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器を壊せ!!

 まるで瞬間移動に思えるほどの圧倒的速度、スピード、敏捷性。どれも同じっちゃ同じだが、目にも止まらなかったのは間違いなく確かだ。


 派手なガラス窓を粉々にぶち破って侵入した悪霊をおれは一瞬で視認した。敵は塗装の剥げ落ちた交通標識を生やすヘドロみたいな色の物体で、形状はアメーバに似ており、サイズは戦車くらいはありそうで、左右非対称に動く眼球が目立つ。モノと生物の融合、まさに教科書どおりの悪霊だ。眼球の中央を縦に裂いた口から人間の胴体が複数はみ出ていて、咀嚼する間もなく飲み込んでいく。


 何人食ったかは不明だし、相当捕食したように見えるが、食い足りないのは一目瞭然。コイツらは普段山林に潜み、腹が減ると突然街に現れ、暴虐の限りを尽くす。そんなのが日本中に何十万体といて、駆除しても駆除しても増えていく。殉職者も数えきれない。


 相手の特徴をインプットしたおれはライフルを構え、命令もないままセミオートで撃ち放つ。弾幕は攻撃であると同時に防御になる。突発的な動きをくり出す前、相手の動作を封じるのだ。


「撃て撃て撃てー!!」


 わずかに遅れて班長が叫び、その直後一斉射撃が起きた。警備員の力量は侮っていたが反応速度は悪くない。猛烈な発砲音を奏で部屋中から銃弾が放たれていき、悪霊侵入からたった三秒で交戦状態に入った。


 お前もきっと知っているだろうが、悪霊は防壁と呼ばれるバリアを持ち、それを破壊するまで本体を攻撃することはできない。


 この防壁が、悪霊との戦争で人類が不利になった理由のひとつ。防壁は通常兵器による火力では傷ひとつ与えることができず、呪術的にしか突破できない。ミスリフ銀でコーティングされた銃弾を用いるか、同じくミスリフ銀で造り込んだ刀剣を武器とするのが常套手段だ。


 ミスリフ銀は防壁を構成する霊子の膜を分解し、強度を下げる効果を持つ。悪霊のほうはそれを維持するべく再構成を図るが、そのとき敵は膨大な霊力を消費するのだ。

 この霊力の消費が追いつかなくなるとき、防壁は破壊される。そして同時に、敵は霊力を半減させ、戦闘はおれたちの側が有利に傾く。防壁はもはや存在しないため、拳でボコっても殺せることにはなる。


 合計して30発近い銃弾を撃ち込んだだろうか。周囲にきらめく破片が舞い、悪霊の防壁が微細な粒子と化した。


 日本は世界でも有数のミスリフ銀産出国だったため、戦争を比較的優位に進める一方、外国に輸出して桁外れのゴールドをかき集めた。そのゴールドなくして世界中から戦略物資を買い集め、1億の人口を養うのは不可能だっただろう。


 ここからが本番である、と思い新しいマガジンに交換したときだ。やつが本領を発揮はじめたのは。


 結論から先にいってしまおう。警備員たちはそれなりに優秀だった。富豪の警備に駆り出されたことを考慮すれば、会社でもトップクラスの人材だったのだろう。防壁を瞬時に突破し、初動で優位に立ったことからも明らかだ。


 けれど彼らはエリートクラスではなかった。警備員はどこまでいっても警備員で、警察の除霊師、なかんづく除霊局の精鋭とは比較するのも気の毒な連中である。


 悪霊にとっては多勢に無勢だが数の問題ではない。純粋な戦力として劣っていた。コイツはおれですら目視できない速度で攻撃をくり出し、戦況を軽々と逆転させたみせた。


 瞬きはコンマ一秒以下の出来事だが、再び目を開けたら勝負がついてる。そんなバカなと思うだろうが、実際にそうだった。

 空気を切り裂くような音はかろうじて覚えている。ヒュンと日本刀を振るったときに鳴る音だ。


 その程度の風圧で部屋の調度品がことごとく破壊されていた。目をかっぴらいたおれの視界はなぜか真っ赤で、空中には数えきれない紙吹雪が舞っている。攻撃を終えた悪霊は長い触手のようなものを伸ばし、先端には錆びた交通標識が握られている。次の一撃を虎視眈々と狙っているのは明白だが、ここで認識が追いついた。


