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離婚相談所へようこそ  作者: 槙月まき
元夫との再会

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12/24

第12話 過去の傷

 翌日、またサルメは離婚相談所へ訪れていた。昨日と同じように応接室に通したヘルミだったが、最初に話し始めたのはサルメだった。


「……あなたは、彼と夫婦だったのですよね?」


 サルメの問いかけに、ヘルミの指がわずかに震えた。手にしていたカップの縁をそっと撫でながら、彼女は静かに視線を上げる。


「……ええ。」


 淡々と答えたつもりだったが、言葉にするだけで喉がひりつくようだった。


「やっぱり……。」


 サルメは微笑んだ。その表情には、どこか憐れみと共感が混じっているように思えた。


「以前から気になっていたの。あんたのこと。サムエル様の元妻として、どんな思いで離婚を決断したのか…。ずっと知りたかった。」


「そう……。」


 ヘルミは曖昧に微笑むしかなかった。


 サルメが紅茶を一口飲むと、ゆっくりと視線を落とした。


「私の婚約者は、完璧な貴族です。でも、それは表向きの話……。」


 その言葉を聞いて、ヘルミの胸に鈍い痛みが走る。まるで、かつての自分の言葉を聞かされているようだった。


「最初は幸せだと思っていました。サムエル様は聡明で、礼儀正しく、社交界でも評判が高い。私は……そんな彼の婚約者になれたことを誇りに思っていたんだす。」


「……でも?」


 サルメの指がカップの縁をなぞる。


「私が間違っていたんでしょうね。彼の完璧さは、彼のためのものであって、私のためではなかった。」


 ヘルミはそっと目を閉じた。まるで、自分の過去が反響しているようだった。


「私は、彼の理想の妻になれるように努力しました。何もかも、彼の望む通りに……」


「そうね。」


 ヘルミは静かに言葉を紡いだ。


「私も、同じだったわ。」


 サムエルとの結婚生活──それは常に、彼の期待に応え続ける日々だった。彼の理想に沿わなければならず、彼の望む妻でいなければならなかった。少しでも違えば、冷たく突き放される。それがどれほど息苦しかったか、今でも鮮明に思い出せる。


「私にとって、結婚は牢獄だったわ。」


「牢獄……。」


 サルメがゆっくりとその言葉を繰り返す。その瞳には、何か別の感情が揺れているように見えた。


「それで……あなたは、どうやってそこから抜け出したの?」


 ヘルミは、僅かに目を細める。


「簡単なことじゃなかった。離婚は、貴族社会では許されない。でも……。」


 彼女はゆっくりとサルメを見た。


「あなたも、本当に離婚を望んでいるの?」


「ええ……。」


 サルメは即答した。


「あなたが婚約破棄を望むのなら、私は力を貸すわ。」


「本当?」


 サルメの顔がぱっと明るくなった。


「ありがとう、ヘルミ様……。あなたなら、私の気持ちをわかってくれると思っていました。」


「まずは、あなたの状況を詳しく聞かせてくれる?」


 ヘルミがそう促すと、サルメは頷いた。


「ええ……私が婚約式を挙げたときのことから、お話しします。」


 彼女が再び紅茶に口をつけ、静かに語り始めようとした瞬間、今まです静かに二人の話を聞いていたアンネが突如、喋り始めた。


「さあ、今日はその辺にして、ヘルミ様、他のお客様がお待ちになっていますわ。続きは私が聞きます。」


 アンネは何度もサルメの返答に違和感を覚えていた。しかし、それに気づく気配がないヘルミを心配しての言葉だった。


「あら本当?いけないわ。アンネ後は頼めるかしら?」


「承知いたしました、ヘルミ様。」


 ヘルミの了解を得て、アンネはヘルミを応接室の外で待機していたノアに預けた。もちろん、他のお客様などはいない。ヘルミはその人の心に真摯に向き合うため、一日一人の話のみを聞くと決めていたからだ。それに気づかず慌てるほどヘルミの心が減衰していたことを表していた。


 そして、アンネはヘルミが出て行く時のサルメの囁きを聞き逃してはいなかった。


「邪魔しないでよ。夫の言うこともきけない、ふしだらな男爵令嬢。」


 ヘルミが応接室を後にし、アンネが椅子に座る。


「サルメ様、初めまして。アンネ・ハーチと申します。お話しの続きをお聞かせください。」


 アンネが微笑むと、サルメは愛想笑いをし、


「初めまして、アンネ様。あら、ハーチ男爵令嬢と呼んだ方がいいかしら?」


 アンネはわざとらしい、と思った。この女は私が最近、離婚したことを知ってわざと、家紋の名前で呼んでいるのだ。


「アンネとお呼びください、サルメ様。」


 アンネはこんなことでは挫けない強さを持っていた。以前のアンネでは黙ることしかできなかったが、ヘルミと出会った後のアンネにはサルメの嫌味は効かないのであった。


 そんなアンネが面白くなかったのかサルメは表情を崩し「用事があったのを忘れてた。」といい早々に相談所を去っていった。



 サルメを見送った後、アンネは彼女について考えていた。ヘルミの『本当に離婚を望んでいるのか?』という問いに対して、なぜあんなにも即答できたのだろうと。その答えにはどこか奇妙な響きがあった。まるで、ずっと前から準備されていたかのように。


 他にも、サルメはヘルミの言葉を信頼しすぎているような感じがした。ヘルミの元夫が自分と同じなのだからということもあるかもしれないが、アンネ自身、はじめの頃は自分の話を聞いて理解してもらえるのだろうかという不安もあったからだ。相談所の仕事を見ていて、夫から解放されたいと願う女性は多い。しかし、サルメはまるで最初から『ヘルミに頼るつもりだった』かのように振舞っている。


 アンネの違和感は続くのであった。






 まだ真実は明らかにならない──

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