三年後(前)
三年が経ち、隊規が変更され、カイはようやくまとまった休暇を取ることが出来た。カイは階級章を付け替えた軍服を着て、姉の待つ家へと、部下を一人連れて帰った。三年の間に、ヤマブキが病没し、姉がモモの面倒を見ているということは聞いていたが、他のことは殆ど知らなかった。
モモはカイに気付くと真っ直ぐに駆け寄ってきた。三年前よりずっと大きくなったモモは、三年前のようにカイの上着を掴むと、三年前と同じ言葉を言った。
「お母さんと同じ匂いがする」
言葉は同じでも、持つ重みが違う。カイはモモの頭を撫ぜ、湿布の匂いかな、と答えた。モモはまたカイの上着をしっかり掴んで離さなかった。モモを抱き上げて、カイは懐かしい居間に向った。違うのは、モモの家族写真があることだった。
「おかえり、カイ。その子がリョク君?」
頷いてカイは背後に控えていた金髪金瞳の少年を姉とモモに紹介する。細い身体と軍服はちぐはぐな印象を与えがちだが、この少年に限ってはそういう印象を持たせない。理由は単純で、役者のような容姿に軍服が映えるからである。半面、軍服と容姿が少年の余人を寄せ付けない雰囲気に拍車をかけていることも確かだった。モモは近寄りがたそうにしている。
「モモちゃん、この子はリョク君。君や僕の遠い親戚で、今は僕の仕事仲間。一緒に遊んであげてね」
モモもリョクも戸惑ったようで、それぞれに助けを求めるようにカイとスミレを見やった。カイは姉と視線を合わせた。
「きょうだいが増えたわ」
姉がそう言ったので、カイはホッとした。
夕飯の間、モモは久しぶりに会ったカイに構って欲しいのか、熱心に話しかけ、リョクはあれこれ世話を焼くスミレに面食らっていた。仏頂面だが、感情がないわけではないのだ。時折目を丸く様をスミレは揶揄し、リョクは頬を赤らめたり、目を白黒させていた。
カイは食卓でモモの面倒をみていた。スミレから配膳を任されたリョクが、カイとモモの様子を見て少し目を瞠った。
「妹さん、とても静かに眠るんですね」
「えっ。さっきから静かだけど」
先刻まで上着の裾を掴んで遊んでいたと思ったのだが、気付けばカイの膝を枕に寝ていた。相変わらず眠り方が静かなので、何時眠ったのか、カイには見当が付かない。
「とても仲が良いんですね」
「僕が珍しいんだと思う」
「いえ、少尉のお宅は皆さん仲が良いです」
肩を竦めると、リョクは視線を逸らす。日頃はあまり感情を見せないこの少年に、カイは無意識に過去の自分を重ねてしまう。
「長居は出来ないけど、自分のうちだと思って、ゆっくり休んでくれると嬉しい」
リョクは驚いたようだった。金色の目を丸くしてカイを見て、躊躇いがちに頷く。表情は冷たく、態度は素っ気無く、物の見方にひねた所があるものの、根は素直な少年だと、カイはリョクを評している。
今の言葉にも、リョクは驚いても、一応は頷いた。
「お風呂の支度が出来たわよ。リョク君、先に入って」
「しかし」
「僕はモモちゃんが放してくれないし、先にゆっくり入っておいで。時間を気にせず入れる事なんて、滅多になかっただろう?」
戸惑ったものの上官のいうことには逆らいがたかったのか、リョクはカイとスミレの言葉に従った。スミレはあれこれと世話を焼き、ひと段落すると居間に戻ってきた。
「ちょっと遠慮し過ぎな所もあるけど、素直な子ね」
スミレの評価に、カイは相好を崩した。モモは相変わらず静かに寝ていて、リョクは浴室にいる。それでもカイは声を低めた。
「――リョク君は、これまであんまり良いことが無かったんだ。だから、休暇の間だけはと思って連れて来たんだけど」
「じゃあ、思いっきり甘やかそうかしら。あんたもモモちゃんも、しっかりしてて世話の焼き甲斐がないし」
姉の笑みに、カイは安堵して笑った。帰宅してから言わずにいたことが喉を通る。
「姉さんが――姉さんが元気で、本当に良かった」
「何泣きそうな顔で言うのよ。それはこっちの台詞だわ。全然連絡も取れないし、どれだけ心配したと思ってるの、ばか」
姉の揶揄に、カイは安堵する。暫く無言で非難を聞いた。姉は一通り不在だったことへの文句を言うと、肩で大きく息を吐いた。
「明日はどうするの」
「一度、リョク君と基地に行くけど、後は何も」
「そう。じゃあ、夕飯は姉さんとね。モモちゃんが誕生日だし……その、ね?」
カイは今日だけで何度目かの笑顔になった。姉は居心地が悪そうに視線を逸らしていて、その頬は真っ赤だ。カイは眠るモモの頬に掛った髪をそっと払う。
そうしている間に、リョクが戻ってきた。スミレはリョクを呼ぶと、素直に近づいてきたリョクを抱きしめる。
「いいこと、うちにいる間、本当の姉さんだと思って甘えるのよ! 遠慮なんかしちゃ駄目だからね!」
カイはリョクが姉を突き飛ばすのではないかと思ったが、あんまり吃驚したせいか、対応仕切れなかったようだった。少しの間を置いて、あまり表情を変えないリョクは小声で頷いた。満足そうな姉と、困惑しているリョクとを見て、カイはまた頬が綻んでいた。
