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8.失くした想い




 どうして?どうしてそんなことを言うの?一体何がいけなかったの?


 そう問いただしても、背中を向けた彼からは何の返答もない。


 そのまま彼は部屋のドアを開けて出ていこうとする。


 待って!この部屋は?この部屋はどうするの?それに…指輪は?


 必死になって追いすがる。すると彼は少し振り向き、何か言った。


 その言葉に衝撃を受け、その場に立ち尽くす。まるで冷や水を浴びたかの様に全身が震え、立ち去る彼を追いかける気力さえ無くなってしまった。



 ドアが閉まる音を最後に、しんと静まり返る室内。


 残されたのはこの部屋と、左手の薬指に嵌められた指輪だけ。


 独りでに零れた涙が、ぽたりと床に落ちた。




 (この指輪は…あの時の…)


 はっと気が付き、晶は文字通り飛び起きた。


 今、とても重要なものを見た気がする。今見た夢は自分の記憶ではなかった。


 (あの指輪は確か…)


 「おはよう、静野さん。怖い夢でも見たの?」


 「ひゃぁっ!!」


 すぐ隣で低く落ち着いた声が聞こえ、晶は心臓が飛び上がるほど驚いた。


 すぐに声がした方を振り向くと、なんとその声の主が晶のすぐ隣で優雅に横たわっているではないか。


 「えっ!!?…あれ?どうして…?」


 状況がつかめず頭が混乱する晶とは反対に、今日も変わらず見目麗しい香月は、眩しいくらいに爽やかな笑顔を見せた。


 「昨日の夜、君が添い寝を申し出てくれたから、その厚意に遠慮なく甘えることにしたんだ」


 そう言った彼はいかにも寝起きといった様子で、少し癖のついた髪を無造作にかき上げる姿はとても絵になっている。しかし、晶はそれどころではなかった。


 「添い寝!?申し出!!?」


 香月が自分のすぐ隣で寝ている事実を目の当たりにして、晶は必死に昨夜のことを思い出そうと起き抜けの頭をフル回転させた。


 そういえばあの後、そのまま部屋に運ばれた晶はベッドに横たえられた。


 焦る晶の心とは裏腹に、相変わらず晶の体は動かないまま彼の瞳を見つめるしかない状況で、そのうちその美しい顔が段々と近づいてきた。混乱する晶は、あと少しであわやという所でその目を塞がれ、視界が真っ暗になった。そこまでは記憶があったが、その後から思い出せない。


 そう、思い出せない。自分はあの後一体どうなってしまったのだろう。


 全く思い出せない自分に苛立ちさえ覚えるが、そのことを香月に聞くのは何だか怖いような気がして、晶は彼を前に青くなったり赤くなったりして狼狽えることしかできない。


 そんな様子を面白がるように見ていた彼は、ベッドから起き上がり、カーテンを開けた。外はすっかり明るくなっていて、もしかしたらもう昼に近い時間なのかもしれない。


 「よく眠れた?何だかさっきは飛び起きてたけど、大丈夫?」


 「…大丈夫です。最近変な夢を見るから、またその夢だと思います」


 とりあえず昨日のことは掘り返さずに、このまま話を続けることにする。覚えていないのだから、何かあったとしても何もなかったことと同じだ。晶は強引な理論を作り出し、無理やり思考を切り替えることにした。


 「変な夢?」


 「多分…なんですけど、その夢は私に捕り憑いた悪霊が見せているんじゃないかと」


 「どういうこと?」


 「夢にあの写真の女の人がつけていた指輪が出てきたから。きっとそうなんじゃないかと思うんです」


 そして、晶はこれまで何度か見た夢の内容を出来るだけ詳しく話した。香月は晶の話を聞いた後、ベッドの端に腰かけ暫く考え込むような仕草をする。


 「…その夢の中の彼女は、恋人と別れたってこと?」


 「そうだと思います。…すごく悲しんでるのが伝わってきましたから」


 今思い出しても、胸が掴まれたように痛む。それほど夢の中の彼女の悲しみと絶望は深かった。


 はじめ晶はその覚えのある感覚に、父親を亡くした直後の自分の夢を見ているのかと思った。しかし、途中から夢は明らかに自分の記憶ではなくなった。


 あの指輪。あのターコイズの指輪は写真の彼女のものだ。そして夢の中で彼女はあの時彼に何を言われたのだろうか。あの指輪はどうしたのだろう?


