おはようございます。
ルクサリア学園の入学式。
一年生たちは講堂に集められ、これから始まる学園生活についての説明を受ける。
広々とした講堂には、段差のある半円形の座席がずらりと並んでいる。
座席はクラスごとにまとまっていて、私は1年B組の列へと案内された。どうやら、同じクラス内であれば好きな場所に座っていいらしい。
正面には魔導板と呼ばれる巨大な板が設置されていて、記憶魔法で鮮明な映像が映し出されている。まるで映画館のスクリーンみたいだった。
天井は高く、中央には大きなシャンデリアが吊り下げられ、その中に埋め込まれた魔石がやわらかな光を放っている。
講堂にはすでに多くの生徒が集まっていた。
最前列で教科書を開いて真剣に読み込む子もいれば、中段で友達と談笑している子、最上段で椅子にふんぞり返っている子もいる。
新しい生活を前にして、緊張と余裕が入り混じった空気が漂っている。
その中に──彼の姿があった。
「……ソリオ」
思わず、名前が口をついて出る。
A組の列に並ぶ席の中ほど。ソリオは頬杖をついてぼんやり前を見ていたが、私の視線に気づくと、ぴんと背筋を伸ばした。
──けれど次の瞬間、彼の視線が私の背後へとすっと逸れる。わずかに眉が動いたのが見えた。
「ねえ、ルナフィア。隣の席座らない?」
後方からふわりと声をかけてきたのはアストリスだった。
彼は私の頭の上に、ひょいと顎をのせる。思わず肩が跳ねた。
「席は後ろのほうがいいよ。……前は文字がでかいけど、上向いてると首疲れるし」
「ええと……ごめん。もう約束してるの」
「……?」
アストリスは私の顔を見てから、私の視線の先をなぞるようにそちらを見やった。それから納得したように言った。
「ああ。じゃあ、しょうがないね。──ソリオも"シスコン"だなあ。ステラと同じ」
彼は軽く笑って、ひらひらと手を振る。
「……一緒に座ってもいいか聞こうか?」
「遠慮しとく。俺、魔力吸っちゃうし」
アストリスは一つあくびをして、後ろの方の席に歩いていった。
彼が座った瞬間、周囲の生徒たちがさりげなく距離を取ったのが見えた。
けれど本人はまるで気にした様子もなく、頬杖をついて上から景色を眺めている。
私の所属するのは、1年B組。
1年A組には、リリィとステラ──それに、ソリオとフィンがいる。
同じB組なのは、シリウス、レオ、そしてアストリスだ。
(アストリスはゲームの中だとステラにべったりだったから、他の攻略対象の入り込む余地をつくるために、クラスを分けられたのかもしれない)
私は席を立ち、ソリオのほうへとそっと歩み寄る。
すると彼は、B組側の列に座っていた──その隣の人物に、ふと声をかけた。
「シリウス。席取りはもういい。折角だからアストリスのそばにでも」
「は。ちなみにですが、その命令に"締めてこい"という意図は含まれていますか?」
「はぁ……あるわけないだろ。妙な忖度をするな。ほら、魔力回復薬持ってけ」
「は」
ソリオの隣にいたのは、いつものように無表情のシリウスだった。
すれ違いざまに「おはよう」と声をかけると、彼はわずかに会釈して去っていく。
その背を、ソリオはちらりとも見ず、代わりに私へと顔を向けた。
「──アストリスにも懐かれちゃったみたいですね?」
ソリオは微笑んでいるけれど、その声には微かな棘が含まれていた。
ふとシリウスの向かった方を目で追うと、後方の席に座っていたアストリスが驚いたような顔で彼を見つめ返している。
二人は何かを囁き合っているようだったが、その会話はざわめきに紛れて聞き取れなかった。
視線を講堂の前方へ移すと、新入生代表の挨拶を任されているフィンが教師たちに混じって静かに座っていた。
そのさらに向こう側には、リリィとステラの姿も見える。二人は何か小声で話しているのか、時折微笑みを交わしていた。
私はゆっくりとソリオの言葉に答える。
「懐かれたっていうより……ただ他に知り合いいないだけじゃないかな」
「へえ」
ソリオはにっこりと微笑んだ。けれど、その目は笑っていない。
「……アストリス、今日は随分と機嫌がいいですね? 肌の艶もいいし……珍しく何かを食べていない」
「……」
「おかしいなあ、まるで、誰かから魔力をもらったみたいだ」
痛いところを突かれ、苦笑いを浮べる。
「魔法を使わなくても、お見通しなのね」
「こういう魔法を持っていますから。ある程度は読めますよ。経験則で、“何があったか”くらいはね」
ソリオは視線だけを私に向け、ふと呟いた。
「──姉さま。……自覚、あります?」
「……あそこまでパーソナルスペースが狭い人だと思わなかったの」
「どうでしょう。本編でも、ステラにべったりでしたけど?」
「ステラとは幼なじみだから特別かと思って……他の人には全然近づいてなかったし」
気まずさをごまかすように、小さくもにょもにょと口を動かす。
ソリオはわざとらしく「はぁ」とため息をついてから、私を安心させたいかのように表情を緩めた。
「どうして姉さまが困った顔してるんですか? 拗ねてるだけです。姉さまの交友関係に、僕が口を出す権利なんてありませんし。……それに、フィンに何か言うつもりもないですよ?」
「それは……信じてる。……だけど、その、愉快ではないでしょう?」
「まあ、嬉しくはありませんけど。けれど、それはあなたを好きになった僕の"わがまま"ですから」
いつも通りの声色。だけど、ズルいくらいにまっすぐな言葉だった。
「すぐ、そういうこと言う……」
「言わなきゃ伝わらないでしょう? "一時の気の迷いかも"って、まだ思ってるでしょう?
