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マブい令嬢

 普通に考えればわかることだが、クリーニングが必要なのは制服だけでなく、まずは惨劇の起きたリビングである。被害者が多数出たのだから警察にも通報しなければならない。遺体処理は葬儀業者の出番だ。おれは面倒臭い段取りをひとりでやった。


 警備会社の管制室に問い合わせると、除霊師の人命は国家の責任、武器類は会社の責任、その他装備品は顧客の責任だという。殉職者した警備員は国が保証し、壊れた武器は会社が補填し、それ以外は顧客に請求する、そういう話だ。


 クリーニングを依頼した掃除屋はすぐに現れ、壁から床、天井まで大量の血糊と肉片がこびりついているのを見て、「結構高くつきますよ」と計算機を弾いた。警備会社と交渉する必要がないため、言い値で受けた。そうこうしているうちに警察が来て、事情聴取をされた。彼らは遺体のチェックを済ますと事件の経緯を聞き取り、「お手柄だね」と無愛想な顔でいった。特別不審な点がないことがわかると、あとは葬儀業者にバトンタッチした。


 ちなみに戦時下における日本では、基本葬儀はおこなわれない。死者が多すぎて寺がパンクしているのだ。警察関係者は例外と聞くが、日本に亡命した外国人も一般市民と同じ扱い。たとえ富豪でも共同墓地に葬られる。


 恐ろしいテンポで事後処理を片づけていったおれだが、ボランティアのつもりはなく、最初から打算があった。装備品の賠償は顧客の責任と聞き、ピンと閃いたのだ。ほかの責任も顧客に背負わせられると。具体的には唯一の生存者である令嬢に。


 葬儀業者が見るも無惨な遺体を拾い集めるのを尻目に、リビングを出て二階にむかう。毛足の長いカーペットを踏みしめて、ひとつだけドアの開いた部屋に入る。

 そこには社長が使うような机があり、椅子に座った令嬢がマグカップを口にしていた。中身はわからないが、べつにわかる必要はない。

 血まみれのドレスはラフな格好に着替えたようで、対面する椅子には三つ編みが腰かけていた。コイツは絵に描いたような三白眼だが、令嬢は切れ長の目をした美人だった。正直かなりマブい。しかも巨乳。見た感じ先ほどのパニックとは雲泥の差である。


「これが共同墓地の場所と葬儀の日程です。亡くなったお父様にはお悔やみ申し上げます」


 相手のことを考えて、おれは中国語で要件を告げ、書き取ったメモを机の上に置いた。令嬢はそれを拾い上げて一瞥したあと、スマホを取り出して入力をはじめた。落ち着きを取り戻したせいか顔色は悪くなく、それでも憔悴した様子が垣間見える。こんなときに金の話はしたくないが、アプローチを変えればむしろ絶好の機会だ。


「失礼ですが、ほかにご家族の方は?」


 何気なく切り出したが非常に大事な質問だ。ある程度予測はついており、確認のためでもあるが。


「家族はおりません。母は3年前に死別していて、養子に来たわたしに兄弟はいないので」


 その返答はおれの予想どおりだった。もし母親なり兄弟なりがいれば、自分から彼らのことを口にする。「じきに母が戻りますので」とか。そういうのがなかった時点で想像はついていた。彼女はいま天涯孤独なのだ。


 令嬢にとってそれはバッドニュースだと思われる。だがおれにとってはこの上ないグッドニュースだ。


「ところでお嬢様。今回の修繕費用、葬儀費用、及び警備会社に対する賠償費用。これらがかなりの額にのぼります。負担を減らすお手伝いをしましょうか?」


 相手が富豪の娘であることは承知しているが、当主が亡くなり家族がひとりもいないとなれば、不安は金以外のところにも及ぶ。特に今後の会社経営など、第三者から見ても懸念は山積のはずだ。


 そんな令嬢の置かれた立場を推し量るべくこの場にそぐわない提案をした。出費の負担を減らす。彼女はその言葉に食いついてきた。


「そんなことできるの?」


 顔を上げた令嬢とはじめて目が合ったが、その表情はおれに救いを求めていた。やはり当主である父親が死に、見通しが暗いのだろう。それにもし信頼に足る側近などがいればこんな表情にはならないはずだ。心の準備すらできてない出費は是が非でも避けたいと思うだろう。


