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契約

 ヒト型悪霊に移動手段を提供してしまい、結果的に人類に致命的な被害を与えるため、生贄になった人間は“ルサンチマン”と呼ばれて蛇蝎のごとく嫌われる。嫌われるばかりか、処刑されるケースも少なくないと聞いた。


 もっとも自分がルサンチマンになってしまうと、そんな後々のことに意識が及ばないのもさることながら、“あの”ヒトラーをなぜ受胎できたのか、そんな器でないだろう、という疑問のほうが頭を占めた。


 森田に警察官失格の烙印を押されたショックはいまだに生々しく、おれは除霊師として、悪霊を使役する式神使いとして役立たずな人間のはずだ。


 車酔いでふらつくように足場はおぼつかず、うっすら目眩さえしてくるが、ヒトラーのやつは「細かいこたぁどうでもいいんだよ」とばかりにおれの手を握ってくる。


「昼頃までハルビンで包囲殲滅戦をしておってな、味方は滅んだが最終目的地である日本に上陸できた。それもこれも貴様の器のおかげである。感謝するぞ、小僧」


「ああ、うん」と応じたものの、何か立派な器の持ち主みたいな話になっちまってる?


 式神使いか祓魔師にあらずんば除霊局職員にあらず、そんな状況で退職させられたおれだぞ。様子が変じゃないか?


 ヒトラーは上げ底ブーツでも履いているのか、身長が頭ひとつ高く、得体の知れない貫禄を湛えている。

 信長の野郎は無感情なツラを引っさげてきたが、こいつは笑みを浮かべて余裕も感じるし、大地に根が生えたようにどっしりとした態度だ。


 もちろんそんな印象に気圧されたわけでなく、手にした刀でひと突きにしてやろうとおれは半身で身構えた。しかし隙らしい隙が見出せず、脳がストップを出した。


 目に見えない攻防がくり広げられたわけだが、そこに突如として激しい怒号が飛んできた。


「何故うぬが出てくる!?」


 ヒトラーは後ろを振り返り、こちら側に背中を見せた。まったくもって無防備な背中だ。怒鳴り声をあげたのは信長だが、おれの目にはヒトラーを仕留める絶好機に映った。


 だがまたしても足を踏み出せない。殺気を感じとったせいで。後ろに目でもついてるような異様な殺気を。


 ガードを下げた相手に二度までもチャンスを奪われた気分に陥り、おれは悔しくなって過去の戦いを脳裏で紐解いていく。類似した状況と過去にめぐりあった気がしたのだ。


 ——あった。研修中の模擬戦だが。教官に手も足も出ず、ズタボロにされた記憶が甦る。


 おれがかつてなく戦慄を抱き、悪夢を見た出来事を思い出した瞬間、信長とヒトラーは突然舌戦をおっぱじめた。


「ああ、三郎ではないか。だいぶやつれておるようだが、一番乗りは貴様か?」

「バカな、なぜ生きてる!?」


 仲間を召喚させておきながらこの状況は意味がわからん。

 特に信長の驚きようは尋常ではなく、白い肌を真っ赤に染め、これまでの無表情が嘘のようだ。


「藤吉郎なら死んだぞ。あやつめ、敵と我を同士討ちさせる腹づもりだったようだが、あいにく除霊師どもは全員殲滅した。頭に来て切腹させてやったわ。遺言を預かってきたが聞くか?」


 自分が興奮してるせいもあるが、二人の間にはバチバチの火花が散り、敵か味方かでいえば明らかに敵同士だ。


 こういう状況で即座に判断できないやつは除霊師として失格だ、と教官はおれたちに述べた。

 目まぐるしく変わる戦況において熟考する時間はない。いい換えれば「一瞬で熟考せよ」という無茶な教えだ。


 離れた場所にいる三つ編みはブツブツと独り言を洩らしており、黒雲に覆われた空はいまにも雪が降りそうだった。冷たい風がすぐ側を通り抜け、おれは把握する。目の前で起きていることの全体像を。


