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目覚めました。

 柔らかいシーツの感触。

 金色のカーテン越しに窓の外から差し込む光は、あの日と同じ──柔らかな夕焼けの色だ。


 見知らぬ天蓋のベッド。

 これまで泊まったどのホテルよりも広々とした部屋には、大理石の床と、「魔女と聖女」が描かれたフレスコ画の天井画。


 私は部屋の隅にある姿見を見つけ、思わず駆け寄る。

 ──刺された背中の傷を確認するためだった。背中に痛みはない。


 けれど、そんな目的は鏡に映った"自分"の姿を見た瞬間、霧のように消え失せた。


 ゆるく巻かれた金髪のウェーブヘア。翡翠のような澄んだ瞳。

 凛とつり上がった眉やアイラインは、きつい性格を物語っていて──長く濃いまつ毛が、表情に艷やかさを添えていた。

 私は眉をひそめて呟く。


「……誰?」


 その瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれた。


「お嬢様! 目をお覚ましになられたのですね……!」


 姿を見せたのは、長い銀髪をアップにまとめた、クラシカルなメイド服の女性だった。

 女性は慌てた様子で私の枕元に置かれたネックレスを奪うように取る。


「も、申し訳ございません。私共の監督不行き届きでしたッ! 頭に痛みなどはありますでしょうか!?」

「いえ……そもそも私、頭、打ったんでしたっけ……」

「ああ、えと、その……お嬢様はソリオ様の魔法のお稽古に付き合っていて、ソリオ様の魔法が暴走してしまい……」


 銀髪のメイドは口元をきゅっと引き結び、地に額をこすりつけんばかりの勢いで深々と頭を垂れた。礼儀というより、まるで私に怯えているようだった。

 彼女の説明を聞いていると、色々と頭に浮かんできた。


 私の名前は、ルナフィア・セレシア。名門・セレシア家のひとり娘──らしい。

 私は、弟・ソリオの魔法訓練を『見学』していたという。

 いや、見学というより、監督という名目で、魔法の練習をしているソリオに対し、「それじゃだめ」「セレシアの一族なら、もっと重いものを操作してみろ」と叱るような言葉を、彼に投げかけていたらしい。

 その最中、ソリオの魔法が暴走し、操作していた植木鉢が私の頭に直撃した──それが、今回の事故の原因だった。

 ……叱る? 監視? どうして私はそんなふうに弟に接していたのだろう?

 たとえ血がつながっていなかったとしても、私は(ソリオ)を大切に思っていたはずなのに。そんな酷い態度をとるような理由なんて、思い当たらない。


 なんだか頭が痛い。

 植木鉢が頭に当たったあの瞬間、蒼白になったソリオの顔が脳裏に焼きついて離れない。

 なんで──。


「……そう、いえば……。あなた、なんで、私が目を覚ましたタイミングが分かったの?」


 ふ、と湧いた疑問を問いかけると、メイドは真っ青になり、土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。


「も、申し訳ございません! "接続(コネクト)"でお嬢様の御心を覗いてしまいました!」

「……"接続(コネクト)"……?」

「そ、その、何かあったらいけないと思いまして……私の初級魔法ではお嬢様が起きたことくらいしかわからないのです……っ!! ……だから、どうか、どうか、命だけは……っ!」


