◆暗殺者①
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しんとした殺風景な僕の部屋の中で、僕は周りに誰もいないことを確認してから、静かに呟く。
「──接続」
呟くと、僕の瞳の色と同じ、ターコイズブルーの魔法陣が展開される。
魔力がじわじわと体内から漏れ出す感覚が、手のひらから伝わってくる。
わずかな震え、ほとんど感じない程度の流れが、僕の指先を通って空気に溶けていく。
僕の魔法──接続は常時発動魔法である。
放っておいても微量の魔力を使用し、触れたものの心を勝手に読み取る。
魔法には大きくわけて二種類ある。
詠唱魔法と、常時発動魔法だ。
ジルなんかが使えるような接続は呪文を起因とする詠唱魔法だ。
僕は無詠唱でその魔法を使える──というかずっと垂れ流しだ。
その代わり、常時発動魔法は呪文を詠唱することで魔法の効果を一時的に強化することができる。
これを使うことで、僕は触れなくても半径5mの人間の言葉や、大きな動きであれば心さえも読み取れる。
──人のいる場所でそんなものを使おうものなら、色んな人間の声が聞こえてきて、やかましいことこの上ないが。
こんな芸当が出来るのは、この世界でも僕一人。
(────僕は、姉さまを守るために、この力を利用するんだ)
今は、誰の心の声も聞こえない。
それを確認して、僕は呟いた。
「──そこのあなた。そこにいるんでしょう。隠れてないで、出てきてください」
虚空に向かって、ためらわず言葉を投げつける。
「聞いていますか。あなたのことですよ。──隠密を外して降りてきなさい」
──その瞬間、風もないのに、空気がざわりと揺れた。
「は……」
空気を断ち切るように──彼は闇から姿を現した。
艶のある黒髪に、金細工を思わせる瞳。
黒いフードと、口元を覆う黒のマフラー。
灯りに照らされた褐色の肌は、彫像のような静けさを湛えていた。
目の前にいたのは、まるで“刃”を擬人化したような男だった。
(今日は、居たのか……)
毎日虚空に話しかける習慣をつけて、1週間。
今日、ようやく“彼”の姿を初めて捉えた。
マフラーを纏った褐色の少年。鋭い目には光がなく、まるで人形のようだった。
「お見逸れいたしました。わたくしの魔法が効かない方は初めてです」
「……接続で分かるんですよ。意味ないですし、面倒なので隠れないでもらっても?」
「承知いたしました。ご不快な思いをおかけしたのであれば、大変失礼いたしました」
少年──シリウス・スノーホワイトは、目を伏せ、音もなく跪きながら、遠回りかつ慇懃な敬語を話した。
シリウスは、セレシア家お抱えの暗殺者だ。
姉さまの記憶から存在だけは知っていたが、実物は想像以上に“人間らしさ”のない男だった。
(確か……最初の出会いは、主人公を殺そうとしたところだった)
しかし、彼の暗殺は失敗する。あの世界の僕が間に割って入り、彼女を庇ったからだ。
その後、ステラの優しさに触れて、シリウスの凍った心は少しずつ融けていった。
(だがこの出会いがきっかけであるのなら、そもそもステラとこの男は接点ができない気もする)
彼女の暗殺はルナフィアの命令だった。
僕はルナフィアの暴挙に憤ってステラを助けた──これは、互いの個別ルートに入って初めて明かされる設定だ。
今の姉さまは暗殺命令なんて下さない。
僕は、仮に姉さまがそんな命令を下したとしても止めやしない。
(だから出会いすらもないし、出会ったところでステラが死ぬだけだ)
それでも、こいつとは早めに接触しなければいけなかった。
きっと、自分は暗殺なんて依頼しないのだから関係ない──そう思って、姉さまはこいつのことを警戒していないだろうから。
バッドエンド──彼はルナフィアから“ステラの暗殺”を依頼される。
ここで、「誰も殺してはいけない」という選択肢を一度も選んでいない場合──彼は、ステラを守るために──ルナフィアを殺す。
そして、セレシアとの奴隷契約に従い、彼はその場で自害する。
そう、こいつは、僕と同じ。
(その可能性は、早めに摘んでおかなければならない)
こいつは、設定からして、ずっとセレシア家にいると思った。
だから、ずっと虚空に声をかける習慣をつけておいた。
「──顔を見せなさい」
顎をつかみ、ゆっくりと上を向かせる。
抵抗は──なかった。
シリウスの得意魔法は隠密と偽証。
隠密は言葉通りの魔法。