 紙吹雪に見えたのは、人の肉片である。

 視界が真っ赤だったのは、眼球に血が飛び込んだから。

 だれの血か、もちろん警備員だ。


 悪霊は体から伸ばした交通標識を武器として警備員を狙い撃ちにし、彼らを根こそぎなぎ倒したのだ。


 その惨劇の結末をおれは目にした。白亜のごとき部屋の一面に警備服と血しぶきが張りついている。彼らはそこで、壁の染みになっていた。

 悪霊は飛び散った無数の肉片を、長くてデカい舌で絡め取った。蛙がクモを捕食する無駄のない動きで。


 ところでお前はこう思うんじゃないか。「どうしてビンジは餌食にならなかったの?」と。


 つまらん冗談をいえば、まずそうに見えたからだろう。本当の話をいえば、抜刀して触手をなぎ払ったからだ。


 防壁が破れた瞬間、ライフルを日本刀に持ち替えた。それは初任除霊科で学んだ警察のメソッドによる。ライフルに頼るのは防壁が破れるまで、破れたあとは日本刀で戦え。

 理由はライフルが体の敏捷性を奪うから。刀は除霊師のフットワークを自由にする。


 言葉でいっちまえばシンプルだが、むろん方向づけのひとつに過ぎず、実行は簡単ではない。本体をさらした悪霊には刀で挑む、あるいは応じる。これには当然テクニックがいる。メンタルも含めたいくつもの要素が。

 警察省の除霊局に採用されるためには、パワー、スピード、スキル、戦闘IQのどれかで傑出した能力を求められる。おれはスピードとIQでトップの成績を叩き出し、研修でもその地位を譲らなかった。天賦の才能をそのまま伸ばした格好だ。生き残れた理由としては十分だろう?


 よっておれは「このまま死ぬかもしれない」という恐怖と切れていた。親子の縁みたいにバッサリと。

 目玉についた血を拭い取り、周囲を軽く見渡した。一応生存者を確認しようと思ったのだ。対象の数によって悪霊の取るアクションが変わっていくため、必要な作業である。


 ここでおれは珍しく驚いた。感心したというべきかもしれない。血なまぐさい空気を吸いながら「へぇ」と思った。


 視界の中央に抜刀した男がいた。まだ新人であるはずの同期、三つ編みである。

 そういえばコイツは悪霊の襲撃をいち早く気づき、退避を呼びかけるなど迅速な行動をとった。ストレス耐性がありそうで直感的に優秀なやつだと思ったが、正直ここまで優秀とは思っていなかった。


 強力な援軍を得た気分になり視線を動かすと、部屋の隅っこにボロ布のようなものが転がっていた。よく見ると富豪の令嬢だ。血まみれのドレスを抱きかかえて口をパクパクさせている。完全に混乱状態だ。

 仕事を任された側としては、彼女を守ることも業務の一環とは思えない。もしそうするのなら費用は別料金だろう。ただおれは、ある見込みを立てた。令嬢を生き残らせることに意味はあると。


「おい三つ編み、悪霊の器を壊せ!!」


 そういったあと「おれもすぐ加勢する!!」と叫び、最短距離で令嬢のほうに駆け寄った。最低限の研修を経ており、なおかつ無能でないなら、いまの指示でおれの意図は汲み取れたと思う。


 ちなみに令嬢との距離は、直線にして20メートルだったと思う。その程度の距離、と感じるかもしれないが、それはお前の勘違いだ。たった20メートル距離を詰める間に10回死ぬ場面があった。悪霊の攻撃を10回受けたから。


「安心しろ、おれがアンタを守る」


 わざとらしく大見得を切ってみせ、令嬢を背に悪霊のほうへと向き直る。悪霊はといえば、10回くり出した攻撃が一度も当たらなかったことに不可解さを覚え、あるいは呼吸をするために動きをとめていた。

