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7.丘の上の幽霊屋敷

 



 「何だかとんでもないことになったなぁ…」



 手にした歯ブラシセットを豪奢な戸棚に仕舞いながら、晶は小さく溜息を吐く。


 晶が今いるのは馴染みのあるオンボロ自宅アパートの居間ではなく、映画のセットにでも使われていそうな、西洋式の煌びやかな洗面所だ。ドアからベッドのある寝室を見れば、これまた豪奢なシャンデリアに照らされた室内が見える。


 はじめに寝かされていた部屋よりひと回り小さい、といっても晶のアパートの居間の3倍は広さのあるこの部屋は、ホテルのように専用の洗面所とトイレとバスルームまで付いていて、生活するには申し分ないというか、勿体無いほどの部屋だ。


 部屋の調度は甘い色合いで統一されていて、ピンクと赤を基調とした壁紙に、南に面した大きな窓にかかるクリーム色のカーテンにはフリルがあしらわれている。


 アンティーク調のベッドは何と天蓋付きで、二人で寝ても余裕があるほどの大きさがある。晶は初めてこのベッドを見た時、その豪華さにしばらく放心してしまった。


 貴族の令嬢がそのまま使っていてもおかしくないような部屋の豪華さに、改めてここにいるジャージ姿の自分が違和感の塊でしかない。


 先刻、必要なものを自宅アパートまで取りに戻るために、晶は一度この屋敷の外に出たが、堀越の運転する車内からこの屋敷を見たときにも度肝を抜かれた。


 煉瓦造りの洋館は、そのまま外国映画にでも出てきそうなほど素敵で立派だった。


 古い屋敷ではありそうだが、晶のオンボロアパートとは違い綺麗に手入れが行き届いているのがわかる。


 屋敷の周りには広い庭があるようで、暗くてあまりよく見えなかったが、外に出た時に微かに花の香りが漂っていた。


 前庭の先にある木立ちを抜けるとこれまた立派な門が佇んでいて、門を出ると林の中を通る一本の下り坂が、闇の底に向かうように続いていた。


 どうやらこの屋敷は、海に突き出た小高い丘の上の雑木林の中にあるらしい。遠目で見てもそこにこんな立派な洋館があるとは誰も気付かないだろう。実際、この屋敷は晶が住んでいる町からそれほど離れていない場所にあったが、これまでその存在を知ることはなかった。まるで外界から身を隠すようにこの屋敷はひっそりと建っていた。


 そしてこの立派な屋敷の主人は、香月瑠依という謎の美青年。自分とあまり齢が離れていないらしいのに、自分とは違う世界に住んでいる人物。



 (それにしても―――)


 晶は持ってきた服をクローゼットに仕舞いながら、改めて自分の今の状況を思い返す。


 美青年と一つ屋根の下で一緒に生活し、なお且つ、自分を危険から守ってくれる。これは、傍から見ればかなり美味しいシチュエーションではないだろうか。


 「ははは…」


 ドラマや漫画にありそうな状況が今の自分に起こっていることにまるで現実感が無く、晶は思わず乾いた笑いを零す。


 この場合、晶と香月はやがて恋人同士になるのが定番のストーリーだ。しかし自分と香月とではとてもじゃないが釣り合わない。釣り合わな過ぎてお笑いだ。


 「こういうのを月と鼈って言うのよね…。う~ん、それならどんな人が香月さんに釣り合うかなぁ」


 美人だと思う芸能人やモデルを思い浮かべるも、どれもしっくりこない。あの香月の隣にいて釣り合う女性なんて、そうそういるものではないのかもしれない。


 ふと、堀越に初めて会った時に車の後部座席に乗っていた女の子を思い出した。


 「…あの子なら、香月さんととってもお似合いだなぁ」


 艷やかな黒髪を切り揃えた人形のような和服の美少女。二人が一緒にいる所を想像してみる。ひと目見ただけでも印象に残るほどの美少女だったし、浮世離れした雰囲気が香月とぴったりだ。


