王子様とお昼ごはんを食べます。
彼は眉をひそめて、そっと私から視線を外す。
教室全体が一瞬、時間ごと凍りついたみたいに静まりかえった。
──ゴーン。
鈍く重たい鐘の音みたいなチャイムが、教室の空気を断ち切った。
張りつめた空気のまま、アストリスが椅子を引いて、誰よりも早く扉へと歩き出す。その背中が、やけに遠く感じた。
思わず追いかけそうになった瞬間、彼がふいに振り返る。
アストリスはまっすぐ私を見て、笑顔で言った。
「──ソリオに伝えといてくれない? "知ったかぶって余計な気回すな"って」
その声には、感謝でも怒りでもなく、どこか棘のある皮肉がにじんでいた。
扉がパタンと閉まると、張りつめていた空気が一気にほどける。
担任がハッとしたように声をあげる。
「はい、出る前に、配られたチケットもらってね」と現実に引き戻し、クラスメイトたちがざわざわと日常に戻っていく。
「……お礼くらい言えばいいのに」
シリウスが、小さくぼそっと呟いた。
私は苦笑いしながら肩をすくめる。
「……そもそも余計なお世話だったんだよ。アストリスは最初から、誰とも馴れ合うつもりなんてないもん」
「言われてみればそうだね。レクリエーションの時も、真っ先にルナフィア連れて離れてたし。じゃあなんで気にかけるの?」
「あの子は、寂しがり屋で、傷つきやすい子だから……」
口から出た言葉に、自分でも一瞬、はっとする。シリウスとレオがぽかんとこっちを見ていた。
「ご、ごめん。──私、A組に行ってくる。ソリオに用事あるから」
二人が何か言う前に、私は教室を飛び出した。
(本当に、知ったような口をきいて、何やってるんだ、私)
私は、彼が何を抱えているか、“設定”や“イベント”なら全部知っている。
でも、それはあくまでゲームの中の彼。
本当の彼の痛みも、思いも、分かったつもりになっているだけだ。
アストリスから相談されたわけでも、頼まれたわけでもない。
なのに、知っているフリをして、勝手に寄り添った気になっている自分が、少し情けなく思えた。
(そうだ。私は、ただ「知っている」だけだ)
──カンニングみたいに。
──攻略本をこっそり覗き見てるみたいに。
──『理不尽だよね。あんたって、ゲームの中じゃ悪役令嬢らしいよ』
──『普通に生きてるだけなのに、攻略対象だの、悪役だの……きもちわるい。ほんと』
そんなふうに思ってるアストリスの心の奥を、私は勝手に暴いて、勝手に理解した気になってる。
誰も傷つけてないし、罪悪感を持つ必要なんてない……とは思う。
知ってるものは知ってるし、今更忘れることも、知らなかったフリもできない。
やってることも、きっと間違いってわけじゃない──理屈では分かってる。
だけど、彼を「キャラクター」として扱ってしまった気がして、ほんの少し胸がチクリと痛んだ。
(ソリオも、こんな気持ちなのかな……)
「──わっ、ご、ごめんなさい!」
ぼんやりしながら教室を出ようとして、誰かの胸にぶつかった。
私はあわてて顔を上げる。
「……ルナフィア?」
「──フィン」
ぶつかった相手は、フィンだった。
***
「ルナフィアも、サンドイッチ食べる?」
フィンが柔らかく微笑みながら、私の前にそっと腰を下ろした。その優しい笑顔に、胸がふわりと波立つ。
どう返せばいいのか分からず戸惑っていると、フィンはさらりとサンドイッチを手に取り、私の口元へと差し出す。
「ほら、あーんして?」
茶化すような声音。
でも、その目はまっすぐ私を見ている。そんなふうに見つめられると、心臓が妙にうるさい。
「え、ちょ、フィン……」
抗議しかけた瞬間、フィンは小さく笑って、ためらいなくサンドイッチを私の唇に押しあててきた。 ふいに近づく距離。ぱくりと口に入ってしまい、思わず頬が熱くなる。
「……もう、フィン。行儀悪いよ……からかわないで」
「だって、ルナフィアの困った顔、面白くて」
フィンがいたずらっぽく微笑む。その顔を見ると、怒る気持ちなんてどこかに飛んでいってしまった。
「……本当に、ずるいんだから」
そんな私のつぶやきに、フィンはますます嬉しそうに笑った。
彼はわざわざB組まで来てくれたらしい。
それで、「一緒にお昼食べたいな」なんて真正面から言われて、断れる人なんているんだろうか。
だけど……。
「あの、フィン。……ステラはいいの?」
「ステラ……ええと、"ステラ・アステリカ"さん? どうして彼女の名前が?」
彼から飛び出た名称が家名のほうで、少しドキッとした。
ゲームの中ではこの時点で「ステラ」と呼んでいたけれど、関係性はあまり進んでないのだろうか。
(まさか私のせいだったりしないよね……?)
フィンは私の視線に首を傾げながらも、話を続ける。
「よく分かったね。実は誘われたよ。"お昼、一緒にどうか"って」
「こ、断っちゃったの?」
「うん。あまり誰かと食べること、普段はないから。王家の人間だし、いろいろ気をつけないといけないもの」
「……え、でも私とは?」
「ん? どうして? いつもルナフィアとお茶会してるじゃないか」
フィンは口元を手で隠して、子どもみたいにクスクスと笑う。その仕草すらも、不思議と上品で絵になる。
(やっぱり、どこを切り取っても“王子様”なんだよなぁ……)




