噛まれました。
「あ、アストリス……、も、もういいわ……。あ、ありがとう……! 証明してくれて……リリィ、わかったでしょう……?」
「え、ええ……! ふふふ……もう十分ですわ……!」
頬を紅潮させてうっとりと微笑むリリィ。彼女はどこか遠い目をしていた。
けれど、アストリスは悪戯っぽく私の耳元でささやく。
「何、降りたいの? 抱けって言ったのあんたらじゃん……。しばらくこのままでいるけど?」
声は低くて、少し刺々しい。眠りを妨げられたからか、少し不機嫌だ。
「やっぱ、生身、いい。ぬいぐるみとは全然。あったかいし、重みがあって……」
「ちょ、ちょっと、アストリス……ちか……!」
「ルナフィア、いい匂いする。柔軟剤? フルーツと、花? ……美味しそう」
鼓膜が震える。脳が、ぼうっとする。
体の力が抜けていく。
彼の腕に委ねるように、重心が自然と傾いてしまう。
気がつけば、全身が彼に預けられていた。
(……まずい。なにこれ。なんで、こんな……)
変だ。おかしい。
頭がふわふわする。甘くて、危なげで、
まるで、何かに酔わされているような──。
「キャーッ……! ああ、絵になりますわっ!!」
乙女心爆発中のリリィが、口元に手を当てて感動している。
アストリスはすこし面倒そうに、淡々と言った。
「良かったね。……じゃあ俺、寝るね」
「……え、ちょ、ちょっと! ここで!?」
彼の肩が重たくのしかかる。
呼吸が、すぅ……すぅ……と規則正しくなっていく。
(ほ、本当に寝た!?)
「……ルナフィアさん、たぶん……こいつ、飯食わせれば帰ると思うから。ごめん。購買でなんか行ってくるね」
ステラが立ち上がり、ドアのほうへ向かう。
「待ってくださいませ! わたくしも一緒に参りますわっ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!? 私を置いてくの!?」
振り返ったステラは明らかに困惑していたが、リリィがぐいぐいとその背中を押す。
そして、リリィはにこりと笑って、扉を閉めた。
───パタン。
肩の上で、彼の体温だけが、じんわりと残っている。
その場に残されたのは、私とアストリス、ふたりきり。
「あ、アストリス……。ねえ、ベッドで寝たら?」
返事はない。
「……ねえ、お腹の腕……強いんだけど。ちょっと、外せないんだけど……?」
それでも、アストリスはぴくりとも動かず――
低く、ぼそりとつぶやいた。
「……魔力……」
「え?」
私は聞き返す。
すると、彼はぽつぽつと、夢の途中のような声で言葉を紡いだ。
「……俺の、"常時発動魔法"。あれのせいで……いつも魔力、枯渇してる。ずっと、腹ぺこでさ」
「あ……。"これで終わり"と"喰い尽くし"……」
「ん。……本当はめんどくさいから適当に言うこと聞いてちょっと吸わせてもらおうと思ってただけなんだけど……楽〜」
アストリスの声は、いつもよりだいぶリラックスしているように思えた。
アストリスの体質──何もしなくても、勝手に発動してしまう魔法。『常時発動魔法』。
(そうか、魔法の効果で魔力を吸われているから、だからこんなに力が抜けるんだ……)
原作ゲーム───『100日間と聖女のキス』では度々この魔法は『祝福と呪いの体質』と表記される。
アストリスの体質は、特に呪いとしての側面が多い。
"これで終わり"のせいで、1度でも魔法を使ったらその時点で全ての魔力が消費されるから、実技では落ちこぼれ。
"喰い尽くし"のせいで、魔力の少ない人間に近づけば、その相手の体調不良を引き起こしてしまい、死神扱い。
彼は常に『魔力』に飢えていて、───『バッドエンド』の中でルナフィアを食い殺してしまう理由だって、無意識に魔力を補うためだ。
……ずるい。
そんなことを言われたら、もう──引き剥がせなくなるじゃない。
「……いいよ。私、魔力量多いみたいだし」
「ん。おっきかったもんね、あんたの魔石」
「じゃあ……せめて、抱きしめるのやめてくれない? 逃げないから」
「やだ。……近くにいるだけでも効果あるけど、くっついてたほうが、効率いい。……しばらく、このままでいたい」
拒絶できなかった。
彼の息は穏やかで、さっきみたいに不機嫌じゃなくて。
ああ、多分、さっきはお腹が空いていたんだろうな、ということをなんとなく察した。
膝の上に座っている私の背中に、静かな安心が伝わってきていた。
……しばらく、沈黙が続いたあと、彼がまたぽつりと呟く。
「……ルナフィア、この世界って、ゲームなんだって。図書館にあるみたいな、子どもが遊ぶのゲームブックと同じなのかな」
「……うん。知ってるわ」
「理不尽だよね。あんたって、ゲームの中じゃ悪役令嬢らしいよ」
「そうらしいわね」
「普通に生きてるだけなのに、攻略対象だの、悪役だの……きもちわるい。ほんと」
罪悪感で、胸が傷んだ。私は、この人の気持ちを本当の意味で理解できない。
理解できないけど、それでも頷いた。
(……騙してるなぁ)
しばらく何も返せずにいると、再び彼の寝息が聞こえてきた。私は小さく魔法を唱える。
「───"贈り物"」
魔力を分け与える呪文。私の瞳と同じ翡翠色の魔法陣が、柔らかく光った。
自己満足かもしれないけど、これで少しでも彼が楽になると嬉しい。
「……はむ」
「っひ!?」
首筋に、何かが当たった。
かたい感触。温かい。ほんの少しだけ、痛い。
──彼の、歯だった。
甘噛み。……けれど、しっかり噛まれた。
「ちょっ……ちょ、アストリスさん……? え? ちょっと……!」
がっちりと回された腕は、離れない。
すやすやと規則正しい寝息が聞こえる。
「……す、ステラ……リリィ……お願い、助けて……。置いてかないでぇ……」
***