 「香月さん、写真に写っていた彼女の指輪は今、何処にあるんですか?」


 「指輪?…何でそのことが気になるの?」


 香月は不思議そうな顔をする。改めて聞かれると、確かに何故指輪のことが気になっているのか自分でも分からない。


 「何となく気になって…。珍しい婚約指輪だったからかな?」


 そう言うと、彼は少し考えるようなそぶりを見せる。そして、少し待つように晶に言うと立ち上がって部屋を出て行った。


 数分もしないうちに戻ってきた香月は、その手に束になった紙の資料を持っていた。ページを捲りながら、どこかの項目を探しているようだ。


 最後のページまで捲ったところで資料をパタンと閉じてテーブルに置く。


 「あの写真に写っていた指輪に関しては、これといった情報は入ってない。でも、静野さんが気になるってことは、もしかしたら捕り憑いた彼女が何か拘っているものなのかもしれないな」


 そういうこともあるのか。確かに、はじめてあの部屋に行って倒れた時も、あの指輪が記憶に残ったし、写真を見た時も真っ先に気が付いた。そしてさっきの夢。


 そう考えるとはじめからあの指輪が気になっていたような気がする。これは彼女が何か伝えようとしているのだろうか?


 「あの部屋には…もうないですよね?だとすると家族の誰かが形見として持ってるのかなぁ。それともあの婚約者って人が?」


 「もし君の夢が正しい情報を伝えているとしたら、別れた恋人がその婚約指輪を持っている可能性は低い気がするな」


 確かにそうだ。決別した相手の私物、しかも婚約指輪を後生大事に持っていることなんてあまり無い気がする。だとすると、一番可能性が高いのは家族だろうか。


 「君に捕り憑いた霊がその婚約指輪に拘っているなら、それが今回の問題解決の糸口になるかもしれない。行方を調べる価値はありそうだ」


 そう言って再び資料を捲りだした香月は、目的の情報を見つけたのか、ページを捲る手を止めてしばらくそこに目を落としていた。


 カーテンから差し込む日の光が、彼の長いまつげの影を頬に落としている。その光景が何だか神々しくて、晶はつい見惚れてしまった。本当に何をしても絵になる人だ。シャツを着崩して着ている姿も何だか妙に色気があり、次第に晶は昨日に引き続き目のやり場に困ってしまう。


 (こんな彼がまさか一晩中自分の隣で?いやいやここからは考えないようにしよう…でないと想像するだけで身が持ちませんいやいや自主規制…)


 そんなことを考えつつ、ハッとして晶は自分の恰好を見下ろす。その何とも色気のないジャージ姿に晶は文字通りがっくりと項垂れた。


 (なんということでしょう…ジャージ姿で王子様にお姫様抱っこされるとは…)


 毛布でそっと自分の身体を隠しながら、晶は自己嫌悪に陥る。失態ばかり見せた昨日の自分を殴りたくなった。


 せめてネグリジェでも着ていれば、少しは目の前にいる王子を引き立てられたかもしれないが、こちとら生まれてこの方そんな文化に触れたことは一度もないのだ。寝るときはいつもジャージを着ていたのだから仕方がない。


 そんな自分と香月を見比べ、益々彼と生きている世界の違いを実感してしまう。


 香月に出会ってから、自分が物語のヒロインにでもなったような感覚を味わうこともあったが、冷静に考えると自分は特別な人間でも何でもない。そんな自分が王子の隣に並んで良いはずがないのだ。今は都合上パートナーとして扱ってもらっているに過ぎない。


 (危うく勘違いしたまま虜になるところだった…)


 この目の前にいる王子は鑑賞対象であり、今はそれを間近で楽しむ特別期間。つまり人生のボーナスタイムなのだ。


 そう思うことにして、晶は自分を納得させた。むしろそう考えれば、この奇妙な共同生活も気楽に楽しむことが出来るのではないだろうか。


 (アイドルとか俳優とか、有名人のファンの心理に近いのかも)


