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先輩の暴走。

 面会日に病室を訪れると、真っ先にシュタンに謝罪を受けた。カイも黙秘を要求し、互いに口止めの約束をする。


「最近の具合はどうですか?」

「おう。まず手に持ってるものを寄越せ」


 ケーキが入った箱を渡せば、嬉々としてシュタンは苺のショートケーキを選ぶ。最初に潰したからか、それとも好物だからか、シュタンは必ずそれを選びセロハン剥がしに失敗してきた。カイが見守る中、シュタンは慎重に義手で剥がしていき、ついに成功した。満面の笑みを向けてケーキを見せる誇らしげな姿に、思わず目の奥が熱くなったが、グッと耐えた。


「どうだ凄いだろう。おまえが食う分も剥いてやろうか」

「お願いします、少尉」

「任せろ。義手仲間では一番の順応だぞ俺は」

「おめでとうございます。

 次はお祝いをしましょう、何が良いですか?」

「ケーキが良い。苺が乗ったやつ」

「いつものですか?」

「丸のやつが良い」


 そう言ってカイの分のケーキを差し出して、シュタンは満面の笑みを向けた。



 それから暫くして、姉が勤務先で苺のショートケーキのご相伴に預かった話を聞いた。軍の方では戦闘も無く、カイの仕事上のミスもほぼ無くなった。最近は物事が順調に行っている、とカイは安らかな気分でいた。更に明日はシュタンの面会日で、それが最後の個室面会だと聞かされ、嬉々としていた。深夜まで及んだ勤務が終わって帰宅した時も、あまり疲れを感じていなかった。


 ただいま、と言って玄関のドアを開ける。家の中には電気が点いていなかったので、姉はもう寝たのだろうと静かに歩いて台所に向う。電気を点けて、カイは心臓が縮むほどに驚いた。


 姉が、台所の床に膝を抱えて座り込んでいた。

 名を呼んで駆け寄り、揺り起こす。暫く揺すってから、姉が顔を上げた。虚ろな瞳でカイをしばし見つめた後で、掠れた声を出す。


「ああ、カイか。おかえり、ごはんはどうする?」

「ご飯どころじゃないよ、どうしたの姉さん! 今度は何が」

「ああ、もうこんな時間なの? 姉さん、明日早いから寝るわね」


 問い詰めようとするカイを無視して、姉は寝室へ行ってしまった。




   ○


 翌朝、姉はカイが起きるよりも早くに家を出ていた。起きなかった事を悔やんでも、最早取り返しがつかない。カイは気を揉んだが、今出来る事は何もなかった。不安な気持ちを抱え、それでも時間が経ち、昼になってカイはシュタンの病室に向った。


「失礼します、少尉」

「来たか。おい、近くに来い。見えないから」


 カイはシュタンの視覚に異常が起きたのかと心配し、寝台に近寄った。寝台に座るシュタンが更に手招きをするので、一歩、二歩と近づく。近過ぎではないか、と眉間に皺を寄せて理由を問い質そうとした。


 瞬間、腕を掴まれ鳩尾に掌底を叩きつけられた。

 喉から息が漏れ、膝が折れた。腕を引かれ、されるがままにシュタンに凭れかかり、寝台に仰向けに倒される。


「な、にを」


 問う言葉は最後まで声にならず、視界は霞み始める。その中で、血走ったシュタンの目が見えた。その口が動いたが、何を言ったかは、薄れる意識では把握出来ない。




   ○


「カイ君、カイ君! 大丈夫?」


 名を呼ばれ、体を揺すられ、カイは瞼を上げた。真白なシーツだけが視界にあり、まどろみから最前の記憶を、シュタンの目を思い出して飛び起きた。吃驚して首を捻ると、意外な顔があった。


「ヤマブキさん! 少尉はッ!」

「それはこっちが――」


 言いながら、ヤマブキは視線を落とし、ある一点で移動を止めた。カイはその視線を追い、己が身体を確認する。着ていたはずの軍服は上着が無く、かわりに入院患者の着る検査服を羽織っていた。更にその下に至ってはズボンが剥ぎ取られ、乱れた裾から白い足が覗いていた。


