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第三永劫態

 空は黒く曇り、雨雲から天使の羽のような雪が舞ってきた。


 おれの視線の先には空を覆うほど巨大な信長がいて、その肉は見事に削げ落ち、ぶっとい骨をさらしながらどデカい刀を振りかざしている。太陽を遮るようなかたちで。


 右側の隅には後ろで髪を結んだ三つ編みがおり、シャオレンを抱いている。そしてすぐ側にはヒトラーがいて、森田の話に釈然としないのか、険しい顔でやつのほうを睨んでいる。


 救助だの引き取るだのいわれ、プライドを傷つけられたのだろう。「支援をするので貴方がケリをつけて下さい」と下手に出て、機嫌を損ねない措置が必要だったと思われる。


 というのも、おれ自身やつと同じ気持ちだったからだ。生と死の間を駆け抜け、敵の武器を奪いとり、力を合わせて信長を敗北寸前に追い込んだ。野郎が捨て身の攻撃に出ているのは事実だが、器の位置は特定している。おれがバトンタッチして勝利をもぎ取ってみせること。それ以外にあるべき結末はないはずだ。


 おれたちが作った料理を最後に美味しく頂く。そんな森田に腹が立たないわけがない。


「倒せるものなら倒してみせよ。我らは手を出さん。人も悪霊も死にかけがいちばん強いぞ」


 こちらの気持ちを代弁するようにヒトラーが吐き捨てた。それを聞いた森田はニッコリ笑い、信長のいるほうにむき合った。


 上空から強烈な風が吹きつけ、信長が両腕を伸ばしていた。前屈みになり、敵を片っ端から捕まえ、握り殺すつもりなのだろう。


 暴れ狂う前髪を払うと、スラッと背の高い森田が左手を(かざ)し、ヒトラーとは違った音色の美声を奏でる。


第三永劫態(エランヴィタール)!!」


 森田が聞き慣れないフランス語のような言葉を唱えた途端、暗い空がさらに(かげ)った。


 するとやつの左手から一瞬、眩い閃光が迸った。そして上空から腹の底まで響く爆発音が鳴る。


 見上げるとそこには、いつの間にか大量の細長い物体がひしめき合っていた。1本が5メートルから10メートルはありそうな槍だ。ひとつひとつが太く、何本あるか数えることすらできず、雲霞(うんか)のごとく群がった槍の束。


 ふと見れば森田は左腕を広げ、タメのようなものを作っていた。その張りつめた緊張を、指を鳴らすパチンという音が解放する。


 興奮したおれをよそに無数の槍たちが悪霊、つまり信長めがけて雪崩を起こした。


 言葉でいえばそれは、数の暴力に見えた。突然出現させた槍の束を放てば、信長の器がどこにあろうと“数撃ちゃ当たる”ことになるからだ。


 しかしそうはならなかった。森田が放った槍は寸分の狂いもなく一箇所に集中したからだ。よく見るとその1本1本は不気味に(あか)く輝いており、霊体の一部ということ以外どんな構成なのか想像すらできない。


 そんな長くて得体の知れない槍が、白骨化した信長の頭部、なかでも眼窩の間に突き刺さった。


 ここでおれはハッと我に返った。せっかく特定した器の位置を森田に伝えてないことに気づいたからだ。


「器はそこじゃねえ!!」


 自分のケアレスミスに怒りを感じながら叫ぶと、森田のやつはじつに奇妙なことを口走る。


「位置を移動させたんだよ、あそこで正しい」


 俄かに信じがたいことをいって森田は左腕をだらりと下げた。器の位置が移動する。教官が教えてくれたかどうか、頭のなかを必死に捜すがそんな情報は出てこない。

 研修の途中でクビになったから、その知識を手に入れ損ねたのか。そうとしか考えられなかった。


 数えきれないほどの槍の束が一箇所に刺さる。その後のイメージどおり、白骨化した信長の頭部は扇状になった槍の重さに負け、地面に垂直に垂れていく。


 眉間に的中した緋い槍が降りしきる雪に触れて水蒸気を発した。灯りを落とした部屋で吸うたばこの煙のようだ。


 森田のいったことが正しいなら、信長はいまの一撃で器を破壊され、ジエンドだろう。逆にもし間違っていたなら、槍を抜いて逆襲を仕掛けてくる。おれは後者の可能性に備え、動揺した感情を抑えにかかった。


