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警備員の辞め方

 中国人富豪の屋敷に入ると、おれたちは執事のような男の誘導でガラス張りのドームに通された。そこはいわば室内にある庭というほかない場所で、十分に暖房が効いていた。備蓄の乏しい化石燃料も、一部の有力者には優先的に割り当てられているという噂は耳にする。


 しばらくして現れた家の主人は、挨拶すらせずに手にした端末を班長に渡した。彼女はすっきりとしたショートヘアの女性警備員。水泳選手のように肩幅があり、大きな胸が制服から浮き出ている。顔は美人の部類だ。

 会話を聞き取ると防犯カメラ映像が映る代物らしく、監視をしながら任務にあたれと富豪は命じている。少々怪しいがまあまあの日本語だ。報酬分きっちり働けと釘を刺している。


 同じ部屋の片隅には真っ黒な髪を腰まで伸ばす若い女がいて、高価そうなティーカップに口をつけている。普通なら滅多にお目にかかれないほど見事なドレスを着ており、クラブハウスサンドイッチをゆっくりと噛んでいる。こんな絵に描いたような令嬢、はじめて目にした。


 おれたち警備員は班長から受け取った日本刀を腰のホルダーにつけ、自動小銃(アサルトライフル)を手にさげている。中国の皇帝に目通りする際は、特別な人間以外武器を外し靴を脱がねばならなかった。だとすればこの富豪は皇帝とまではいえない身分なのだろうが、その財力は十分見せつけられた。


 警察省を離れる一週間前、森田がおれに紹介してくれたのは福岡にある中規模の警備会社だった。警備会社は警察が築き上げた除霊師ピラミッドの最底辺に位置する。つまりは下請けで、社長は警察官僚の天下り。


 おれは警察大学校の初任除霊科でライフルの扱いから悪霊の攻略までほとんどの実技を履修済みなため、研修課程をすっ飛ばして社員になれた。いわば即戦力という立場である。


 だがこのとき頭にうごめく衝動は、これからはじまる任務とはまったく無関係なことだった。

 班長らが部屋を離れていくのを横目に、おれは富豪の側に歩み寄った。そして小さく一礼し、こんなことをいった。


「わたしをボディガードに雇いませんか。こう見えて警察省の除霊師でしたから、警備会社の連中より何十倍もお役に立ってみせますよ」


 大胆不敵といえば大胆不敵だが、おれは最初の顧客が富豪であることをチャンスと捉えたのだ。警備員の仕事は踏み台としか思ってなかったし、個人で請け負えば圧倒的に稼げる。社員の目は気にしない。そんなの気にしてたらここでストップだ。


 もちろんここでおれが使ったのは中国語。ほかの警備員に洩れ聞こえる恐れはない。と思ったら——


「なんだお前、話にならない」


 いともあっさりとフラれちまったよ。


 班長によると今日は富豪自身の誕生日らしく、おれたちはパーティーの警備を依頼された。外ではその準備が進んでおり、じきに来客も集まりはじめるとのこと。

 ただこれだけの金持ちなら除霊師を雇うのは余裕だし、ボディガードの不在は疑問に思えた。もしかすると空席なのかもしれないと思い売り込んだのだが、あてが外れたのだろうか。


「警備会社を使ったのは護衛が足りないからでしょう。あなたほどの方なら個人的にボディガードを雇うほうがいい。おれは優秀ですよ」


 自分でいうのも何だが研修における成績はよかった。退職せずに続ければ首席で卒業しただろう。

 その力を披露するわけにいかないが訴えかけることはできる。おれは目を爛々と輝かせ、富豪に一歩詰め寄った。


「護衛はひとりいたんだ。いたんだよ。だが悪霊に殺された。呆気なく死んだ」


 少し気圧された様子の富豪がついに事情を洩らした。心なしか暗い顔になり、視線が泳いだ。殺されるところをその眼で見たのだろう。

 情の移る相手を雇いたくない、そんな心理が透けて見える。見かけによらず善い人のようだ。金払いがよければなおいい。


「おれは容易く死にませんよ、頑丈だしタフなんでね。悪霊一体50万の契約でどうでしょう。無能な警備員をその都度雇うより安上がりだと思いますが。あとで詳しい話を」


 印象づけに成功したことを見てとっておれは交渉を切り上げた。回れ右をして富豪に背を向ける。狙った獲物は逃がさないというが同じ気持ちだった。状況を打開する糸口を掴んで足取りも軽すぎるほど軽い。


 宗教画が施されたドームを見上げてずんずん進み、重たいドアを開け、赤絨毯を敷いた廊下に出る。緩みがちな口許はいつにも増して緩んでいくが、片隅にある灰皿で班長がたばこを吸っていた。ほかの連中も集団で煙まみれ。防寒用のインナーを着ているため寒そうではないが、ここは富豪の屋敷だ。せめて屋外で吸え。


 おれは呆れながら彼らに近寄る。その途端、だれかに視界を遮られた。


「アンタ、家の主人と何くっちゃべってた?」


 正面に突っ立って行く手を阻むのは、おれと一緒に社員になった同期の男だ。長い髪を後ろで三つ編みにしており、仏頂面で、口をへの字に曲げている。背が高くて細い、針金みたいな体をしたやつだ。

