◆暗殺者③
──僕は息を吸う。こいつは駄目だ。
(早くしつけないと)
「お座り。上下関係がわかってないみたいだな。シリウス」
わざとプライドを崩すように呟いたその声に、シリウスは何の躊躇いもなく、その場に跪いた。
目すら逸らさず、音も立てず、ただひざをつく。
「お手」
シリウスは、ごく自然に、僕の手のひらに手を重ねた。
冷たい。血が通ってるのかすら怪しい。
僕はその手を、握った。跡がつくほど、ぎゅっと。
そして、なるべく威厳を保つように、笑いながら言った。
「シリウス・スノーホワイト? 僕の頸動脈に、そんなに惹かれますか?」
「……癖なんです。他意はなく……。……急所ばかり目がいくんです。なにかあった時、行動に移せたほうがいいので」
「そうですか。お前の実家も、拠点も、弟妹のいる場所も、全て把握済みです。守りたいなら、黙って従いなさい」
「……は」
「姉さまに爪一本でも触れたら──その瞬間に協力関係は終わりだ」
シリウスは目を伏せたまま、まるで言い訳をするように口を開いた。
「心の中の、映像は……本気ではありません。……心を読まれるのって、初めてで……。少しくすぐったいですね。
あなた様の言葉が“本物”か、試したくなってしまって──つい」
「あはは。試すのはいいけれど──その瞬間、契約は破棄です。
シリウス。良いご家族ですね。僕に見つかるような無能を、セレシアが雇い続ける余裕があることを願いますよ」
(こいつは、今、セレシア家に弟妹を人質に取られて、奴隷契約を交わしているんだっけ──)
そう思うと、少し罪悪感で心が痛む。
ああ、嫌だ。こいつらの裏事情を全て知ってしまっているのは──。
シリウスは目を伏せ、小さく呟くように言った。
「……ええ、前向きに……検討、いたします。……別件で報酬をいただけるのならば」
「ああ、今後は口じゃなく金で解決してくれ。姉さまを守ったら追加でボーナスをやる」
「……どうせ、全て見抜かれているんでしょう。最初から、そんな気はありませんよ」
改めて、僕の前でシリウスは跪く。
「……もちろん──従いますとも。貴方様の、御心のままに。
……お望みならば、騎士の契約の口づけを──」
「不要だ」
「は」
掴んだシリウスの手からはなんの感情も感じない。
──まるで、生きていないみたいだ。
僕はぱっと手を離した。
「回れ」
「……かしこまりました」
「ワンって言え」
「ワン」
ためらいもない。ただ言葉に従ってくる──だからこそ、たまらなく不気味だ。
こうして素直に従われてしまっては躾をする理由もできない。
「……シリウス。命令だ。
──人を、殺すな」
いくつか簡単な命令を聞くことを確認してから、僕はシリウスを見下ろしながら、そう言った。
「……は。──いつか、ソリオ様が……お義父様よりも豊かなお財布をお持ちになられた時には、必ず」
やんわりと断られた。
……やっぱり、こいつとは関わらない方がよかったのかもしれない。
結局のところ──こいつは生粋の暗殺者だ。“恋”でもしなきゃ、シリウスの心は動かせない。
(……となると。あとは、金か)
「──ところで、ソリオ様。『100日間と聖女のキス』とは……いったい、何の呪いですか?」
「……! ……」
「……。ああ。犬には理解など不要ですか。随分、嫉妬深いご様子で……。
──では、また御用の際に」
振り返った瞬間、そこにもう彼の気配はなかった。
……──いや。反応するな。
“隠すことが無駄”だと、思い込ませておかなくてはならない。
そうじゃないと、シリウスは何をしでかすか分からない。
「シリウス。……姉さまに……触れるなよ」
僕はそれだけを言い残して、その場を離れようとした。
声が少し震えていたのは、きっと気のせいだ。
(早まった、か……?)
頭の中で考えてももう遅い。……。
(あいつは……僕の手元に置いても、おそらく変わらない。変わらない。
……変えられるとしたら──主人公しかいないだろう)
ふ、と頭に姉さまの顔が浮かんだが、僕はその妄想を吹き消すように首を振った。
いやだ。あいつに姉さまの方に関わってほしくない。
(……ああ、頼むよ。主人公。お前のことはいじめないよ。何もしない。
だから、できればシリウスを──”攻略”しておいてくれ)