 フットワークを軽く刻んだ途端、猛烈な勢いで爆風が襲ってくる。おれはかろうじて転倒を避けたが、原因は明らかであり、信長の骨格が崩れはじめたのだ。以前テレビで見た、テロ攻撃で白煙を吐くツインタワーを思わせる大崩壊。力を失った白骨が次々と地面に落下し、激しい土煙があがっていく。


 そのとき、顔面に何かがぶつかり、おれは反射的に手で払ってしまう。爆風が収まるのを待ってから地面を見ると、何の変哲もない黒縁眼鏡が転がっていた。森田の眼鏡だろう。


 おれが黒縁眼鏡を拾いあげると、上着の裾を翻した森田がこっちにむかって歩いてくる。やつの背後では派手に倒壊した白骨が土煙を上げながら沈み込み、意志のない(むくろ)をさらしている。


 戦況をつぶさに見ていた者には一目瞭然だが、信長を死線に追い込んだのはヒトラーだ。しかしその後、信長の野郎は器の位置を移し、森田はそこを射抜いた。だれに軍配があがるかといえば、一応森田になってしまうのだろう。


 何しろたった10秒にも満たない時間で倒してしまったのがすごい。人類に滅亡をもたらしてきたヒト型悪霊を相手にして。


「ありがとう、亜平さん」


 ちょうど三歩の距離に近づいたとき、森田は足をとめておれにいった。研修で叩き込まれた動作が自然と出て、体が敬礼をしようとする。その動きを抑え込みながらおれは森田との距離を詰めた。


「どうして器の位置がわかった?」


 もうこの身は警察官でなく、上司と部下でもない。おれは眼鏡を差し出し、ぶっきらぼうに問うた。


「企業秘密さ」


 ウインクするように目を細めた森田は音もなく近づき、受けとった黒縁眼鏡を耳にかける。


「あそこにいる三つ編みはぼくの部下でね。悪霊(ホシ)が上陸する事態に備え、福岡に赴任させたんだ。ぼくは大分からの移動中、こちらに直行した。戦場でよく生き残ることができたね、ご苦労さま」


 おれの問いをはぐらかしておきながら、森田の野郎はノリの軽い司会者のように述べた。前から思っていたがコイツの笑顔は作り物に見える。そんな人形のような笑みを湛え、やつはおれの肩を叩いた。


 正直馴れ馴れしくされる筋合いはなく、表情は強張っていく。そもそもおれは森田の顔を見ていない。


「こっちの苦労も知らずによくいうわ。ところで森田、信長はまだ生きてるぞ」


 森田の背後を指差し、冷たい声でいった。崩れ落ちた白骨はいつの間にか姿を消し、その中央に片膝を突く男の姿が見える。原型をとどめないほど損傷した甲冑をまとう信長の姿だ。