偽証──それは“嘘をつくための魔法”だ。
心臓の鼓動を抑え、瞳の動きさえ制御する。
厄介なのは、それが接続にも作用することだった。
心を読む魔法が通じない。──こいつは僕にとって最悪の相手なのだ。
(こうして触れてみたはいいものの──)
──ああ、全くの凪だ。
もはや心地いい迄ある。何を考えてるのか、全くわからない。
シリウスは言われるがまま僕に顎を持ち上げられていた。
無駄にまつげが長くてイライラしてきたな。
──程度の低い魔法であるなら、レベル差でごり押しできる。
レベルに関しては、僕の方が高位でもある。
──ただ、心の奥を暴くには、“もっと深く繋がる”しかない。
(……たとえば、唇を重ねるとか、そういう手段で)
もちろん、選択肢には入らない。絶対嫌だ。
以前の僕なら「まあいいか」と選択肢の一つに入れた可能性はあるが、今は本当に嫌だ。
「……セレシア家に雇われた暗殺者ですか」
ピクリ、と眉が動いた。一瞬でたち消えたその動揺を、僕は見逃さなかった。
主人公と出会いさえしなければ、というか……恋愛さえ絡まなければ、こいつはきっとセレシア家の忠実な暗殺者なのだ。
──だから、あの女に出会う前に、こいつを先に懐柔する。
「──シリウス・スノーホワイト。両親はいない。幼い妹と弟のために剣を取った暗殺者。
最初に殺したのは、奴隷商人。動機は金。偶然にも、セレシアの邪魔者だった。お義父様に金で牢屋から出してもらえて、それ以来セレシアの犬になった。
それからは、セレシアにとっての邪魔者を、言われるがまま、殺し続けている……」
僕は、まるで心を読んでいるようなフリをして、そう告げた。
情報元はもちろん姉さまの記憶だ。
こいつを無力化するための"最適解"は──こいつがまだ魔法学園に通わず、暗殺者としてもまだ経験の浅いうちに"隠しごとをしても無駄だ"と思いこませることだった。
徹底的に心を読んで、どうせ全部読み取られているのだから……と思っていることを全部喋らせる癖をつけさせる。
シリウスはわずかに顔を伏せ、マフラーを引き上げて口元を隠した。
表情は見えない──だが、その仕草だけで十分だった。
「面倒です。これからは全て自分の口で喋りなさい。あなたが、何もかもを洗いざらい読み取られたいなら好きにすればいいですが……。今のターゲット、だとか……」
「は。とんでもございません。全て包み隠さず申し上げます」
「いつもは姉さまの監視をしていたのに、今日は僕の監視ですか?」
「……」
否定されなかった、ということは合っていたのだろう。
少なくとも1週間僕の目の前に現れなかったのだから、そうだろうなぁと思ってカマをかけただけだった。
──そもそも、お義父様の関心があるのは姉さまの方だしな……。
僕はゆっくりと手を離した。触れていた感触が、妙に冷たく残っている。
──暗殺者という生き物は体温がないのだろうか。
「そうですか。ところでシリウス、あなた、姉さまのこと──」
『──、どう思ってるんですか?』
現状の確認のため、口から出そうになった言葉に、自分でブレーキをかけた。
……いや、それ、心が読める僕が聞いたらおかしいだろ。
「──を、いたく気に入ってるようですね」
思わず、適当な方向に舵を切った。
その方向は喋っていた僕にも予想外だった。
姉さまへの好意で、口が滑ったのだ。
「──え?」
シリウスは目を丸くして僕を見る。
それは、“心を読まれる側”の驚き方じゃなかった。
「……あ。わたくし、気に入ってるんですか? ルナフィア様のこと」
シリウスはふむ、と小さく考える素振りをしてから、胸に手を当てる。
「……あなた、あまり観察対象に情は抱かないタイプですか?」
「はい。善人も悪人も、同じように──観察対象でしかありません」
シリウスの口から紡がれたその言葉に、少しホッとする。
(そうか! 良かった! こいつは、姉さまのことをなんとも思っていないんだ!)
しかし、ここからどうしよう。
心が読まれていないことがバレたら──。
「……────そう、思っていたのですが」
彼の口からぽつりと漏れたその言葉は、どこか不穏で──
……妙に、温かかった。
「……わたくしは無自覚に、そんな思いを……」
「……。……」
つい、思わず、黙りこくってしまった。
シリウスの頬がほんのわずかに色づいた……気がする。
けれど、そのマフラーの奥の口元の表情までは、読み取れなかった。




