第4話 無限道路
この星では、遠いものはだいたい遠いままだ。
誰も近づこうとしないし、近づけるとも思っていない。
それでも、道だけはまっすぐに伸びている。
星を一周する星環道というものがある。 終わりが見えないせいで、無限道路と呼ぶ人もいる。
僕の町から星環道の本線までは、内陸の向こう、さらにその向こう。地図では一本の線なのに、実際には丘や乾いた帯が幾重にも折り重なった先にある。
道そのものは見えない。
けれど、天気のいい日には、地平線のさらに向こうに、うっすら白い帯が浮かぶ。
あれは星環道の光だと、みんな言う。
実際に道が見えているわけじゃない。上空に漂う風光粒というものが、どこかの角度で光を返しているだけだ。
それでも、誰も疑わない。見えないほど遠いものが、ここにも届いているのだと、そういうふうに信じる。
朝、ニュースが言っていた。
「第8星環道の補修、完了しました」
アナウンサーは軽い調子で、映像には白灰色の帯が一直線に真っ平らな大地を流れていた。
お花畑生物がささっと補修したらしい。
たいした出来事でもないのに、町の人たちはそれだけで少し安心する。
“どこかで整っている”という報せは、この星でいちばん効き目のある鎮静剤だ。
食卓で娘がパンをかじりながら言う。
「ねえパパ、道ってどこまであるの?」
「星をぐるっと一周してるよ」
「じゃあ帰ってきたら後ろから来るの?」
「そうかもね」
娘は真剣に頷いた。
「じゃあ止まっても大丈夫だね」
この星の子どもは、安心の理屈を覚えるのが早い。
会社に着く。
窓から見えるのは、広い空と、低い雲と、同じ形の屋根ばかりだ。
みんな、あの雲のさらに向こうに星環道があることを知っている。
見えはしないけれど、頭の中では誰もがその白い帯を思い浮かべている。
僕もときどき想像する。
もしこの窓の外に、あの道が延びていたら――。
水平線の上に、白い筋が一つ浮かんで、そこをドリフターがゆっくり走っていく。
家一軒分の大きさの車が、雲の薄い層を横切っていく光景。
現実には見えなくても、そういう風に見える気がする瞬間がある。
ああやって出かける人たちがいる。星環道の本線を目指し、反対側の海辺を夢見て、人生をかけて進む。
生きているうちに裏側まで辿り着いた人を、僕はまだ知らない。
帰ってくる人は、わりといる。出かけて、風の長さを測って、なんとなく気が変わる。
それでも、その人は心の中で一度、星環道を走りきっている。
行けるという事実だけで、何かが満たされるのだろう。
昼休み、同僚の川口が言った。
「ニュース見た? 補修のせいで物流が少し早くなるらしい」
「“少し”って、どれくらい?」
「〇・〇一パーセントだってさ」
「それ、実感できるの?」
「しないけど、気分がいいじゃないか」
「そもそも、大都市のあたりでしか物流に使われてないけどな」
僕は笑ってうなずく。
なぜか道はあるのに、ほとんど使われていない。
まるで飾りのような存在だ。まれにドリフターが通るくらいで、あとは風だけが往来している。
この星では、体感よりも“安心感”の方が速度を持っている。
町役場から一斉メールが届いた。
《町外れ道路の点検協力者を募集します(支線)》
ああ、あの白い道の“入口”だ。
仕事の帰りに寄ってみようと思う。
海沿いの遊歩道を抜け、防砂林の切れ目で風が強まる。
舗装の色がそこだけ白く変わり、表面に微細な粒が光っていた。
風光粒が混ざった新しい舗装だ。昼の光を吸い、呼吸するみたいに小さく吐き出し、また吸う。
その支線は、町の端と内陸とを結んでいる。
歩く人は少ない。どこへ行くわけでもないからだ。
それでも道はきれいに整備されている。
ベンチに腰かけた老人が、眩しそうに目を細めていた。
「今日も白いね」
「ええ。上のほうが光ってます」
「本線は見えんが、光は届く」
「道そのものは遠すぎますからね」
「遠いから、いいんだよ」
老人は笑って、帽子のつばを押さえた。
「終わりが見えたら、誰も歩かなくなる」
風がひときわ強くなった。
白い舗装がかすかに波打ち、光の粒が舞い上がっては落ちる。
上空の薄雲がゆっくりと折り畳まれ、海と陸と空の境界がほどけていく。
世界が一枚の布のように平らになり、布目だけが風の方向を示す。
この星では、風と光とお花畑生物が、だいたい同じ速度で動く。
支線の端には簡単な掲示板があり、紙が一枚、風に揺れていた。
《支線点検チェックリスト:ひび無し/沈下無し/風向・風力/夜間の発光》
僕はボールペンで丸をつけ、日付と時間を書き添える。
潮の匂いが少しだけ残っていた。
記録というより、忘れないためのメモに近い。
遠くの空に、もう一筋の白い影が現れ、また消えた。
たぶん別のドリフターだ。
内陸の白い帯を目印に、風に従って高度を変え、少しずつ進む。
ああいう人たちは、どこまで行くのか誰も知らない。
家に戻ると、娘は窓の外を見ていた。
「パパ、きょうは白いの、二つだった」
「二つ?」
「うん、さっきは一本で、あとでちょっと上にもう一本」
「道の光だね。上の風がよかったんだろう」
「道って終わるの?」
「どうだろう。見た人はいないな」
「じゃあ、まだ続いてるんだね」
「そうだね。たぶん、止まってても進んでる」
娘は安心したように目を細め、ペンで紙に丸を描いた。
丸の真ん中に小さく“うち”と書き、外側にいくつも“風の丸”を描き足していく。
世界は、丸を重ねるほど落ち着いて見える。
机に向かい、今日のメモを開く。
「支線・町外れ区間:良好。ひび無し。沈下無し。端、未確認。」
少し考えて、もう一行足した。
「風、穏やか。光、静穏。海の匂い、薄い。」
窓の外では、白い帯がさらに薄くなり、やがて夜に溶けた。
潮の匂いは遠のき、風だけが屋根の上を通り抜ける。
僕が今日見たのは、ほんの小さな区間だけだ。
それでも、どこかで続いていることを知っていれば十分だ。
止まっていても、道は続いている。
誰も使わなくても、道は消えない。
この星では、それがいちばん安心できることらしい。
(´・ω・) はかどらないナァ。毎日書ける人はすごいね。




