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サヨナラの世界

「はぁ」


 思わずため息がでる。これで何百回目だろうか? 何度転生しても、どんな世界を選んでも、俺の傍には必ず”ヤツ”が現れる。そして、ヤツは必ず、俺の人生をめちゃくちゃにして、破滅へと追いやるのだ。


「それ、ウンメイ」


 神は無表情でそう言っていた。


「運命を決めてるのは神なのでしょう? それなら、その運命、変えられないの?」


 俺は32回目の転生の際、神に尋ねたことがある。


「ムリ、ウンメイ決めてるの、オレ違う。だから、ムリ」


 神は無表情でそう答えるだけだった。どうやら、神は全知全能ではないらしい。詳しいことは知らない。神の事情など、ちっぽけな人間である俺にわかるはずもない。


「さあ、次、どのセカイ、どのジダイがいい? オマエ特別。エラベ」


 そう言うと、神は両手を前に差出す。すると、神の両手からたくさんの球体がプワプワと生まれてくる。その数は数千を超えているだろう。そして、まるでジャグリングの様に大きな楕円を描きながら、神の手の上でそれらの球体がクルクル踊りだす。

 神曰く、この球体一つ一つが”世界”なのだという。


「別にどれでもいいですよ。どうせまた、”ヤツ”に邪魔されて、俺は幸せにはなれないのですから」


 俺はヤツの顔を思い浮かべる。

 ゴツゴツした輪郭。二つに割れている気色の悪いアゴ。キツネの様に細い目。極端に穴の小さい鼻。ビリケンさんの様な耳。右頬にある3つのホクロ。

 あぁ、気分が悪くなってきた。吐きそうだ。怒りで体が震える。脂汗が額ににじむ。

 

「ヤマダイシロウとオマエ、ウンメイで繋がってる。離すのムリ」


 ふと、神がヤツの名を口にした。山代士郎やまだいしろう。こいつが、俺の前世をぶち壊したヤツの名前だ。ちなみに、前々世のヤツはカミュニ・メロンケ・ポ・ポンテという名のケニア人だった。前前々世のヤツは、天巴里高宗腎という名の中国人だった。

 しかし、時代や世界や名前は違っても、その風貌だけは、全て同じだった。ヤツのニヤリという不気味な笑い方は、どの世界でも同じで、最強に気持ちが悪かった。

 

「でも、ヤマダイシロウが近くにいても、オマエに関与しないセカイ、一つだけアル」


「え? ほ、ほんとですか!?」


 転生124回目にして、初めての情報。俺は目を見開いて、神の話に食いついた。


「うん、これ、このセカイ」


 神が指さす球体は、虹色をしていて、まるで超高速で巡る四季の様に刻々とその表情を変えながら、ゆっくりと右回りに自転していた。不思議な球体だ。そう思った。


「このセカイ、サヨナラのルールちょっと違う」


「サヨナラのルール?」


 なんだそれ? 頭にクエスチョンマークが浮かんだ。


「このセカイのサヨナラ、永遠。二度と会えない。ホントのサヨナラ。だから、オマエ、ヤマダイシロウにサヨナラ言えばいい。すぐ傍にいるウンメイは変えられない。けど、傍にいるだけ。オマエのジンセイに関与できなくなる。だから、オマエ、幸せにナル」


 そう言うと、神は虹色の世界をわしづかみにした。そして、俺の口にその世界を放り込んだ。


「う、うぐぅ……ゴクリ」


 俺は虹色の球体を飲み込んだ。どういう原理かは知らないが、これが転生の方法なのだ。 


「いってコイ」


 神のこの言葉を最後に、俺の視界は暗くなった。真っ暗だ。何も見えない。何度経験しても、この瞬間は嫌だ。転生を待つ時間。神は「まっくら」と言っていた。いくら転生に必要な行程の一つだといえ、気持ちの良いものではない。この「まっくら」は、いつまで続くのだろうか? そう思うと、怖くて怖くて、心が震える。

 あぁ、はやく、誰でもいいから、俺を生んでくれ。この「まっくら」な世界は本当に嫌なんだ。辛い、苦しい……………………………












「オギャー! オギャー! オギャー!」


 新しい命の誕生。「産む」という行為はいつだって、喜びで満ち溢れている。

 生まれた瞬間、人間は悲しいから泣くのではない。嬉しくて、泣いているのだ。「まっくら」から救い出してくれた、父と母への途方もない感謝。この気持ちを届けたくて、俺は泣くのだ。



