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番外編 僕の両親と叔父さん夫婦。

完結編から数十年後、姉と先輩夫婦の息子視点で叔父夫婦の話です。

姉夫婦が死没していますので、ご注意下さい。

 帝国暦961年――




『好きなのか?』


 ヘルメットバイザーに表示された問い掛けに、スオウは紅茶を吹き出す所だった。こらえたが、しばらく噎せた。気を取り直して質問者、くだんの実験機乗りに向き直れば、彼は所在無さげに上げていた右手を降ろし、搭乗者服の左腕についた入力盤に指を走らせた。

 新型機の実験ということで、彼は常時ヘルメットと服を装着しており、会話は全てヘルメットバイザーに表示させることで行っていた。スオウは実験の補助要員で、この搭乗者の年齢や経歴、性別も実名も知らされていなかった。指名してきた中尉は「頼む」と言ったきり、責任者の准将に至ってはあまり説明もしない。ただ、自分に比しても立派な体格は異性には思えず、階級の同じ、同世代の同性として対応している。


『謝罪する』

「なんでだよ」

『咳』


 普段あまり使わない単語のためだろう、その言葉はワンテンポ遅れて表示された。良く使う単語は入力を省略してあり、単純なイエス/ノーはすぐに示す。長文を打つのは不得手らしく、故に事務的な事項以外での会話は殆ど無かった。

 ふと、彼がスオウのプライベートを質問するのはこれが初めてではないか、とスオウは思い至った。スオウは恥ずかしさに躊躇していた態度を変化させた。


「どうして、そう思った?」


 実験機乗りは何を考えているのか掴みにくい相手である。例え自分にとって恥ずかしい話題でも、会話を成立させるべきだとスオウは判断した。多少なりとも相手のことが解れば、軍務もスムーズに行えるだろうと考えたのだ。それにまた、この任務につく際に上官である叔父に私的に言われたことがあった――なるべく会話するように。

 実験機乗りが暫くして表示させたのは、見慣れた文字列だった。


『確認を求める』


 スオウは表示の意図を暫く考えた。彼がこの文字列を表示させるのは、こちらの指示が上手く伝わっていない時だ。つまり、スオウが尋ねた内容が不明確だったということだ。

 質問内容は明確にせねばならない。スオウは赤い顔を隠すように、俯きがちに口を開いた。


「どうして、俺が叔母さんを好きだと思ったんだ?」


 言ってから、スオウは耳まで赤くなるのがわかった。とんでもなく恥ずかしかった。

 一方の実験機乗りは俯いて入力盤を見ている。フルフェイスヘルメットのために、通常任務の際はこちらが通信機を使用するのだが、静かな場所や、今のような移動艦の一室程度の駆動音の中であれば問題なく聞こえるらしかった。

 だが、彼が声を出すことはほとんど無かった。喋れないわけではないようだが、任務中にその低い声を聞くことは稀であった。苦痛の呻き声くらいしか聞いた覚えが無かった。


『とても素敵な女性』


 そういう言葉も、作戦中の無味乾燥な会話文同様にキッパリと伝えてくる。そしてスオウはその文字列に、立ち上がって叫んだ。


「言っとくがなっ、叔母さんは五歳から叔父さんが好きだったくらい、叔父さんにベタボレなんだからなっ! 今更無駄だからな!」


 そうまくしたてると、実験機乗りは唖然としたようにスオウを見上げてから、ぎこちなく俯いた。


「どうした、何を考えている?」

 問うと、彼は思い悩んだように文字を表示させた。

『五歳?』

「言っとくけど叔父さんはロリコンじゃないからっ! むしろ鈍い人なんだ! 叔母さんが十六になって、プロポーズしたら、驚いて食べてたシチューを鼻から噴いてた!」


 スオウの剣幕に実験機乗りは頭を抱えた。と、休憩室のドアが開いた。振り返れば、二十年近く前に鼻からシチューを吹いた本人がなんとも言えない表情で立っており、スオウは青ざめた。


「お、おじっ……ごめんなさい!」

「いや、謝ることじゃ無い……気にしないで……」


 俯きがちに影を背負って言われ、スオウの罪悪感は増すばかりである。と、それまで座っていた実験機乗りが背筋を伸ばして立ち上がり、スオウの叔父であるカイに敬礼した。


『帝国に栄光あれ』

「栄光あれ」

 カイが返礼し、実験機乗りを気遣うように声をかけた。その声はスオウや彼の妻子を労る時同様に優しかった。


「まだ休んでいて平気だよ。准将も遅れているようだから」

『了解』

「お茶をどう? ええと、妻が持たせてくれたんだ」

『いいえ』

「そう? じゃあ、一杯失礼するよ」


 叔父は持っていた水筒を出して、実験機乗りの斜向かい、スオウの隣に座った。居たたまれないスオウが逃げ出そうとした気配を察したのか、叔父は水筒をちょっと掲げて微笑んだ。叔父の笑顔は保育士を思い起こさせる。優しげで威圧感など全く無いのだが、なんとなく逆らいがたい。