 天地統一。ヒト型悪霊はそれを目指し、互いに相争っている。

 藤吉郎といえばまあ、秀吉のことだろう。信長は忠臣である秀吉を用い、ヒトラーを罠にかけたのだ。つまり信長の思惑としては、ここに“現界”するべきは秀吉だった。ヒトラーは殺されていなければならず、だから信長はその生存にぶったまげたのだ。


「だいぶやつれておるようだな、三郎。韓国殲滅で相当無茶をしたと見える。どんな無茶をしたのかまでは知らんが」


 当てが外れたばかりか、疲労の度合いまで見抜かれ、信長は一転して窮地に立ったといえよう。増援されたそばからこんな因縁が浮き彫りにされ、おれとしちゃ想定外だ。とはいえ正直にいえば、敵の潰し合いは助かる。


「貴様は藤吉郎の支援なくして日本を征服できんが、我は単独でも天地統一が可能だ。精々、同胞相手に古参アピールでもしておれ」

「なめるな下郎。おのれこそが天地開闢以来の極悪人だと吹聴する思い上がりめ。小物が偉そうに……クッ!?」


 醜く罵り合いをはじめた信長に対し、機関銃のような音を立て弾が降り注ぐ。視界の隅では三つ編みの野郎が式神を動かし、信長とサドに対し攻撃を仕掛けていた。

 あえてヒトラーは狙わない。ここは信長を真っ先に死線へと追い込み、殲滅を図っていく作戦なのか。ヒトラーとの相討ちを巧妙に誘いながら。


 その判断はベストの選択に近く、おれは安堵した。よっぽど酷い間違いを犯さない限り、三つ編みに命令する必要はないように思えたから。むしろ大事なのはおれとの連携だろう。そしてシャオレンの生死——。


「話し合う余地などなさそうだな、総統。藤吉郎の仇……討たせて貰う」

「望むところよ」


 三対二の構図になるはずが二対三となり、サドが死ねば一対三になる。敵の敵は味方であるから、信長を倒すまでの間ヒトラーはこちら側の男だ。願わくば信長との戦闘で致命傷を負い、簡単にひねり潰せるとおれと三つ編みにとってこのうえない。


 とはいえ偉人級のなかでもトップクラスの悪霊の対峙は緊張感しかなく、激しい霊圧がこちらまで響いてくる。黙って睨み合うだけなのに、おれの血まで騒ぎ出す始末だ。

 これで殺し合いがはじまったらいったい何が起きてしまうのだろう。

 あらゆる事態に対処できるよう、フットワークを軽く踏んだ。高みの見物などする余裕はなく、流れ弾を食らっては絶対にいけない。そう考えてわざと体を弛緩させるおれに、後ろを振り返りながらヒトラーがいった。


「おい、小僧。その器を早く外せ。貴様が邪魔で戦えん」


 はぁ?

 なにいってんだこいつ、と思ったね。このときはまだ、自分の置かれてる状況を理解してなかったんだ。


「外せって、意味わかんねーぞ。アンタが勝手に外れろよ」


「ふざけたこと抜かすな。突然ロックがかかり、二進(にっち)三進(さっち)もいかんのだ。驚くほど伸び縮みして、じつに快適な器に思えたのだが罠だったとは……!!」


「思い違いだろうが、おれは何の小細工もしてねえって」


 突如として激しい口論になったが、ヒトラーはそれ以上いい返してこず、腹の辺りを押さえて苦悶の表情を浮かべはじめる。

 ガキの頃、腸捻転で病院に運ばれた同級生がいたが、それに勝るとも劣らない苦しみ方だ。脂汗をだらだらと流し、白目を剥きかけている。呼吸も荒く、このまま死んでしまうんじゃないかとさえ思えた。