 三つ編みのほうをちらりと見ると、やつは触手を何本も叩き斬り、歩幅を狭めて悪霊との距離を詰めている。器を破壊しろという指示は届いている様子だ。


 器の位置特定について、一般人には知られていない話をしよう。防壁の破れた本体を無闇矢鱈に切り刻んでも悪霊は決して倒れず、殺すには器の位置を正確に特定し、これを破壊せねばならない。問題は人間の器が頭部か心臓に偏在しているのに対し、悪霊のそれは個体差があること。


 初任除霊科の研修において、教官はおれたちにこんなことをいった。


「現時点できみらは除霊師としてはゴミだ。そんなゴミが器を特定する方法はたったひとつ——勘だ。それも根拠のある勘」


 根拠のある勘。その意味を理解できない研修生は複数人いた。彼らは教官に蔑んだ目をむけられ、教場を去るはめになった。


 とはいえ意味を理解できたとて、実行に移すのは難易度の桁が違う。具体的なメソッドもなくやり方は個人による。人によって能力が違い、有効なアプローチも変わるからだ。


 悪霊が飛び込んできて40秒ほど経った頃に思うが、その間やつは触手の本数を増やしていき、いまだ仕留められないおれと三つ編みに苛立ちを覚えている様子だ。スピードに無類の自信がある場合、通じないと不満だろう。


 避けるか斬るかして吹き飛ばした触手は数えきれないが、敵は性懲りもなく同じ手法をくり出してきた。交通標識を振りかざして目の覚めるような一撃を五月雨式に放ち、こちらはまた防戦一方となる。器をぶっ壊すには距離を詰めるべきなのに。


 けれど敵が暴れれば暴れるほど、頭のなかには情報が溜まっていく。おれがほしかったのはデータだ。


 対峙した相手が予想以上に強く、警戒心をかき立てられたとき、攻めだけでなく守りに意識がむかうのは人も悪霊も変わらない。おれは自分の記憶力を駆使し、やつがまだおれたちをなめていた襲撃時のイメージ、そこに現在のイメージを重ねていく。そこに見出せる変化から、教官のいった“根拠”が導き出せる。


 悪霊にとって頭頂部、脳を守る位置に触手が増えていた。攻撃用としてはあまりに不自然で、防御のためと見るほかなく、その付近にあるのが器だ。フェイクをかけるほど悪霊は知能がない。


 どうしても敵の頭頂部にたどり着きたいが、おれの戦闘IQはそのためのプランをすぐに弾き出す。


 ここまでの斬り合いでわかったのは、相手は速いがおれも速い、ということ。だがスピードが互角ならば躱すだけになり、肝心の攻め手を失う。ではどうすればいいか?


 スピードにばかり目がいきがちだが、この悪霊にはいくつか問題点がある。それは攻めが単調であること。もうひとつはサイズの大きさに比してあまりパワーを感じないこと。仮に圧倒的なパワーの差があれば、おれはもっと苦戦しているはずだ。

 積んでいるエンジンならおれのほうが上かもしれない。危険をおかさずパワーを解放していないが、一気に爆発させれば相手の触手という弾幕を突破でき、器にリーチをかけられる。


 視界の隅では、三つ編みのやつが軽いフットワークで悪霊との距離を詰めていた。コイツも自分なりの攻め手を思いついたのかもしれず、見るからに迷いのない動きだ。その戦いぶりに満足し、おれは逆襲をはじめた。


 結果からいうとだ、プランは物の見事に当たった。


 知能に劣る相手はこちらのフェイクに気づかず、見当違いの場所に触手を叩き込んだ。攻守は一体なので相手のボディはがら空きとなり、ひと一人が通れるような隙が生じる。がら空きというにはちょっと狭いが、おれにとっては十分なスペースだ。床を爆発的なパワーで蹴り上げると、触手に遮られていた距離に近づく。念願のインファイトだ。


 サイズのデカい悪霊は体の圧で潰しにくるが、パワーの差はこちらの予想どおり。おれのやくざキックに相手はよろめき、体幹の弱さを露呈する。触手の根っこを踏み台にして器があるであろう場所、脳の部位へとジャンプする。


