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天地統一

 ありのままを話すと、福岡会議第二弾になったよ。時間にすれば15分程度だったと思うが、主観的には5、6時間ぶっ通しで話し合ったような気がする。戦闘本能を抑えるのに必死で、人生でも滅多にないくらいの緊張を味わった。そのまま斬り合いに突入したほうが気は楽だったかもしれない。


 信長を“現界”させた魔法陣が消えたあと、やつはすかさず抜刀するかに見えたが、あごひげをポリポリかきつつ首を傾げ、突然早足で窓のほうに歩き出す。


「安土城より高いな。出城としては上等よのう、侯爵」


 そのひと言はサドにむけたものらしく、侯爵と呼ばれた男は体を90度に曲げ、「恐悦至極」と返事をする。


 この時点で明らかになったことを二点挙げよう。ひとつは両者が主従関係にあること。まさしく一目瞭然というやつだが、重要性はあまりない。

 もうひとつはここに到る流れのすべてが敵のプランどおりであること。


 勘違いしやすいことだが、悪霊はつねに戦いを欲してるわけでなく、もしおれたちが降参したらサドは戦闘をやめただろう。反社のビルを占拠し、信長を“現界”させるのが目的だったからだ。


 同じことが信長にもいえた。収集した情報を結びつければ、コイツはこのビルを日本征服の拠点にする思惑だと見て間違いなく、無駄な争いとか望むわけない。


 ゆえに空いたソファに腰を下ろした信長が“交渉”を持ちかけても、おれは驚くことはなかったのだ。


「大いに揉めていたようだがいくさはここまで。そちらの主人(あるじ)は近う寄れ、話し合いで解決いたす」


 この場に現れて早々やつは、争いに一時停止を宣言した。そんなことが可能になったのは、おれと三つ編みが攻撃をとめたから。「あーしんどかった」などと洩らす信長は、ソファの背もたれに体を預け、無防備な姿で天井を仰いだ。腰に刀は差しておらず、相当な疲労をため込んでいる様子で、それでも近づきがたい覇気がこっちにまで伝わる。


 破られるための停戦に従う意味はないだろう。お前はそういって、おれたちの判断に疑問符をつけるかもしれない。

 半分はあっている。だが根本的に間違っている。この後の展開を聞けば納得がいくと思う。


 主人を出せ、といわれてソファにむかったのはシャオレンだ。殺し合いから逃げ惑うばかりだった彼女だが、戦闘がやんだせいで顔色がよくなった。

 偉人級のヒト型悪霊がどれほど強く、残虐かは一般人ですら熟知しているものの、信長に殺気とかは感じとれない。シャオレンも“話し合う余地はある”と認識したふしはある。


 抜いた刀を下げ、三つ編みはシャオレンの動きに目線を送っていた。おれはおれで、可能なら知恵を授けたいと考えてしまう。


 おバカでないことは確認済みだが、はるかに格上の悪霊と渡り合えるか。そういう意味でテストはまだ済んでないといえる。


 シャオレンは椅子に座るなり、礼儀正しく頭を下げた。背もたれから体を起こした信長も同じ動作をとる。

 おれの最大の不安は、シャオレンが信長を怒らせ、刀の露と消えることだ。

 その不安はしかし、杞憂に終わる。


「わたしが生き残った者たちの監督者です。要望はすべて受け入れましょう。こちらの利益にかなう限りは」


 なるほどそういくか、上手い切り込みだ、と思ったね。やっぱシャオレンは非凡な女だ。


 不利益になることは受け入れないといわれた相手は、「どういう提案なら利益になりうるか」を忖度せねばならなくなる。相手は重く鋭いジャブを受け、反撃に困るだろう。


 最初から劣勢なポジションに立たされた信長は、そのことをよく理解していたらしい。面立ちに感情は出てないが、沈黙がその心を代弁する。スマートにやらないと痛い目を見かねない。そう判じたとする決定的証拠はないが、判じたとしか思えない反応を信長は返してきた。


「馬を用意し、都まで案内せい。(ミカド)に謁見したい。願わくば駿馬(しゅんめ)がよいな」


 そのひと言で狙いは概ね理解できた。日本を征服するにあたってもっとも合理的な手段を用いる気だと。しかもその狙いは、無駄な犠牲を全面的に回避するという点で、おれたちにも国民にとっても利益がある。同じ日本人ならではの巧妙な一手だ。


