらたまったもんじゃないです。

まあ余計なお世話と思う方もいらっしゃいますがね。

「はは、お世話になってますしね。俺も両親も伯母も」

「ふぇっふぇっふぇ、あの二人は五十代の体には少々こたえたぞ」

数々の伝説を持つと噂されるこの川滝先生。

現在は講師としてこの学校に勤めるこの方は、一応俺の両親と伯母の恩師でもあるらしい。



そうだ、ちょうど暇していたし先生と話でもしていようかな。

「あ、先生。この大学の入試問題なんですが・・・」

話しかけようとした俺より先に栗本さんが川滝先生に赤本を持って近づいていた。

おい、待て。栗本さん(このこ)は一年なのに、なんで大学の入試問題なんか解いてるんだよ。俺かよ。

「ほほっ、もうそんな問題を解いているのかい。どれどれ・・・」

川滝先生は渡された赤本に目を落とす。

・・・まあいいや、栗本さんの質問が終わったら先生と会話しようかね。



「・・・だからこの答えが出るんじゃ」

「なるほどー。あとここの問題なんですが・・・」

「これは熱力学じゃのう。どれどれ……」

ま、まだ続くのか・・・、よくもまあそんなに勉強できるものだ。

「・・・ッ!先生、ちょっとトイレ行ってきます」

「ほいほい」

いつもの発作が起きた俺は川滝先生に許しをもらい実験室を出た。



***



私は目の前で勉強していた考え事をしていた先輩が具合が悪そうに部屋を出ていったのを見送った。

「惚れているのかい?」

「へっ?い、いや違いますよ!

ただ・・・先輩よく具合悪そうにしているな、と」

私は思ったことをそのまま口にした。

武田先輩は具合悪そうに部屋から出ていったわけではない。一瞬だけ、顔をしかめたからだ

「具合が悪そうだと、よくわかったのう」

川滝先生は驚いた様子で私を見てきた。

「彼は昔事故に遭っていてね、それ以来、毎日不定期に頭痛が起きるらしいのじゃよ」

「それって大丈夫なんですか?」

「大きい病院にも通ってみたことがあるそうじゃが、体のどこにも異常が見られなかったそうなんじゃよ」

難儀なことじゃのう、川滝先生はそう言って問題集をトントンと叩いた。

「まあ心配は無用じゃよ。今はこの問題に集中しよう」

「あ、はい!」



***



いつもの発作の頭痛はおさまった。洋式便所で座って痛みが引くのを待っていた俺は、意味もなく水を流して便所から出た。

戻って勉強しても、長くは続かないだろうしなあ・・・。

手を洗い終えた俺は、手に溜めた水道水で顔を洗いながら考える。

目つきの悪さを隠すために髪の毛を伸ばしたが、こうして顔を洗う際には髪が濡れるのは面倒だ。やっぱり今度切ろう。

持って来ていたタオルで顔の水分を拭った後、タオルを頭に巻いた俺はトイレを後にする。

夕日が差し込む渡り廊下の真ん中辺りで立ち止まり、大きな窓から見える校庭を何気なく見下ろした。

物理実験室のある西校舎には、残念なことにトイレがない。そのためトイレに行くためには、二階にある渡り廊下を渡って、北校舎に行く必要があるのだ。

「部活動・・・ね」

見下ろした先にはおそらく汗を垂らしているであろう走り回るサッカー部員がいた。

この機泣高校はいくつかの部活においては全国大会常連校となっている。

例えば、今グラウンドで練習しているサッカー部。昨年は全国大会の第一試合で前年度優勝校と戦い、1ー0で負けている、らしい。

そしてその近くで練習している陸上部。何人かが全国大会に行ったそうだ。

曖昧な記憶を頼りに思い出そうとするも、詳しくは思い出せなかった。

やめやめ、こんなことを考えるなんて俺らしくない。

おそらく背後の女子トイレから漂う人の意思の集合体の影響だろう。

・・・いや、アレはその類じゃないな。もっとヤバいやつだ。

普段行くトイレが点検中だったばっかりに、普段来ないトイレにやってきたが大失敗だった。なんでこんな危険なのいるんだこの学校。

見ていないフリをしなければ狙われる。最悪死ぬ。

もう少しグラウンドを見下ろしてから戻ろう。

背中から肌寄ってくるひんやりとした霊気を無視しながら夕陽が差し込む廊下からグラウンドを見下ろした。


昔、俺は一度死にかけた。

いや、実際にしばらく死んでいたらしい。

その時の怪我が原因なのか、はたまた死にかけたのが原因なのか、俺はそれ以来日に一度謎の頭痛に襲われると、その頭痛以降は寝るまで霊やら魂やら妙なものが視えるようになった。