○
翌日、カイはリョクを連れて基地に向った。途中、基地内の売店にカイは視線を奪われた。
「どうされましたか」
リョクに問われて、カイは物産店に置かれたソレを指差した。
「モモちゃんの誕生日に、良いかなと思って」
それは子供くらいの大きさのぬいぐるみだった。帝国軍が子供向けにと考案したウサギのキャラクターで、『帝国兎』の通称で親しまれている。帝国軍人には御馴染みのマスコットであり、基地ごとに造作も違うので、土産に購入する者も多い。
「駄目かな?」
ぬいぐるみを抱きかかえてリョクに言うと、表情に乏しい少年は首を傾げながら「良いのではないですか」と言った。カイは店員の退役軍人に包装を頼み、帰路取りに寄ることを告げた。
カイは軍務が済むと、リョクに売店で待つように言って、航空隊に立ち寄った。勤務が終わる時間に合わせて待ち合わせた相手は、既にカイを待っていた。
中尉に昇進したシュタンが、片手を挙げてカイに挨拶をする。両手に革手袋を嵌めているので、一見義手とは解らない。
「少しは逞しくなったんじゃないのか、少尉」
低い、落ち着いた声音が懐かしくて、カイは相好を崩す。シュタンは揶揄するような表情を浮かべ、暖かい左手でカイを撫ぜた。
「車を都合してある、運転手付きだ」
通常、基地からは軍用の路面電車を使って自宅に戻る。車を使うことはまず無かった。
「どうしてまた?」
「歩兵科の兵長が恋人に手紙を出すついでにと運転を買って出た」
この三年の間に、西部第八基地の周辺域は落ち着いてきていた。警戒態勢に無い基地では、軍規も緩む。機密性の高い場所にいたカイはやや驚いたものの、すぐに思い直してシュタンの後ろについて歩く。シュタンはずっと無言だった。出会った頃ならばずっと話し続けていたのだと思い、カイは俯いた。
車庫では、体格の良い少年が千切れんばかりに腕を振っていた。呆気に取られているカイをまじまじと見つめた少年は、子犬のような人懐こい笑顔で敬礼する。
「運転のコン兵長です!」
気後れしつつも、カイは返礼する。それでもコンはじっとカイを見ているので、カイの方が落ち着かない。顔にゴミでも付いているのか、それとも、とシュタンを見上げる。と、ぽん、とコンが手を叩いた。
「ひょっとして、衛生兵科のスミレ曹長の弟さんですか?」
「姉さんの知り合いですか?」
「ああやっぱり! よく似ていると思ったんです!」
それで凝視されていたのかと納得して、改めて挨拶する。コンは頬を紅潮させ、満面の笑みで頷いた。彼が隠し事の出来ない素直な少年であることは、少し話しただけですぐに解った。リョクを待たせていることを告げると、コンは近くに停車して呼びに行ってくれた。
二人になって、質問攻めに合っていたカイは溜息をつく。
「元気な子ですね」
「あれで春から野戦隊配属だ」
「へぇ……って歩兵科のエリートじゃないですか!」
「狙撃は苦手でも、体力と決断力はあり余ってる」
シュタンは左手の拳を握ったり開いたりしながら話す。
「輸送機で乗せただけなんだが、すっかり懐かれた」
カイは苦笑する。先刻コンが語ったことを、シュタンは聞いていなかったらしい――シュタンはコンの初めての落下訓練の時、的確なアドバイスをくれて、終了後にわざわざ探して褒めてくれた、と少年は言った。
「中尉の面倒見が良いからですよ」
「そんなことはない」
むすっとしたシュタンに、カイは安堵する。出会った当初の陽気さは無くとも、シュタンの本質は変わっていない。
「昨日、モモちゃんも随分中尉のことを話してくれました。いつも遊んでくれると」
「いつもおまえの話を聞いてくるぞあの子」
「姉さんも中尉も、僕のことは色々知っているから、話題にしやすいのでしょう」
それもそうか、とシュタンも相好を崩した。笑う姿を見るのは実に久しぶりで、カイは安堵する。
「僕がいなくても幸せそうで、本当に良かった」
そう言うと、シュタンに小突かれた。
「お前が帰ってきたからそう見えるんだ。カイがいなくていいなんて誰も思わない、そういう言い方はやめろ」
はい、と答えると、シュタンも安堵したように頬を緩める。いささか照れくさくて、カイは話題を変えた。
「コン君は大丈夫でしょうか?」
「慣れているから、迷子になるとは思えないが」
「……リョク君がいないのかもしれない、探しに行きます」
カイは車を降りた。と、シュタンの左手がカイの頭をポンと叩く。右手に車のキーを持っていた。一緒に行く、ということだ。
「特徴は」
「……帝族の」
それでシュタンは事態を察したようだった。今度は励ますようにカイの肩を叩いた。どちらから言うでもなく、待ち合わせていた売店に向う。帝族への反感意識はまだ強い。
カイやスミレ、モモと違って、リョクは金髪金瞳だ。帝国で最も珍しい色素は、帝族特有のものである。先の大弾圧で、金髪金瞳は真っ先に血祭りに上げられていた。カイはそれを知るだけに、己の判断の甘さを呪った。