 相手の反応を予測して、おれの考え出したスキームはこうだ。悪霊被害で生じた費用を値切りに値切る。修繕のクオリティを下げ、葬儀を簡素なものにし、逆に警備会社の賠償は水増しする。むろん令嬢には通常どおりの請求をする。そしてその差分をポケットに入れ、警備会社から独立を果たすのだ。悪霊狩りを個人でおこなう組織を立ち上げ、令嬢のボディガードに就けば一丁上がりだ。


「父が亡くなって右も左もわかりません。会社は部下に任せればいいとしても、わたしはあまりに世間知らずですし、この状況にうろたえています。手を貸して頂けないでしょうか?」


 令嬢の返答は期待どおりであり、望んだものだった。富豪の娘らしく言葉遣いも丁寧で、そのぶん困り果てた様子が伝わってくる。さっきからやたら耳を触っていて、不安なのかそれとも癖なのか。


 椅子に座った三つ編みは話の行方を見守る傍観者の顔をしていた。おれはここぞとばかりに要求を畳み込んだ。


「価格交渉はお任せ下さい。ついでにおれたちを貴方(あなた)のボディーガードに雇いませんか。以前にも悪霊被害に遭ったと伺いましたし、やつらは同じ場所に頻発する傾向にある。報酬は月にこれくらいの額で」


 おれはそういって机にあったメモ用紙に近くのペンを拾って金額を書き込んだ。世間知らずというくらいだしもっとふっかけることはできたが、不信感を抱かれても困るので抑え目の額にした。それでもたったひと月で奨学金をチャラにできる額ではある。


 メモ用紙を令嬢に渡すと「どういうことだ?」と三つ編みが怪訝そうな声を発した。どうやらコイツは中国語を理解できたらしく、勝手に話に巻き込んだのだから当然の反応だろう。おれは「まあ待て」と手で制し、この商談をまとめにかかる。


「警備会社は中抜きするだけの連中だし、直に契約したほうが得だろう。おれひとりでは心許ない。すぐれた除霊師が必要なんだ、力を貸してくれないか」


 報酬をちらつかせつつ自尊心に訴えれば断られないという算段があった。先ほどの戦闘で見せた戦いぶりは正直目を見張る。とても地方の警備会社に入社したての新人とは思えず、武道か何かの経験者なのだろう。自前の組織を持つのであるなら、決して逃したくない逸材だ。


「この金額で承るわ。よろしくお願いします」


 おれの提案に目を通した令嬢はそういって立ち上がり、おれと三つ編みに対し頭を下げた。三つ編みは虚をつかれたように目をそらしたが、短い唸り声をあげたあと、退路を塞がれたとばかりに「べつに金とかほしくないんだが、必要ならサポートしてやらないこともない」と吐き捨てた。美味しい儲け話を前に嫌そうな態度だが、どんなかたちであれ狙いどおりの着地点である。


 話し合いをまとめ上げたおれは応接用のソファに座り込み、業者と警備会社に電話を入れはじめた。すぐに連絡するエチケットはないのだが、金を払うと決めた相手に対し“仕事してる感”を出すのは重要なことだ。

 令嬢はいま不安のどん底にいるだろうし、こちらも有能さを誇示しなくてはならない。彼女が良いパトロンで居続けてくれるためには細かい配慮が物をいう。


「ところでお尋ねしたいことがあるのですが」


 退職を告げた警備会社との電話を切ると、令嬢がこちらをじっと見ていた。特段思いつめた様子もなく、さっきより顔色がいい気がする。


「お二人の名前を教えて下さい。わたしはシャオレンといいます。あと会話は日本語で大丈夫です」


 何だろう、わずかにだが覇気のようなものを感じた。会話の流れには主導権というものがあり、人間関係においても同様だ。おれにはこの令嬢が意識を切り替え、雇用者といて毅然としたところを見せねばならない、そう腹をくくったように見えた。


