表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/17

16.幸せをあなたに




 「本当に、すまなかった」



 ベッドの上で正座をした香月が、その形の良い頭を下げる。


 さらりとした色素の薄い髪がその整った顔を隠してしまうが、頭のてっぺんに旋毛が見えて、綺麗な人は旋毛の形でさえ整っているのだなぁと妙なところで感心してしまう。



 あの後、香月と部屋に戻った晶は、ベッドの上で香月と改めて向かい合う形で座り、晶が眠った後に起こった事の顛末を聞いたところだった。


 「静野さんの生きたい気持ちが霊を切り離すことに成功した。でも、代わりにギリギリまで追い詰めて苦しい思いをさせることになってしまった。本当に、すまない」


 そう言って尚も頭を下げ続ける香月の声には後悔が滲んでいるように聞こえる。


 晶は改めて自分の手を見つめた。握ったり開いたりしてみるも、そもそも今まで幽霊が取り憑いていた感覚など無かったので、いなくなった実感もない。


 「ひとつ、聞きたいんですが…私、あの時自分の首を絞めていましたよね?あれってどういうことですか?彼女が自殺しようとしていたんですか?」


 それにしたって不可解だ。自分の首を死ぬまで絞め続けられるわけがない。それに、あそこはバルコニーだったし、それなら頭から飛び降りた方が確実だ。


 その質問に、香月はしばらく顔を上げずに沈黙していた。


 不思議に思って見ていると、彼はようやく顔を上げたと思えば、今度は晶と目を合わせずに視線を彷徨わせている。


 「…いや、そうじゃない」


 迷いのある声でそう呟くと、彼は僅かに眉を顰め、小さく息を吐いた。


 「そうなるように、僕が仕向けた。詳しく話すことはできないが、君を傷つけた事実は変わらない」


 苦いものが滲んだような声でそう言った彼は、徐に手を伸ばす。その細長くも男性的で骨張った手の指先が、不意に晶の首筋に触れた。


 強い力で首を絞めたせいで赤い跡が残ったその首筋に、いきなりひんやりとした彼の指先が触れる。

 びくりと身体を跳ねさせた晶には構わず、彼はその指先をゆっくりと赤い跡に沿ってなぞっていく。その唐突な行為に晶は思わず身体を硬くした。


 (な、なに…?)


 なぜそんなことをするのか理解が追い付かない。その真意を知りたくてまじまじと彼の顔を見ると、香月はじっと晶の赤くなった首筋を見ているようだった。その憂いを帯びた美しい瑠璃色の瞳は、何故か薄っすらと仄暗さを纏っているように感じる。


 (何故、そんな目をしているの?)


 晶にはそれがわからず、その理由を考えようとするが、自分の首に触れる彼の指先に意識が囚われ、思考が霧散してしまう。


 晶は羞恥で全身が赤く染まっていくのを感じながらも、その手を跳ね退ける事ができない。


 気を抜くとくすぐったさで身を竦めてしまいそうになる。平常心を保つべくなるべく指先には意識を向けないようにしたいのだが、ありとあらゆるすべての神経が、触れられている肌に集まっているかのように、敏感に彼の指から与えられる触感を拾ってしまう。


 熱くなった顔を見られたくなくて、そっと顔を背けると、逆に首筋を晒しているようになってしまった。


 これでは何だか触ってほしそうに見えてしまうのではないか。羞恥心丸出しのまま、横目で彼を見ると、首筋の跡から目を離してこちらを見た彼とばっちり目が合った。


 その瞬間、ほんの僅かに目を見開き、香月は息を飲んだかのようにピタリと動きを止める。

 

 そしてその手をゆっくりと首元から離した。


 晶も無意識に止めていた息を零す。心臓はさっきからうるさいくらいに鳴っているので、彼の耳にも届いてしまっているのではないだろうか。


 両手で胸を押さえて恐る恐る香月を見ると、突然彼が目の前から消えた。


 「え!?」


 と思ったら、背中からベッドに倒れ込んでいた。寝転んだ彼は両手で顔を覆っている。

 

 「ごめん…」


 そう呟いて何故か深く長い溜息を吐く。その謝罪が何に対してなのか解らず晶は首を傾げたが、彼の打ち拉がれた様子から、今は問い質す雰囲気でもなさそうだ。


 ごめんだなんて、いつもの大人びた彼と違って何だか年相応に聞こえて、少し可笑しい。そう思うと晶は何だか気が抜けて、彼と同じようにベッドに横になる。

 

 「!」


 香月が驚いて晶の方を見る。その驚き様も何だかいつもの彼らしくなく何処か無防備で、更に可笑しみが込み上げてくる。

 

 晶は思わずフフフと声を出して笑ってしまった。


 そんな晶を見て彼は不可解な物を見るような、少し難しい顔をした。


 「…あのさ、僕が言うのも何だけど、もう少し危機感を持ったほうがいいよ?」


 「ふふふっ。本当に、そうですよね…ふふっ」


 「…」


 香月は納得できないようで、ずっと難しい顔をしていたが、対する晶が笑いを収める様子を見せないので、とうとう呆れた溜息を吐いていた。



 彼と関わるようになってから、色々と解らないことだらけで、曖昧なことばかりだ。


 何一つ明確な答えが返ってこないのに、それでもそれが全く嫌じゃない。彼のせいで心臓は毎回忙しくて、最近の自分は何だか自分じゃないみたい。でもそれが後ろばかり向いていた自分を前に押し出してくれている気がする。