最初はビビったが、慣れればなかなか観察しがいのあるものではある。

調子に乗ると、霊に気が付かれしつこく追いかけてくるときがあるがまあ墓とかに逃げ込めば案外消えるものだったりした。



さて、背後の霊気が俺に向いていないようだし、今のうちに退散するか女子トイレの奥に引っ込んでから俺はようやく歩き出す。

「しっかし今年は本当に2人だけなのかね・・・」

俺は大人数のサッカー部を見て、委員会の参加人数の少なさを感じて思わず呟いていた。

あの閑散とする実験室には、本来あと4人の姿があるはずなのだ。


相談委員会は元々6人構成である。

高等部の三学年の生徒、合計1110人の中から、それぞれの学年における学力上位者であり、教師からの評判が良い男女合計6人を選抜して作られる。

だが、選抜されたからこの任を強制されるわけでは無い。

選ばれた生徒自身が承諾し、初めて相談委員会の委員となるのだ。

無論、学力の高い生徒がその様な勉強時間を潰してしまうものに積極的に参加するはずも無い。

だからこそ、学力の高い生徒が欲しそうな「国公立大学へよ推薦」という報酬があるのだ。

……まあ公表はされてませんがね。

何はともあれ、残りの4人は姿を現さないところを見ると参加することに承諾したのは、俺と栗本さんの2人だけだったのだろう。

他の4人については名前も学年すら知らないし、誘いに行くこともできないしね。

・・・そんなことするのかと聞かれたらNOと答えるけど。

「三年生ばかりだったのかもな・・・」

自分の推測を思わず口に出してしまった。

そこで慌てて自分の状況を思い出し、慌てて周りに人が居ないかを確認する。

別に独り言が恥ずかしいとかではない。今の俺の姿を見られたらきっと悲鳴を上げられると思ったからである。

誰にも見られていないことを確認した俺は再び、委員会の参加者について考え始める。

昨年度参加した時は5人のうち3人が二年生、つまり現三年生。残りは俺と当時の三年生、今大学生の先輩だ。他の4人はきっと三年生で受験勉強に忙しいのだろう。

などと誰ともわからぬ他の選抜された4人について思考を巡らせて歩いていると、目的地である物理実験室の前に1人の女生徒が立っていることに気付き、俺は思わず足を止めてしまった。



そこにいたのは美しい女生徒だった。

夕陽が差し込む廊下の中に一人だけ佇む女生徒。その美しい長い藍色の髪に夕陽が反射して思わず目を細める。

まるで絵画でも見ているかのような光景に思わず俺は見惚れてしまっていた。

「貴方は・・・この委員会の人?」

いつの間にか俺の正面に立っていたその美少女は俺の目の前にいた。

「あ、ああ。俺は相談委員会の委員長を務めている桃園だ。君は?」

距離が近いことから顔が赤くなっているのが自分でもわかった。

が、近づいたことで俺はこの子のいびつさに気が付いてしまった。

「なっ・・!」

「私は相談したいことがあったから来たの。この物理実験室でいいの?」

「あ、ああ。だったら話を聞かせてもらうよ。どうぞ中に入って」

俺に促され物理実験室に足を踏み入れる美少女。その横顔はどこか見覚えのあるような気がした。

中に入ると栗本さんと川滝先生がこちらを見ていた。

「相談したいことがあるらしいです」

栗本さんの顔が突然輝いたように見えたのは、きっと幻覚ではないのだろう。



そして、この依頼者には俺にすら視えない霊が憑いていたことも事実であった。



他人に聞かれたくない内容かをその名も知らぬ美少女に確認したところ、聞かれても構わないと答えたのでこのまま物理実験室で話を聞くこととなった。

俺はその謎の美少女へ椅子に座るように促し、自分も彼女の対面に座る。

そしてこれが初めての相談となる栗本さんに、相談記録用紙とお茶を準備するように伝えた。

相談記録用紙とは相談者とその相談内容についての記録をする紙である。

その紙は実験室と直接繋がっている物理教師室に管理されており、それを取ってくるついでに相談者に出すお茶も淹れてもらうことにした。


「じゃあまずクラスと出席番号、名前を教えてくれ」

用紙を持ってきた栗本さんがお茶を淹れに教師室に戻ったのを確認した後、俺は目の前の美少女に尋ねた。

「2年A組1番有馬(ありま)冬花とうかです」

「あれ、俺と同じクラスか」

何処かで見たことがあると思ったら同じクラスだったというオチ。

いやまて俺、クラスメイトすら気付かないとか、俺大丈夫かよ。

「あの・・・、私のクラスでは見たことがない気がするのですが」

「こうすれば見たことあるんじゃないか?」

俺は頭に巻いたタオルを外して髪の毛を押さえて目を隠す。

「・・・・・・?」

なんでそこで怪訝そうな顔をして黙ってんだよ。・・・いや確かに教室じゃあ空気だけどさ。

「あっ、桃園くんですか」

「その通りです」

一応覚えられていたことに内心喜ぶ。忘れられるほどじゃないってことか!