 だとするとこの状況は、ファンからすればお金を払うくらい価値のあるものだろう。幸い晶はお金を払わずに、所謂"推し”との夢のような?共同生活を送れるのだ。こんなに贅沢なことはない。


 晶はせいぜいこの生活を楽しんでやろうと密かに決意した。



 そんなことを考えている間に、香月の方は手持ちの端末に何か入力を済ませて、紙束の資料を閉じたところだった。


 「じゃあ準備が出来たら、早速調べに行こうか」


 「え、指輪の在処がわかるんですか?」


 対応の早さに驚いていると、香月は不適な笑みを向けて資料を掲げて見せた。


 それは何かの契約書のコピーのようで、例のマンションの名前と、部屋の契約者の欄に『横山祥太』と記されている。そして、同居人の欄には『小泉純子』。ということは、自分に取り憑いている霊はこの『小泉純子』ということか。


 「マンションのオーナーから依頼された時、契約書の内容をコピーしたものを資料としてもらっている。保証人も契約者と同じ苗字だから、親類の可能性が高い。住所も記載されているから、まずはこっちからあたってみよう」


 その時、ドアをノックする音が聞こえた。香月がそれに答えると、ドアが開き、そこに堀越がにこやかな笑顔で立っていた。


 「朝食の用意が整いましたので、ダイニングルームの方へお越しください」


 そう言って丁寧に一礼し、再びドアを閉めていく。


 「そうか、食事がまだだったね。じゃあ先に下りているから、準備ができたら下りてきて」


 香月はそう言うと立ち上がり、資料を片手に部屋を出て行こうとしたが、ドアを閉める前に一度晶の方を振り返り、軽く微笑みを見せた。


 パタンと閉められたドアを、晶は赤くなった顔で見詰める。


 (今のはファンサービスだ…さすが自分の魅せ方が上手い…)


 赤面したまま暫く笑顔の余韻に浸っていた晶は、急いで身だしなみを整えるために洗面所に向かった。といっても、顔を洗って髪を梳かす程度で、いつもの普段着に着替えるだけだ。


 黙々と着替えを終えて、晶は改めて自分の姿を鏡に映す。


 「これは…終わってる…」


 晶は肩を再びガックリと盛大に落とした。


 目の前の鏡には、伸ばしっぱなしの前髪に中学の時から来ている垢抜けない服を着て、アクセサリーや化粧もしない野暮ったい少女が映っている。


 分かってはいた。分かってはいたが、ここまで自分の姿を見てがっかりしたことはなかった。


 そんな自分が期間限定とはいえ、パートナーとしてあの香月と行動を共にして良いのだろうかとさえ思う。もっと自分に花があれば少しはつり合いが取れるだろうに。



 父親が死んでからというもの、ただ生きるために生活してきた。バイトや勉強でそれどころではなかったということもあるが、世間の流行に興味を向けることなく、父親に残された生を、ただ生きていただけだった。


 (今更おしゃれに気を使うなんて、私にもまだそんな感情が残ってたんだ…)


 自分の為に行動するという感覚を、晶はしばらく忘れていたことに気付く。自分の見た目に気を遣うこと。それ自体が久しぶりのような、何だか新鮮な気持ちだった。それに、心がときめきを感じることも、随分忘れていたような気がする。


 どれもこれもきっと香月のおかげだ。


 目の前に突然現れた王子は、自分の心にまだ少し残されていたものを思い出させてくれたようだ。モノクロームだった晶の心に、少しだけ温かな色が付け足された様な気がする。


 晶はふと思い付き、自分の手荷物が入ったバッグを弄った。


 その中から手のひらに乗るくらいの小さい箱を見つけて取り出す。箱を開けると、中にはアンティークな指輪が入っていた。


 それは小指の爪位の大きさのムーンストーンが嵌められた指輪で、乳白色の石が光を反射して青白く輝いている。その輝きは掴めそうで掴めない幻想の様で、いつでも晶の心を魅了した。


 この指輪は母の形見の品だった。晶が生まれてすぐに亡くなった母が、生前とても大事にしていた指輪だったらしい。晶は物心ついたときからずっとこの指輪が大好きだった。身に着けるにはまだ子供過ぎたので、ずっと箪笥の奥に大切にしまわれていたが、時々こっそり取り出しては、その輝きを何時間も眺めていたりした。