 そんな彼に関わることに心のどこかで警鐘が鳴っているのに、それさえ心地よく感じてしまう自分が可笑しくてたまらない。


 彼になら騙されても良いなんて、そんな安っぽい台詞を言うつもりではないけれど、この心を生き返らせてしまった彼を心が求めてしまうのは、仕方がないことではないだろうか。


 どうせなら生きようと思えた自分の心の赴くまま、好きなように自由にさせてみたい。そして傷が癒えるその時まではどうか、この心の拠り所にさせてほしいなんて、都合が良すぎるだろうか。


 そんな密かな願いを込めて彼の瑠璃色の楽園を眺めていると、いつの間にか晶は波に引き込まれるように眠りについてしまった。





****



 


 何だか懐かしいような夢を見た。


 父親と母親が出てきたけれど、二人は私が知っている顔より少し若く見えた。近くに小さい私がいないのが不思議だったけれど、これは私が想像した結婚前の二人だったのかもしれない。


 二人は眩しいくらいの月明かりの元、光を受けて反射する白い砂浜を歩いている。時々交わされる笑顔は何だか懐かしくて、胸がいっぱいになる。


 遠くから見ていた私は思わず駆け寄りたくなったけど、私がいる所とは隔てられているのか、これ以上近付くことはできなかった。


 二人のことをじっと見つめていると、父が突然足を止めて、何かを母のほうに見せた。それは、月明かりを受けて淡く輝く指輪。


 驚いている様子の母の手を取り、父はそっとその指輪を薬指に嵌める。


 母は指に嵌められた指輪を見て何かを父に言った。そして、母も白いワンピースのポケットから何かを取り出すと、父の左手を取って、それをその指に嵌めた。


 その後、二人で笑いあって母は父に抱きついていた。



 ――ああ、これはもしかしたら二人の幸せな記憶の残滓なのかもしれない。あの形見のムーンストーンが見せているのだろうか。それとも、私の中にいた彼女の願いなのかもしれない。


 どちらにしてもいい夢だ。こんな幸せな夢を見たのは久しぶりだった。




 夢の余韻を微睡の中で味わっていると、次第に自分が覚醒していくのを感じる。


 肌触りの良いシーツの衣擦れの音と清潔なリネンの香りに、眠りから覚めたことを意識する。ここが何処なのかしばらく考えるようにぼーっと視線を彷徨わせると、すぐ近くで規則正しい呼吸が聞こえてきた。


 音の主を確認する前に、眠る前の記憶が徐々に蘇ってきた。そして寝ぼけていた意識が完全に覚醒する。


 (もしかして、この呼吸は…)


 恐る恐る体を起こして隣を見ると、そこには静かに寝息を立てている香月の姿があった。



 (ひっ…ひゃぁぁぁっっ!!!)



 今すぐベッドから飛び退きたいのを堪えて、声を出さないように慌てて両手で口を抑える。


 (こっこっ香月さんと!おおおお同じべべベッドでっ!!)


 あまりの衝撃に思考が追いつかない。いつの間に眠ってしまったのだろう。この状況で安眠していた自分が信じられなかった。もしかして昨日は事件解決のせいで気持ちが緩んでいたのだろうか。


 息を殺して彼の方を向くと、香月は枕をその腕に抱きこむように横向きになって眠っている。


 カーテンの隙間から漏れる日の光に反射して、キラキラと輝く色素の薄い髪。起きている時より若干幼く見えるその寝顔と姿が実に可愛らしくて、見てはいけないものを見ているような気分になり、ますます晶は居た堪れなくなった。

 


 しばらく息を押し殺してその無防備な姿を眺めていると、ふいに香月が身動ぎして、ゆっくりと目を開けた。未だ焦点の合わない目線がこちらを向き、ゆっくりと瞬きを数回してから、ようやく晶の姿をとらえる。


 お互いに見つめ合うこと数秒。すると突然、香月は勢い良く仰向けに寝転んでしまった。


 驚いて見ていると、彼は片手で顔を覆い、息を深く吐き出す。その表情は見えないが、もしかしたら、いや、もしかしなくても隣にいるのが自分だったことに落胆しているのかもしれない。


 そう思ったら何だか急に胸に痛みのようなものが走って、晶はあわててベッドから降りた。


 「勝手に寝ちゃってすみませんでした…。あの、おはようございます」


 そう言ってぺこりと頭を下げる。すると、香月も慌てたように起き上がった。そしてこちらを向いて「いや」とか「あの」とか言い始める。


 「こちらこそ、悪かったね…。でも、ありがとう」


 「ありがとう?」


 この場にそぐわない言葉を受けて晶が僅かに首を傾げると、香月は微妙な表情で何かを言い淀んでいる。


 その珍しい姿を不思議に思って見つめていると、彼の頬が心なしか赤くなった。


 (えっ?えっ⁈私、何かとんでもないことしでかした⁈)