「ごめんなさい、あんまり関わりがなかったから・・・」

「ああ、いいさ。俺なんか顔も覚えてなかったし」

「桃園君の方がひどいじゃない」

「ほんとだな」

同級生と分かってか、俺も有馬さんも自然とお互いの口調が砕けていた。

「それで相談内容は?」

しかし、俺たちの間には恐らく共通の話題が無い。

無駄な話はしない方がいいだろうと俺は判断した。

それに彼女は無駄な話は好まないと、例の如く鼻血を出しながら幼馴染が言っていたことを思い出していたこともあった。まさかここまで可憐とはな、驚きだ。

「ええ、私の相談内容は『進路について』」

可憐だ、なんて思えていたのは用紙に相談内容を書き終えるまで。

「・・・相談内容は『進路』と?」

去年一年間で、一度も聞かなかった単語が出てきたので思わず聞き返す、

「ええ、そうね。『進路』ね」

俺の反応に対してはさほど驚く様子も見られず、返ってきたのは肯定の言葉。

「まずは聞かせてくれ。そういうのは教師の方がいいんじゃないか?本当に俺たちでいいのか?」

俺がそう尋ねたの主な理由は、手助けになるのかどうかが不明だからだ。

そして、この場にいる人間にはーーー。

「いや、話を聞こうか」

こっわ。川滝先生。凄え睨んでますわ。


つーかあの人が居れば百人力どころか万人力じゃないですか。しかもかなり迫力があったし。

俺は心の中で震えながらも有馬さんの目を見つめる。・・・ん?

「何故教師に相談しないのか、やっぱりそれよね」

「まあ聞きたくはある。」

声に出しましたしね。

「実は・・・その、私の父がこの学園の三人の理事のうちの一人なの。

だからかはわからないけど、先生方は下手に私に関わって、私に何かあろうものならクビにされるんじゃないかと思っているらしくて、話を聞いてもらえないのよ」

「そ、それはまた・・・」

親バカっていうのかなんというのか。しっかしそんなので教師なのかよ、うちの学校の教師は。

「職員会議ものじゃな」

ぼそっと怖いこと言わんでください、先生。

「家族に相談しようにも、母と祖父母は既に他界しているし、父は仕事一筋な人で私なんかに目もくれないから・・・」

父子家庭で親子の関係が良好じゃないと。

しかし、それだけなのか有馬さん。君から何も感じられないのは。

「・・・相談にのってくれそうな大人が近くにいないから、ここに来たのか」

無言で頷く有馬さん。

「それに、その・・・、とっ友達作るのが・・・苦手で」

頬を赤らめて答える有馬さん。なるほど、予想外の可愛いらしさを見せるじゃないか。

思わず表情に出そうなところで、お盆に四人分のお茶を準備した栗本さんが一人ずつ手渡していく。

「まあ参考になる意見が出せるかわからないけれど、話を聞くよ」

「ありがとう」

有馬さんはお茶を一口飲む。



「私には夢が無いの」

「夢というと・・・将来の夢のことかい?」

「ええ。

幼い頃から父親に『なるべき職業』を与えられ、勉強だけするように教育を受けて・・・。

テレビやゲームとかはもとい、勉強の妨げになるものは父が所持することすら許さなかった」

「・・・」

「ほら、小学校で将来の夢について書くことがあったりしたじゃない?」

「あ、ああ。あったね、そんなことも」

「私は・・・何も書けなかった」

「・・・」

「皆が無邪気に『将来の夢』を語る中で、私だけが父親に与えられた『なるべき職業』になるための道順を語っていた。

そして私は、同級生達が『将来の夢』を語る姿に憧れもした」

「・・・・・・」

「でもある時、少しの間だけ私の『なるべき職業』は『将来の夢』になった。

別に、父の言葉をただ受け入れたわけじゃないのよ。

病弱だった母が体調を崩して入院したの。

日に日に衰弱していく母の姿を見て、私は母の病を治すために医者になりたくなった」

「『将来の夢』になった・・・。つまりお父さんが提示した『なるべき職業』ってのは医者なんだな」

「ええ、だって収入がいいでしょう?」

「ちなみにお母さんは・・・」

「優しい人だったのよ。幼い頃から父に勉強を強要された私をいつも守ってくれていた。

そして、そんな母の病を治す事しか考えられなかった頃の私に、いつも「お母さんの事はいいから、あなたが幸せになってくれることが一番の病気の薬なのよ」、そう言ってくれていた」