 視界の隅で、サドは部屋のインターフォンにむかい、電話口に何やら命令をしている。そしてやつは一度部屋を出る。


 顔をシャオレンに戻すと、今度は彼女が沈黙していた。その心理は手に取るようにわかる。


「仮に帝が国を明け渡せば、日本は悪霊に蹂躙されるでしょう。国民の安全を保障するサイドレターを頂けないと承諾することはできません」


 おお、その切り返しはいいぞ。おれの思い描く選択肢のうち、最善の一手を打った。シャオレンは有頂天になることなく、ポーカーフェイスを保っている。普段からまあまあ美人だが、いつになくマブく見えるぞ。


「人間には寿命があり、それは(わし)らが何をしようと勝手に訪れるものよ。問題は寿命があるのに殺される者。そうした者が現れぬと断言しよう。無事生き残った者どもには(とこ)しえが与えられる」


 信長は膝に手を置き、シャオレンをまっすぐに見ている。自分の言葉をしっかり叩き込むかのように。


「常しえ?」とシャオレンは眉をひそめた。おそらくは知らない単語だったと思われるが、食いつくポイントはそこじゃない。


「一億人が死んでも寿命といい張る気か?」


 やむを得ずおれは横からヤジを飛ばす。軌道修正しないと丸め込まれてしまうからだが、信長はそれに少しも不機嫌にならなかった。


「ふむ、そういう理屈こそ(いくさ)の本質を理解しておらぬ。あれは人災でなく天災である。地震や津波が起これば運命を憎み、神を恨むであろう? そもそも儂らは確固たる目的をもって地上を征服している」


 おおかたの予想どおりというべきか、信長とのやりとりは価値観の壁に衝突した。けれどおれが着目したのはそこではなく、やつが口にした“目的”という言葉のほうだ。


 戦争を解説するニュースは表面的な報道に終始しているが、警察官はより詳細な情報を入手し、ヒト型悪霊の“目的”について具体的な答えを有している。


 それこそが天地統一。

 文字どおりいちばん早く地上を征服した者に、天地のすべてが与えられる。

 悪霊はその言葉を掲げ、互いに争ってすらいるという。ゴールは人類最終拠点となったエリア、つまりこの日本だ。


 信長は股を開いてソファに座り、背筋を伸ばして瞑目している。たばこには見向きもしない。


 さあ、ここからどうするおれ。そしてシャオレン。信長の野郎は一億人が死んでも「天災にほかならない」とおおよそ受け入れがたい主張を口にした。

 コイツを帝都に連れていき、帝と謁見をさせ、それから何が起こるかを考えてみた。日本の統治権を奪った信長は、ほかの悪霊がやったのと同じく、大虐殺をはじめるだろう。寿命のある者は殺さないとか妙なことぬかしやがったが、区別なんてつけられるわけねーだろうが。

 悪霊の占領地がどういう状態にあるか、こればっかりは詳しい情報が何もない。だがろくでもない状況であることは想像しなくたってわかる。


「そのお話では安全保障は成り立ちませんね。せめて特定のエリアに自治区を設けるなど、最低限の譲歩をして下さらないと交渉は前に進みません」


 一瞬気をそらしていた隙に、シャオレンのやつが息を吹き返した。何だか敗北前提みたくなっちゃってるけど、ヒト型悪霊、とりわけ偉人級の強さを知るおれにとっちゃ妥当な判断にも見える。

 だが停戦を受け入れた以上、何らかのメリットを得なければ、という思いも忘れてはないよ。実際それは不可能じゃないはずなのだ。


「新しく埋立地を造るのはどうだ? 信長さんはいまの日本を支配する。おれたちは新しい土地に住む。一億人が住める保証はないが、棲み分けはできるだろう。ほかの国みたく全滅するよりはマシだ」


