王子とお茶会しました。
大事を取って、その日の家庭教師の授業・お稽古はお休みになった。
そして翌日、私はようやく気づく。ルナフィアの一日は、驚くほど予定が詰まっている。
早朝に起きて、夜までずっとお稽古漬け。
前世でも似たようなスケジュールをこなしていた私ですら、ちょっと憂鬱になりそうな過密っぷりだ。
(ブラック企業の研修すら可愛く見えるレベル……!)
その内容も、礼儀作法や帝王学など──いかにも“王女”になるためのレッスンばかり。
折角なら魔法を学びたいものだが、魔法は危険なものだし、"従者"か"男性"が使えれば充分というのがこの世界の考えである。
食事ですら西洋式の格式ばった食事作法には戸惑ったが、前世でテーブルマナーを叩き込まれていたのは、意外にも役に立った。
(本当、こんなこと学んだところでどこで役に立つんだと思ってたんだけれど)
私は自室で髪を整え、メイクが崩れていないかを念入りにチェックしてから、部屋を出て裏庭へと向かう。
今日は、お茶会──王子との定期的な顔合わせの日だ。
そう。攻略対象とのお茶会。
(この人に、私は婚約破棄されるのよね……)
フィン・ルクサリア。
ルクサリア王国の第一王子。真面目で一途な青年だ。
第一王子にも関わらず、ゲーム内では攻略難易度が低めに設定されている、ちょっと不思議なキャラクターだ。
ルートを外そうとしても、なぜかやたらと好意を向けてくるし、うっかりしてるとすぐフィンルートに突入してしまう。
むしろ、態度の割に攻略難易度が高すぎるフィンの兄と設定を交換したほうがいい──
そんなことを笑いながら言っていた星夜の顔と一緒に、ふと思い出した。
(まあ、でも、相手が攻略難易度が低いってことは、それだけ素直だってことの裏返しだもの。大人しくしていれば、そう簡単に婚約破棄なんかされないはずよ!)
***
「お見舞いが遅れてしまって申し訳ない。ルナフィア、調子はどうだい?」
「ありがとうございます。おかげさまで、もうすっかり」
王子は優雅に微笑みながら椅子へと腰掛ける、まっすぐに私を見つめた。
その眼差しは、やわらかくも芯があり、どこか観察するような光を湛えている。
私は思わず背筋を伸ばし、視線を逸らしそうになるのを堪えた。
このお茶会には、ソリオも同席していた。
と言っても、他に人の姿はない。というのも、王家との私的な会話には、メイドの同席が許されていないからだ。
──王族が飲食を共にする場に多くの者を置かぬのは、会話の機密を守るため。
そして、毒などの混入を防ぐという、古くからの警戒ゆえだという。
その代わりに、"家族"であるソリオが控えていた。
彼は私の隣で、静かに、器用な手つきで紅茶を注いでいる。
ポットの注ぎ口から細い糸のように流れる琥珀色の液体が、ティーカップを満たしていく。
白磁のカップに立ちのぼる香気。ほんのりと甘い薔薇の香りに、思わず肩の力が抜けそうになる。
(あ、このティーカップ、すっごく可愛い……)
現実逃避してはいけない。私は頭の中の自分の頬を気付けに叩く。できるだけボロが出ないように柔和に微笑んだ。
フィン・ルクサリア王子は、まるで陽光が人の姿を取ったかのようだった。
淡い金髪がさらりと揺れ、深い蒼の瞳は湖のように静かで澄んでいる。
微笑むたびに空気が和らぐのに、その奥には触れがたい威厳が潜んでいた。
長い睫毛が影を落とし、整った顔立ちは、まさに物語の王子様そのもの──だけど、私は知っている。
この人は、私を“破滅”へと導く存在なのだ。
「そういえば……。ヴェルノク王国で流行っている伝染病、なかなか収まらないようだね」
「えっ、そうなんですか。それは大変……」
「うん。ルクサリアも入国制限すべきなんじゃないのかって話を前にしただろう? 今の情勢を見た状態で、君の意見を聞かせてほしくて」
ギクリ、と身体が固まる。王子の顔を見ると、雑談のつもりで振ったのだろう。きょとんとした顔をしている。
そんな顔をされても、周りの国の情勢なんて知らない。ゲーム内の情報であればわかるかもしれないが、"現在"は物語が始まる3年前のことだ。
それこそ、雑談であれば適当に返してもいいだろう。
だが、これは"情勢"の話。第一王子はそれらに口出しする権限を持っているのだ。
余計なことを言って、もしそれが間違いだったら……。考えただけでぞっとする。
私が返答に困っていると、ソリオが口を開いた。
「フィン王子。僕は、あまり外の国について詳しくなくて……ヴェルノクではどんな病が流行っているのですか?」
「ああ……そうかい。すまないね。ヴェルノクではやっている病は魔漏症と言ってね、熱が上がって、魔法が暴発してしまう病気なんだ。薬の開発はされているし、2~3日で治るけれど、何分うちは"魔法大国"だろう?」
「それは……困ることになるでしょうね」
恐らくソリオなりの助け舟なのだろう。
ソリオはそっと私の顔を伺う。私はソリオにだけ見えるよう、テーブルの下でぐっと親指を立てた。
ソリオは少し驚いた顔をした後、「ふ」と小さく笑う。
「おや、何か可笑しなことでも? 君が笑うなんて……いや、話してくれるのも珍しいな」
「……ええと、すみません。思い出し笑いです」
「ほう! 君が吹き出すほどの出来事が? それは興味深い。どんな出来事だったのか、聞いてもいいかな?」
フィンが好奇心を滲ませながら身を乗り出してくるのを見て、ソリオはほんの少し困ったように目を伏せ、曖昧な笑みを浮かべた。
今度は私が助ける番だ。
軽く咳払いをしてから、私は話し始めた。
「昨夜、廊下を歩いていたときのことです。誰かとぶつかってしまって……反射的に“失礼”と会釈したんです。けれど、よく見たら──ぶつかったのは飾ってあった鎧でしたの。……それをソリオに見られてしまいました」
「え? ……は! あははは!」
私は渾身の小話(本当にあった昨日の出来事)を王子へと語る。そして、ソリオの方を見ると──ソリオは顔を背けて笑っていた。
「ふふ、ふふふ……それは面白いね……。ルナフィアが……」
「……そこまで面白いですか?」
「ご、ごめんよ。君って普段すっごくしっかりものだから……」
「……ね、姉さまは頭をぶつけてしまいましたから。そのせいもあるのでしょう」
「ああ、そうだった! 頭は平気かい? ルナフィア」
「ご心配いただきありがとうございます。もうすっかり元気ですわ」と返すと、フィンは少し考えるように顎に手を当てる。
「それじゃあ、折角だし、……頭の体操……そうだね。クイズでもしないかい?」
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