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9.指輪の行方



 「この辺りですね」



 堀越の運転する車で、晶と香月は目的地である住宅街にたどり着いた。


 ここは最寄り駅からもさほど遠くない立地で、昔からホームタウンとして有名な住宅地だ。見回したところ、ひと世代前の住宅が所狭しと並んでいる。


 車から降りた晶は香月と共に目的の場所を探すため、一つ一つ家の表札を確認していく。このあたりに晶に取り憑いた霊の元婚約者である横山祥太の実家があるはずだった。


 「香月さん、ここじゃないですか?」


 目的の家は比較的すぐに見つかった。背の高さほどの生垣に囲まれたその家には、『横山』の文字が入った表札が玄関の横に掲げてある。特に変わった様子もないありふれた普通の一軒家だ。


 「本当にここで合ってますか?」


 「表札も名前と合っているから、間違いないと思うよ」


 「…元彼さん、いますかね?」


 「いれば話が早いんだけどね」


 そう言って玄関の前に立った香月が、さっそくインターフォンを鳴らす。


 しばらく待ったが、応答はない。もう一度鳴らしてみるが、やはり応答はなかった。


 「…留守か。また後でもう一度出直そう」


 そう言って二人が踵を返そうと振り向くと、生垣の傍に買物袋を片手に下げた女性が驚いた様子で立っていた。


 「あの、何か御用かしら?」


 女性は少しやつれた顔に困惑の表情を浮かべていた。見た目は60代ぐらいに見えるが、服装はブルー系のパステルカラーのシャツに白いパンツという爽やかな出で立ちだ。もしかしたら晶が予想した年齢よりも若いのかもしれない。


 その女性は晶たちを見て、明らかに未成年の男女が自宅を尋ねて来たことに困惑している様子だった。


 女性の予想外の登場で、心の準備をしていなかった晶は内心焦ったが、香月は爽やかな笑顔を見せてにこやかに答えた。


 「突然お邪魔してすみません。横山祥太さんのお宅はこちらでしょうか?」


 「祥太…?貴方たちは祥太の知り合いなのかしら?」


 この女性は彼の母親で間違いないようだ。香月は何と答えるのか、まさか悪霊退治の話を持ち出す訳にもいかないだろうと内心ハラハラして見ていると、香月は何でもないことのように答えた。


 「僕たちは、私立探偵の事務所で見習いをしている者なのですが、今回、調査している内容について、少し祥太さんにお聞きしたいことがあったので、直接こちらにお訪ねしました。祥太さんは今お留守ですか?」


 いきなりの嘘の設定に驚いたが、晶は自分がボロを出してはいけないと、表情を引き締めて素知らぬ顔をする。余計なことをしゃべらないように意識して口を結んだ。


 女性は少し驚いた様子だったが、すぐに目を伏せて沈んだ表情を見せる。


 「…あの子はもう亡くなりました。もう三年前になります」


 予想していなかった言葉に衝撃を受け、晶はまじまじと彼女を見つめてしまった。


 (…亡くなった?三年前に?それじゃあ…)


 次いで香月の様子を伺うと、彼の方も僅かに目を見開いていたので同じく動揺しているようだ。


 「…それは存じ上げず、大変失礼いたしました」


 彼はすかさず哀悼の意を伝えると、深々と女性に頭を下げる。慌てて晶も同じように頭を下げた。


 「いえ、気にしないで。脳の病気で、見つかった時にはもう手遅れだったの。それからあっという間に逝ってしまったわ…祥太が亡くなって3年も経ったなんて信じられないけど、月日が過ぎるのは早いものね」


 女性のその言葉と表情からは、哀愁と共にやり切れない思いが伝わってきて、密かに晶の胸を衝いた。


 この母親は大切な息子を亡くしてから三年も経つのに、その悲しみから逃れられていないのは明白だった。やつれた様子と生気に乏しい瞳を見ればそれは明らかだ。


 自分はたった半年でも苦しいのに、この思いを三年も…。そしてこの先もずっと逃れられない悲しみを背負い続けてこの人は生きていくのだろうか。


 (私も、同じようになるのかな…)


 自分も同じように、ずっと一人でこの悲しみを背負っていくのか。はたして自分はそれに耐えられるのだろうか?


 独りアパートに取り残され泣いている自分を想像してしまった晶は、いつの間にか冷たくなっていた自分の手をぎゅっと握りしめる。


 

 女性は、自分に分かることがあればと晶と香月を家の中に招いてくれた。


 居間に通された二人は、可愛らしいキルト地のカバーが掛かったソファに腰を下ろす。部屋の中を見回すと、壁際の低いチェストの上に、季節の花と一緒に写真が飾られていた。爽やかな笑顔で映っている青年が、横山祥太さんだろうか。見るからに好青年といった雰囲気だ。


 写真に見入っていると、続きのキッチンから女性がお盆に冷えたお茶を乗せて持ってきた。目の前に置かれたグラスの中で、氷が崩れる冷たい音がする。二人でそれぞれお礼を述べると、女性の方から先に切り出した。