「スオウ君は?」

「い、いえ。自分は、もう頂きましたからっ」

「そう。でも、到着まで付き合ってくれる?」


 逃げられなかった。観念して席に付くと、実験機乗りも着席した。そう広くない移動艦の一室に、ほとんど会話の成り立たない実験機乗り、今は顔を合わせづらい叔父との三人で卓を囲む羽目になり、スオウは居心地が悪かった。


「妻の話をしていたようだけど」

 叔父の一言がスオウの心に痛い。カイは実験機乗りを見ていたので、スオウを責めているわけではないのだが。


「妻は、君に良くしてくれたかい?」

『はい』


 実験機乗りがすぐに答えを表示させた。それから僅かな動作で続く長文を表示させる――事前に打ち込んでいたのだろう。


『少佐殿の細君には、とても良くして頂きました。大変感謝しています。どうぞ宜しくお伝えください』

「妻も君のことを心配していたから、ちゃんと伝えるよ。それと、スオウ少尉のこともよろしく頼みます」

『はい』

「君は、良い子だね」

『いいえ』


 即座に否定した実験機乗りに、叔父は悲しげに微笑んだ。叔父にそんな表情をさせたことに対して、スオウは憤りを覚えた。しかし当の叔父は無言で俯き、次の質問に移った。


「君は、アレを、VEMをどう思う」

 実験機乗りが入力盤に載せた指を止めた。少し考えているようだった。叔父が先に口を開いた。

「僕は、悪魔だと思っている」


 スオウは思わず叔父を見返した。カイがそういう表現をするのは何度か聞いている。叔父はスオウの仕草に気づいていないのか、独白のように言葉を続けた。


「一目見た時から、悪魔だと思った。とても恐ろしくて、関わっちゃいけないと思った――なのに、僕はアレの実験パイロットになったんだ。近寄ってはいけないと解っていたのに、どうしようもなく魅力的だったんだ」

 叔父は俯いたまま、喉から声を絞り出した。


「アレが本性を出す前に、気付くべきだったんだ。そうすれば、義兄さんも――」

「叔父さん!」

 思わずスオウが声を上げると、叔父はハッとして顔を上げた。


「――ごめん」

 叔父が頭をさげるのを見て、スオウは胸が痛んだ。叔父の経歴を知らぬわけではなかった――叔父の発言の真意を汲み取れぬ程、スオウは馬鹿ではなかった。

 しかし、スオウもまた、亡き父と同じくVEMに関わる軍人なのだ。それを否定されることは、耐え難かった。

 俯いた叔父と、それに罪悪感を抱くスオウの間に、重い沈黙が落ちた。と、実験機乗りが立ち上がった。


『着艦されました』

「君は、いいの?」

『はい』

 叔父はそれ以上言わずに顔を背け、席を立った。


「スオウ少尉、手続きを」

「はっ」

 叔父は帝国軍少佐の顔に戻っていた。スオウはその指示に従い、休憩室を出る。叔父が実験機乗りを連れて出て行く。誰に会うのかは、スオウも知っていた。あの怖い准将殿だ。父の部下だったらしい。


「スオウ君、元気で」

 背にかけられた叔父の声は、スオウの良く知る温和な声だった。不意に振り返り、スオウは叔父の背と、右足を少し引きずる実験機乗りの背を視界に収め、雑務に向かった。




   ○


 スオウは父親の顔を写真で見ることの方が多かった。ほんの数年の間だが、父もそうだったらしい。病床の母が言っていたことには、スオウが生まれてから、数えるほどしか帰ってこれなかったそうだ。母や叔父たちがまめに送るスオウの写真は大事に保存してあったそうで、父の殉職後にまとめて返却された際には、一葉を除いて丁寧に整理されていたという。その一葉が棺に眠る母の手に握られて彼岸に運ばれた他は、ほとんど父の分類のままスオウが持っている。母が持っていった一葉に関してもデータは残っていたので、スオウはその写真を身分証と同じサイズに印刷して持ち歩き、やや大きめに引き伸ばされた分は叔父の家に飾られている。

 眠る我が子を困った顔で抱く、不慣れそうな父親と、隣で笑っている母。結婚前の叔父夫婦に囲まれた写真を、父は殉職の際に身分証のケースに入れており、その一葉だけが汚れたのだ。


