生まれすぎたハエ
眠れない時間を過ごすとき、あの頃の記憶がいまでも甦る。
犯罪は悪だとされるが本当は迷信に過ぎない。おれは人殺しだった。1人や2人じゃない。全部で7人殺した。
おれが生まれ育った24区は雑多な人間が集まる貧民街だった。金がないうえに身寄りもない人間、元犯罪者であるがゆえに他で就労を拒否された人間、そんな人間が生んだ男児や女児、はじめから親などいないおれのような人間。そういう連中が集まって狭苦しい場所に数万人のコミュニティを作っていた。ハクはそういう街を陰で仕切っていた。
隣の23区との境界線には検問所があり、許可が下りなければ街の外には出られない。いつの間にかついた通称が“空のある監獄”。そんな場所でどうやって生活が成り立つのか不思議に思うだろう。
からくりは簡単だ。沿岸部の拡張という名目で大量の産業廃棄物を受け入れる。リサイクルの止まった企業から多額の金が落ち、業者が潤って経済がまわるようになる。
もうひとつは税金だ。警察が牛耳るようになった政府は福祉政策に熱心で、ミスリフ銀貿易で得た税収の一部を貧困対策に使った。おかげで学校や病院らしきものはでき、どんなに貧しくても最低一食は確保できるようになった。
だが悲しいかな、人間はより良い暮らしを求め、貪欲な獣となる。大人たちは税金の横流しを大っぴらにはじめ、金を吸い上げられた者はさらに弱い者から搾取する。悲鳴をあげることもできず、涙を流すこともできない。そんな世界の最底辺におれはいた。
社会の底の底にいる人間の生き方は死と隣り合わせだ。主食が残飯だから栄養状態が悪く、家がないから衛生状態が悪く、孤独に擦り切れて精神状態も悪く、生まれすぎたハエのようにある日死体となる。
おれはしぶとく生き延びた。自分でいうのも何だが人より頭がよかった。
いつ出るかわからない残飯をあてにせず、町の清掃をして施しを貰った。酔っ払いのゲロやクソも掃除した。
老人の所有するビルを狙って屋上で寝泊まりした。電気を勝手に引いて施しのコメを煮炊きする。孤独はどうしようもないからひとりで歌を唄って過ごした。隣のスーパーが流す音楽に合わせ。
何のことはない。同じハエでもおれは賢いハエだったのだ。他人が気づかないことに気づく頭が虫けらの生死を分ける。
そんな賢いハエだから、だれかがしっかり見ていたのだろう。まだ日本に春があった生ぬるい日、半袖姿で清掃するおれは声をかけられた。雪のように白い髪をした老人に。
「毎日偉いね。もっといい仕事があるけどやらんかね?」
それがハクとの出会いだった。もっといい仕事というのは想像がついた。どうせろくな仕事ではないと。