 もしかしたらすでにそういう関係なのかもしれない。それなら、運が良ければその子に会えるのではないだろうか。もしそんな機会が訪れたら、お似合いの二人を眺めて密かに眼福を拝ませてもらうのも良いかもしれない。

 

 そんな想像を膨らませながら、晶は少しだけ自分の心が浮ついていることを自覚していた。


 実際は命の危険があるので浮かれている場合ではないことは分かっているが、それでも胸に温かさに似た何かがじんわりと広がるのは止められなかった。


 「…今日は、一人じゃないんだ」


 父親が死んでからもう半年以上経つ。その間、晶は何とか孤独に慣れようとしてきたが、それでも1人きりの生活に耐えかねて、夜中泣き通したことも少なくなかった。


 今まで幾度も辛い夜を過ごしてきた晶にとって、この香月の申し出はまさに勿怪の幸いだった。


 「ふー…」


 そんな浮き足立つ心を戒め、晶は冷静になろうと努める。一度ゆっくり深呼吸して頭を冷やすと、ふと疑問が浮かんできた。


 「…こんなに簡単に信用して大丈夫だったかな?」


 出会ったばかりの男性と、会った次の日から一緒に生活するなんて、いくら何でも早計だっただろうか。


 悪霊に取り憑かれているからといって、よく知らない男性(齢が同じくらいの青年だが)の家に上がり込むなんて、よくよく考えたらとても非常識なことではないだろうか。


 それにもし香月の言っていることがすべて嘘だとしたら、自分は最近のニュースによくある犯罪の被害者と同じパターンに陥るのではないだろうか?


 自分の思考に益々不安を覚えた晶は、考え出したらいても立ってもいられず、立ち上がってそわそわと部屋の中を見回した。


 「い、いざとなった時に逃げられるように、退路を確保しておこう…」


 今はもう真夜中で、この家の住人は二人とも眠りについている時間だろう。晶は昼間眠っていたせいかあまり眠れる気がしなかったので、こんな時間まで荷物の整理をしていたのだ。


 「窓から外に逃げられるかな?」


 退路を確認するためにカーテンを開けて外を見てみる。


 外は塗りこんだような濃い闇夜だった。星も月も街灯すらも見えず、さらに屋敷の周りが雑木林で囲まれているせいか、一層闇が深いように感じられる。


 「2階ぐらいなら飛び降りられる…かも?」


 確かこの部屋に案内されるときに階段を上がったので、この部屋は2階にあるはずだ。そう思い、高さを確かめようと窓を開けてバルコニーに降り立った。


 潮の匂いと湿り気を帯びた夜の風が、晶の髪を弄ぶように纏わり付く。濃い夜の空気の中を晶は髪を抑えながらバルコニーの手摺の手前まで足を運び、そこからそっと下を覗いてみた。


 夜も深い時間のせいか、他の部屋の明かりも見えないので、地面までどれくらいの高さがあるか確認できない。


 晶は目を凝らして地面がある場所を探す。すると、部屋の明かりが反射して、下草が少し光っている所があった。あそこが地面だとすると、2階と言えどかなりの高さがあることが分かる。


 晶は辺りを見回し、どうにか下に降りる方法がないか探る。すると、少し離れた場所に屋根まで届く高さの木が枝を広げているのが見えた。その枝が隣の部屋まで続くバルコニーの近くまで伸びている。


 「あの木の枝を伝ってどうにか下りられるかな」


晶は木の枝の近くまで移動し、手摺を乗り越えて木の枝に手を伸ばしてみる。


 「もう少しで届くかも…」


 左手でバルコニーを掴んだまま、必死に右手を延ばす。しかし、いくら腕を伸ばしても指先が枝に触れる程度で、掴めるまでは届かない。


 「ダメかぁ…」


 晶は溜息とともに伸ばした腕を下ろした。


 次の瞬間、バルコニーを掴んでいた手が勝手に動き、掴んでいたはずの手がバルコニーから離れる。


 「!?」


 自分の意思とは関係なく、左手は掴んでいた手摺から離れ、晶はバランスを崩した。


 このままでは確実に地面に落ちる。そう予測した晶は一気に顔が真っ青になった。


 (ヤバい…落ちる!!)