 おれはまたしても横槍を入れ、信長の反応を探った。やつは「ふむ」と鼻息をつき、背もたれに反り返った。そしておれを睨めつけ、思いもよらないことを口走る。


「そこの者、儂のことは三郎殿と呼べ」


 えっ、そんなとこ突っ込むの? と思ったね。だが一瞬、大学で習った話が甦った。昔の人は名前で呼ぶのが無礼にあたり、避けたとか何とか。


「まあ、それはともかく。いまの案は検討に値せぬ。これまでどおりの生活は営めぬのだ、たとえ生き延びたとて」


 話を元に戻した信長は、シャオレンの前に手をひらひらと振った。彼女は少しだけ目つきが険しくなった。


「こちらの利益が何も見えてこないのですが。利益がない以上、貴方の要求はのめませんよ」


 見た感じ、にべもない様子の信長に呆れ、強気に出たように映る。噛み合う条件を模索するうえで当然っちゃ当然の態度だが、相手がそれを共有しているとは限らない。


「生き残るべき者は生き残る、それ以外にそちらの利益はなかろう。利益さえ示せば要求を受け入れる、といったのはそちのはずだが」


 日本人の側にとって何が利益であるか。この話を補足するとそこが残念なくらい噛み合ってない。シャオレンも齟齬があることを理解しているようで「帝が国を開け渡せば、国民は全員保護して頂きたいわ」としごくまっとうなことをいう。だが信長は「津波がくれば死人が出る。その数は保証しかねぬ」とこれまた独特の理屈を返す。


 正直なとこをいうと、おれは途中からこの交渉は無理だなと思っていた。生き残った者には“常しえ”が与えられる、と信長がいった辺りから。詳細は不明だが、信長はそれを最大限の譲歩と見なしているのだ。


「常しえって何だ?」と問うことはできる。だが悪霊は、占領地で起きていることをなぜか絶対に語らない。おかげで警察でさえ具体的な情報がない始末だ。やつらの秘密をここで信長が暴露するとは思えず、純粋な謎を追求する動機もいまのおれにはない。


 もうやめようや、と言葉が喉まで出かかったとき、「失礼いたします」という落ち着いた声とともに、部屋のドアが開いて、銀色のワゴンを押すウエイターが入室してきた。


 ワゴンの上に載せているのは料理と酒だ。ワインである。そういえばさっき、サドの野郎がインターフォンで何やら注文らしきことをしてたな。


「ご苦労、ご苦労」


 案の定というべきか、旅行カバンを引っさげたサドがウエイターのほうに歩み寄る。やつはカバンから茶色の皮袋を取り出し、その中からゴールドを選び出す。ようするに金貨だ。ウエイターはそれを無言で受けとった。


「ささ、お館様。酒でも飲めば妙案が浮かぶかもしれません。ごゆるりとやりましょう、ごゆるりと」


 交渉中に飯を食うという発想はおれにはないが、理由は想像がついた。信長はここに着いたときやけに疲れていて、空腹が原因とサドは察したのだろう。


 腰を低くしたサドはワゴンからグラスを手に取り、信長とシャオレンの前に置いた。そして脇に抱えたワインの栓を抜き、紫色の液体を注ぎ入れる。


 信長はそれをぐびりと飲み「はあ」と息をついた。次のひと言におれの意識は集中する。


「正直に申そう。徹底的な殺戮は儂にとって本意にあらず。だが、選ぶことなどできぬのだ」


「どういうことですか?」


 グラスを持ったシャオレンが真面目くさった顔で問う。信長はサドが運んできた皿にフォークを突き刺し、肉の塊をもぐもぐと食い終えたあと、こういう。


「もし生き延びたく思うならば、是非神を殺してくれ。神は天地統一の暁に降臨する。ひょっとするともうすでに降臨してるのやもしれぬ。儂らは天獄の苦しみに耐えかね、二度目の生と引き換えに神の意志を汲んだ。まあ、こんな話を信じるかはそちら次第だが、儂は信じると思うのだ。聡明な帝ならば——」


 そこまでいい終えた瞬間、激しい発砲音が鳴り響いた。


 おれは信長の発言に集中していて、まったく気づくことができなかった。部屋に入ってきたウエイターはウエイターでなく、やつの正体は所轄の警察官で、そこに所属する除霊師だったのだ。


 しかも部屋の外には同僚が数人待機しており、信長を殺すタイミングを今か今かとと待ち構えていた。


 警察の使うミスリフ弾は特殊な呪術加工がなされており、普通の防壁なら数発で消し飛んでしまう。そんな弾を一斉に喰らったら、さすがの信長も防壁の破損を負うこと間違いない。


 グラスを呷ろうとする信長を銃撃が襲い、轟音とともにやつの体が激しく踊り狂った。慌てたシャオレンが床に体を伏せ、後ろを振り返ったサドが頭部を撃たれて吹っ飛ぶのが目に入る。


 おれは床に膝をつき、同じ姿勢をとる三つ編みと目が合った。やつは“このときを待っていた”とばかりに、うっすら顔がほくそ笑んでいる。

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