 「それより、祥太に聞きたかったことって?…もしかして純子さんの件かしら?」


 思いがけず相手からその名前が出たことに驚きつつ、晶は香月の方をちらりと窺う。香月の方も晶を見たので一瞬目が合った。


 「そうです。生前、祥太さんと交流のあった小泉純子さんのことをお聞きしたかったのですが、純子さんが亡くなったことはもうご存じでしたか?」


 香月の質問に、女性は見るからに痛ましげな、沈痛な面持ちで頷いた。


 「彼女には本当に…本当に気の毒なことをしてしまったわ」


 「気の毒というと…」


 聞かれた女性は窓の外を見ながら、当時を思い出すように話し始めた。


 「二人は結婚の約束までしていたのよ。新居も決まって、二人の新しい生活が始まるはずだった。…そんな時に、祥太の病気が発覚したの」


 いつの間にか強かった日差しが鳴りを潜め、灰色の雲が空を覆っている。カーテンをふわりと揺らす湿った風が、窓辺につり下がったガラス製の風鈴を小さく鳴らした。


 「祥太と純子さんは、そのことで婚約を解消せざるを得なくなったの。でも」


 女性はゆっくりと首を振った。 


 「二人がどういう結論を出したかは、分からなかった。聞こうとしても、祥太は『もういいんだ』って言うだけで…。そのまますぐに入院することになったんだけど、祥太が入院している間、純子さんは一度も会いに来なかったわ。だから二人はちゃんと話し合って、お互い納得して別れたんだと思っていたのよ」


 女性はそう言うと、まるで痛みに堪えるかの様に両手で顔を覆った。


 「病気のせいであっさり別れるなんてと思って、その時は少し彼女に幻滅したわ。でも祥太が亡くなって、そのお葬式の時に二人の共通の友達から、祥太と間を置かず純子さんも自殺で亡くなっていたことを聞いて…自分の思い違いに気付いたの。あの時はやり切れない気持ちでいっぱいだった」


 今までの鬱積した想いを吐き出すかの様にそう言った後、彼女は両手で顔を覆って深く俯いてしまった。


 「今思うと、祥太は何も言わず別れを告げたのかもしれないわ。自分はもう純子さんを幸せにできないと悟って、純子さんの未来を守るために。…今となっては分からないけど」


 そう言って顔を上げた女性は瞳に涙を溜めたまま、深い溜息を付いた。


 「せめて天国で二人とも幸せになってくれればいいのに」



 (純子さんは未だに天国には行けていない。それどころか、悪霊と化してしまった)


 

 晶は暗澹たる気持ちになる。彼女の話が本当なら、純子さんは突然の別れに納得できなかったのではないだろうか。彼女の未来を守るためとは言え、理由も聞かされず突然去ってしまった恋人のことを、彼女はどんな風に思っただろう。


 晶はふと、今朝見た夢を思い出した。あれはまさに男女の別れの場面だった。あの夢が彼女の見せた真実だとしたら、彼女は本当に何も聞かされず突然別れを告げられたのかもしれない。そして絶望のまま、あの部屋でずっと恋人を待ち続けて――――


 彼女のことを考えていた晶は、徐々に胸が苦しくなり、次第に額に嫌な汗を掻き始めた。心臓の音がやけに大きく聞こえる。


 (あれ…?どうしたんだろう…)


 激しい動悸がする胸を抑え、静かに深呼吸する。窓に目をやると外は昼間にしては薄暗く、いつの間にか雨が降り始めていた。女性がそれに気付き、窓を閉めるために立ち上がった。


 その時突然、頭から冷水を浴びたかのような感覚に襲われ、目の前が暗くなった。


 それと同時に目の前では独りぼっちの空間に誰かが立ち竦んでいる映像が見えた。横を振り向けば香月もいるはずなのに、彼が視界に入らない。


 その映像が見えた途端、心臓が動悸と共に急速に冷えていくような感覚を覚え、全身に鳥肌が立つ。無意識に腕を擦るが、その手も冷えて震えていた。


 早く…、早く見つけなきゃ…


 頭の中で声がする。それは立ちすくんでいるその人物の声だったのかもしれない。


 (一体何のこと?見つけるって…)


 その瞬間、はっと思い至る。見つけなきゃいけないもの。晶は考える前にもう声に出していた。


 「指輪…婚約指輪は今何処にあるか分かりますか?」


 突然そんな質問をした自分に驚くが、早く聞かなければ心臓が今にもどうにかなってしまいそうだった。香月も女性も驚いたような顔で晶を見ている。


 「婚約指輪?…あぁ、祥太が純子さんに贈った?さぁ、私にはちょっとわからないわ。祥太の遺品にもそれらしいものはなかったはずよ」


 頬に手を当て、思い出す様な仕草で女性が答える。それを聞いて、晶は愕然として全身の力が抜け、崩れ落ちそうになる。


 (ない?…ここにないなんて…そんな…)


 「あら、あなた大丈夫?その指輪がどうかしたの?」


 女性が心配そうに覗いてきた。何のことか分からず顔を上げると、頬を温かいものが伝っている。驚いて頬をこすると指先が濡れた。その時初めて晶は自分が泣いていることに気が付いた。


 「あれ?なんで…」


 自分が泣いていることに混乱し、晶は勢い良く立ち上がる。


 「あの、…し、失礼します!」


 訳も分からず頭を下げ、そのままの勢いでその場を逃げる様に後にする。


 玄関を飛び出すと、わき目も振らずに走り出した。外は大粒の雨が降っていて、晶の全身をすぐにずぶ濡れにしたが、そんなことは構っていられなかった。


 晶はなぜ自分が今走っているのかも分からないまま、全速力で走り続けた。何かに急き立てられているような、急がないと何かに間に合わない様な気がして、無我夢中で走った。


 そして、自分にも分からない目的地を急いで目指した。







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