掌に懇願のキスを
いつもより遅く帰ってきた彼に痛いくらいに腕を引っ張られた。いつも落ち着いていて、澄ましていて、凛としている彼の顔は今とても真っ赤になっている。日頃真っ直ぐと見つめてくる青い瞳は蕩けていて、頬は紅潮し、口元も何ともだらしない。
そう、誰が見ても分かるくらいに彼は酔っ払っていた。今の彼はお酒のにおいしかしない。いつもだったら爽やかな風のにおいに古書のにおいが混ざったような香りがするのに、今は完全にアルコールのにおいでかき消されている。
それはさておき。彼に腕を引っ張られたかと思えば、今度は私は冷えた木の板の床に押し倒されている。あまりにも唐突で、固い床に押し倒された私はパニックになりつつある。こうして冷静に彼の状況を探るが、こうして押し倒された恥ずかしさに私の心臓はうるさく響いている。さらに、恥ずかしさの上に恐怖心も足されていく。普段見せない穏やかな彼に“男”であることを思い知らされているという現実に。
彼と私の身長差は約30センチ。押し倒されれば、嫌と言うほど体格差を思い知らされる。押し倒したその両腕を伸ばし、床に仰向けになる私を逃がさないようにする。今、彼が肘を付き顔を私に近づければ完全に私は逃げ場は失われる。
依然、彼は口を開こうとしない。
蕩けた瞳に熱がこもり、ゆらりと私を捉える。その瞳はまるで獣の様で私はさらに怖くなる。
私は震えながらも唇を開いた。
「…おっ、おかえりなさいなの。セー…」
「………」
おかえり、と言ったものの、彼、セーファスはだんまりだ。黙ったまま、じっとその熱のこもった瞳で私を見つめる。
それからゆるりと指先で私の輪郭をなぞる。その指先はとても熱かった。
「…ルーシュカ、君は冷たいな」
「え?」
急に告げられた言葉に私は驚いて、何とも間の抜けた声を出してしまう。こんな状況で恥ずかしさで顔が熱いというのに、彼は私の頬に触れて冷たいと言ったことに驚いた。しかしながら、そんな驚いた私を彼は気にも留めず私の頬を両手で包み込む。
「ひんやりしていて、とても、きもちい。俺の熱で君が溶けてしまいそう。きみは、雪みたいだから…」
それから私の額に、何度もリップ音をたてながらキスをする。完全に彼は私にのしかかったままで、私は恥ずかしさと重さでいっぱいいっぱいだった。
彼の唇がゆるりと首筋を這い始めてからもう私は、爆発しそうだ。いつも見せない彼の一面に本当に恥ずかしがってばかり。このままじゃ危ない、そう悟った私は先ほど彼にされたように両手で彼の頬を包み込む。突然、私に触れられたことに驚いたのか、彼はその揺蕩う青い瞳で私を見つめた。
「せっ、セー。お水飲んで落ち着こう?ね?セー、お酒飲んで疲れてるのよー。ほら、起き上がってベッドで寝よう?」
そういうと、彼の目がぎらりと光り私を射る。そしていつもは見せないそのにやりとした表情で、私の掌に口づける。
「…誘ってる?」
「えっ?!え、ち、違うの!そういうつもりじゃないの!」
「いいだろう?」
そしてまた私の掌にちゅと口づければ、私を抱き起しそのまま抱き上げられる。お姫様抱っこのように抱えられた私はもう逃げられない。
「うれしいな、きみからそう言ってもらえるなんて」
「もう、違うの。セー、疲れてるから、ルーは休んでほしかったの」
あたふたと抱きかかえられている腕から逃れようとするが、彼はびくともせず、二人の寝室へと向かっていく。
「ね、お願いだよ、ルーシュカ?」
寝室の扉を開き、そのまま指を優しく食まれてしまう。もうなるようになれと私は彼のいまだに熱い頬に口づけた。
「もう、知らないのよ。セーの好きにして」
そう私が告げると彼は幸せそうな顔で笑う。
たまにはこういうのもいいのかな、なんて思いながら私たちは白いベッドに二人入った。