女神ルビナと交信してみます。①
***
──夜。
夕食を終え、私は自室でくつろいでいた。そこにノックの音が響く。
扉を開けると、ソリオがどこか強張った顔で立っていた。
そういえば、と、私は彼と今日その魔法を使ってもらう約束をしていたのを思い出した。
「姉さま──神託を使いましょう」
はっきりと口にした割に、彼の顔からは、血の気が引いていた。
私は反射的に眉をひそめてしまう。
「ソリオ……なんだか顔色が悪いわよ?」
「いえ、大丈夫です。今日、やりましょう……」
「本当に? 体調が悪いなら、別の日でも──」
無意識にソリオの背中へ手を伸ばした。
だがその瞬間、ソリオの手が私を拒むように弾く。
その仕草は、明らかに怯えを含んでいた。
「あ、あっ……ご、ごめんなさい! ね、姉さま……」
「き、気にしなくていいのよ。突然触れられたら誰だってびっくりするもの」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
ソリオはひたすら謝罪を繰り返すばかりで、その声は震えている。
私に、深く怯えているかのようだった。
(……"元のルナフィア"のこと、思い出しちゃった?)
無理もないのかもしれない。これまで私は、この子にひどく辛い思いをさせ続けてきたのだ。
今は触らないほうがいいのかもしれない。待ってあげよう。
私はできるだけ穏やかに言葉を選ぶ。
「無理しなくていいのよ。今日はやめましょう……?」
すると、ソリオの顔からさらに血の気が引き、今にも泣き出しそうな子どもの瞳になった。
「嫌ッ! お、お願いします……僕に、使わせてください。お願いします……姉さまの役に立ちたいんです……」
切羽詰まった声に、私は息を呑んだ。
どうしてこの子がこんなにも追い詰められているかわからない。
(せめて、今は、この子の好きにさせてあげよう……)
そう思って、私はこくりと頷いた。
***
ソリオは女神ルビナに交信するため、様々な道具を用意した。
ルビナ教の聖書・サジからもらったドライフラワー・ローズの香りのロウソク・こっそりとくすねたワイン瓶が一つ。
どうやらこれは彼女と交信する可能性をあげるための供物であるらしい。
部屋中から、上品なバラの香りが漂ってくる。リラックスできるいい香りだ。
その香りに包まれながらも、ソリオは緊張した面持ちで呪文を唱えた。
「──神託」
すると、どこからか風が吹いた。
それと同時に、彼の足元に淡い光が集まりはじめる。
空気が震え、床一面に広がるようにして──澄んだターコイズブルーの魔法陣が展開された。
魔法陣は幾何学模様と花びらのような曲線を描きながら、静かに輝きを増していく。
その光はどこか冷たくて、だけど神聖で、見る者の心を静かに研ぎ澄ませるようだった。
(綺麗……)
……。
私は静かにソリオを見上げた。
ソリオは、目に光がなく、ぼんやりと薄目でロウソクを見つめていた。
「……ルビナ様……彼女を、アシヤ・ルナを、この世界へ連れてきたのは、あなたですか……?」
久々に聞いた前世の名前に、思わず目を見開く。
私は、ドキドキとしながらソリオの顔を見上げる。
ソリオは私を見下ろしながら、コクリと頷いた。
「──なんのため、に……?」
何を話しているのだろう。
会話を邪魔をするのはきっと不敬になるだろうから、私はソリオの顔をじっと見つめていた。
答えることを拒否されたのだろうか。ソリオは小さく首を振った。
「……あの……彼女の弟は……アシヤ・セイヤは、向こう側の世界で、元気でしょうか……?」
ソリオは、とても緊張した面持ちで質問した。私は突然何かを言いたくなって、それを堪える。
その場に沈黙が訪れる。
ソリオは小さく首を振った。
何か悪い情報を手に入れてしまった──というよりかは、何も成果が得られなかったときのような顔だった。
「……あ……」
その瞬間、蝋燭の火が消えた。
まだ、だいぶ芯は残っていたはずなのに──。まるで、会話はこれで終わりだとでも言うみたいに。
「……ありがとうございました」
「……大丈夫だった?」