──安心してください。姉さまの同意なしに、何かするつもりはありません。ただ……“好き”ってことは、ちゃんと伝えたいんです」
「……」
顔が、じわじわと熱くなっていく。
どうしてこの子は、こう、恥ずかしげもなく……。
「だけど……まあ、真剣に捉えてくれるのは嬉しいですよ。はい。日課ですから」
クスクス笑いながら、ソリオはそっと私の手を握る。
……いつものことのはずなのに、最近はやたらと緊張する。
「ステラと、そんな話をしていたんですね。……いい傾向です」
「ちょっ、心読まないでよ……! そういうの、苦手だったんじゃないの?」
「ええ。嫌がる人の心を覗くのは、好きじゃない。……でも、逃げないでいてくれるのが愛おしいんです」
囁くように言われたその言葉に、心臓が跳ねた。
そして、その直後──
「……僕って、これから振られるんですか?」
小さく、でも確かに、耳元でささやかれた。
思わず、握られた手を引きそうになってしまう。
けれど、ソリオはその手を、そっと、だけど逃がさないように握り返す。
深い海のように澄んだターコイズブルーの瞳が、私を真っ直ぐに捉えていた。
私はその視線から目を逸らすことができなかった。
「言いにくいなら、口に出して言わなくていいですよ。こうして伝わっていますし」
そのまま、絡めた指をゆっくりと擦り合わせる。
いたずらっぽく、けれどどこか寂しげに。
──そのとき、ざわついていた講堂がすっと静まり返った。
「それでは、これよりルクサリア学園の入学式を執り行います。新入生の皆さん、ご起立ください」
教壇に立った教師のはっきりした声が、講堂いっぱいに響いた。
ざわざわと衣擦れの音が広がり、周りの新入生たちが緊張した表情で立ち上がっていく。
私はそれに習うように、慌てて立ち上がった。
机で隠れてはいるけれど、手は繋いだままだった。
隣で穏やかに微笑むソリオの横顔に意識を奪われてしまい、教師が続ける挨拶の言葉はまるで耳に入らなかった。
教師の言葉が一旦終わり、彼の『言いたいこと』が繋いだ手を通して伝わってくる。
『……じゃあ、振られたことにします。今日から僕たちは“普通の姉弟”です。以前通りに接するので、姉さまもそうしてくださいね?』
(この距離感って、"普通の姉弟"かな……?)
『変ですね。"いつも通り"ですよね?』
クスクスと笑うソリオに、何も言い返せなかった。
どうしてこの子は、こんなに上手なんだろう。
(……私、あなたの気持ちに応えられないよ?)
『ええ。期待なんてしてませんから。──だから、距離だけは取らないでください』
(……わかった)
本当にこれでいいのだろうか。
なんだか、ソリオにうまく丸め込まれてしまったような気がした。
そうは思いつつ、それでも彼の手を離したくない自分がいる。
(言葉に出さずに、察してもらって。遠慮してもらって)
(ズルいなあ、私)
ほんの少しの自己嫌悪。
それも全て察したかのように、彼は少し困った顔で笑う。
そして、ゆっくりと私の手を離した。