「あら、支給品」


 カイは声も無く裾を押さえた。真っ赤になってヤマブキを見返すと、ヤマブキは大した動揺も無く淡々としていた。一層恥ずかしくなり、言葉が出てこない。沈黙をどう解釈したのか、ヤマブキは気にする事はない、というように手を横に振った。


「確かに支給品のパンツを穿いてる人って少ないけど、こっちとしてはその方が楽なのよ。名前書いてくれてるパンツだとなお良し?」

「ぱぱぱぱんつはどうでもいいじゃないですか……!」

「確かにどうでも良いわね。

 で、本来そこにいるべき患者は?」


 それはこっちが聞きたいと言いかけて口をつぐんだ。うかうかとヤマブキの調子に乗せられていた。


 シュタンがカイの軍服を奪って消えたのは、病院の外に出るためだと予想が付いた。靴も軍帽もなくなっており、代わりに病院服が残っている。では何のために退院を待たずに外出する必要があったのか。まさか、右腕を奪った敵に報復に向かったのではないかと青ざめる。


「酷な言い方だけど」

 ヤマブキが固い声で言った。


「帰還兵にはスパイ容疑がかかる。対処次第で大事になる」


 場合によっては衛生兵に射殺されることもある、と姉から聞いたこともある。下手な受け答えでは、シュタンの身を危険に晒してしまう。カイは唇を噛み、布団を被って丸くなった。子供の下手な言い逃れを冷たく暴く母親のようなヤマブキの声が響く。


「黙秘って訳ね。まあそうなるわよね。

 でもね、カイ君。貴方自身のことを考えなさい。貴方にだって勤務があるでしょう? いつまでも身代わりは出来ないわ。それに、貴方にはスミレちゃんが居るのよ。貴方が投獄されることになったら、スミレちゃんはどうなるの!」


 カイは一層唇を噛んだ。何も聞こえていない、と自分に言い聞かせ、固く目を閉じた。瞼の裏に姉の姿が浮かんだが、それを必死に打ち消した。


 カイにとって、姉は世界の全てだ。姉が幸せである事が、カイの望みだ。

 それでも、カイの世界を広げてくれた先輩を見捨てる事も出来ない。

 暫くの沈黙の後、ヤマブキの嘆息が聞こえた。


「夕方の検温までは誤魔化せるでしょうけど、覚悟はしておきなさい」


 ヤマブキが踵を返し、部屋を出て行くのが解った。病室に一人取り残され、カイは布団の中で手足を丸めた。


 シュタンはどこに消えたのだろうか、体調は大丈夫だろうか。そういった心配をした後で、カイは胃がキリキリ痛む理由がそればかりでないことに気付いた。


 裏切られた、と考えていることに気付いてしまった。


 早くに両親を亡くし、血筋の所為で孤立し、無条件で信じられるのは長い間姉だけだった。姉だけが世界の全てだった。そんな自分に、手を差し伸べたのがシュタンだ。姉以外の人間を信じることが出来たのは、シュタンを信じる事が出来たからだ。それなのに、騙し討ちにされ、気絶させられ、意識を亡くしている間に軍服を奪われた。どうしても外に出たかったのなら、相談してくれれば良かったのだ。


 それを。何も言わずに。こんな事を。

 戸惑いと怒りで、頭が真っ白になった。喉から嗚咽が漏れた。


「……どうして何も言ってくれなかったんですか、少尉」


 呻くように言ってから、姉もそうであったと気付く。自分で問題を解決するまでは何も言わなかった姉の背が、シュタンと重なる。それで、カイは一気に悲しくなった。


 姉はカイが頼りにならないから何も言わない。シュタンもそうではないか。シュタンから見れば、カイは今も新兵で、相談してもどうしようもないから、何も言わずにあのような手段に出たのではないか。