「ダメだ、これ以上もたん。かくなる上は我と契約せよ。互いの器をリンクさせれば拒絶反応も起こらなくなる……」


 まったく想定外の方向に話が広がっていくが、ヒトラーの申し出は当然理解できた。

 三つ編みがそうだったように、除霊師の一部は契約した悪霊を式神として用いる。したがって契約自体は珍しくも何ともない。

 問題はヒトラーほどの極悪人を人類の側に引き寄せていいのか、という倫理的な話になる。警察にいてそんなことは教わってないし、おれ自身がコイツを制御できるのか、という懸念も当然つきまとう。


 無駄に賢いとリスクばかり考えちまうが、ここでサドとやりあってる三つ編みが大声を飛ばしてきた。


「契約しろ、亜平!!」


 信長の矢面に立つサドを集中的に攻めながら、おれたちの会話もちゃんと聞いてやがった。その冷静な視野の広さに「お前、大したやつだな」と洩らしたが、背中を押されたのは間違いない。

 サドに守られるほど困った状況にある信長。ヒトラーが味方につくなら、おれは恨みを晴らせられる。シャオレンの生死は五分五分だろうが、奇跡なんて信じちゃいない。ただ生き残らなければ、そのわずかな奇跡すら掴むことはできない。


「いいだろう、ヒトラー。お前の願いを受け入れてやるよ」

「そちは本気か?」


 おれが承諾を口にすると、なぜか信長の野郎がざらついた声を発する。意表をつかれて絶句したような声だ。


 このとき一瞬だけ間違った選択をした、という意識が芽生えたのが忘れられない。ヒトラーはここで殺しておくべきだったのではないか。短期的に見れば契約を交わすのが正解でも、長い視点で見れば最悪の選択をしたのではないか。ルサンチマンになったのは偶然でも、ヒトラーと取り結ぶのは己の決断。言い逃れができない。


 もっともそんな後ろめたい意識は微々たるものでしかなく、おれはすぐさま状況に対応した。全身にアドレナリンが流れてると決断の速度が普段の三倍にはなる。


「そのかわりに条件がある。おれの野望の手助けをしろ」

「野望?」


 悶え苦しむヒトラーがぎらつく目をむけ、こっちの提案に食いついてきた。


「ああ。詳しいことはあとで話す。お前にとっても悪い話じゃないはずだ」


 悪い話じゃないといったものの、それはヒトラーにも同じ景色を見せてやれると思ったからだ。悪霊が目指しているのは天地統一という大事業であり、おれがこの世界を陰で仕切る黒幕になった暁にはコイツをトップに就けてもいい。天地を統べる指導者になり、さぞ満足だろう。


「腹に一物ありそうだが我にも条件がある。天地統一の邪魔をするな。最後に頂に立つのは我でなければならん」


 やっぱりそうきたか、と思った。

 かなりの部分は偶然だろうが、おれとヒトラーの願望は一致する。出会えたのは宿命かもしれない。


「トップになる気はねえよ。そういうのはお前に譲ってやる」


 この頃にはもう、後悔するかもしれないという危惧は霧消していた。あれは思い過ごしだったのだ。そんな感情さえ抱かずに。


「謙虚なガキは嫌いでない。ひょっとすると我は、貴様のような人間に会いたかったのかもしれん」


 そういうとヒトラーは空元気を飛ばすように笑い、おれの前に一歩ずつ近づく。地獄の苦しみから早く解放されたいのだろうが、へりくだった様子は微塵も見せず、とても従者とは思えない態度でひざまづいた。


