通話
ルサンチマン。その言葉の正体は警察関係者によって隠蔽されている。一般国民が知ると人間が人間を攻撃し、社会が不安定になるからだ。
ヒト型悪霊は飛行機に乗れないかわりに独特な移動手段を持つ。必要になるのは恨みに駆られた人間の感情と、悪霊の力に応じた器のサイズだ。それらを兼ね備えて“現界”に用いた人間を悪霊はルサンチマンと呼び、やがて人間たちも同じ言葉を使いはじめ、彼らは“現界”の媒体となるルサンチマンを忌み嫌うようになった。
人類に仇なす存在という蔑称の意味を持つに到り、たとえ生き残ったとしても処刑されるケースはまれではない。
アドルフヒトラーという偉人級の悪霊を産んでしまった亜平ビンジに対し、三つ編みことハンギファンは複雑な感情を持った。
仮に信長たちを倒したとして、上層部は亜平を生かすだろう。だが二度あることは三度ある。危険人物に認定すべきやつを温存して利益はない気がする。ギファンは“超”がつくほどの堅物なので、物事を杓子定規に考えてしまう。
そんなギファンは、死にむかうシャオレンを呼び戻そうと必死に回復術をかけていた。彼自身のためではなく、亜平のためである。
ギファンの受けた指示は亜平ビンジのサポートだった。彼の願望を最大限尊重すること。たとえ不本意でもそうした指示にギファンは逆らうことができない。
折しもアドルフヒトラーの“現界”に息をのんだ瞬間、ギファンの鼓膜に埋め込んだ無線通信が、明るく場違いな声を伝えてくる。
『予想どおり悪霊が出現したらしいね。まだ生き残っているようで何より』
こちらは死闘がはじまろうとしているのに、ギファンの上司は呆れるほど呑気な声だ。不快か快適かでいえば、快適であろうはずがない。
「そんな気楽にいわないで下さい。アンタが来るまでの足止めというから引き受けたのに、話が違います」
『違くはないだろう。ぼくが予想したとおり信長は現れた。あとはひたすら逃げまわって時間の経過を待てばいい』
「だからお気楽過ぎます! こっちはヒトラーまで“現界”して三対二の劣勢ですよ!?」
ギファンは無線通信に対して吠え、いまにもぶち切れそうだ。これはしかし彼らにとって通常運転である。
上司はギファンに福岡の警備会社への潜伏を命じ、やがて信長が“現界”することを事前に予想した。上司がひとたび予想を下したときは毎回完璧といえる精度で的中し、今回もそうなった。その慧眼は空恐ろしいほどだと思う。
亜平が媒体になる件についてもそうだ。上司はギファンに亜平の監視を命じて、その理由を彼の特殊な器にある、と述べた。
警察省をクビになり、路頭に迷う男の監視にどんな意味があるか、ギファンは最初訝しんだ。しかし亜平が瞬く間に自前の組織を立ち上げ、除霊師として頭角を現そうとしたのを見て、考え方を変えた。
研修における成績は群を抜いていたため、実力はあるのだろうが、渋々監視につくギファンを巻き込んでいく腕力は目を見張るべきものがある。あえていえば、彼の上司に似た感じがした。
『大分支部での用事を済ませたし、渋滞の有無にかかわらずあと少しでそっちに着く。戦いは終わってるかもしれないけどね』
「ようやく連絡がついたと思ったら、ろくな指示もないんですね。上役ならせめて秘策を授けて下さいよ」
ギファンはシャオレンの回復に意識を集中しつつ、上司とも会話をこなす。器用といえば器用な男だ。
『甘えだな。自分で考えたまえ』
その言い草にカチンときた。ギファンは堅物だが、気を許した相手にはやたらと強気に出る。
「わかってますよ! 偉人級のヒト型悪霊二体を相手にする身にもなって下さい」
あまり騒ぐと信長たちに気取られてしまうが、幸いヒトラーの“現界”に目が集中し、だれもギファンを見ていない。
『本当に敵は二体かな? 状況をよく確認したまえ。思い込みを排し、きみらしく戦えば、勝機は見えてくる』
最後に思わせぶりなことをいって上司は通信を切った。仕事を丸投げされたようにも見えるが、ギファンはそうは考えなかった。彼の上司は呆れるほど楽観的だが、無意味なことを口走る人ではない。
敵は二体かな? そのひと言が引っかかる。信長とヒトラー。二人の連携に問題でもあるのだろうか?
頭の切れる者は選択肢を絞り込むのが上手い。ギファンもバカではなく、いくつかの可能性を思い浮かべた。
そのうちもっとも色濃いのは、亜平ビンジというイレギュラーの存在だ。何しろ非常にまれな器を持つという。上司がそこに着目したのは間違いない。
ひょっとしたら、という想像が少しばかり湧く。不確かで荒唐無稽だが、上司の妙な確信もそれが事実であれば納得できる気がした。
何らかの目算があるのだ。相手の腹の内を読めばわかるような目算が。
過去の戦闘を紐解いても答えは出てこない。ギファンは上司のいったことを思い出し、ヒトラーの立ち位置に答えがあるような気がした。
亜平の器が人並み外れているとすれば、机上の空論を超えたことが起きるかもしれない。一流の戦略家しか描けない盲点がきっとそこに隠れている。




