■一方その頃……というお話です。
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「……疲れた……」
──教会の扉を押し開けると、青年はあくびを噛み殺しながら空を仰ぐ。
腰まで届く水色の髪は、まるで薄く透けた氷のように淡く輝き、風に揺れるたび、光の筋を描いて舞い上がる。鋭く整った輪郭と、長い睫毛に縁取られた赤い瞳。
男は、教会を出てすぐの屋台に声をかけた。お腹が空いていた。
何でもいいから、今すぐに食べたくて、屋台の内容も確認せずに注文した。
「3個入り、ひとつ」
「お、まい──あ、ああ」
店主が顔を見てすぐに態度を変えるのを見たが、男にはそんなことどうでも良かった。
男は屋台の上にそっと銅貨をいくつか置いた。
渡されたのは燻製肉とドラゴンベリーのサンドイッチだった。
男は、少しだけ愛おしそうに、じっとそれを見つめた。
一口かじると、燻製肉の味がしっかり広がる。
肉は硬すぎず、ジューシーで、口の中で広がっていく。
その後に、ドラゴンベリーの甘酸っぱさがふわっと広がり、酸味が肉の濃い味を引き締めていた。
パンはふわふわで、特別目立たないけどバランスよくまとまっていて、飽きずに食べることができた。
すれ違う人々が一瞬、男から視線を逸らす。
神託を受けたその顔には、敬意は感じられない。男は、すでに慣れっこだ。
その後ろから、ひとりの女が小走りで追いついてくる。
「もうっ、待ってよ、アストリス〜っ!」
女はわざとらしい甘えた声を出し、男──アストリスの腕を取った。
「ルビナ様のお言葉、とっても良かったわね……」
感慨深げに目を閉じ、まるで恋人のようにその腕に寄り添う。
「──私たち、これから魔法学園に行って、一緒に幸せになるのよ」
それは、まさに乙女ゲーム──"100日間と聖女のキス"のオープニングシーンだった。
町の教会には、五年に一回、王国から神託が使える魔法使いが派遣される。
そして、女神ルビナからの神託を受けた二人は、魔法学園に入学することになる。
ゲームの中のアストリスは、ステラの言葉に微笑み、こう答える。
「──俺が必ず、君を守るよ」、と。
しかし、現実のアストリスは面倒そうに彼女を見下ろし、ぼそりと一言。
「……ステラ、きもちわるい」
その冷たさに、女──ステラは一瞬きょとんとした。
が、すぐにその表情から仮面のような甘さが抜け落ち、機械のように呟いた。
「……。教会に来たシーンは、これが一番好感度の上がる選択肢のはずなんだけど」
「あがってないんじゃないかな」
「──設定」
彼女の瞳の瞳孔に、綿菓子のような淡いピンク色の魔法陣が展開される。ステラはもぐもぐとサンドイッチを食べているアストリスの顔を──正確には頭の上の数字を見た。
それからため息をついて、つまらなそうに言った。
「……4%」
ステラの瞳に淡く浮かんだ魔法陣が、まるで相手の感情を吸い上げているように揺らめく。
「もっと可愛い声の方がいいかな」
「やめてよ。魔力の無駄遣いだ」
「えぇ、どうしてぇ? アストリス、ステラのこと嫌い?」
きゅるんと潤んだ瞳で見上げる少女に、アストリスは何も言わずに、ただ眉をひそめる。
少女は、まるで“乙女ゲームの表紙を飾る主人公”そのものだった。
光を含んだやわらかな栗色の髪は、肩先でふんわり揺れるウェーブ。風にそよぐたび、意識せずとも視線を引き寄せてしまう。頭には、その可憐さを象徴するような花飾りがついている。
その瞳は、ほんのりと甘い苺ミルクのようなピンク色。潤んだようなまなざしで見上げられれば、どんなに冷たい男でも一瞬、言葉に詰まるだろう。
白のブラウスにチェック柄の桃色リボン、ふわりと広がるフレアスカート。
洗練された文句なしの可愛さ──ただ、歩き方がどこかぎこちないのが玉に瑕だった。
「アストリスったら、つめた〜い……あっ」
ステラが足を止め、地面に落ちていたカードに気づく。