 身分証は転属や昇進で書き換わるが、スオウが同封する写真が変わることはなかった。スオウは書き換えの終わった身分証をケースに収めると、胸のポケットに仕舞う。


 今回のスオウの転属は、実験機乗りの転属に伴うものだった。彼が運用する実験機の整備のほか、その世話も含まれていた。

 例えば彼には毎食後に決まった量の薬を飲む必要があり、その管理を行う必要があった。服薬の確認もその一つだから、食事の際は大体一緒だ。基地の食堂で配給分を受け取って、与えられた控え室に運ぶ。食事と一緒に昼食後に飲む分の薬を渡すと、彼は軽く頭を下げて受け取った。流石に食事の際にはヘルメットバイザーを上げるが、その時にも彼から何か話すことも、口を聞くこともなかった。

 だから、大体無言で食事の挨拶をした後で、スオウが一方的に話すことになる。


「叔母さんの料理は美味いだろう? うちの母さんが教えたんだってさ」

 普段ならば、返事は無い。実験機乗りは素顔を見せることを嫌がるので――顎や額の酷い裂傷を見ればそれも納得出来た――、食事中は終始俯いて話を聞き流すのが常だ。


「俺はさ、学校に上がる前の一年間は叔母さんに育てられたんだよ」

 今回もいつも通りの無反応だった。スオウも俯いたまま、話を続ける。


「叔父さんも忙しい人でほとんど家に帰ってこれなくて、その頃にはもう、俺の親は居なくて。

 要するに、叔母さん子だったわけだよ」


 叔母も忙しい人だったが、ちょうど育児休暇の時期だったために在宅していたのだ。母親と死別したばかりの甥に、叔父夫婦は優しかった。スオウの素行が良かったこともあるのだが、二人から怒られた記憶は無い。


「その前から叔父さんの家には世話になってたし、叔母さんが母親みたいなもんだった。年が若いせいで、姉みたいでもあったんだ」


 スオウは一度言葉を切った。頬が赤くなるのがわかったが、ここに叔父が来る心配はなく、実験機乗りからは顔を背けて結論を言う。


「だからさ、好きかって言われたら、初恋なんだろうけど、こう、憧れだとか、擬似的なものなんだよ」

 恥ずかしさをこらえて言い切ると、実験機乗りは昼食分の薬を一度に飲み干した所だった。


「ちゃんと、答えたからな!」

 スオウは実験機乗りに言って、昼食を喉に押し込んだ。以前、質問に対して適当な受け答えをして、酷く責められて以降、些細な問いにも答えるようになっていた。


『了解』

 バイザーを下ろした実験機乗りは、簡潔に回答した。それだけかと思うと、己の恥ずかしさはなんだったのかとスオウは頭を抱えた。ぐぬぬ、と恨めしげに実験機乗りを見る。


「そういうおまえはどうなんだよ」

『確認を求める』

「そういう話は無いのかよ。こういう時は、お互いに恥ずかしい話をするものだろう」

『いいえ』

「それは恥ずかしい話をしたくないということか?」

『いいえ』

「ネタが無いと?」

『はい』

「色気が無いな」


 実験機乗りは再び『はい』の文字列をバイザーに表示させた。もう一つくらい嫌味を言ってやろうかと思っていると、見慣れた文字列が浮かんでいた。


『機器調整開始の許可を』

「許可する」


 スオウはため息をついて応じた。ヘルメットバイザーの色が変化する――光の反射が変化したためだ。周囲に対する言語表示機能が消え、バイザー内部での表示のみを行っているためだ。

 実験機乗りは背筋を伸ばして椅子に座って、正面を見据えながら椅子の肘置きに手を置いた。二、三度指を動かして、左手の文字盤を使って自主的な検査を開始する。その仕草はVEMの操縦席での動作に酷似する。『機器の点検』というのがヘルメットバイザーのそれではなく、そこと直結したVEMの点検だということは、スオウも知っている。

 人工知能による動作補助、というのが実験機乗りの『実験』していることだとスオウは聞いている。彼が着ている搭乗服自体が一種のコンピュータで、その指先の動きをトレースしてVEMに反映させるシステムである。人工知能、狭義VEMは二足歩行の広義VEMでないと起動しないシステムであるので、搭乗服の情報を機体に送信し、搭乗席に人がいると錯覚させて起動させているとのことだった――つまり、今の実験機乗りは休憩室内に居ながらにしてVEMを動かしていることになる。軍は、このシステムを広義VEM無人化の一貫として行っているとのことだ。無論、問題は山積していて、広義VEMを稼働するための炉の起動は、現状ではまだ有人でないといけない。


