国のことを聞かれても困ります。
困った様子で私と王子を見比べているソリオの顔を見ていると、じくじくと胸が痛む。
フィンは少し笑ってから、立ち上がる。
「ねえ、ルナフィア。ヴェルノク王国に対する対応、君ならどうする? 伝染病かもしれない民たちを受け入れるかどうかの話だよ」
「……え」
突然もう一度ぶり返された話題に驚く。フィンは興味深そうにこちらを見つめている。
私は胸に手を当て、それから慎重に言葉を選ぶ。
「……私なら……その、……検査や隔離の条件つきならいいんじゃないかって」
「へえ? どうして?」
「その、外交を突然切るのはよくないと思います。向こうとの関係が悪くなるから……。だから、国境を制限しつつ、こちらから医療チームを派遣するんです。魔法を使えない医療チームを」
「ほう。……なるほど」
「それなら、きっと、ルクサリア王国とヴェルノク王国の関係は悪くならないんじゃないかって思います。……どっちつかずの理想論でしょうか?」
フィンは「ふむ」と逡巡してから、紅茶を飲む。
「驚いた。前半は僕と全くの同意権だ。ただ、両親に反対されていてね。魔法を使えない医療チームを派遣するというアイデアは僕にはなかったな。ルクサリアは魔法大国だから……もしかしたら、これで両親を説得できるかもしれない……」
「も、もちろん、きちんと外交されているフィン王子の決断が最も正しいと思います……。私は外の国についてあまり詳しくないので……」
「……はは。いや、本当に人が変わったみたいだ。──熱でもある?」
王子は柔らかく微笑みながら、ゆっくりと手を伸ばす。
まるで頬に触れる寸前の、蝶の羽ばたきのような優しさで──私は咄嗟に身じろぎもできなかった。
──その瞬間。
彼の手が私に届く直前、別の手がすっと割り込んだ。
「っ……ソリオ……?」
ソリオの手が、王子の手首を掴んでいた。
その動きは優雅で、同時に一切の躊躇がなかった。
冷えた銀のような視線が、フィン王子の指先を見つめる。
「……────フィン王子。手袋はどこへ?」
低く、凍るような声。
空気が張り詰めたように、辺りの音が消えた気がした。
王子はほんの一拍、目を細めた。
そして、肩を竦めるようにして手を引く。
「────驚いた。以前の君なら黙って見過ごしてくれたと思うんだけど」
冗談めいた口調。しかしその目は笑っていなかった。
いつの間にか落ちていた手袋を拾い上げながら、フィンは微笑む──それはまるで、何もなかったかのように。
(……今の……まさか……)
心の奥で、警鐘が鳴る。
(そうだ、接続──! い、今、心を読もうとした……!?)
フィンが私の額に触れようとしたあの瞬間。
"接続"といえば『ソリオのルート』のイメージが強い──。フィンは普段白い手袋を付けている。素直なフィンは主人公に対して魔法は使うことは一切ない。
……ただ、彼のルートでは、フィンが敵かもしれない人物に対して接続が使うシーンがあった。
彼は笑顔で私の心を読もうとしたんだ。
「フィン王子……婚前の婚約者の心を暴こうとするなんて、流石に失礼ではありませんか?」
「そう怒らないでくれよ。婚約者としての定めさ。あまりにも人が違うからね……。もしかして成り代わりや、影武者なんじゃないかってね」
「……まさか。……僕のことも疑ってます?」
「まあ君は、彼女に冷遇されてたからな……。"君が主犯の可能性はない"とは言わないよ。ふふ……」
「……」
ソリオはじっと王子を見つめた後、こちらに視線をやった。その視線には、疑いの感情が孕んでいる気がする。
心臓が、ドクンと跳ねた。
冷や汗が、背筋を一筋つたって落ちていく。
それは、まさしく図星だった。
名前も姿も同じだけれど──中身は、別人。
……私の存在は、限りなく成り代わりに近い。
フィンは、その透き通るような蒼い瞳で、じっと私を見つめた。
澄んだ水面のような瞳。だけどその奥に、底の見えない何かが揺らいでいる。
にこりと笑ったその顔は、美しいのに、なぜかひどく恐ろしかった。
鼓動が早まる。もちろん、これは、恋じゃない。
──恐怖だ。
「……まあでも、だとしても──」
彼はそっと顔を傾け、さらりと髪を揺らした。
「僕は今のルナフィアのほうが好きかな。面白いし」
「え……」
「……いやあ、君のように言ってくれる人がいて嬉しいよ。僕一人では、こういう発想はなかなか通せないから」
返事が出ない。出せない。
混乱と、警戒と、不気味な安心感がないまぜになる。
けれど、彼はそれ以上何も言わず、椅子からすっと立ち上がった。
「意地悪しすぎちゃったね。それじゃあ、そろそろ失礼しようかな」
晴れやかな笑顔とともに、何事もなかったように頭を下げる。
私は慌てて立ち上がり、ぎこちない仕草で王子を見送った。
背筋に残るのは、紅茶の香りではなく──冷たい風が吹き抜けたような、妙な空気だけだった。
王子の背中が扉の向こうに消えた──その瞬間だった。
私の腕を、誰かの手がぐい、と無遠慮に掴んだ。
骨が軋むほどの力。
振り返ると、そこには冷えきった目をしたソリオが立っていた。
「……ソリオ?」
その瞳は、どこか見覚えがあるようで、でも、まるで別人のように感じられた。
そして彼は、ひとつ息を吐いたあと──
「──答えろ。本物のルナフィアお嬢様は、どこだ?」
世界が一瞬、止まった。
「……え?」
◆
拝啓。私の愛しの弟、星夜へ。
そっちは元気にやっていますか?
……私は絶賛、また殺されそうになっています。