「……ごめんなさい。答えて、もらえなかった……」
ソリオはテストの悪い点を報告する子どものように、しょんぼりとした顔で私に告げる。
その顔を見ていると、胸がきゅうっと苦しくなった。
「だ、だけど……御霊の気に入る供物を用意すれば、何か、違うかも……しれない……」
段々と自信なさげに小さくなっていくその声に、私は彼を抱きしめたくなってしまった。
きっと彼は、今、私に触れられたく、ないんだと思う。
怖がっているんだと、そう、思う。
「ねえ、ソリオ……」
──だから、ただ、手を差し出した。
それから、彼から触られるのを、ただ待った。
差し出された私の手に、ソリオは目を伏せたままじっと見つめていた。
ソリオは、拒むでもなく、すぐに触れるでもなく──。
まるで、自分にその資格があるのか試されているように、ほんの少しだけ迷ってから、そっと指先を重ねた。
「……さっきはごめんなさい。僕、心を読まれるって思ったんだ。
勝手に心を読んでいるのは、僕の方なのに……」
ソリオが自嘲気味に呟いた。私は静かに息を吸って、それに応える。
「……あのね、ジルが言ってたわ。『きっと自分は駄目なメイドだと思われている』って」
「……はい、知っています。毎日、心を読んでますから……」
「じゃあ、その理由は知ってる?」
「僕が、彼女のミスを、毎日のように覗き見ているから、でしょう?」
ソリオは怯えるようにそう言った。
私は彼をなだめるように、小さく頭を振る。
「違うわ。ジルはあなたに『軽蔑されてる』と思っていたの」
「ちがっ……け、軽蔑しているのはあのメイドのほうじゃないですか! こんな魔法を使う僕を、『気持ち悪い』って……!」
ソリオの声は震えている。その瞳は傷つき、迷子のように揺らいでいる。
私は彼に優しく言った。
「……ううん。違うの。どっちの心も始まりじゃない。ジルもね、接続が使えるの。
……だからそれだけであなたのことを軽蔑したりなんてしないわ」
ジルが目を覚ました時、彼女は私に「接続を使ってしまった」と申し訳なさそうに謝っていた。
彼女だって、きっとその力をどう扱ってよいのか、ずっと戸惑っていたのだろう。
ジルでさえあんな調子なのに──、ソリオは、彼女よりもその力がずっと大きい。
「か、勝手に決めつけないでください! 図り損ねているのは姉さまのほうだ……!
姉さまに、一体何が分かるんですか!? 心を読むことのできない姉さまに……」
ソリオの言葉は、鋭い棘を含んでいた。
しかし、私は静かに微笑んで、彼をまっすぐに見つめ返す。
「……分からないわ。だから、あなたと話がしたいの。
──ねえ、教えて。私は、いま嘘をついている?」
ソリオが息を呑む音が聞こえた。彼の視線が揺れ、私の手元へと落ちる。
しばらくの沈黙のあと、ソリオは小さく首を横に振った。
「……み、んなが、皆、姉さまみたいな、人じゃない……」
「ええ。そうね。心を読まれるのが嫌な人だっているわ。ジルだってそう。
だけど、あなたは……あなたは、それを利用したいわけじゃないわ。あなたのその力を利用したいのはお父様だわ」
「!」
「私……私ね、……ううん。心のなかで言う。読み取って」
私は目を瞑り、心の奥底から言った。
(私ね、ソリオが接続を持っていて良かったって、そう思うの)
「……っ!」
(────だって、こうして、あなたと"本心"でお喋りができる)
だから、あなたは私の言葉を当たり前に信じてくれる。
ソリオの瞳がかすかに揺れた。まるで、私の考えを、まるっと映し出したみたいに。
かと思うと、私の顔をじっと見上げて、驚いたような、笑顔を隠しきれないような、泣きそうな顔になった。
「……ね、姉さま。……姉さまはやっぱり、ちょっと、ズレてます」
「そうかしら」
「……僕が悩んでるの、それじゃない、です……接続の、ことじゃ……」
「え、そうなの……? てっきりそのことなのかと……」
彼は少し困った顔で笑った。
「しょうがないな」とでも、そう言いたげな顔だった。
私は彼が笑ってくれたのがたまらなく嬉しくて、彼の手を小さく撫でた。
ビクリ、と、彼の身体が怯えたように跳ねた。