「生まれてきてくれてありがとう。今日からお前は”ミクニ”だ。高野ミクニとして、生きるんだぞ」


 俺は父から名前をもらった。ミクニという名だ。それは、今は使われていない古代文明の言葉で、意味は「一人で生きるな」。発案は父で、母はその名前を聞いた瞬間、即決したそうだ。

 

 俺は父と母からもらった名前の通り、いつも誰かに頼りながら、時に誰かに頼られながら、決して一人では生きなかった。




「ミクニ大切な話がある」


 そんなある日、父が怖い顔で話しかけて来た。俺がちょうど6歳の誕生日を迎えた時のことだ。俺は理由はわからなかったけれど、心臓がトクントクンと唸って、とても息苦しくなった。


「この世界には、絶対に口にしてはいけない言葉がある。その言葉を口にした瞬間、お前は世界から消えてしまう」


 父の隣にいる母の顔を見る。母は下を向いて、静かにうつむいていた。


「いいか、絶対に口にするんじゃないぞ。口にした瞬間、父さんも母さんも、お前のことが見えなくなるんだ。嘘じゃない。本当に、見えなくなるんだ、聞こえなくなるんだ、お前の存在を、一切、感じ取れなくなるんだ」


 人間が本気で話しているときの狂気は、恐ろしい。これが冗談ではないのだということが、幼い子供でも本能で理解できる。それほどに、父は今恐ろしい顔をしている。


「いいか、絶対だぞ。口にせずに、心の中で、覚えておけ。この言葉を」


 そう言うと、父は「サヨナラ」と書かれた紙を俺に見せた。


「覚えたな?」


 父は静かにそう言った。そして、俺が無言でコクリと頷くと、直ぐにライターで紙を燃やした。

 父はこの日以降、怖い顔をすることはなかった。いつでもやさしい父だった。母もそうだ。あの日以来、下を向いてうつむくことはなかった。いつだって前向きで明るい母だった。

 そう、この世界の「サヨナラ」は、あんなにやさしくて、あんなに明るい父と母を豹変させてしまうほど、恐ろしいものなのだ。


 のちに、俺はさらに詳しい「サヨナラのルール」を聞いた。


~サヨナラのルールとは?~

1.「サヨナラ」と口に出した人間と、「サヨナラ」を聞いた人間の間で起こる変化である

2.「サヨナラ」を言った人間には、「サヨナラ」を聞いた人間の姿は見える。しかし、「サヨナラ」を聞いた人間は、「サヨナラ」を言った人間の姿や声や存在そのものを一切、感知できなくなる。

3.「サヨナラ」を言った人間は、「サヨナラ」を聞いた人間に干渉することは一切できない。たとえば、触れたり、紙などの媒体を通してのコミュニケーションも”なぜか”不可能である。

4.「サヨナラ」を聞いた人間が、偶然に「サヨナラ」を言った人間に触れたり干渉することも”なぜか”不可能である。

5.効力は一生続く。

6.この変化の発動条件は「サヨナラ」という言葉を口に出すだけである。そして、この言葉を聞いた人間すべてに効果が及ぶ。



 そう、この世界では、「サヨナラ」はただの別れの挨拶ではないのだ。永遠の離別、究極の縁切り、絶対に口にしてはいけない禁忌、なのだ。


 俺はこの言葉を絶対に口にしまいと心の中で強く誓った。そう、この言葉を使うのは、俺の人生で、たった一度だけだ。それ以外では、絶対に、俺はこの言葉を口にしない。


 俺は順調に成長していった。小学校低学年ではガキ大将。小学校高学年から中学校では、父と母の優秀な遺伝子を早々に発揮し、文武において頭角を現した。自分で言うのも恥ずかしいが、素晴らしい父と母のおかげで、俺は才能に満ち溢れていた。さらに、高校に入ってすぐ、運命の女性と出会い、恋に落ちた。当然両思い。同じ志を持つ優秀な友にも恵まれたし、恩師と思える先生とも出会えた。