 眠った後の記憶が一切ない晶は、香月の反応にどう答えていいかわからず、おろおろと視線を彷徨わせることしかできない。


 すると、彼に右手をそっと掴まれた。


 驚いて彼を見ると、彼の視線が晶の指に向いている。


 そこにはムーンストーンの指輪が、青白く透明な輝きを放って収まっていた。


 「…この指輪、元から静野さんのものだったの?」


 「あ、はい。父の…というか、母の形見なんです」


 「そうなんだ…」


 そう言って、香月は薬指を大事そうにそっと撫でる。その瞳は一瞬、思考の海に沈んだような色を見せたが、次に彼は、晶の胸に下がっているターコイズの指輪を見つめた。


 「これは、小泉純子から君への贈り物だね」


 「そんな…これって彼女の大事なものじゃ…」


 「そうなんだろうけど、でも、彼女はもっと大事なものを持って行ったから」


 「そっか…無事に渡せていればいいなぁ…」


 改めてターコイズの指輪を摘まんで眺める。彼女が探していたのは彼に送った方の指輪だった。彼女はあちらでその指輪を彼に嵌めることができただろうか。


 ふと、先ほど見た夢の光景を思い出す。


 あんな風に彼女たちも一緒に笑い合えていればいいなと思う。


 「ターコイズには旅のお守りという意味があるんだ。その他にも、人から貰うと幸せになれるという言い伝えもある」


 そう言って香月は穏やかな微笑みを見せる。朝日の眩しさも相まって後光が差したように見えるほど尊い微笑みを真っ向から受けた晶は、心臓が口から飛び出すほどドキリとするが、それを表には出さないように必死に平静を保って見せた。


 「っ…それで、彼女は消える前に『お幸せに』って言ったんですね。でも、私なんかが貰っちゃって本当に良いのかな…」

 

 自分が彼女にしてあげられたことなんてほとんど無かった。それどころか、はじめから香月に助けられてばかりで、迷惑をかけっぱなしだった。しかも、生きる希望まで与えてもらい…本当に不甲斐ない自分に今更ながら幻滅する。


 そんな自分にこの指輪を貰う資格があるだろうか。何だか分不相応な気がして、晶はもやもやした気持ちでターコイズの指輪を眺める。


 その時、ハッと閃いた。

 

 これは良い考えだと思い、晶はチェーンから指輪を外す。そして目の前にいる香月の左手をそっと掴んだ。


 「静野さん?」


 何をするのかと首を傾げる香月の左手を持ち上げ、その薬指にターコイズの指輪を嵌めようとする。しかし、思いとどまって、隣の小指にそっと指輪を通した。


 いくら香月のすらりとした細長い指でも、女性用の華奢な指輪は入らない気がしたが、やはり小指でピッタリだ。


 自分の小指に収まったターコイズの指輪と晶の顔を交互に見て不思議そうにしている香月に、晶は自然な笑みを向ける。


 「…それならこれは、私から香月さんに送ります。私を救ってくれた、感謝の証に。あなたに幸せが訪れるよう願いを込めて」


 今までの感謝の気持ちを伝える方法は今のところこれしか思いつかない。勿論、できることなら行動で恩を返して行こうとは思うが、今は彼の幸福を願うくらいしか思いつかなかった。


 彼は驚いたように目を見開いたが、徐々にその目元を緩めた。ほんの少し目尻が赤くなった気がしたのは気のせいだろうか。


 そちらに気を取られていると、ふいに自分の右手が持ち上がった。


 香月がそっと持ち上げたそこには、ムーンストーンの指輪が嵌められている。


 見上げた彼の瞳は、窓から差し込む光を反射して淡く輝いている。その瞳の色が、ムーンストーンの輝きと重なるように見えて、晶の胸が再びドクリと高鳴った。

 

 「ありがとう。大切にするよ。―――君にも幸せが訪れますように」


 そう言って彼は晶の右手を自分の口元に寄せ、そのままムーンストーンの指輪に口づけをした。


 驚いて唖然とした晶の顔は、次第に赤く染まっていく。それを楽しそうに見つめ、彼は満足した顔でその手を優しく握った。


 「いいね、君によく馴染んでいる。―――とても良く似合うよ」


 その言葉を聞いて、ふいに胸がじんわりと熱くなる。


 自分にはまだ相応しくないと思っていた。まだ似合わないと思っていた母の形見の指輪だったが、彼にそう言ってもらえたことで、ほんの少しだけ自分に自信が持てるような気がする。


 それに、何よりも香月にそう言ってもらえたことが嬉しくて、晶ははにかむ様な笑顔を見せる。その目尻には薄っすらと涙が滲んだ。


 「ありがとう、ございます」



 照れ隠しのようにそう伝えると、彼はその青い瞳を細め、眩しいものを見るように晴れやかな顔で微笑んだ。







次で最後になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