「おれは亜平ビンジです。ビンジで構いません」


「ハンギファン。同じくギファンでいい」


 互いに即答するかたちで、おれと三つ編みは日本語で名前を口にした。態度はだいぶ異なるが、そこには目には見えない変化が存在する。

 社会に出て警察省に採用されたとき、そこには強い磁場があった。上官の命令には問答無用で従わなければならず、研修生にとって教官はまるで帝のような存在。他人に何かを強制されたことのないおれは、とてつもない上下関係に面食らい、正直違和感を抱いた。警察を辞めたあとだからいえる話だが、あの空気は好きじゃなかった。


 そのときと同じ空気がこの場を支配しはじめている。悪霊に襲われてパニックに陥った姿しか見てないから、令嬢のことを軽く見て、金持ちの小娘程度に見下していたのは事実だ。

 けれどおれは用心深いので、それが勘違いである可能性に気づいてしまう。彼女、つまりシャオレンと名乗った女は一筋縄ではいかないのではないか。次第に精気を取り戻していく両目に非凡なオーラをびんびん感じる。


 むろんそんなオーラに気圧されるほど、おれはヤワじゃない。「どっからでもかかってこい」と身構え、余裕の笑みを浮かべてみせるが、シャオレンは椅子に背中を預けてとんでもない要求を述べた。


「じつは父だけが管理してた仕事があるんです。会社の人はだれも知りません。その筋のというか、後ろ暗いというか、表には出せないビジネスパートナーがいまして。わたしひとりの手には到底余りますし、お二人の力添えを賜れないかしら。護衛兼秘書というかたちで」


 そういったシャオレンは「報酬は増額します」とつけくわえ、これ見よがしに脚を組んだ。その様子を見つめながらおれはしばらく言葉を失う。彼女のパンチが死角から飛んできたこともあるが、それ以上に気になったのは三つ編みの反応だ。

 後ろ暗いビジネスパートナーというのは、いわゆる反社のことで間違いない。当然違法な取引だろうし、警察にバレたらとっ捕まり、禁固刑に処される。おれですら一瞬ちゅうちょした。まともな人間なら辞退一択だろう。


 三つ編みという逸材を囲い込み、シャオレンという金づるを掴んで、運はおれに微笑んでいた。その微笑が見る間に翳っていく。案の定三つ編みは前髪をかきむしり、不快感を示していた。この状況でやつを説き伏せる材料を見つけるのはきわめて難しい。


 だが、この日のおれはとことんツイていた。一瞬たりとも努力を怠らなかったせいだろうといまでは想像できる。


「面倒臭いが断るほどのことじゃない。このご時世、闇は到るところにある。いちいち目くじらは立てないし、秘書も兼務してやる」


 話がうまいこと運んで会心の笑みを浮かべるのは褒められた態度じゃない。シャオレンの提案にくわえ、三つ編みの承諾、そこから発生した利益を独り占めする気だと相手に誤解を生むからだ。おれは上昇志向は強いがウィンウィンの関係にこだわりがあった。三人が平等に利益を得て、足りない部分を補い合う。そうすれば結束はおのずと固くなる。


 とはいえおれが三つ編みのように仏頂面だと、シャオレンも息が詰まるだろう。反社絡みのビジネスに尻込みせず、むしろ意欲的に関わり、窮地に陥ったパトロンを支え、彼女にデカい面をさせないこと。すべてをきれいに満たすには説得力のある言葉を吐かねばならない。


「話はまとまったな」といっておれは三つ編みに起立を促す。やつはこの場の流れを理解したのか、制服の裾をはたきながらスッと立ち上がる。


「シャオレン、おれたちは貴方を守るために器を捧げて尽くす」


 右手をこめかみにあて、挙手注目の敬礼。背筋を軽く伸ばし、引き絞った腕は力強く、圧倒的な声量で述べた。警察仕込みの礼式にシャオレンは慌てて椅子を立ち、わけもわからず敬礼らしきものを返した。度肝を抜かれたのは明らかで、視界の隅では三つ編みも同じ姿勢をとっている。


 一筋縄ではいかない者には、こちらも同様だと示さねばならない。ただの警備員ではなく、有象無象でもない。この社会を統べるエリートに匹敵し、小娘ごときに見透かせぬ、底の知れない存在であることを。


 シャオレンは緊張感すら漂う敬礼に両目を丸くしてビビっていた。次の言葉にも詰まってる。それを見て確信した。彼女がおれをなめ腐ることはもう二度とないだろうと。

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