 幼い頃の晶は、いつか自分も大人になって、母のようにこの指輪が似合う女性になるんだと考えていた。


 晶は指輪をそっと左手の薬指に嵌めて、その姿を鏡に映してみる。


 指輪は晶の指にぴたりと収まるが、そこには明らかに指輪の美しさに負けている自分がいた。


 「このままじゃ、全然だめだわ」


 この指輪に見合う自分になることが、この先あるのだろうか。想像すら出来ず溜息をついて指輪を外し、箱に戻そうとする。


 しかし、窓から差し込む光を吸い込んで輝くムーンストーンから目を離すことができず、つい見入ってしまう。


 確か、この感覚は前にも覚えがあった。そう、それは昨日のこと。香月の瞳を見た時だ。あの時の感覚はこの指輪を眺めている時に感じるものと似ている気がする。


 あの綺麗な瑠璃色の瞳に間近で見られていると思えば、もう少し魅力的になるように頑張れるだろうか。


 晶は思い立ち、荷物の中から何年か前に露店で買った安物のネックレスを探し出した。そのチャームを外し、代わりにチェーンに指輪を通して首から下げる。


 これは一種のまじないみたいなものだ。少しでも自分に自信が持てるように。


 願いを込めて指輪を握ると、それを大切に服の下に隠した。


 そして改めて鏡の自分を見つめ、ひとつ頷くと、晶は勢いよく部屋を出て行った。



 しかし、部屋を出た直後、晶は早々に迷子になってしまった。


 「なんなのこの家…何で廊下が真っ直ぐじゃないの!?」


 昨日部屋まで案内された時はその豪華さに圧倒されて気付かなかったが、この屋敷は部屋数も相当多いようで、更に入り組んだ構造をしているようだ。


 焦りながら独りごとを呟いていると、突然後ろから肩を叩かれた。驚いて振り向くと、年季の入ったメイド服を着た中年の女性がにこやかにそこに立っている。


 「どうぞこちらへ。ご案内致します」


 そう言って晶の先に立った女性は、その雰囲気からしてどうやらお手伝いさんのようだ。


 (なんだ、女の人も働いてたんだ。じゃあそんなに昨日は心配することなかったんだ…)


 この家に来てから女性を見たのは初めてだ。晶は昨夜の自分の行動の迂闊さを恥じると同時に、内心ほっとした。やはり男性だけの家で生活するのは多少抵抗がある。


 晶はその女性の後に付いて歩きながら色々聞いてみようと思い、その後ろ姿に向かって声をかけようとした。


 しかし、何かが晶の意識に引っかかった。


 何か違和感のようなものが脳裏を過る。いったいこれは何なのか?


 晶は話しかける前にもう一度よく女性を見てみる。すると、長い黒色のスカートの下から交互に覗くはずの足が見当たらない。


 「ん!?」


 晶は気付いて思わず変な声を出してしまった。慌てて口を噤むが、女性は気にした風ではなく、そのまま先導してくれている。


 晶は必死に落ち着こうとした。取り乱さない様に密かに深呼吸を繰り返す。


 少しだけ距離を取ってそのまま女性の後ろを歩きつつ、晶はこれは一体どういうことかと必死で頭を巡らせた。


 つまり、目の前の女性は多分、いや絶対、幽霊ということなのだろう。昨日香月から指摘された通り、自分は何故か幽霊が見えるようになったらしい。


 そうこうしているうちに、女性がドアの前で立ち止まり、こちらを振り返って丁寧にお辞儀をした。


 「あ、ここですか。どうもありがとうございました…」


 声が震えないようにそう言って頭を下げた晶に、彼女は微笑みを見せる。その横を恐る恐る通り過ぎ、ダイニングに続くドアを開くと、部屋の中の光が薄暗い廊下に差し込む。その光が女性が立っていた場所に届く間際に、彼女の姿は自然と闇に溶けて消えてしまった。


 晶はその光景を不思議に思って廊下を見回してみたが、彼女の姿は何処にも見当たらない。


 「静野さん、どうかした?」


 部屋の奥の方で香月の声がした。振り向くと、ガラス張りの窓を背に、ダイニングテーブルに着いた彼がティーカップを持ちながら不思議そうにこちらを見ている。


 「あの…、今メイドさんの、幽霊?にここまで案内してもらいました…」


 自分でも言っていることに自信が持てない。だから、香月にも信じてもらえるか不安になってつい声が小さくなってしまう。


 「あぁ、キヌさんね。やっぱり見えたんだ。大丈夫、彼女は無害だよ」


 彼は事も無げにそう言って席を立ち、晶の前まで来るとその手を取って、香月が座っていた前の席の椅子を引いて晶を座らせた。


 (私は姫かっっ!!)


