◆マウント
***
「どういうつもりなんですか? サジ殿」
研究室で二人きりになった瞬間、僕は笑顔のままサジを睨みつけた。
その目に見えるのは、ただのぼんやりとした無気力さ。
だが、彼の手が動いて、自分の指先をじっと見つめているのを見て、思わず息を飲む。
さっきまで姉さまと触れていた、その手だ。
「変だなあ〜……そんな気はなかったんだけど」
「ああ、あなたは変な人なんでしょうね」
思わず口をついて出たその言葉を、サジはただ笑顔で受け流した。
彼は俯き、言葉を続けようとした。
「……ルナフィア……すごく、いい子なんだけど……。こう、なんか、……なんて言うんだろう……」
サジは言葉に詰まりながらも、ようやく口を開く。
「─────実験台にしたくなるんだよなぁ〜。───薬の」
その瞬間、僕の背筋に冷たいものが走った。
「──はぁ?」
サジの瞳は、ただ真っ黒で何の光も見えなかった。
少し、照れているように顔を赤くしているくせに、何も感じていないかのようなその目が、ただ姉さまがいた場所をじっと見つめている。
その言葉には、嘘も悪意も感じられない。それが逆に、僕を恐怖させる。
「引かないでくれよ! ……オレもこんな気持ち初めてなんだ」
「そうですか……二度と姉さまに近づかないでくださいね」
「あー、違う違う。……なんでだろうなぁ。陛下にも相談されたんだよね。今のルナフィアを見てると、つい、意地悪を言ってしまいそうになるって。あの子、そんな子じゃないのに」
「っ!」
あの男、そんなに悪趣味なのか……。
今の僕は苦虫を噛み潰したような顔をしているだろう。
それでもサジは、ニコニコと続けた。
「陛下さぁ、言ってたんだよ。お茶会の最中に、例えばここで突然ルナフィアに『婚約破棄』を言い出したらどうなるんだろう……って。いつからそんな意地悪なこと考えるようになったの? って少し驚いたんだ。
興味深いね……なんでだろ?」
サジは微笑みながら、まるで実験でもしているみたいに楽しそうな、だけどどこか冷たい目で考えている。
「ん〜」とたっぷり尺を取ってから、ようやくその口を開いた。
「特殊魔法──魅了系の”常時発動魔法”……とか?」
魔法。魔法薬学の教師の彼らしい見解だ。だけど、ルナフィアにそんな設定はない。
ただ、その言葉の後、ようやく意識が戻るような感覚があった。
頭の中で次々と浮かんでは消える恐ろしい繋がりに、思わず目を見開く。
浮かんだのは、姉さまの記憶だった。
サジルート──。
言ってしまえば、サジにはそんな性的趣向はなかった。
こいつは元から人たらしで(僕からしてみると)節操はなかった。だけど、かわいい女の子は実験したくなるだとか、そんな気をてらった設定だってなかったはずだ。
なんなら、主人公に対し、彼女を救うために認可されてない薬を使うことを躊躇うシーンすらある。
まさに”良識のある大人”を体現したような攻略対象で、その発言や行動には常に含蓄や落ち着きがあった。──今のサジは甘すぎるきらいというか、危ういところはあるが。
実験バッドエンドだって、別に好んでそんなことをしたわけではないだろう。あれは主人公を救うためだ。愛情表現のわけがない。
だが、今目の前にいるサジは、完全に異質だ。悪意さえ感じさせないその言葉が、ますます不気味に響く。
(いや、待てよ……実験──?!)
頭の中で嫌な繋がりを見つけてしまった。
コイツいわく、陛下──フィンはルナフィアに意地悪をして、婚約破棄を言い出したらどうなるんだろう、という好奇心に襲われているらしい。
そして、僕だって、姉さまが脅える顔を見たくなる自分がいる。
守りたいと同時に、その細い首を絞めてしまいたいという、抑えきれない加虐心が湧き上がることがある。
そして、こいつは姉さまに対してだけ『実験』をしたい──。
思い浮かぶのは、姉さまの記憶にある数々のバッドエンドだった。
婚約破棄、殺害、実験──。
(ああ、頭が痛くなってきた……)
分かった。歴史の修正力が働いているみたいに、僕らは『バッドエンドの欲求』を姉さまに抱いているんだ。
サディストじみた王子の態度が思い浮かぶ。
お茶会で、彼がルナフィアの怖がる顔を見て嬉しそうにしている様子が、今も鮮明に頭に焼きついていた。
姉さまの記憶だ。
フィンのルートで、フィンが主人公を守るためにルナフィアを断罪したシーン──フィンはルナフィアへ、「君に泣く権利はない」と冷たく一刀両断に言い放つ。
泣き崩れるルナフィアの姿に、フィンは続けて更に冷徹な言葉を吐いていた。
きっと、読み手の溜飲を下げるためのシーンだろう。余計なことを。
「ルナフィアの許可を取ったらダメかなぁ。安全な薬だけ……」
サジは目を細め、微笑みを浮かべている。その表情が、僕には不気味でしかなかった。