 VEMが遠隔操作出来るようになれば、戦闘での人的損害は激減する。そのことは歓迎すべきことだとスオウも思う。それを寂しいと思うのは、幼少期からの憧れを奪われると感じるせいだった。


 VEM隊の初代隊長であった父の殉職は、VEMの稼働実験によるものであった。

 叔父夫婦や母は面倒見の良い人だったと言った。若い頃の父と、スオウはそっくりだと叔父は言う。しかし、部下だったと言う人から聞かされる話では、スオウとはまるで違う「厳しい人」との話だった――何時だって父の話をされた。そのことはスオウにとって重荷だった。父と同じ道を進もうとした時には、叔父夫婦が猛烈に反対した。

 それでも、スオウはVEM隊を選んだ。VEMに対して、スオウは父を奪われた憎悪があった。逃げようと思えば、逃げられた道だった。それでもスオウはその道を選んだ。

 VEMは父を奪った兵器であり、父の誇った兵器である。


 その契機として思い浮かぶのは叔父の姿だ。

 叔母は、不在がちな叔父の話を繰り返しスオウに聞かせた。そしてその叔父は、幼かったスオウにも、夢見がちに語る叔母の言葉通り、とても格好いい男だった。

 そしてその叔父が「とても格好良い人だった」と語るのは、スオウの父だった。

 スオウは、二人のような格好いい男になりたかったのだ。


 ――俺って結構小さいかも。

 スオウは軽い自己嫌悪に陥って、その感覚を振り払おうと、実験機乗りを見た。彼は一心にVEMの操縦に打ち込んでいる。右手の小指と薬指は性能の悪い義手で、動きが悪いために使われない。

 彼は二本の指と片足を、過去に戦闘で失ったらしかった。そんな目に合ってまで、何故彼が軍人であり続けるのか、スオウは何度か問うてみたことがある。


「どうして実験に参加を?」「実験機乗りになる前はどこに勤務を?」「出身は?」「好きな食べ物は?」答えは全て『解答不能』とのことであった。


 この任務を統括している大佐――今では准将だが――も、実験機乗りの素性については一切伝えなかった。スオウが知るべきことではないらしい。

 だが、准将を古くから知る叔父は、実験機乗りについても何か知っていたようだった。スオウが補佐員に決まったと知ると、スオウと二人、自宅に招いた。叔母は叔父に話を聞いていたのか、特に気にした風もなく、以前からの知人のように「自分の家だと思って甘えてね」と暖かなもてなしをした。実験機乗りは戸惑いつつも、叔母の気遣いを露骨に拒否することも無かった。なかなか人に懐かない従妹が実験機乗りに懐き、普段従妹に冷たくされるスオウは羨ましいとさえ思った。

 スオウもその場に同席していたので、何度となく会話を試みたが、実験機乗りは首を横か縦に降る程度の反応しか示さなかった。

 そう言えば、とスオウは叔父宅でのことを思い出して、動作を一時中断させていた実験機乗りに話しかけた。


「少尉は甘党か?」

 実験機乗りがスオウの方に振り返った。ヘルメットバイザーがスオウの視界に入る。妙に居心地が悪くて、スオウは言葉を続けた。


「叔母さんが作ったケーキ、三切れも食ったろ」

無反応も想定していたスオウに、実験機乗りは解答した。

『はい』

 ふうん、と頷いて、スオウは言葉を続けた。


「あれは、うちの母さんが作ってたレシピなんだってさ。叔父さんも叔母さんも、母さんから教わったって――で、俺も教わった。

 気に入ったんなら今度作るけど、食べるか?」

『ありがとうございます』

「じゃ、期待しててくれ」


 言って、スオウは顔を背けた。妙に照れくさかった――実験機乗りがこんなに素直な返事をするのは、殆ど初めてのことだった。と、ピ、と言う電子音が響いた。実験機乗りがスオウを呼ぶ時に出す音で、スオウは少し赤らんだ頬を隠すようにして振り返った。