「優しい、お母さんだな」

「うん、とっても」

「少し質問だ、お母さんの病ってのは?」

「子宮頸がんよ。発見が早かったらよかったんだけど、見つかった時にはもう末期だった」

「じゃあお父さんの事は?」

「私自身、どう思っているのかわからないわ。もう何年も面と向かって話をしたことも無いもの」

「そうか・・・話を戻してくれ」

「ええ。

そして、母が亡くなったことで私が持てたたたった一つの夢は無くなり、私の中には何も残らなかった。

それまでは病弱な母が病になっても私が全て治す、そう心のどこかで考えていたのがわかった。

ずっと夢を、いえ目標ね。目標を持っていたの。

・・・でも、それも無くなって・・・。

それから私は、無気力に、無価値に生きて、何も誰のことも考えずに生きていた。

・・・でも皮肉なことに幼い頃からの習慣である勉強だけは続けた。身体が勝手に動くのよね。

でも、もうそうはいられない。大学は適当に選んでいい場所じゃないから」

「なるほどな・・・」

「それに・・・」

「それに?

「いえ、なんでもないわ」



ブレザーの裾で涙を拭く有馬さんやを見ながら俺はお茶を一口で飲みきる。

「つらかったな」

俺の口から放たれた言葉がそれだった。

俺は彼女の話を聞いて自身の過去を思い出し、無意識に言葉が出たのだろう。視界の端で、先生が俺を見たことが分かった。そしてなにより、俺自身が、体を制御機無くなっていた。

(うっそだろっ?!)

「え、ええ」

目の前で有馬さんは不思議そうにこちらを見ていた。そこで、俺は彼女から例の存在を感じれなくなっていることに気が付いた。

(まさか彼女の中の霊か!)

「自分のやりたいことが出来ない事ほど辛いことは無いもんな」

「・・・」

「幼いころにやりたいことがいっぱいあったはず」

(待て、なんでそんなことを言っている!?お前は誰だ!)

これ以上の失言を防ぐために、必死に口が動かないように集中した。

「おかあさんはあなたの・・・・」

(やめろ!彼女にこのセリフは・・・!)

「私!私はそんなことを求めてここに来たんじゃない!」

目の前に座る有馬さんが目を涙で潤ませ、怒りからか顔を赤くして机を叩いて立ち上がった。

しかし俺の身体は動かない。俺の口を、いや体を操っていた霊は彼女の激昂に呆然としているようだ。

彼女は歯を食いしばりながら数秒俺を睨みつけると、足早にそのまま実験室から立ち去った。

同時に俺の体に自由が戻る。

「っハ!ガハッ!余計な真似を!」

「も、桃園先輩!って、何やっているんですか!」

俺の隣に座っていた栗本さんが、俺を怒鳴りつけると同時に俺は自分の右拳で自分の額に殴った。

「何があった、拓也君」

これまで様子を見守っていた川滝先生が鋭い口調で言う。

「母親です!あの子に何か憑いていると思ったら、彼女の母親です!」

「へ?」

「なぜそう思う?」

「中にいたのは女でした。そして、有馬さんへの悪意はなかった、むしろ彼女を案じていた。

そしてなによりも」

「「おかあさんは」、か。ありえなくはないのう」

「え?」

病で亡くなったという有馬さんの母親が自らの死後、娘を心配して中から見守っていたのだ。

「何が何でも連れてきます!」

俺は有馬さんを追うために、夕陽が差し込む廊下に飛び出した。

 


