第13話 元夫の策略
サルメとの会話に気疲れしていたところをアンネに助けられ、ヘルミは応接間から執務室に移動し、休んでいた。サルメが帰ったのであろう、玄関の重いドアとともに足音が聞こえ、馬車が遠ざかる音が聞こえた。そして、少し経った後、何だか騒がしい足音が聞こえた。
「ヘルミ、どこだ!出てこい。たく、お前が俺の妻だったときのように、大人しくしていればいいものを。」
その声が響いた瞬間、ヘルミの背筋に冷たいものが走った。
サムエル・シーカ。
元夫であり、ヘルミが離婚してもなお、戦い続けている男だ。
サルメとの相談と退出し、休んでいたヘルミは、予期せぬ再開に驚きを隠せなかった。彼は乱暴に勢いよく相談所の扉を開けると、昔と変わらなぬ冷徹であり見下す眼差しを向けてきた。そう、あの頃と同じように。冷たく、つららのように尖っていて、心の奥底まで刺さるような目をしていた。
「……久しぶりね、サムエル。」
表情を崩さずに言葉を返したが、心臓の鼓動が早まるのを感じる。彼がこの場所に現れたということは、サルメの件を察知した可能性が高い。いや、もしかしたら全てを知っている可能性だってある。
「こんなところで再会するとはな。」
彼は室内を見渡し、見下すように皮肉げに微笑んだ。
「離婚相談所、か。お前らしいと言えばお前らしい。」
「ええ、あなたが私を離婚に追い込んでくれたおけげでね。」
ヘルミは涼しい顔で言い返した。彼の挑発乗るつもりはなかったが、相手がサムエルである以上、慎重に対応する必要がある。
「それで?わざわざ私の相談所に何の用?」
「婚約者が世話になっていると聞いてな。」
彼は僅かに眉をひそめる。
「お前のことだから、また妙な考えを吹き込んでいるんじゃないかと思ってね。」
「妙な考え?」
「婚約破棄だ。」
サムエルは吐き捨てるように言った。
「お前が離縁という毒を振り撒くせいで、俺の女まで馬鹿げたことを口にするようになった。」
「……サルメ様があなたと別れたいと望むのは、私のせいじゃないわ。」
ヘルミは静かに言った。
「彼女自身の問題でしょ?」
サムエルの表情が僅かに険しくなる。
「お前のせいじゃない?ふざけるな。貴族の妻になるというのは、夫を支えるのが役目だ。それ以上でもそれ以下でもない。それを放棄しようとするのなら、教育し直す必要がある。サルメにもそして、お前にもだ。」
その言葉に、ヘルミは唇を噛んだ。
(この人は、何も変わっていない…)
彼にとって、妻は対等な存在ではない。ただの所有物。彼の思い通りに動くべき存在──それが、彼の理想とする『完璧な夫婦』だった。
「サルメが本気で離婚を望んでいるのなら、それは彼女の意思よ。」
「意志、か……。」
サムエルが見下すように笑う。
「お前もそう思っていたんだろう?だが結局、俺には逆らえなかった。だから逃げた。」
「……!」
ヘルミはゆっくりと彼を見上げた。
「ええ、私は今でも貴族社会のしがらみと戦っているわ。でも、それを変えようとすることを諦めるつもりはない。」
「愚かだな。女がどれほど抗おうと男に勝てるわけもないのに。」
サムエルは嘲笑するように言った。
「俺は、お前がどう足掻こうが変わらないと言っているんだ。」
「そうね、あなたは変わらないわ。」
ヘルミは冷ややかに言い放った。
「だからこそ、私はあなたの元を去ったのよ。」
一瞬、サムエルの表情が曇ったように見えた。しかし、すぐに冷たい笑みを浮かべる。
「お前がどれだけ足掻こうと、俺には勝てない。」
彼はそう言い、背を向けた。
「サルメには、俺が話をつける。お前は余計なことをしないことだな。」
そう言い残して、彼は相談所を後にした。
静寂が訪れる。
ヘルミは大きく息を吐いた。
(……やっぱり、簡単にはいかないわね。アンネがサルメ様との話を中断して休ませてくれて助かったわ。あの後、すぐに彼がきたらどうなってたのかしら)
離婚して三年、ヘルミは毎日、サムエルの亡霊と戦っていた。目を瞑るとサムエルの怒鳴り声が聞こえてくるような気がしてとても嫌だった。侯爵夫人のとき、お茶会、義両親、世継ぎいろんなことを考える必要があり、ヘルミはよく体調を崩していた。また、嫁に行った令嬢は実家に簡単に行くことができなかった。ヘルミは誰も頼れるものがおらず、シーカ侯爵家でどんどん孤立していった。
ヘルミはサムエルから逃げたのだった。もう耐えきてないと。
だから、ヘルミは誰よりもサルメのことを守りたかった。もうあんな思いを誰にもしてほしくなかった。
サムエルは確実にサルメを引き戻そうとするだろう。そして、彼が直接動くということは……。
ヘルミの胸には消えない不安が生まれていた──