 メイドは大粒の涙を流し、許しを請う。

 私は慌てて頭痛からできた眉間のシワを伸ばし、できるだけ柔らかい表情で話しかけた。


「い、いえ、もう下がっていいわ、弟を呼んできて……謝らないと……」


 メイドは泣きそうな顔のまま大きく何度も頷くと、部屋から出ていく。

 本棚に目をやると、そこには私が読めるはずのないはずの言語が、まるで当然のように並んでいた。

 私はそれらの言葉をなぞるように一文字一文字丁寧に読んでいく。


「"ルクサリア王国の歴史"……"セレシアの一族"……"祝福の聖女と嫉妬の魔女"……」


 ……読める。明らかに文字数からして違うのに、日本語で読める。

 なんとも不思議な感覚だった。


 部屋にノック音が響く。「どうぞ」と声をかけると、扉が静かに開いた。

 扉の向こうに立っているのは金の髪の少年──いや、少年と呼ぶには、少し大人びた雰囲気を纏っていた。瞳は深く澄んだ青で、どこか虚ろな影を感じる。

 少年──ソリオは服の袖をぎゅっと握りしめたまま、躊躇うように近づき、私の前で静かに頭を下げた。


「本当に申し訳ございませんでした。"ルナフィアお嬢様"」


 その喋り方は、姉弟と言うにはあまりにも他人行儀だ。

 だけど、その理由もわかる。私が言っていたのだ。「私のことを姉と呼ばないで頂戴」と。


「ソリオ……私は平気よ。それよりも、怪我はしなかった?」


 ソリオは私の言葉にピクリと反応する。その瞳にはどこか戸惑いが見えた。

 そりゃあそうだろう。ソリオが失敗した原因は、私の脅迫めいたプレッシャーなのだから。

 その私が、手のひらを返して──突然、ソリオを心配している。ソリオにとってみたら、そりゃあ奇妙だろう。それでも、私は続ける。


「ごめんなさいね。私が、"もっと重いものを浮かせてみろ"だなんて言ったから……」

「……え?」


 濁った暗い瞳に少しだけ光が見える。私はセリオの人間らしい表情を随分と久々に見た気がした。


「だ、大丈夫です。ご心配ありがとうございます。あの……お嬢様を傷つけてしまったことの罰をいただけませんか……? いつものように、使用人を呼んで……。僕も同じ場所に魔法をぶつけていただいて……」

「や、やめましょう。そんなことしないで……」


 ソリオは明らかに困惑した表情で私を見つめていた。

 というか、私は、普段この子に何てことをしていたというの……?


「あ、あの、僕は、お嬢様を傷つけたんです。罰がなければ、納得できません。そうやって確かめずとも、自分の罪は理解しているつもりです」


 ソリオは私の機嫌を伺うようにこちらを見てくる。

 その声は、絹を裂くように小さく震えていた。


(違う、私は──)


