令和の地域社会ってどうなるんだろうね
素人の雑殴り書き
最近インターネット、SNSで気になる投稿を見かけた。それは、自治会や町内会のようなコミュニティに参加するべきだというような旨の内容である。ごく少数だが、義務化しちまえなんて意見も目にしたことがある。
こうした意見は近年、増えているように感じる。いわば、行き過ぎた個人主義に対するカウンターのようなものであろう、こうした地域社会へ回帰する指向は今後増えていくかもしれない。
ここで、現実的な手段から今後どうなるのかを考えていこう。
法的には、恐らく参加を強制にすることは困難だ。
これは、わが国がかつて太平洋戦争で町内会への参加を義務付けたことが原因である。戦後にはGHQによって町内会が違法化され、形式上、解散しているのだ(その後、復活したが……)。
歴史的な背景から強制は困難である一方、努力義務化や法的に参加を推奨するなどを経て、なんとなしに地域社会に参加する同調圧力を作る社会になっていくかもしれない。
仮定の話で申し訳ないが、私の見立てでは社会はそのような方向性に進む……少なくとも、私はそう考えている。
地域社会のあることで得られる利益について受益者負担の考えで、一個人に負担を社会が迫るのは当然と言えば当然である。
では、ここで考えよう。
例えば、ある一人暮らしの若い社会人が、輪番制のごみ捨て場の管理や掃除の役になったとする。会社は繫忙期で残業と土曜出勤続きだ。平日8時間を5日間通うだけでも楽な話ではないのにである。もちろん、町内会のことは知らない。今の人生のほとんどを労働時間や勉強にあてているのに、よく知らない街のよく知らない町内会の活動に力を入れる余裕はない。
さてここで、会社の上司は、町内会の事情や会議・催しを前提にして仕事を抜けさせてくれるだろうか、有休を申請したいとあなたは思うだろうか、あるいはそんな有休を平気な顔で通して会社の居心地に全く影響はないだろうか。社会人の読者には会社の上司の顔を思い浮かべてよく考えてほしい。
そして、貴重な休日を参加したくもないことに費やしたいと思えるか、今一度考えてほしい。
答えは言うまでもないだろう。
では、お隣のほとんど会ったこともない人にこれを頼むか。
しかし、名前も顔も覚えていないし、いつ家にいるかもよく知らない。だが、そんなこと言ってられない。ええい、ままよ!───チャイムを鳴らすと、お隣さんがでてきた。
ああ、よかった。
「かくかくしかじかで弱っているんです。代わりにお願いできますでしょうか」
「い、いいですよ……」
……めちゃくちゃ、嫌そうな顔をしている。仕方はないことなのだが、すさまじく気まずいし、申し訳ない。
さて、これらは愉快なことだろうか。気の滅入らない瞬間があるだろうか。
無理に同調圧力をかけたり、参加しなければゴミ捨て場利用に制限がかかったり、不利益が生まれるようにすれば参加を誘導できるかもしれない。
しかし、これで生まれるのは、何かしんどい思いをしている労働者と、なんだか形になっていそうな地域社会である。
ここでは、地域にいまいち参加している実感もなく、何かやらされているなあという感覚で維持される地域社会が、地震災害の際に助け合えることのできるようなものであることを祈るしかない。
思うに昭和の頃の和気あいあいとした地域社会は、専業主婦が前提であったように思える。それに地域社会への参加には子供の面倒を地域で見るなどの見返りもあった。人と人との距離感は時代や当時の社会風俗によるものだろう。それに、子供のいる家庭が多かった。知らない土地でも我が子を育てていれば、愛着も生まれる。
しかし、令和は違う。男女平等にフルタイムで働き、晩婚化により子供のいる家庭も少なく、子供ができても共働きしている。ここで同じように地域に愛着を持ちながら、地域社会に参加し時間や労力をかけるのは非常に難しい。というか、ほとんど無理だ。
家事育児の分担ですらいっぱいいっぱいな現代で、そんなものを夫婦で分担などすれば離婚率が跳ね上がるだろう。離婚や家庭不和の原因が、町内会での係の負担を夫/妻がやってくれないなんて時代がくるかもしれない。
そもそも昭和の頃の地域社会とやらに馴染めなかった、気に食わなかった人間は相当数存在するだろうに、「近くに住んでる」ことが共通項のコミュニティに労力を割く時代に令和の人間は、今更戻れるのだろうか。コミュニティへの参加も、インターネットと現実の友人で事足りる。