神託の日ということもあり、往来にはたくさんの人の姿が見える。落とし主を探すのは困難だろう。
「──騎士証明だ。間抜けな騎士」
「王国騎士、ロラン・セディック……残念。モブ」
騎士証明は騎士の身分証明書だ。そこには王国の紋章が刻まれており、騎士が落とすのは不敬に値する。
拾ったカードは王家騎士庁に届ければいいものの、騎士は上司から大目玉を食らうだろう。
アストリスは顔も知らぬ騎士を内心憐れんだ。
ステラは拾い上げたカードをじっと見つめ、ふと呟く。
「──設定」
再び、ピンク色の魔法陣が彼女の瞳に浮かび上がる。ステラが視線を向けると、そこには名前が現れる。
──ロラン・セディック。カードに書かれた名前と一致したその名前を見つけ、彼女は軽く微笑んだ。
名前の上には、数字と、ハート型のガラス容器が浮かんでいる。その容器は、空っぽだった。
ステラはその人物に向かって、駆け出した。
それから、その人物へと優しく声を掛ける。
「──騎士様、これ、あなたが落とされたのでは?」
「え? ……あ、本当だ。危なかったな……」
「よかったぁ。私、騎士様って憧れなの。お役に立てて嬉しいですわ♡」
その言葉と共に、ステラはぶりっ子全開の笑顔を見せる。胸元を強調する仕草で、騎士の視線が自然と彼女に引き寄せられる。騎士はつい、少女の胸元を見ながら頬を緩ませる。
ステラは、彼の頭上に浮かぶ容器にぽたぽたとピンク色の液体が溜まるのを見て、そっと笑みを浮かべた。
「本当に助かったよ。お礼にお食事でも──」
その瞬間、アストリスがステラの腕を引っ張った。
騎士は一瞬む、としてアストリスを睨みつけて──その顔を視界に入れ、驚いたように小さく呟いた。
「──死神の──」
アストリスの赤い瞳を覗き、まるで不吉なものでも見たかのように騎士は眉をひそめる。
アストリスは気だるげな表情で、食べかけのサンドイッチをもう一口かじる。
騎士は「あ、ありがとうね、お嬢さん。失礼」と慌てたようにその場から去っていってしまった。
まるで、関わりたくないとでも言うように。
ステラはそんなやり取りなど意に介さないように、騎士の頭の上の数字を見ては、アストリスに耳打ちした。
「好感度、0から52まで急上昇。……やっぱり、ステラって可愛いんだ」
「詰め物だらけの胸なんか見て、興奮するやつもいるんだね」
「まあ、酷いわ! アストリスったらレディに向かって失礼よ!」
「その喋り方、ほんと不愉快……」
「えーー」
アストリスは大きくため息をついた。
(ステラに聖女としてのお告げが降り、俺は騎士としてその神託を受けた。
だから、俺たちはルクサリア魔法学園に入学することになる──)
(──予定通り、すべてが進んでいる)
アストリスはふと、呟いた。
「ゲーム、本編がもうすぐ始まるな」
その言葉とともに、少しだけ表情が緩んだ。
「──『姉さん』に、会えるといいな」
ステラがその言葉に反応して、わずかに体を震わせたのが見えた。
その後、ステラからぎろりと睨まれても、興味なさげにアストリスは沈む夕日を眺めた。
ああ、もうすぐ、今日が終わる。
──魔法学園の試験日まで、あと少し。
アストリスは残りのサンドイッチを大きく口に放り込み、満足げにもう一口かじる。まだお腹が空いているのか、屋台の方に視線を向けた。
「……次は、モンスター肉の串焼きでも探そうかな」
ようやく第一部の中盤が終了しました!
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます!
物語もついに大きな転換点を迎え、これからの展開を書くのがますます楽しみになってきました。
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これからも皆様に楽しんでいただけるよう、引き続き頑張りますので、どうぞよろしくお願いします!