思わず眉をひそめる。
「……そんな顔しないでよ。キミには嘘をつきたくないから、全部正直に話しておこうって。下手に嘘ついたら、キミ、二度と信じてくれなくなるだろう?」
さっきまで明らかにおかしなことを言っていたこいつが、今は良識のある大人のようなことを言って、僕を気遣っている。
「二度と姉さんに関わるな。それで終わる話だろ」
できるだけ冷静に、強い声を出そうとしたが、サジは驚くこともなく、──ただ軽く笑った。
「やだ。普通に仲良くしたーい」
「チッ……」
思わず舌打ちをしてしまうが、サジは意に介さない様子で、また楽しげにクスクスと笑う。
まるで僕が困っているところを、わざと愉しんでいるように感じた。
(こんなに冷静に、こんなに余裕を持って……)
そもそもこいつらは恋愛強者だからこそ攻略人物足りえているのだ。
良識的なフリをして、僕の動揺も『嫉妬』として、どこか楽しんでる。
はなから僕の言うことなんて聞く気はないのだ。
サジの言動は、優しさと嗜虐心が同居していて、どうにも矛盾していて不気味だった。
──姉さまに、相談──
──できない。
──だって、僕には、そういう可能性がある。
──こいつなんかよりも、よっぽど悪質で、最悪な可能性が。
ああ、なんで、あの人ったら僕に優しくしたんだろう。
別に、怯えた顔を見てるだけで満足だったのに。
ほんのちょっと、いじめたいだけだったのに。
あんな風にされたら、好きになっちゃうじゃないか。
あんな風に、心を見せられたら、誰だって、こうなるじゃないか。
だって、全部、本心なんだぞ? あれが。
────庇護欲が、支配欲が、承認欲求が、好奇心が、嗜虐心が、家族への情が、
あの人の優しさに答えたいという気持ちが、あの人を殺したいという気持ちが、
あの人を守りたいって気持ちが、無理やり唇を奪ってキスしたいって気持ちが、
あの人の弟でいたいって気持ち、そんなんじゃ足りない気がするって気持ちが……。
全部、ぐちゃぐちゃになって、胸が苦しい。
あの人から、「ソリオは危険なんじゃ?」──そう思われたら。
いやだ。
姉さまに警戒されるのは嫌だ。
あの人に怯えられたくないし、怖がられたくない。
いややっぱり怯えられたいな。あの人の怖がる顔が見たい。
いや、違う。
そんなことより、姉さまを守ることが最優先だ。
少なくとも、今は本気で、そう、思ってる。
でも……それでも嫌だ。いやだ、やだ……。
その恐怖が、僕の中で膨れ上がっていく。
それはもう、本能に近い感覚だった。
心のどこかで、ふ、と、悪魔が囁いた。
(──だったら、いっそ、殺しちゃおうかな……姉さまのこと)
その考えが浮かんだ瞬間、僕は思わずクスリと笑いそうになった。
だがすぐに、その笑いは喉の奥に詰まる。いや、ダメだ。
この考えが、頭から離れない。
たぶん、僕は、彼女のことを相当好きなんだろう。
好感度が高くなればなるほど、頭から染み付いて離れない。
ゲームの中で、姉さまが迎えるバッドエンドを思い出す。
僕のルートでは殺害。
此奴のルートでは実験体。
監禁される。──暴力を振るわれる──。
監視される──。食べられる──。
……支配され、洗脳される──。
──嫌な予感がする。猛烈に嫌な予感が。
ああ、そうなる前に、僕が──。
(僕が姉さまを、守らないと────!)
思考が次第に曖昧になり、頭の中で欲望と理性が激しくぶつかり合っていた。
僕はいつの間にか、彼女を本気で好きになりそうになっていた。
「……どしたの? 大丈夫?」
「……!」
いつの間にか、奴の手が目の前にあった。
今の彼は完全に、患者の顔色を伺う医者の顔だった。
「顔色が悪いね……疲れてしまったのかな。確か、疲労回復に効く丸薬があったかな……あげようか?」
「……ああ。そんな顔姉さまには見せられませんね。……いただけるなら、いただきます」
「うん。ちょっと顔見せて」
彼の手が僕の顔に──触れた。
──その瞬間、ジジジ、と、彼の声が頭に聞こえてくる。
『ルナフィアってさ、本当に、──かわいいよね』
──その言葉が、まるで肌に直接触れたように、ぞくりと背筋を震わせる。まるで何かに囚われたような、甘い響きが僕の耳に残った。
(こいつ、わざと──! マウントを取らないと気がすまないのか……?!)
目の前にいる彼は、まるで僕が拒むことを知っていながらも、それを楽しんでいるようだ。
サジは何も言ってない。"思った"だけだ。何を言っても先回りされる。
僕はただ、彼の心の声を聞こえないふりをした。
(姉さまが危険だ。やっぱり、"あれ"、渡さないと……)
僕は、朝に渡しそびれたプレゼントを、ポケットの中でぎゅっと握りしめた。
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