 その行為に内心狼狽えつつも、されるがままだった晶はその自然なエスコートに心の中でつい突っ込みを入れてしまう。


 そこにエプロン姿の堀越がにこやかにティーポッドを持ってやって来た。


 「キヌさんは、この屋敷が出来た当時から住みついている女性だそうです。色々知っているようですので、わからないことがあれば今度聞いてみるといいですよ」


 「…はぁ…」


 こちらも当たり前のように言う堀越に対して、気の抜けた返事しかできない。


 この人たちにとって、幽霊の存在はあまり特別なものではないらしい。自分も今は見える側の人間になってしまったのだから、いちいち驚いていては身が持たないだろう。


 早く慣れたほうが良いかもしれない。しかし、幽霊に慣れるって何だろう。今まで存在すら感じたことがなかったのだから、人生何が起こるか分からない。


 そんなことをしみじみと思っていると、堀越が目の前のティーカップに湯気の立った紅茶を入れてくれた。


 「ありがとうございます」


 丁寧な扱いに慣れていない晶は、恐縮しながらも礼を言う。目の前のテーブルには見た目も鮮やかで美味しそうな朝食が用意されていた。


 見るからに新鮮なサラダに、湯気の立ったコンソメスープ。絶妙な焼き色のベーコンにプルプルした黄色い黄身が魅力的な半熟の目玉焼き。そして、先ほどから香ばしい香りをさせている、焼きたてであろうパンがおしゃれな籠の入れ物に山盛りに乗せられている。


 見るからに美味しそうな朝食を前に、晶は急に空腹を感じた。まるで高級ホテルの朝食みたいではないか。


 晶が見惚れていると堀越が微笑みを浮かべる。


 「どうぞ、遠慮なく召し上がってくださいね」


 「いいんですか?…じゃあ、遠慮なくいただきます!」


 両手を合わせていただきますのポーズを取ってから、ふと香月の方を見てみると、彼の前には湯気の立っている紅茶のカップだけが置かれていた。


 「あれ?香月さんは食べないんですか?」


 「僕はもう済ませたから、遠慮なくどうぞ」


そう言われて手で示された。それならと、晶はスプーンを手にし、早速スープを口に運んだ。


 「…!美味しい‼」


 驚くほど美味しかった。言い過ぎでも何でもなく、今まで口にしたスープの中で一番美味しいかもしれない。


 感動のあまり素直に堀越にそう伝えると、彼は穏やかに笑みを湛えて軽く頭を下げた。


 「お褒めに与り光栄です」


 どこまでも自分を丁寧に扱ってくれることに恐縮しつつも、彼が思った以上に嬉しそうにしてくれたので、晶も自然と笑顔を向けた。


 二人のほんわかしたムードが漂う中、香月は静かに紅茶を飲んでいたが、彼からも何処となく穏やかな空気が流れていた。


 香月の後ろの窓からは、爽やかな夏の空の木漏れ日が射し、彼のダークブロンドの髪を静かに光り輝かせている。その眩しい光景を目を細めて見ながら、晶は心がじんわりと温まって解れていくのを感じた。


 どうやらここのところ色々なことが続いていたので、心が凝り固まっていたのかもしれない。


 それに、誰かと一緒の食事がこんなにも温かいものだったなんて、知らなかった。きっと、幸せなままだったら知ることはなかっただろう。


 晶の胸の中は温かいものと切ないもので満たされていっぱいになった。鼻の奥がツンとしてきたが、思いが溢れないように瞬きを繰り返して何とかやり過ごす。


 

 その後も晶は他の料理も遠慮なく味わい、その度に堀越を素直に賞賛した。こうして3人で過ごす初めての朝食は、晶にとってとても美味しくて温かい、最高の思い出になった。








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