『少尉は甘党ですか』

 意外な事を聞いてくる、とスオウは思った。叔母のことといい今と言い、彼がスオウに興味を示しているように感じた。


「うーん……まあ、そうだろうな、うん。

 ああ、そうだ。父さんも甘党だったらしい。でも、到底甘党の顔じゃないんだ、これが。それで、人に隠れて食ってたらしい。殉死しなければ糖尿病で死んだって話だよ」


 写真の中の父は、大変に強面で、甘党の兆候は少しも見られない。どんな顔で生クリームたっぷりのケーキを食べていたのだろうと思う。

 実験機乗りにもそういう印象を持っていたから、叔母のケーキを三切れも食べたことは意外だった。


「父さんは苺のケーキが大好物だったらしい。

 おまえは? 甘いものだったら、やっぱりケーキが好き?」

『帝国兎』

「おぉーい? 肉だろそれー?」

『の、クッキー』

「ああ、びっくりした。帝国兎クッキーね、ってなんだそれ」

『作ってくれた』

「誰が?」


 当然のように尋ねる。と、意外な答えがあった。


『とても素敵な女性』

「叔母さん?」

『いいえ』


 彼が叔母をそう形容したことを思い出しての問いは、すぐに否定された。頭に浮かんだ疑問符が更に大きくなる。


「じゃあ、家族? おまえの母親とか?」

 スオウは小首を傾げて問いかける。


「てか、おまえの家族ってどんな人? 兄弟とかいる?」

 言ってから、以前もこんな会話をしたことを思い出す。その結果も思い出し、今また同じ結果を迎えた。

 すなわち、黙殺。


『調整終了。確認を依願します』

「あー。了解」

 何度聞いても、彼は自身に関わることは解答しない。スオウはいまだに、彼の経歴も、素性も知らないままだ。


「会話しながらでも、操作性に問題なし。

 無駄話しながらでもVEMに乗れるよ、少尉は」

 だから、少しは会話する努力をしろ――言外にそう非難を込めるが、彼が気づいた様子はなかった。スオウは投薬や調整のチェックリストに記入しつつ、実験機乗りに声をかけ続けた。この一年間、返事がなくても喋りかけることが癖になっていた。


「西部基地の食事って結構美味いのな。東部出張の悪夢が嘘みたいだ。甘いものも出ればいいのに。

 まあ、酒保に行けばなんでもあるんだろうけどさ。そのうち時間があれば、その辺をみて廻ろう。それくらいの休暇はあるはずだ」

 スオウは記入の終わったリストを片付け、実験機乗りを見やった。いつもならば、簡潔な拒絶があるはずだ。


 この時の実験機乗りは、膝を抱えて背を丸めただけで、返事もしなかった。ことここにいたってようやく、スオウは彼の様子が普段と違うことに気づいた。やけに饒舌かと思えば、拒絶する。感情的になっているのではないか――とスオウは感じた。

 普段の彼ならば、スオウやその親族のことなど気にも止めない。また、食事の好みの話なんて、今回が始めてだ。一体これはどうしたことかと考えたスオウの口から、こんな言葉がついて出た。


「少尉、ここに何か思い入れとかある? クッキーのこととかで」


 この基地に転属になる道中で、彼はスオウに叔母が好きなのかと聞いた。甘いものが好きで、特に『素敵な女性』の作ったクッキーを挙げた。周囲の散策を提案したことを無視した――言ってから、スオウは論拠となる事柄を思い出した。


「つか、クッキー作ってくれたの、恋の相手って感じ? ここで勤務してるとか?」


 これは結構いい線を行っているのではないか――スオウは揶揄するように実験機乗りに問いかけた。先刻の仕返しもあり、彼がどんな反応をするかが楽しみだった。

 実験機乗りは何の解答も反応もしなかった。スオウはそれを肯定と受け取った――これまでに無い親近感が湧いた。


「落ち込むなって。淡い恋の思い出の一つや二つ、誰にだってあるんだから。気になるなら思い出の君を探そう。意外とまだチャンスがあるかもしれないじゃないか」


 実験機乗りは無言だ。ノリが悪い、とスオウはニヤニヤしながら思う。照れているのだろう、とスオウは考えた。ようやく見つけた会話の種である。ここから会話が続いていけばいい。スオウはそう楽観的に考えていた。


「最初の休暇は思い出の君探しに使おう。その時に俺がケーキを用意してもいい。うん、実に良い計画だな!」


 足取りも軽やかなスオウの腕を、実験機乗りがそっと掴んだ。スオウが振り返る間もなく、スオウよりも体格のいい実験機乗りは、スオウの腕を引き寄せ、無言で投げ飛ばし、捨ておくようにして部屋を出ていく。状況を飲み込んだスオウは、ふらつく足取りで立ち上がると、自分の行状を棚に上げて叫ぶ。


「理不尽だ!」




   ○


 スオウが実験機乗りの素性と思い違いを知るのは、そう遠くない日のことである。家伝のレシピを交換条件に、帝国兎クッキーを自分のレパートリーに加え、『とても素敵な女性』との交際が始まるのは、さらにその先の出来事だ。

ここで完結です。

お読み下さった方、ありがとうございます。

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