 毛布を掴む腕は震え、シーツは涙に濡れた。

 カイは疲れて眠るまで、声を殺して泣いていた。




   ○


 病室のドアをノックされ、カイは目を開けた。もう夕方の検温なのかと焦る。ドアが開き、誰かが入ってきた。扉が閉まる。閉じ込められた事を悟ると心臓が高鳴った。ベッドに近づく足音が止まる。


「カイ」


 呼びかける声にカイは跳ね起きた。サイズの合わない軍服を羽織るシュタンが、軍帽を片手に立っていた。悪戯を成功させた子供のように笑っていた瞳は、カイを見て丸くなり、足早に近づいてくる。


「おい、大丈夫か」

「少尉こそ、お怪我は」

「俺は大丈夫だ、お前は」


 カイは手を伸ばしてシュタンの体に縋りついた。恨んでいたはずなのに、シュタンの姿を見ると安堵した自分が情けない。

 それでも、シュタンの無事が嬉しかった。様々な感情がせめぎ合い、カイの喉は詰まり、声にならなかった。代わりに、両目に涙が滲んだ。シュタンは義手をぎこちなくカイの背に回して崩れ落ちそうな体を支え、左手で頬に触れる。


「すまなかったな」


 その一言を聞くと、カイはシュタンの胸に顔を埋めて、声を殺して泣いた。シュタンは何も言わず、カイが落ち着くまで左手で背を撫でていた。暫く時間が経ってから、シュタンから離れたカイはぺたんと座り込み、俯いて非礼を詫びた。シュタンがそれに答える。


「いや、こっちが悪かった。しかしおまえ、足が白過ぎるだろ」

「しょっ、少尉!」

「服返すから、それ返せ。ズボンを穿け」


 脱がしたのは少尉じゃないですかと文句を言うより早く、シュタンが上着を投げて寄越した。何の躊躇いも無く下も脱ぎ始めたので、カイは目を逸らし、着せられていた病院服を返してズボンを受取る。穿き終わると、シュタンが寝台に腰を下ろして大きく息を吐いていた。


「あー、煙草吸いたい」

「駄目です、少尉は入院中ですよ」

「じゃあケーキ。苺のやつ。前のは半分衛生兵に食われた」

「今日のは潰れました」


 どうやら苺のショートケーキはいたく気に入っているようだ、とカイが思っていると、シュタンが手招きをした。


「もう何もしないから、こっちに来い」

 警戒しつつも、カイは結局シュタンに近づいた。シュタンの左腕がカイの肩を掴んだ。


「で、ばれたのか」

「衛生兵の方がいらっしゃいました」

「名前は解るか」

「ヤマブキさんですが……ご存知ですか?」

「ああ、髪の長い衛生兵か。じゃあ大丈夫だな。他に何かあったか」


 何が大丈夫なのか聞きたかったが、カイは無言で頷いた。そうか、と言って、シュタンは暫く天上を仰いでいた。少しの沈黙の後で、天井を睨んだままシュタンが言う。


「ちょっとな。腹が立つことがあって、どうしても外に出たかった。おまえにはちゃんと話すべきだったんだが、時間が無かった。すまん」

「外で、何をしていたんですか」


 それを聞く権利はあるはずだと、カイは問う。


「殴ってきた」

「……誰を」

「いけ好かない奴を」


 シュタンが口の端を歪めた。まるで獣が牙を剥くような笑顔は、以前からしばしば見ていた。


「あの、もう少し具体的に」

「おまえ、仕事は?」


 時計を見れば、完全に遅刻だった。いっそ欠勤しようかと思ったが、今日は出直した方が良さそうだった。


「また来ます」


 溜息混じりにそう言って、靴を履いて立った。と、腕を掴まれた。振り返ると、シュタンが驚いたようにカイの顔を見ていた。


「おまえは」


 左手がカイの頬に触れた。視線を怪訝に思って呼びかけると、シュタンはハッとして手を離した。


「すまん、引き止めて悪かった。ほら、早く行け」


 そう言って、シュタンはカイを送り出した。

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