 傾いていく体をどうすることもできず、晶は怖くなってぎゅっと目を瞑る。


 「!!」


 その時、強く左手首を掴まれた。


 そのまま腕を後ろの方へ勢いをつけて引っ張られ、晶は体を抱えられるようにしてバルコニーを乗り越える。


 何が起こったかわからず、一瞬の出来事に頭が真っ白になる。


 心臓は煩いくらいにドクドクと音を立てて鳴っている。晶は強く掴まれたままの左手の感触と、漂う甘い香り、そして間近で聞こえる荒い息遣いを感じ、ゆっくりと振り返った。


 そこには、乏しい明かりの中でも光を集めて煌めく瑠璃色の瞳があった。


 何が起きたのか瞬時に理解した晶は、自分の身に起きたことに再び真っ青になる。


 「す、すみません!!またご迷惑を…」


 慌てて謝罪しその場を離れようとした晶の左手首を、香月は安堵したように長く息を吐きながら離した。


 申し訳なさすぎて彼の顔を見ることができず、晶は俯く。もう何度目だろうか。いくら悪霊に捕り憑かれているとはいえ、自分の迂闊さが程々嫌になった。


 がっくりと肩を落とし、自己嫌悪の沼に嵌っている晶の横で、香月は息を整えると軽く息をついた。


 「いや、無事でよかったよ。ナイト役を申し出ておいて、危うく無様なことになるかと焦ったけどね」


 晶は怒られると思ったが、予想に反して香月は優しい微笑みを浮かべていた。


 そして彼は唐突に、その細く長い指を伸ばし、晶の頬に触れた。


 (…!!?)


 あまりの出来事に、晶は全身を硬直させる。こんな風に男の子に触れられたことがないので、どうしたら良いかわからず、頭がこれまでにないほど混乱した。


 (なななっっっ!?!?)


 香月は晶の無事を確認していたらしく、やがて目を細めてふわりと安堵の表情を見せた。その彼の顔を見た途端に、今度は晶の心臓が不覚にも変な音を立てた。


 (いっ、今…胸がぎゅぎゅんってなった…)


 自分がまるでおとぎ話に出てくるお姫様になったような錯覚を覚えてしまう。しかも香月の周りがキラキラして見えてくるオプションまで付いてくる始末。


 (わあぁ!いけない!!私はお姫様じゃないって!!)


 この何ともむず痒い状況に、晶は正気を保とうと自分に突っ込みを入れた。


 (とっ、とにかく、このキラキラ攻撃を上手く躱さなければっ!)


 そう思うのに、目は彼の瑠璃色の瞳に奪われたように離せない。しばらくそうして見つめ合っていると、ふいに香月がわずかに眉間を寄せて窺うように訪ねてきた。


 「それにしても、何でこんな所にいたの?また体が勝手に動いた?」


 晶は途端にグッと言葉に詰まる。まさか逃げ出そうとしたなんて言えるわけがない。手摺から手が離れたことは悪霊の仕業だったかもしれないが、そこにいたる過程は完全に晶の意思によるものだ。


 晶は誤魔化そうかと一瞬考えたが、それでは悪霊退治のパートナーとして失格だろう。そう思い直し、意を決してありのままを伝えることにした。


 「えっと、その…逃走経路を、確保しておりました…」


 「逃走経路?」


 「はい。冷静に今の状況を考えると、かなり危険なのではないかと思いまして…」


 「…?危険から守るために居てもらうのに?」


 「そうですね…仰る通りです」


 香月は理解できないといった表情をしていたが、ふと何かに思い至ったのか、わずかに目を丸くするとすぐに片手で顔を覆い、俯いてしまった。


 「だ、大丈夫ですか?!」


 気分が悪くなったのだろうか?いきなりのことで晶がハラハラしていると、次第に香月の肩が揺れ始め、次に身体全体を揺らし始めた。そして終いには堪え切れなくなったのか、くっくっと笑い声まで漏らし始める。