廊下に出たところで廊下を走る有馬さんの後ろ姿が見えた。

「待ってくれ!有馬さん!」

俺も追いかけるために駆け出した。

予想以上に早く追いつけたのは彼女の足が遅かったからだろう。

俺は追いついた有馬さんの肩に手を置いて、彼女が逃げないようにする。

「有馬さん!待ってくれ!せめて謝罪だけでも聞いてくれ!」

「いらないわよっ!そんな形だけの謝罪なんて!される方が惨めよ!」

有馬さんは俺の手を振りほどこうと全身に力をいれる。

しかし、鍛えている男と一般的な女では力の差は歴然であった。

「頼む!許されるとは思っていない。君の気が済むならどんな贖罪も罵倒の言葉も受け入れる。

だから頼む!」

「だったら消えてよ!私の目の前から!今すぐに!」

キッと俺を鋭く睨みつける。だが俺も引き下がるわけにはいかなかった。

「それはできない!君は依頼人だ。それに・・・!」

君のお母さんが何かを伝えたがっている、そう言いかけてやめる。

「嫌よ!」

「頼む!」

「嫌って言ってるでしょう!」

「頼む!」

「・・・」

拒否し続ける有馬さんは、返事をすることをやめ、俺の心中を探るように俺の目を見つめてきた。

彼女の大きな真っ暗な瞳が、俺の顔を映していた。その瞳で、彼女は何を考えているのだろうか。

何分経ったのか、夕暮れの廊下に飛び出したはずが、もうずいぶんと廊下は暗くなっていた。

「・・・わかったわ。私の根負け。だからその手を離してくれる?痛いの」

「あ、ああ。すまない」

俺は慌てて手を離す。そして有馬さんを正面に捕らえて頭を下げる。

「すまなかった。俺は君を自分と重ねて見てしまった」

「・・・え?」

有馬さんの驚いた声が聞こえたが構わずに続ける。

「俺も幼い頃、君と同じような境遇だったんだ。

だから無意識にあんな言葉を言ってしまった。君に不快な思いをさせてしまって本当にすまない」

実際にはあの時の言葉、全て彼女の母親のセリフだった。

しかし、理由はどうあっても真剣に相談してくれた相手に同上したのだ。その解決方法を求めてきた彼女の前でだ。それは彼女への侮辱に他ならない。俺は、それをしてしまったのだ。

許されずとも、誠意は見せなければならない。

「・・・もう頭上げて」

十秒ほど沈黙が続き、有馬さんが頭を上げるように促してきた。

俺は言われた通り頭を上げると、先ほどの剣幕が嘘のような穏やかな表情でこちらを見つめる有馬さんがいた。

「私と同じ境遇で思わず同情した・・・。面白い言い訳だね」

「言い訳じゃないさ」

「どうかしらね」

「・・・有馬さん。俺にはこんなことを言う権利は無いが、言わせてもらうよ。相談委員会は君の相談に応対する。

だから、また明日来てくれ。待っているから。

俺のこととが許せないのであれば、職員室へ行って教頭先生に事情を話してくれ。

そうすれば俺にはどうしようもなくなるから」

俺はできる全てをし、言うべきことを言った。この後俺がどんな処遇になるかは彼女の判断に任せる。

「・・・また明日、伺います」

・・・結構な笑顔でした。



***


桃園先輩が廊下に飛び出したのを見てから私は失望感に耐えられず、ため息をついた。

「栗本さん、今のは桃園くんが悪いと思うかもしれないけれど失望してはいけないよ」

川滝先生は先ほどの強い口調とは打って変わって、優しげな口調で私に語りかける。

「今のは何なんですか?」

対象的に私の口調はキツかった。半ば八つ当たり気味だったかもしれない。

そもそも霊とはなんなのか。問題はそこからだ。

「彼もまた、有馬さんの言葉で言う『将来の夢』に憧れた子どもなのじゃ。

それに今のは彼の体質のせいでもある」

「桃園先輩もって、それに体質というのは・・・」

先輩も『将来の夢』に憧れた子ども?

「過去についてはわしの口からは語れぬ。そこはいつか彼に語ってもらいなさい。

じゃが、今後のためにも彼の体質については語っておこう」

「は、はい。お願いします」

「彼はね、幽霊が見えるのじゃよ」

突拍子も無い話だった。

「幽霊・・・」

「そうじゃ。決して君を騙そうとしているわけではないのじゃ。

だが突拍子も無いのは事実。じゃから今はそういうのだと思っておいてくれ」

「は、はあ・・・」

庇っているのか事実なのか。わからないけれど今は保留にしよう。

これが事実なのか偽りなのかは今度わかるはず・・・。

「ついでに一つ頼みごとをいいかのう」

「は、はい。大丈夫ですよ」

この流れで頼み事ってことは・・・それ系だよね?

「夕日が沈む時間帯は気をつけるのじゃ、よいか?」

「夕暮れ時ですか・・・?」

「夕暮れ時は霊に好ましい環境になるからな、いろいろ気をつけてほしいのじゃよ」

川滝先生の真剣な表情から、思わず頷いてしまった。

けれど、一応その方面も勉強してみようかな・・・。

「わ、わかりました」

「さて、栗本さん。物理のわからない問題あるかな?」

「えっ!あっ、はい!このクーロン力を使った問題がーー」

まあ先輩の過去というものを聞いてからでもいいかな。帰りに聞いてみよう、そう思いながら私は問題集のページを捲った。

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