 おれの交渉をこいつは見ていたのだろう。会社にとっては抜けがけなので、答え方によってはまずいことになる。


「外でどんなアトラクションをやるのか聞いたら気球を飛ばすらしい。そんな金があったら警備費用を上乗せしてくれって文句をいってやった」


 口からぺらぺらでまかせをいい、金持ちの道楽に辟易した風を装うと、三つ編みは「ふうん」と頷いた。新人が会社の利益に忖度するとは思えないから、ちょっと気にとめた程度なのだろう。


「変わったやつだな。班長の指示に黙って従っておけばいいのに」

「おれはそういうの苦手でね。指揮官はピンからキリまでいる。ここの班長が無能でないという保証はないだろ?」


 まだ周囲と関係性の薄い新人ということもあって、際どいことを口にする。ひと言余計なのはおれの悪い癖だ。頭と体にエネルギーがあり余る。小細工で制御するのは結構難しい。


「お前はたばこ吸わないのか?」と今度は逆に質問した。せっかくの同期入社だ。打ち解け合おうとする配慮で


「特にストレスもないし、吸いたい気分でもない。見境なく吸うほど依存してもいない」


 そういうと三つ編みは下唇を触り、切れ長の目を伏せた。まつ毛が異様に長く、化粧後の女みたいだ。初めて香水を嗅いだときのような色気を感じ取り、一瞬見惚れてしまう。


 とはいえ一連の流れの中で着目すべき点はそこではなかった。警備員たちがたばこを吸うのは、任務にあたり心理的ストレスを軽減するためだろう。それがないといい放つ三つ編みにおれは心の強さを読み取った。


「お前、優秀だな」


 気づくと肩に手を置き、微かな笑みがこぼれていた。馴れ馴れしいという自覚はあるものの、おれの距離感は他人とちょっと違うらしい。

 この状況に三つ編みは、虚をつかれた顔をしたあと恥ずかしそうに視線を逸らす。当たり前の話だがコイツのそんな顔が見たかったわけでなく、褒めてみせたのは見返りがあるからだ。

 得になることはどんどんやる。気をよくしたおれが腕組みをしていると——


「何の音だ!?」


 三つ編みが急に血相を変え、警察犬のように吠えた。重心を下げてここではない場所に目をやり、ライフルを構えて臨戦体制を取る。おれには理由がわからない。班長以下、警備員たちも口が半開きだ。


 しかし三つ編みのやつは、「早くしろ!!」といい残して富豪のいるリビングに突入していく。だれの目にも先走った行動に映るが、無根拠な動きにも思えず、おれはライフルを持ち上げて開いたドアに歩を進めた。警備員たちもたばこを消し、現場は一気に騒々しくなる。


 だだっ広いリビングに戻ると富豪と令嬢が腰を浮かせており、怪訝そうな顔で全面を覆うガラス窓の外を見ていた。三つ編みはといえば、富豪らと窓の間に体を滑り込ませ、銃身を体に密着させている。


 そのとき、複数の悲鳴らしきものが耳に飛び込んだ。本当に気球を飛ばす気なのかはさておき、庭にはアトラクションを請け負う業者がいて、時間帯的にも来客の現れる頃だろう。彼らに異変が起きたのか。起きたとすれば、真っ先に悪霊の出現が予想される。


 班長らがストレス発散にたばこを吸う横で、三つ編みは状況の変化を敏感に察知した。気安く褒めたが本当に優秀な男なのかもしれない。


「べつの部屋に退避しろ」と後ろを振り返って三つ編みがいう。ところが富豪と令嬢は恐怖からか体が動かない。


 その頃には警備員が横並びでガラス窓に張りついており、班長が庭に通ずるドアを静かに押し開けていく。遠くから聞こえる悲鳴はますます大きくなり、なかには死ぬ間際のそれも含まれる。


 多くの場合、悪霊は人間を一体捕食すれば満足する。ただし個体のサイズが大きければその限りではない。旺盛な食欲に任せて人を食い散らかし、さらに多くの獲物を求めて動く。一度に数十人死ぬのも珍しくない。


「街で暴れたやつが来たのか。よりによってこんな日になぜ……」


 恐怖で固まった富豪がいまにも泣きそうな声を洩らした。確かにタイミングは最悪だろう。だが悲劇は時と場所を選ばない。戦時下の人間はそれに翻弄されるのみだ。


「外で応戦するぞ!!」


 班長がそう叫び、おれたち全員に命令を下した瞬間だった。惨たらしい悲鳴が止み、無音の静寂が訪れる。

 時間というのは不思議なもので、すべてを一瞬に感じることもあれば、一瞬を永遠に感じることもある。おれが感じ取ったのは後者だった。空高く投げたボールがいつまで経っても落ちてこず、まるで時間が止まったように感じる。


 想いを告げた相手の返事を待つような、途方もない時間が流れた。やがて庭に面した窓が翳り、もの凄い風圧がリビングに殺到する。遅れてガラスの砕け散る音が炸裂したとき、驚異的な速さの悪霊はもう目と鼻の先だった。

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