 ポカンとした晶を尻目に、彼は抑えようとしても抑えられない笑いと格闘しているようだった。その様子を見て、晶は安堵しつつも段々腹が立ってきた。


 「…そんなに笑わなくても良いじゃないですか。だって、こんな状況普通じゃあり得ませんよ」


 いつまでも笑っている香月に、晶は不貞腐れたようにボソッと言った。すると、やっと笑いを収めることに成功したらしい香月が、面白がるような顔を晶に向けてくる。


 「確かにね。僕たちがここであらぬ企みを企てても、ここでは誰にも気付かれずに完全犯罪が成立する」


 そう言って、今度は意味ありげな微笑みを向けてくる。そんな彼から、晶は何故か目が離せない。


 こんなに怪しく魅力的な犯罪者になら、騙されてみるのも悪くないかもしれない。


 そんな危ない幻想を抱いてしまいそうになり、慌ててどうにか目を逸らした。


 (そうだ、この人は百戦錬磨のタラシかもしれないんだった。危ない危ない…)


 「とにかく、まだ真夜中だし部屋に戻ろう。―――もし眠れないようなら、僕が添い寝で寝かせてあげるよ」


 蕩けるような甘い笑顔でそう誘惑してくる彼は、それはそれは甘い夢を見せてくれるのだろう。


 雰囲気に呑まれうっかり頷きそうになる。しかしハッと思い直し、捥げるほど必死に首を横に振った。


 「け、結構です!」


 「それは残念」


 そう言って彼はわざとらしく肩を竦めると、今度は悪戯っ子のような笑顔を見せた。その新鮮な表情にまた目が離せなくなる。


 晶は、やられっぱなしの自分が何だか悔しくなり、つい余計なことを口走ってしまった。


 「こんな時間に起きている香月さんこそ、誰かの添い寝が必要なんじゃないですか?」


 言ってしまってから、晶はマズいと思った。


 香月の纏う空気が変わったような気がしたからだ。


 「じ、冗談で…」


 さすがに怒ったのだろうか?すぐに訂正しようと晶が言い終わる前に、いきなり彼に強く左の手首を掴まれる。


 驚いた晶は掴まれた手と香月の顔を交互に見た。


 「そうだね…確かに今日は中々寝付けなかった。では、お言葉に甘えてお願いしようかな」


 そう言って手を引いて晶を立たせた香月は、その綺麗な顔を寄せて晶の顔を覗き込んでくる。


 魅惑的な瑠璃色の瞳を間近で見つめることになった晶は、何かに突き動かされるような衝動に駆られた。


 このまま見つめていては危険だと自分の中のどこかが警鐘を鳴らしているのに、晶は自分の意思で香月の瞳から目を離すことができない。


 その瑠璃色の瞳は、まるで曰く付きの宝石のように怪しく煌めき、晶を魅了する。


 この宝石は見るものを虜にしてその運命を狂わせてしまう力があるのかもしれない。そんな風に思わせる魅力がその瞳にはあった。


 実際にある宝石にはそんな曰く付きのものがあったような気がするが、それでも、その宝石を手に入れることができるなら、自分の運命をも捧げてもかまわないと、自ら破滅へと落ちていきたくなるほどの力がその宝石にはあるのだろう。


 晶はまるで魔法にでもかかったように身動きができないまま、彼の瞳から目を逸らすことができなかった。


 次第に周りの景色も目に入らなくなるほど自分の頭が瑠璃色の世界に彩られる。


 動けない晶の身体を難なく抱え上げた彼は、その顔に微笑を浮かべ、そのままゆっくりと明りが漏れる晶の部屋に向かって歩いていった。









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