 眉間を割られ、そこから夥しい出血をしている。見るからに痛ましい様子だ。


「どうする小僧、我の霊力は回復した。あれに引導を渡してもよいが、眼鏡の仕事なら取るつもりはない」


 離れた場所に立つヒトラーが顎をしゃくった。態度は乱暴だが、妙な威厳と品がある。


「いや、ここはあなたにお任せしたい」


 森田はそういってヒトラーにむき直った。ヒトラーは右眼をすがめ、憮然とした顔つきでいう。


「契約下にあることを証明しろ、ということか?」

「ご理解が早くて助かります」


 へりくだった物言いだが、口の上手い営業マンみたいだと思った。怪しい契約書にサインさせ、客を平気で騙すタイプの。


「貴様ら、少し離れろ」


 邪魔だとばかりに手を払い、ヒトラーはおれと森田を後ろに退かした。三つ編みはすでに退避しており、相変わらずシャオレンの守りに徹している。


「三郎、袂は分かったが天獄で同じ飯を食った仲だ。介錯してやる!!」


 そう大声でいい放ったヒトラーに信長は答えない。答えられないというのが正確だろうか。


 憤怒の表情こそ浮かべているが、やつはもう虫の息だ。それくらいおれにだって判別はつく。


「総統命令77号」


 指で眼帯を外したヒトラーが術式を唱えた。露出した眼から細かい塵のようなものが周囲に漂う。溢れかえる霊力が空気中の分子と干渉し、輝きを放つのだろうか。その光景は“神秘”というほかない。


「三郎よ、今際の際である。何かいい残したことがあればいえ。聞き届けてやる」


 左眼に黄金色の輝きを放ち、長靴を前に進め、ヒトラーは声高に叫んだ。

 信長はといえば、片膝を突いたまま眼を血走らせている。顔面は流血が鮮やかに浮かぶほど真っ青だ。


()せぬ」


 ガリッと岩が砕ける音がした。奥歯が割れるほど悔しいのか。信長は歯噛みしながら鬼の形相でこう洩らす。


「是非にあらず、と二度いうはめになるのは解せぬ。ほかに言葉がないのはもっと解せぬ……!!」


 その瞳はヒトラーを恨みがましく直視し、爛々と燃えたぎっている。対照的に蒼白に染まる顔は泣いているように見えた。信長ともあろう男が死を受け入れられないのか。あまりにも屈辱的過ぎて。


「解せぬ解せぬ解せぬ解せぬ!!」


 いったいどこに力が残ってたのか、荒ぶる信長が死力を振り絞って刀を肩に担ぐ。


「もはやこの身には光忠しか残っておらぬ。だがそちとともにあくまで戦い抜く。あの日、本能寺で儂は誓ったのだ、後生こそ世を遍く統べてみせると……」


 信長が立ち上がりかけたその直後、ヒトラーが片手をスッとかざし、うっとりするほどの声を四方に響かせた。


「——安らかに眠れ、三郎」


 そのしぐさをおれはどこかで見たことがあり、来日したローマ教皇だとすぐに気づいた。

 教皇は信者の頭に手を置き、彼らに恩寵を分け与える。そのときの様子にそっくりだとおれの目には映った。


 果たして信長は、ヒトラーの命令に撃たれて動きをピタリと止めた。何か見てはならないものを見た表情を浮かべ、空間の一点を凝視している。


 やがて信長は傷だらけの鎧をかき抱き、「死にともな、死にともな」と小さくつぶやいた。やつほどの偉人でも死に際を拒んでしまうのか。


 しかしそんな信長も、ヒトラーの命令が行き渡ると表情を変えた。恨みも悲しみも憤怒もない。あるのは涙を流して目を瞑る信長の死に顔だった。


 呆気にとられて瞬きすると信長の姿は消えていた。跡には降りしきる雪が舞い降りていて、血に染まった大地の熱が溶かしていく。


「ご苦労様でした。何が起きたかさっぱりでしたが、見事なお手前で」


 おれが顔を動かすと、森田が感服した様子で手を打ち鳴らしていた。嫌味っぽくは聞こえない。本気で驚いたという雰囲気が滲み出ている。


「死に損ないを眠らす程度、造作もない」


 片手を曲げたヒトラーはその硬直を解き、腰のベルトに押し当て、雪の踊り狂った空を見上げる。


 おれも眼差しを上にむけ、瞼に雪がひんやりと沁みた。

 死にゆく悪霊は無に還るという。それが本当なら、信長はもう二度と戦場に立つことはない。

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