 背中に天井を感じる高さにまで飛び、宙に舞って悪霊の頭部を捉えた。相手が急所を守るために生やした触手が猛スピードで伸びてくるが、単調なリズムに慣れると止まっているようにすら感じる。迫り来る触手を苦もなく断ち切って、一瞬の攻防を制したおれは敵の頭部に着地した。

 展開が計算どおりにいったとて、戦いを侮ってはならない。冷静に刀を振りかざし相手のグロテスクな体表面に突き立てる。だがここで、はじめて計算違いが生じた。


 ミスリフ銀でコーティングされた日本刀は、悪霊に対して強い干渉力を持ち、肉体の破壊という点で無類の威力を発揮する。それは頭蓋骨とて同じである。

 だがその頭蓋骨がべらぼうに分厚い場合、一太刀でしとめるのは困難だ。まさに同じことが起きた。刀は急所まで届かず、頭蓋骨に跳ね返された。ここでおれは、あろうことかカチンときてしまった。


 余計な雑念はコンマ何秒かの隙を生む。抵抗をした頭蓋骨に腹を立て、敵の反撃が意識の外に追いやられた。


 もっともわずかの差といえばわずかの差で、悪霊の反撃は相打ちに終わるが、足場の悪さも手伝って気づくとおれは床に叩きつけられていた。丸太のような触手が何本も襲えばおのずとそうなうだろう。

 だがプランを遂行できなかったおれは違う考えを持つ。軽率な失敗を許せるほど自分に甘くないからだ。


 床に叩きつけられた衝撃で頭がふらついた。脳震盪かもしれない。おれは小さく自己嫌悪を吐くが、揺らいだ視線の先に悪霊と正対する三つ編みの背中が見えた。やつはやつなりのプランで戦っているのか。そう思ったとき、とんでもない光景を目にした。


 迫り来る触手をなぎ払った三つ編みは軽快なリズムで距離を詰め、信じがたい跳躍力で飛び込んだ。右手を前に突き出し、悪霊の縦に開いた口にだ。


 その手があったか、と目の覚める思いがした。一般に頭蓋骨は内部の構造が複雑で、小さな骨が寄せ集まり、当然のことながら衝撃には脆い。

 全身を一直線に伸ばし、槍のように相手を突く攻撃を以前に見た記憶がある。それなりに有名な映画で、“牙突”とかいう技だったはずだ。


 技の名前はともかく、やつのプランの正しさはすぐに証明された。三つ編みをのみ込んだ悪霊は突如、口から大量の血を吐き出し激しく痙攣しはじめる。攻撃によって内部をえぐられたからだろう。頭蓋骨を壊し、脳を壊し、器をぶっ壊した。その論理的帰結として、悪霊は断末魔の悲鳴をあげる。


 悲哀とも怒りともつかない叫び声はリビング全体に反響し、おれは耳を塞ぎたくなる。だがそんな余裕はなかった。おれは自分の戦い方を振り返り、間違いを認めた。プランの立て方は互角でも、わずかに三つ編みのほうが上まわる。いくつかの点でおれはやつに劣っていた。


 負けた悔しさは気分を害する。だがすぐれた人間を素直に褒められないほど、おれは狭量ではない。


 三つ編みが仕事をやってのけた結果は次第に明らかとなる。悪霊の悲鳴は急速にしぼんでいき、小山のような体はどろどろに溶けていく。霊子がその結合を保てなくなったのだ。器を壊された悪霊にもはや生き延びる術はない。


 器を破壊された悪霊の最後は超新星爆発に似ていて、まとまりを失った霊子が細かい粒子となって飛散するのだ。

 研修中にいくどとなく見た光景に驚きはなく、塵となった悪霊の残留物を全身に浴びる。顔に張りついた肉片を引き剥がし、むせ返るような部屋の臭気を吸った途端、おれは我に返った。


 より正確にいえば、オンオフが切り替わった感じだろう。惨劇の爪痕に目をやり、返り血でべとべとに汚れた制服をつまみ上げ、「だれがクリーニング代払うんだよ」と独り言が洩れる。

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