 このままいけば、俺は絶対に幸せになれる。大きな失敗もせずに、夢を掴める。それだけの才能と環境の中に俺は今、生きている。

 順風満帆な日々。しかし、そんな日々は、いとも簡単に終わりを告げる。


 それは、高校二年の春のこと。ついに、ヤツが俺の傍に現れた。


「どうも、東京から転校して来ました。笹川カガルです。よろしく!」


 ”笹川カガル”と名乗る一人の男。俺はこの顔を忘れたことがない。忘れたくても、脳髄にこびりついて離れないのだ。

 ゴツゴツした輪郭。二つに割れている気色の悪いアゴ。キツネの様に細い目。極端に穴の小さい鼻。ビリケンさんの様な耳。右頬にある3つのホクロ。

 あぁ、気分が悪くなってきた。吐きそうだ。怒りで体が震える。脂汗が額ににじむ。


「じゃあ、高野の隣の席に座ってくれ。高野、転校生と仲良くしてやれよ」


「…………」


 先生の言葉に俺は返事をしなかった。誰がこんなヤツと仲良くするか。胸糞悪い。


「高野くんだよね。今日からよろしく!」


 俺は頷くことなくヤツを睨みつけた。本当ならば今この場で「サヨナラ」と言ってやりたいところだが、ここで言ってしまうとクラスのみんなと永遠に別れてしまうことになる。それだけは避けなければいけない。



 気が付けば、一ヶ月の月日が流れていた。

 俺はまだヤツに「サヨナラ」を言えていなかった。転校生と二人っきりになる場面は、なかなか作ることが難しかった。それに、優秀で才能にあふれた俺は青春を謳歌するため、多忙だった。

 そんなある日、俺は彼女のマヤリと映画デートの約束をしていた。


「ミクニ、今日の映画楽しみだね」


「あぁ、そうだね」


 マヤリと二人で並木通りを歩く。季節は晩春。散り行く桜。そろそろ桜も見納めか。

 そんなことを考えていると、目の前にかわいいチワワが現れた。クリクリとしている瞳は今にも零れ落ちそうだ。


「あ! ワンちゃんかわいい!」


 まるで条件反射の様にマヤリは犬へと近寄った。瞬間、脳髄に電撃が走った。フラッシュバックだ。前世を思い出す。俺はこの光景を見たことがある。


「君は……」


 涙で視界がにじむ。溢れて止まらない。鼻水も。


「あぐぅ、う、うぐう」


 声をこらえようとするが、無理だ。体全身で泣いている。


「え? ええ?? 急にどうしたの! なんでそんなに泣いてるの!?」


 俺の傍に駈け寄るマヤリ。瞬間、その体を抱きしめる。


「ちょ、ちょっと……」


「君は、君はやっぱり運命の人だったんだ。良かった。良かった……」


 マヤリは、運命の人だった。俺が前世で愛した人の生まれ変わりだ。こんなことがあるのだろうか? 神の手の平で、ジャグリングの様にフワフワ浮いていた数多のセカイ。確率で言えば億分の一? 兆分の一? いやもっともっとすごい確率だろう。俺がこのセカイを選んだように。彼女もまた、このセカイのこのジダイを選んでくれたんだ。ありがとう。奇跡を、ありがとう。


 1時間くらいたっただろうか? ようやく俺の涙は落ち着いた。


「もう、ミクニどうしちゃったのよ。急に泣いて、急に抱きしめて、運命の人だなんて」


「あぁ、思い出したんだ」


「思い出した?」


「うん、思い出したの。今はまだ、それだけでいいんだ。さぁ、映画を見に行こう。遅れちゃうよ」


「ちょ、ちょっと~」


 俺は、マヤリの手を引っ張り、駆け出した。俺はようやく、幸せになれる。大好きな人と共に、日々を生きられる。初めての希望が、胸を強く躍らせた。


 

 薄暗い空間で、ぼんやりと浮かぶ光。スクリーンの向こうでは、お化けと人間が戦争をしている。


「映画面白かったね」


「あぁ、まさか最後にあんなどんでん返しがあるとはね」


「うんうんうん! びっくりしたなぁ、あれは」


 映画を見終わった俺はマヤリ並んで歩きながら駅へと向かった。


「あれ? ミクニとマヤリじゃん。え? なに? お前ら付き合ってんの? うそ、知らなかったわ」


 その道すがら、ヤツが現れた。


「笹川くん、こんにちわ。そうよ、私たち付き合ってるの」


「…………」


 俺は終始無言で、ヤツを睨みつけた。こいつとは話したくない。マヤリがこいつと話しているのでさえ、非常に不快で仕方がない。


「なんだよ、睨むなよ。わかったわかった、邪魔者は退散するよ。それじゃ、またな」


 ヤツはそういうと、ニヤリと笑った。瞬間、背筋が凍りつく。フラッシュバックだ。前世を思い出した。手が震える。冷や汗が止まらない。ヤツが不気味にニヤリと笑った日から、俺の人生はいつも狂い始めるんだ。あの笑いは破滅のシンボル。俺の順風満帆な人生が崩れ落ちる音が今、はっきりと聞こえた気がして、眩暈がした。