そして、令和の社会は異次元の人口減少下にある。人口が減りすぎて自治体が消滅するなんて言われているのだ(実のところ、こっちの方が遥かに深刻なのだが……)。
ここまで、社会状況の変化と、人口減少を基に、「同調圧力」「努力義務」のような荒療治を行ったとしても地域社会は苦しい展開が続くのではないかと私は考えた。
そして私は──恐らく、社会はそんなような、皆がちょっとずつ損するような状況に陥るのではないかと推測している。
これは、皆が参加すべきという考えが実際のことろ正論であるからだ。これは認めるしかない。
そして、余裕のある人間、あるいはそうした状況ならば簡単に背負えるだろうし、受益者負担はど正論だ。誰かが担わなくてはいけない。
だが、余裕のない人間にはそれは困難だ。人手不足、今の景気の不透明感、それらを加味して「余裕のある」若者、労働者は増えると見通せるか──?間違いなく、無理だ。
結局、万人に同じ負荷のかかる仕組みは、その時その瞬間に「弱い人間」にとって損失になる。
弱い人間に弱いのが悪いと責めるのも良いが、強者の理屈が押し通されて楽でない暮らしになんかよくわからない仕事が増えて、おもしろいと思える人間が一体この世のどれだけいるだろうか。
そして、それは地域社会のあるべき結束や相互理解、互助ではなく、分断を形作るのではないだろうか。
脱線して申し訳ないが、老人のゴミ出しを中学生にやらせる地域のことを思い出す。内申点がここでは人質だったか。そんな風にしてやらせるようになるかもしれない。
面倒事について、弱い立場の人間に理論武装をして押し付けては首が回らなければ助けもせずに自己責任と吹いて回るのが、人の常である。
当然、起こる事と考えるべきだ。
さて、ここまで問題提起してきて、解決策を提示しないのは卑怯である。
もちろん、全て解決するスマートな解決策などない。そもそもの人手不足が半端ではない。私が1000万人を出産し、立派な社会人に育てられたら解決するのだが、残念ながらそれはできそうにない。
しかし、時間稼ぎはできると考えている。人口減少によって都市の多くは再編されるだろうから、今から提案するのはそれまでの時間稼ぎである。その後の事はまた社会状況に合わせてやっていけばよい。
まず、町内会のルールである。可能な限り自治会員や参加者への負担の軽い運営を目指す。
そのためのルール作りの手本やいい例・悪い例を示し、これを参考に作成するように国がガイドラインのようなものを作成する。こうして参加ハードルを下げることは必須だろう。
続いて参加の推奨を法に明文化することだ。先ほど懸念した荒療治的であるが、町内会のあり方に首を突っ込めばまだ成立する見込みはある。(法律には明るくない、努力義務と参加推奨では多分強度が違うので、推奨を明文化としたが、恐らく、専門家から見ればめちゃくちゃを言っているだろう。)
そして、3つ目、個人の権利を保証することだ。コンプライアンスという概念を、町内会にも適用すると言えばわかりやすいか。強制などは絶対NGで、そんなことがあれば辞めても生活に支障のないよう、地方自治体が指導するように責を負う。
参加ハードルを下げ、参加を推奨し、個人の権利を保障する形でコンプラと地方自治体による指導に一定の強制力を与える。
問題はある。大ありだ。
町内会自体のこれまでのあり方──自治体の下請けではなく、独立した地域の住民の組織である──に抵触するのが問題だと我ながら思う。役所も権限を与えればその範囲では指導できるが、それ以上は中々難しいので個人の権利の点でも問題だ。
また、ここまで読んでいただいた、特にどうしても地域社会だとか町内会だとか御免だという、筋金入りの人間嫌いの皆さんには、良いことを教えておく。
都会に住め。
地方であるならば、その都道府県で一番人の多い自治体がよい。
母数が多ければやってくれる人間も多くなるからなんだかんだ回る。やっていない仲間も多くなる。
居心地も幾分かはマシだろう。また、努力義務になったとしても、人の取り合いの時代だろうから「負担がない」「若者は活動しなくてOK」を売りにした自治体なんて出てくるかもしれない。




