友だちができました。
「それじゃあ、お礼はまた今度……!」
「は〜い」
「姉さま、ジル、早く行ってください」
サジの部屋を(ソリオから半場追い出されるように)出て、私はジルと二人きりで馬車に乗った。
ジルはしばらく黙っていたが、やがて、口を開く。
「あの、る、ルナフィア様……」
その声には、かすかな戸惑いが見えた。
私は彼女がきっと謝りたいのだと察し、「気にしなくていいのよ」と口を開こうとする。
「!」
──その時、ジルの手が私の手をしっかりと握り、ぐっと引き寄せられた。
驚いて顔を上げると、彼女の目は私をまっすぐにじっと見つめていた。
「ルナフィア様! あなたは命の恩人です……!」
その声に私は一瞬、驚きのあまり言葉を失いかけた。
……しかし、すぐに冷静さを取り戻し、少し顔を引き締めて答える。
「え、ええと……ソリオのおかげなんじゃないかしら」
「もちろん、ソリオ様にも御礼を言いました。しかし、あのように穏便に解決できたのは、ルナフィア様の行動があったからこそだと思います!」
その言葉が耳に届いた瞬間、私は何も言えずにただ黙ってしまった。
頭の中には、「大げさだな」と冷静に捉えてしまう自分がいるが、その言葉を聞いて、心がふっと軽くなったのもまた事実だった。
私はその柔らかい手が、少しずつ暖かさを伝えてくるのを感じながら、無意識にしっかりと手を握り返していた。
「私、ルナフィア様をずっと誤解していました……。怖い人だと、そう思っていました」
その言葉があまりにも重く、私の心に静かに響いた。彼女は小さな声で続けた。
「でも、使用人の私なんかのために頭を下げてくださって……ソリオ様までも、あんなふうに頭を下げてくれて……本当に嬉しかったんです」
彼女の言葉には、ひしひしと伝わる感謝と、同時に涙をこらえたような切なさが込められていた。
彼女の瞳に浮かんだ小さな輝きが、私の胸をどうしようもないくらいに締めつけた。
「私は、……操られ、あんな失態を犯しました。それは、どう考えたって、本来許されるべきではない罪ではなかった。殺されたって仕方なかった……、そう、自覚しています」
彼女が持つ自己嫌悪が、まるで空気のように私の周りを包み込む。「あ」と思って、私はその手を、さらに強く握りしめる。
(そうだ。彼女は操られていたとはいえ、捉え方によってはいわば"共犯者"とも呼べる存在だったんだ)
……それでも、ソリオはあの時、「犯人はいない」と言ってくれた。
──私の意図を確認したのは、それが理由。
「……いつも、怯えるばかりで、ずっとコミュニケーションを取ろうとしなかった私を……あなたは、助けようとしてくださった……頭を、下げてくれた」
(ああ、私、……使用人に怖がられるの、本当は、ちょっと嫌だったのかもしれないわ)
いつも使用人たちが私に声をかけるたび、怯えたような顔を向けるのが目に浮かぶ。
私は、私がそんなに偉い人間ではないことはわかっている。
怖がられているのは私自身ではなく、悪役令嬢であることは理解している。
だから、いつも、何も思ってないふりをして──。
その気づきが胸に広がった瞬間、心の中でふっと息を吐き、作り笑いではなく、自然に笑顔がこぼれた。
「いいのよ。私達、家族みたいなものじゃない」
「……家族……? 使用人がですか……?」
ジルはぽかんと私を見上げた。その姿があまりにも可愛くて、私はもっと笑ってしまう。
「ええ。一緒に住んでるんだもの。妹みたいなものだと思ってるわ」
「……妹……私が……は、初めてです……そんなこと、言われたの……」
その言葉を聞いて、彼女はにやけるように顔を綻ばせる。
その表情にもう、恐れは感じない──年頃の少女のような笑顔だった。
「……ソリオ様もルナフィア様もこんなに優しいなんて、私知りませんでした」
「まあ、ソリオとも仲良くなったの?」
「……ど、どうでしょう。少しは仲良くなれているといいけれど……。
……ソリオ様は、私に呆れているんだと思います。彼は、私が駄目なメイドだってことを、誰よりも知ってるから……」
ジルは困ったような顔で笑い、話を続ける。
「私、すごくドジなんです。メイド長からはしょっちゅうお叱りを受けていて……。
花瓶を割った次の朝……ティーカップを割った次の朝、ミスをした次の朝。
……朝の接続の訓練……いつも決まって、あの人は、私に触れてから、とても冷たい顔をするんです。まるで呆れているみたいに。
きっと、ソリオ様にとって、ルナフィア様は特別なんだわ。ルナフィア様がお慈悲をくださったから、あの方もそれに応えようとした……」
「──ジル、それは違うわ」
私は子供に言い聞かせるような優しい口調で言った。
「あの子はただ、触られる時に怯えられるのが嫌だっただけ。
……あなたは、自分の悪い部分を覗き見してしまう彼の心を測り損ねて、"きっと軽蔑してるに違いない"って……そう思ってしまったんじゃないかしら」
「! そんな……こと……」
ジルは驚いたように顔を上げてから、小さく。
「そういえば、私……昨日、誰も見ていないところでティーカップを割ってしまったんです。私は、叱られるのが怖くて……そのことを誰にも言えませんでした。
だから……今日の朝、ソリオ様に触れられた時、ティーカップを割ったことばかりが心に浮かんでいました。……だけど、ソリオ様はあの時、何も言わなかった」
「……そう。あの子らしいわね」
「どうして、忘れていたのかしら……」
そうか。あの子は憎まれ口を叩きながらも、ジルが一番覗かれたくない記憶は晒し上げなかったのだ。
どうしようもなく不器用で、誰にも気づかれない優しさ。
それでも、あの子は他者に対し、まだそんな優しさを与えることができる。
「……帰ってきたら、もう一度お礼を言います。……ティーカップを割ったこと、口止めしてくれるかしら」
「あらあら、口止めしようとしたら逆に言ってしまうでしょうね。どうせあの子には筒抜けなんだもの。反省していれば許してくれるわ」
「ふふ、そうですね」
ジルは嬉しそうに微笑む。それを見て、私はホッとした。
(この子なら、きっとソリオとも仲良くしてくれるわ)