 俺の予感は見事に的中した。この日以来、何かとヤツは俺たちに付きまとうようになった。ヤツは巧妙に俺たちに近づき、理論や必然を武器に、俺たちの青春の時間を奪って行った。


「笹川! いい加減にしろよ! 今日は俺とマヤリの二人だけのデートなんだよ!」


「しょうがないだろ? 俺もこの水族館に用があるんだよ、ケケケケ」


 不気味に笑うヤツの顔。今すぐにでもハンマーでぶん殴りたい。


「ねぇ、笹川君から聞いたんだけど、ミクニ、他の女の子と二人っきりであったりしてるの?」


「はぁ? 俺がそんなことすると思うのか? お前は俺の言葉よりも、あんなヤツの言葉を信じるのか

!!」


「ご、ごめん、そんなに怒らないでよ……ごめん」


「…………こっちこそ、ごめん」


 次第に、俺とマヤリの仲もギクシャクしてきた。恋に不純物はいらない。不純物があっては、恋は神聖ではなくなるのだ。


「くそっ……」


 俺は正直焦っていた。これでは、前世の二の舞だ。一刻も早く「サヨナラ」を言わなければ。俺は静かに決意した。




「どうしたんだよ、こんなところに呼び出して」


 俺は遂に、ヤツを呼び出した。場所は町はずれにあるプラネタリウム。この建物は防音がしっかりしていて、外に漏れる心配はない。俺は何回もこのプラネタリウムに通い詰め、管理人のオジサンと仲良くなり、特別に貸切にしてもらったのだ。全てはこの日のために、用意周到に準備をしてきたのだ。


「お前には、いろいろと悪いことをしたと思っている。だから、仲直りしたくてさ」


 俺は心にもないことを口にした。


「何だよ。気持ち悪いぞ。お前が俺と仲直り? 冗談だろ? ミクニが俺のことを心底嫌っていることなんか、お見通しだぞ」


「あぁ、その通り。お前のことは会った時から、いや、お前が転校してくるずっと前から、大嫌いだったよ」


「!? お、お前まさか!?」


「笹川カガル、サ」


「やめろ! その言葉は禁忌だろ!」


 俺は目を閉じて深呼吸をした。


「サヨナラ」


 俺の目の前には、ヤツがいる。しっかりと見えるし、声も聞こえる。しかし、ヤツから俺は見えない。俺の声は聞こえない。俺の存在を、ヤツは二度と感知できない。


「ようやく、ようやく……」


 俺の心は得も言われぬ感情で満ちていた。ようやく俺は、ヤツから解放されたのだ。それは、とても喜ばしいことだ。

 しかし、それは良いことだけではない。これから、俺は大変な状況に置かれるだろう。なんせ、クラスメイトの一人と「サヨナラ」をしてしまったのだから。当然、学校では大変な問題になるだろう。一人の人間と完全にコミュニケーションがとれない状況で学校生活を送らなければいけないのだから。それに、この世界では「サヨナラ」はそもそも禁忌だ。いかなる理由であれ、禁忌を犯した人間に対して世間の目は厳しいものだ。へたをすると、俺は迫害を受けるかもしれない。それでも、大丈夫。なんか、根拠はないけど、そう思う。

 ヤツがいない世界で、マヤリと一緒にいられれば、それだけで俺は幸せなんだ。

 見えない俺に向かって悪態を吐きながら暴れているヤツを見ながら、俺はぼんやりと、そんなことを考えた。


「あぁ、わかったよ。そっちが禁忌を犯したのなら、こっちだって、犯してやろう」


 急におとなしくなったヤツは、ニヤリと笑いながら、恐ろしいことを言った。瞬間、俺は震えた。絶望した。


「今から俺は、マヤリを殺す。ミクニ、お前に俺を止められるかな?」


「やめろぉおおおおおおおおおおおおお!」


 俺はヤツに向かって殴り掛かろうとした。しかし、何故か触れることができない。俺のコブシは不自然な動きをしてヤツから離れてしまう。そうだ、これがこの世界の「サヨナラのルール」だった。「サヨナラ」を言った人間は、「サヨナラ」を言われた人間の姿を見たり声を聞いたりすることはできるが、一切の干渉ができなくなるんだった。