 そう言いかけて、口を閉じる。私の中にある「ルナフィア・セレシア」としての記憶は曖昧だ。

 だけど、彼にとって私は「恐れられる存在」なのだ。


 私はベッドの端に腰を下ろし、ソリオに向かって手招きをする。


「ソリオ……ここに座って」


 ソリオは驚いたように目を見開く。それでも、ゆっくりと私の部屋へ入り、近づいてくる。

 ソリオはなにかに怯えるように足取りを遅くしながら、そっとベッドの端に腰を下ろした。

 私はそっと彼の手を取る。彼の手がビクリと震える。


「さ、触れては……っ! いえ……申し訳ありません、お嬢様……!」

「嫌かしら」

「い、いえ、……僕は未熟だから、うまく魔法の制御ができず……今回もお嬢様に見ていただいたのにもかかわらずあのような失態を」


 小さな手には、魔法の特訓でついた傷がいくつも残っていた。


「こんなに……傷だらけ……」

「え、あ、汚いものを見せてしまい、大変申し訳ござ──」

「──頑張ってたのね。ソリオ」

「……え?」


 ソリオは信じられないものを見る顔で私を見る。

 恐怖からか、私に触られている手がブルブルと震えだした。それでも抵抗しようとしないのは恐怖からなのか、それとも、また別の意味があるのか。


「ぼ、僕は、その、未熟だから、……魔法が……」

「大丈夫よ。私の手を握って。ね、落ち着いて」


 ソリオの得意魔法は「接続(コネクト)」──記憶魔法の一種だ。

 相手の記憶や感情を読み取ることができる、いわば“テレパシー”のような力で、特に心の動きには敏感に反応する。

 だが、その力はとても繊細で、素手で触れただけで発動してしまうため、貴族社会では危険視されている。

 「記憶魔法の使い手は、たとえ真夏だろうと手袋を外してはならない」──そんな暗黙のマナーすら存在するほどに。


 触れ合った手を通じて、ソリオは私の感情を読み取ったのだろう。

 警戒していた彼の表情が、少しずつほぐれていく。


 少なくとも、今の"私の行動"が悪趣味な茶番劇ではないことは伝わっただろう。

 ソリオはしばらく黙っていたが、やがてぽつりとつぶやいた。


「……お嬢様は、記憶が混濁しているのですね。……頭をぶつけたせい、でしょうか……」


 その声には、戸惑いと、ほんの少しだけ安心が滲んでいる。

 私は、ただの感情だけではなく、そんな細かな心の動きまで読み取られていることに驚く──と同時に、そこまで見透かされていることに、わずかな怖さも覚えた。

 その揺らぎを感じたのだろう。ソリオはそっと手を離した。


「……申し訳ございません。お嬢様の心に触れて、怒りを買ったのかと思って、無闇に怖がってしまいました。だけど……お嬢様から、恐怖や混乱の感情の方が強く感じられて……。もしよろしければ、記憶を取り戻す手助けをさせていただけませんか」

「ああ……ありがとう。だったら──ソリオ、あの天井画はなにかしら」


 そう言って、私はフレスコ画を指差す。ソリオは一瞬考えてから答えた。


「あれは、『祝福の聖女と嫉妬の魔女』の天井画です。この国に古くから伝わる伝説ですね」


 ソリオはゆっくりと語り始めた。


***


 太陽の元、二人の姉妹が生まれた。一人は祝福の聖女、もう一人は嫉妬の魔女。

 二人は同じ青年を愛していた。けれど、青年が選んだのは聖女だった。


 傷ついた魔女は禁断の魔法を使い、世界を混乱に陥れる。

 聖女は涙ながらに青年に口づけ、勇者としての力を与えた。


 青年は魔女を倒し、世界は救われた。


 それ以来、世界が混乱する時、どこかで祝福の聖女が生まれる。

 聖女には、"口づけ"で愛する人を救世主に変える力がある────。


***


 その伝説を聞いた瞬間、私の頭に様々な記憶が蘇る。

 星夜との思い出──星夜と遊んだ乙女ゲーム──。


「ひゃ、……100キス……」

「え?」

「ソリオっ……! ねえ、私って……ルナフィア・セレシアよね!?」


 私の声は裏返り、ソリオは一瞬ぽかんとした表情になる。


「はい。……ですが、落ち着いてください。お嬢様。何か、思い出されたのですか?」


 思い出したも何も──私はこの世界を知ってる。

 この天井画の伝説も、「ルクサリア王国」も、「ルナフィア・セレシア」という名前も……。

 それは全部、乙女ゲーム『100日間と聖女のキス』に出てきた設定だ。


 じゃあ、ここは──ゲームの世界?


 混乱する思考の中で、私はふらりと立ち上がって、天井画を見つめた。


「ああ、そんな……あなたの名前は、ソリオ・セレシア……」

「は、はい。そうです」

「王子の名前は、フィン・ルクサリア……」

「ええ……その通りです」


 やっぱり。間違いない。


 ルナフィア・セレシア──。

 その令嬢はプライドが高く、傲慢そのもの。自分の美しさと家柄に絶対的な自信を持ち、魔法を使うことを野蛮な行為だと見なしていた。

 魔法は、男性や使用人、下級者たちのもの──そんな認識を持つ彼女は、魔法の世界で愛され、成り上がっていく主人公に対して、どうしようもない嫉妬に駆られてしまう。そして、次第に嫌がらせを始める。

 結果として、どのルートでも主人公と対立し、最終的にはこの国の第一王子、フィン・ルクサリアから婚約を破棄され、破滅していく──シナリオにおける、"嫉妬の魔女"。


(最悪じゃない……?)


 私はベッドにへたり込んで、顔を覆った。


 私はソリオの顔をじっと見つめた。

 ソリオ・セレシア。100キスに登場する攻略対象。

 暗い過去と孤独を持ち、ルートによっては主人公を加害された怒りから、姉である"ルナフィア・セレシア"を"殺害"する──。

 記憶魔法の使い手で、人と触れ合うことが許されず、ゲーム内では常に手袋をしていた少年だった。


 くらっ、と、倒れてしまいそうだった。


("恋なんて、「乙女ゲーム」の中だけで充分だ"……って、そういう意味じゃないのだけど!?)

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