女神ルビナに捧げます。
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赤いペンを走らせ、小さく丸をつけていく。
やがて私はすこしだけバツの数を数えて──ほっと顔をほころばせた。バツの数は2つだった。
「84点……! 最高記録だわ!」
かつては机に向かうのも億劫だった私が、ここまで来れた。
少しだけ、胸を張ってもいいかもしれない。
「素晴らしいです、姉さま。最近、合格水準は安定してとることができていますね」
ソリオは微笑みながら、模擬試験用紙に目を落とす。
──筆記試験の合格水準は70点。
だから、模擬試験では安定して80点以上は取った方がいい──そう教えてくれたのはサジだった。
「これは……ほとんどケアレスミスですね。解き方は合っています。計算さえ気をつければ大丈夫そうですね」
「本当? ルナフィアも私も、魔法の知識なんてないもの……ソリオにジル……それから、フィンとサジのおかげだわ!」
「う……そう、ですね……。お礼を……言いませんとね」
ソリオはそう言ってぎこちなく笑う。なんだかあの二人に罪悪感でもあるみたいに。
──あるいは言いたいことでもあるみたいに。
(あの二人と何かあったのかしら……)
「ねえソリオ、ソリオは勉強しなくていいの? 私、邪魔になっていないかしら」
「いえ。テキストは全て解いてしまって……復習にもなっていますので大丈夫ですよ」
ソリオの優しい言葉に、つい甘えてしまいそうになる。
だけど、一応同い年とはいえ、弟に勉強を教えてもらうって、私、お姉さん失格じゃないかしら。
「それで──実技試験の方はどうですか?」
実技魔法──ソリオの得意な属性魔法は記憶と風、土だ。
対して、私の得意な属性魔法は光だけ。
これは別に私の才能がない、という話ではなく──最初は得意属性の魔法から習得していくことで、曰く、ゲームのスキルボードが広がるみたいに、自然と別の系統の魔法を使えるようになるらしい。
それにはかなりの年数が必要なようだが。
だから、実技に関しては、同じく光属性の魔法が得意なジルや、たまにフィンから指導してもらっていた。
「この前、フィンから浄化を習ったわ」
「え、すごい……中級魔法じゃないですか」
少し得意げにそう言うと、ソリオは少年のように目をキラキラと輝かせる。
すっかりゲーム内のソリオと同じ美青年に育ってしまった彼だけど、こういう表情は3年前とほとんど変わらなくて、なんだか安心する。
「ふふ。まあ、だけど──よく分からないのよね。浄化って言うけど、分かりやすく見た目が綺麗になるわけじゃないもの」
「綺麗になるのは洗濯ですからね。水属性の初級魔法。
浄化は……薬草に使うと毒消し草になったりしますが……。まあ、そもそも毒なんて飲むことありませんし────ええと、確認なんですが、サ、誰にも毒なんて飲まされたりしてないですよね?」
「? もちろん。腐っても私令嬢よ……?」
そう答えると、ソリオは心底安心したように息をついた。
(……でも、なんでそんなことを急に確認するのかしら。ちょっと不思議ね)
一瞬そう思ったけれど──まあ、心配性なソリオのことだからと、私は深く考えずに笑ってしまった。
「そうですね……。だったら、……この本に『浄化』をかけていただいて構いませんか?」
「いいけど……どうして?」
そう言ってソリオが自室の本棚から引っ張ってきたのは、いつか見た「ルビナ教の聖書」だった。
「3年ほど前……僕の魔法でルビナ様と交信したのは覚えていますか?」
「ええ」
「……あの時に、『御霊の気に入る供物を用意すれば、何か違うかも』って言ったじゃありませんか。
その呪文を使えば、この本はより清らかな本と成ります。……あのときと同じように、ルビナ様の好きそうなものを用意して、もう一度話しかけるんです」
「え? 本当……? だけど、大丈夫? もうすぐ実技試験だし……確か、神託って相当量の魔力を消費するわよね?」
「……僕だって、三年前よりもずっと成長していますから」
ソリオはそう言って大人っぽい笑みを浮かべる。
その表情があまりにも蠱惑的で、私はなんだか少しドキッとしてしまった。
「ええ、そうね。──お願いできる?」
「! ……ええ」
私はソリオの手をぎゅっと握った。この全身全霊の感謝が、彼に伝わるようにと。
- - -
「──浄化」
呟くと、魔力が身体の中に溢れ出し、まるで冷たい水が一気に流れ込んでくるような感覚が広がった。その冷たさは、瞬時に全身を貫き、次第に温かな熱に変わる。
まるで身体の中で太陽が目を覚ましたかのように、熱が内側からじわじわと広がっていく。
最初はそれが少し心地よいと感じたが、すぐに強くなり、次第に圧力のように感じ始めた。
指先がしびれ、肌の表面まで魔力が流れ込むのがわかる。
全身の血が熱を帯び、筋肉が引き締まる感覚だ。
その時、翡翠色の魔法陣が空間に現れ、まるで生き物のように供物たちを包み込む。
魔力の流れに合わせて、魔法陣が微かに揺れ、輝きが一層強くなる。その美しさに、思わず息を呑んで見つめてしまった。
「ほう」とソリオが息を吐いた。彼の声は、どこか感心しているようだった。気恥ずかしさから頬が熱くなるのを感じる。
「な、何が変わったか全くわからないわ……」
「まあ、見た目は何も変わっていませんからね。……あ、ワインは少し甘くなるって聞いたことがあります」
ソリオは少し軽い調子で答えた。私は思わずくすりと笑ってしまう。
あの日のように、部屋中から上品なバラの香りが漂ってくる。
今度は──お互いに、しっかりと心が落ち着いている。そう、信じられる気がした。
ソリオが私の方を見た。私は頷く。
彼は、少しだけ──けれど、確かに微笑んだ。
「──神託」
再び、空気が静かに震える。
そして、足元から淡いターコイズブルーの光が浮かび上がった。
ゆっくりと、美しい魔法陣が展開される。
その輪郭は前よりも少し鮮やかで、それから、前よりも少し、温かい気がした。
──ロウソクの炎が、わずかに揺れた。