「小僧、何なりと命じよ」

「おれを小僧と呼ぶな。それから信長を倒せ」

「——御意」


 契約が成立した瞬間のことは、いまでもはっきり覚えている。おれの器とリンクしたことでヒトラーはみるみる爽快さを取り戻した。まるでクスリでも打ったかのような変化だ。

 よほど気持ちよかったのだろう。やつはこみ上げる感情を解き放って大きく高笑いをはじめた。生の喜びを抑えきれないとばかりに、天地を揺るがすような高笑いを。


「よもや総統と契約を成立させおるとは。彼奴(きゃつ)こそ人類にもっとも忌み嫌われると思っておったのだが……」


 あまりに不本意な展開だったのか、信長は乾いた笑いを小さく洩らした。目に驚嘆の色を浮かべながらだ。


 これに対し三つ編みの野郎は、おれたちの契約に俄然力を得たようだった。


「ビビらず契約を結べたことは評価してやる。ヒトラーが味方につくなら、おれも全力を出せるからな」


 そう流暢にいったあと、ここぞとばかりに両手を突き出し叫び声を上げた。


「蜂の巣にしろ!」


 命令を受けたのはやつの式神だが、そこから起きた攻撃はたとえ式神によるものとしても理解に苦しむものだった。


 数えきれないほどの銃に覆われた三つ編みの式神は、やつの命令で一斉射撃をぶっ放し、それは信長の体に降り注ぐと同時にその背後を襲った。


 式神の撃ち放つ銃弾は霊体の一部であり、通常兵器とは異なる。だからこそ悪霊にダメージを与えられるわけだが、それをカバーする防壁も後方の守りは薄くなる。

 防壁の厚さは一様ではなく、戦況に応じて流動的に動くからだ。


 それにしても物理法則を簡単にねじ曲げ、後方射撃をしたことには正直たまげた。


 背後を取られた信長は瞬時に顔色を変え、右腕を後ろにぶんまわす。片手で銃撃を塞ぐ気なのだ。粉々に砕け散った防壁から濁流のような銃弾が降り注ぎ、不意をつかれた信長の顔色はさらに悪化する。


 この地に“現界”を果たして以来、信長が本調子でないことは察しがついており、防壁の強度もその一部なのだろう。ヒトラーが味方についたことで多勢に無勢となった。想像するには早いが勝利の予兆を感じなかったいえば嘘になる。


 このままやつに問題を与え続けていけば、クリティカルな一撃はなくとも削っていける。ガードの上から殴り続け、消耗したところでワンツーだ。


 おれは追撃の構えをとり、信長に対して接近した。銃撃であがった土煙をかいくぐって進むと、あとから思えば想定内な動きが起こる。


 信長に忠誠を誓うサドが背後の守備にまわったのだ。その動きはさながら、裸で空爆に飛び込むようなものだろう。何しろサドにはもう防壁がなく、自分の体以外に信長を守るものがない。


「侯爵!」


 後ろを振り返る信長が怒鳴りあげたが、式神の銃弾を浴びながらサドは鎧の背部に倒れ込む。

 サドは断続的に何かを吐いた。それは真っ赤な血の塊だ。

 おそらく致命傷を負ったのだろう。苦悶の表情を浮かべ天を仰いでいる。


「お館様、あれは何もないところから背後を撃つ悪霊。わたくしめがいなければ危ういところでした……」


 サドは抱き起そうとする信長の腕をすり抜けて、三つ編みにむき直った。いまの爆撃で再起不能なダメージを受けたように映ったが、まだくたばる様子は見せない。それどころか上着に挿した拳銃を両手に握り、三つ編みに対し反撃をはじめる。


「やめよ侯爵! その体では照準も合わぬ。戦線を離れよ!」


 信長は激しい怒りを露わにするが、やつの顔面は真っ赤に染まるどころか抜けるような蒼白を呈している。おれはこのときはじめて目にした。燃え盛る怒りで血の気が失せるやつがいることを。


 しまいには信長はサドを羽交い締めにして、無駄撃ちをやめさせた。けれどそれによってサドの受けた傷が回復するわけではない。むしろその逆で、時間が経つほどサドの吐く血は量を増す。


「醜く腐った蛆虫どもめが、お館様に傷をつけた罰を!!」


 曇りゆく空にむけて罵詈雑言を吐き散らしながら、サドが両手の銃を連射する。三つ編みは防御のために刀を構えたものの、その起死回生の銃撃は魂が抜けるような空砲に終わった——。

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