第22話 社交界への宣言
舞踏会の会場に足を踏み入れた瞬間、ヘルミは無数の視線を浴びた。
煌びやかなシャンデリアの下、着飾った貴族たちがグラスを傾け、笑い声を響かせている。けれどその場の空気には、どこか張り詰めた緊張が漂っていた。
「随分、注目を集めてるな」
隣で、ユリウスが軽く笑う。
ヘルミはブラックベルベットとシルバーチュールのコントラストが美しい、月の満ち欠けのような神秘的なドレスだった。纏っていた。細かな刺繍と肩を大胆に露出させたデザインは、彼女の強さと気品を引き立てる。一方、ユリウスも漆黒の燕尾服に身を包み、さすが大公家と唸らせる風格を漂わせている。
「悪名も、今夜限りで終わらせたいわね。」
「そう思ってるなら、私をしっかり『利用』してくださいね。」
その言葉に、ヘルミは小さく微笑んだ。
そう、この夜会は『偽装婚約』の第一歩。社交界に向けて、自分たちが新たな婚約者同士であることを発表する場なのだ。
会場の奥、舞踏の中心に差しかかる頃、ユリウスはヘルミの手を取った。まるで息を合わせたかのように、貴族たちの視線が一斉に集まる。
「皆さま──少しだけお時間をいただけますか?」
ユリウスが軽く咳払いしながら声を張ると、会場のざわめきがぴたりと止んだ。
「私、ユリウス・ハマハッキは、このたび──ヘルミ・デルフィーニ嬢と婚約いたしました。」
その瞬間、空気が弾けるようにざわめいた。
「ヘルミっていったら、あの……離婚相談所の?」
「まさか、あんな女性と……。」
「やっぱり裏があるに違いないわ……!」
噂は予想通りだった。敵意と興味と、そして軽蔑。
だが、ユリウスは臆することなく続けた。
「彼女は、誰よりも強く、誰よりも優しい女性です。私は……彼女の生き方を、尊敬しています。そして、支えたいと思いました。」
その言葉に、ヘルミはほんの一瞬だけ息を呑んだ。
まるで本当にそう思っているような声音だったからだ。
「婚約とは、形式のためのものではないはずです。互いを信じ、必要とし合うこと。それが、私たちのかたちです。」
拍手は──起こらなかった。
会場は、冷ややかな空気に包まれていた。
「結局、男の後ろ盾にすがったのね。」
誰かがそう囁く声が聞こえた。
ヘルミの視界が、ゆらりと揺れる。だが、彼女は顔を上げた。
「そうよ。私は、ユリウス様に守られている。」
ざわめきが、再び起こる。
「でも、それは私が『守られる存在』だからじゃない。私が自分の信念を貫くために、『共に在る』ことを選んだからです。」
ヘルミの瞳には、怯えも、躊躇もなかった。
「離婚相談所は、多くの女性の未来を支えています。私はそれを誇りに思っています。
どれほど嘲笑されようと、私は後悔しません。」
その堂々たる姿に、一部の貴族たちは言葉を失った。
だが、誰よりもそれを痛ましげに見つめていたのは──ノアだった。
会場の隅、警護の任に就く彼の瞳が、ヘルミに釘付けになっていた。
彼女は今、誰かの「隣」に立っている。堂々と、誇らしげに。
しかも、それはユリウスという「大公家の貴公子」の隣だ。
「俺は……ただの護衛、か。」
自嘲ともつかぬ声が、ノアの喉から漏れる。
いつからだろう。
ヘルミの笑顔が、誰かの隣で輝くたびに、胸の奥が軋むように痛んでいたのは。
彼女を守りたいと思っていた。
けれど、その「守り方」は、今の自分にはもう──
「……ユリウス様に、本当に守れるのか?」
その問いは、相手にではなく、自分自身に向けたものだった。
一方、ユリウスはヘルミにそっと囁いた。
「完璧な「舞台挨拶」だったよ。次は、ワルツだ。婚約者としての見せ場ですね。」
「任せて。踏み間違えたら、あなたの靴を踏むわ。」
「光栄だよ。」
二人は中央でワルツを踊り始めた。
その姿は、まるで本当に愛し合う婚約者のようで、誰も口出しできない美しさを纏っていた。
けれど、彼女の心の奥には、まだ消えぬ疑問が残っていた。
(本当に、私はこの関係を望んでいるのかしら……)
その答えを出すには、まだ少しだけ時間が必要だった。
お披露目は終了。ヘルミに黒い影が襲う──