「ミクニ、サヨナラだ」


 この言葉をヤツが言った瞬間、ヤツの姿が消えた。声も聞こえなくなった。

 まずい! 俺はパニックに落ちいった。イスに脛を思いきりぶつけた。激痛が体を襲う。しかし、今はこんな痛みなどどうでもいい。どうにかしないと。どうすればいいんだ! くそ! くそくそ!!

 今の俺には、ヤツの存在を認識することができない。だから、ヤツが今どこで何をしているかわからない。どうしようもないじゃないか! と、とりあえず、電話だ。この事実をマヤリにはやく伝えないと。

 俺は急いで携帯を取り出し、ボタンを打つ。しかし、うまく打てない。何度も何度も押し間違いをした。俺のバカ野郎! この最中にも、ヤツはマヤリに近づいているかもしれない。一刻を争うんだぞ! 落ち着け、この!


「プルルルル、プルルルル」


 ようやく電話が繋がる。マヤリはやく出てくれ。頼む、はやく……。


「もしもし? ミクニどうしたの?」


「マヤリ無事か!? 良かった!」


「どうしたのよ、そんなに焦って。何かあったの?」


「いいか、マヤリ。落ち着いてよく聞けよ」


 俺はつばを飲み込み、一呼吸置いた。次の瞬間


「きゃあああああああああああ!」


 電話の向こうから悲鳴が聞こえて来た。

 瞬間、体が震えて、全く力が入らなくなった。俺は、手から携帯を落とし、前方に倒れ込んだ。足がもう、体を支えられなかった。イスの後部に頭をぶつけた。そのまま、イスの背にもたれかかるようにズルズルと崩れ落ちた。


「あぁ……」


 もう、何もする気が起きなかった。生きる意味をなくした。死んでしまおうと思った。


「ミクニ大変! 大変なの!」


 え? まだ、マヤリが生きている? 俺の心に希望の火がともった。それはとても大きなともしびだった。体中に活力が溢れた。俺はすぐに起き上り、携帯を掴み上げた。


「マヤリ、直ぐに逃げろ!」


「笹川君が、今、家の目の前の道路で、車に跳ねられて……」


「え…………?」


 ヤツは死んだ。あっけなく、死んだ。俺の全ての前世において、ゴキブリの様にしぶとく付きまとってきたヤツが、いとも簡単に死ぬんだという事実に、ただただ驚いた。





 ヤツが死んでから3日が経った。もう、葬式も終わっている。俺はマヤリと二人、手をつなぎながら夕日を見ていた。


「人って簡単に死ぬんだね」


「うん、そうだね」


「ミクニは死なないでね。絶対に死なないでよね」


「うん、俺はマヤリを置いて死なないよ、絶対に」


「なら、よかった」


 俺はマヤリを強く抱きしめた。ようやく俺は幸せになれるんだ。そう思った瞬間、脳髄が感電した様にビリビリ震えた。前世の全ての記憶がよみがえった。


『おめでとう』


 前世の俺達が口をそろえて俺に祝福の言葉を言う。中には嬉しさのあまり泣いている俺もいた。俺は今、全ての前世の俺の悲願を達成したのだ。歓喜が胸で暴れている。叫びたい。この喜びを叫びたくてしょうがなかった。


「じゃあ、わたし帰るね。ミクニまたね」


「うん、サヨナラ」


「え!? なんで―――」







 目の前がまっくらになった。前世の世界では、「サヨナラ」はただのあいさつで、前世の全ての記憶がよみがえった俺は、現世のルールを一瞬忘れてしまった。そして、「サヨナラ」という何気ない言葉を、思わず口に出してしまった。


 空に浮かぶ赤い夕日は、夜の黒に飲まれて消えた。




~おわり~







~エピローグ~


「オマエ、また幸せになれなかったな。それ、ウンメイ」




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― 新着の感想 ―
[良い点] 言葉って凄いですよね。 そういう捉え方もあるのかーって思いました。 [気になる点] サヨナラを言うのが、怖くなってしまった。 [一言] 最後が……最後が……。 ハッピーエンドになってほしか…
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