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無法地帯

 ヒト型悪霊ってのは歴史上に名を残す悪人の霊であり、もっぱら時代錯誤な服装をしている。曰く付きの武器などを持ち、超自然的な力を発揮するため、普通の除霊師では歯が立たない。それでも立ち向かう意気地のない者はここから立ち去れ。


 研修でもっともハードな実技試験を終えたとき、達成感に浸る研修生に教官はいい放った。

 そう、本当の実技試験はそこから先にあったのだ。

 警察大学校の地下にあるだだっ広い空間、分厚いコンクリートが覆う場所に、鎖につながれる細長い男が連行された。顔に覆面をかぶせ、両脇を警察官に拘束されながらだ。


 そいつはとんでもなく強かった。やる気満々で名乗りをあげたやつは、手ぶらな男に瞬殺された。まるで空気に切り裂かれるようにずたずたにされ、最後は首を刎ねられて。


 魂と器がもし同じものなら、研修生たちの器は恐怖で縮みあがったと思う。教官に「次の者」といわれても、前に出るやつはひとりもいなかった。

 これまで戦った悪霊はたぶん強さを調整して、こちらの練度に応じた相手だったのだろう。けれど最後の最後に力量差を無視するバケモノが出てきた。いくども実戦を経てきたからこそ、その強さが一瞬で理解できた。


「亜平」と教官がおれを指名した。研修生の怖気にしびれを切らしたのか、苛立ちを感じるような声で。


 あえて名指しされた理由はわからない。実技はトップクラスだが抜きんでいたほどではないからだ。とりあえず強そうなやつをぶつけ、だれかがストップするのを待つ。その程度の魂胆しか思い浮かばず、おれは日本刀を抜いて前に出た。


 子供というのは恐れ知らずで、ガキの頃の地獄をむしろ楽しんでしまう。一歩間違えば死んでたのに、幸運と実力をはき違え、スリルと危険を間違えてしまう。お前も思い当たるふしがあるだろう。人間の成長とはそういう稚拙な考えを解くことを意味し、その代償として死が魔物となり、恐怖に心が支配されてしまうわけだ。


 しかしおれはといえば、人が歩む成長となぜか縁がなく、悪くいえばガキのまんまだった。知性と身体能力が増し、戦闘IQが発達したことで、より完璧な存在へと近づいていた。


 むろんその距離が果てしないという認識はあり、自惚れていたわけでは決してなく、バカみたいに強い悪霊を普通に恐れていた。だがそれは恐怖ではなく、緊張感と呼ぶべきものだろう。王者と殴り合うのはぞくぞくする。つまらないわけがない。


 だから実験体以外のヒト型悪霊をはじめて目にしたおれは、緊張のあまり一瞬で体にスイッチが入った。「マルキドサド? 上等じゃねーかやってやんぜ」という具合に。


 第一サドって小物っぽいじゃん。雑魚じゃん。悪霊とはいえ作家だし。そういう侮りはとっくに捨てている。


「アンタはローテーブルの下に伏せとけ!!」


 おれはシャオレンを執務室のほうに突き飛ばし、構えたライフルをセミオートでぶっ放した。ほかの連中も同じ行動をとり、エレベーターホールは銃声音の嵐が巻き起こる。ミスリフ銀でコーティングされた銃弾がサドを襲い、やつは邪魔になった受付係を壁に蹴り飛ばした。


 身軽にして反撃開始——と思いきや、気だるそうな動きでのろのろ距離を詰めてくる。コートに挿した左右対称の拳銃を取り出し、両手をだらりと下げたままだ。


 そんな真似ができるのは悪霊には防壁があるから。こちらが弾切れになるまで撃たせ、そのあとじっくりいたぶる気なのだろう。実際それは正攻法であり、黒人とボスは残弾なんてお構いなしの射撃だ。相手の攻めが怖くて、とにかく近づいてほしくないのだ。


 たったひとり、三つ編みだけが戦いのセオリーを熟知しているらしく、二人を執務室のほうに誘導しながら散発的な攻撃を続けている。つくづく思うがコイツ何者なんだ。頼もしいと感じる前に違和感が半端ない。


 その狙いを知ってか知らずか、各個撃破を潰されたサドはぐいぐいと前に出てくる。防壁を盾にして、余裕すら感じさせながら。


「先ほど海を渡ってきたのだが、船着場の付近にこれほどの屋敷があるとは。お館様の出城にいたす。東征の前祝いに酒と馳走をもて」


 そのひと言を聞いて呆れたね。サドの野郎、全身に銃弾を浴びながら呑気に命令してきやがった。たぶんコイツの頭のなかでは、もう勝つとか負けるとかの次元にないのだろう、この戦いは。


 なめられてる、と思ったね。人類とヒト型悪霊との間には、それだけ巨大な戦力差があると。


 しかしおれにいわせれば、それは一般論に過ぎない。どう一般論に過ぎないかは、実戦で証明してやる。


「撃ち方やめよ。わたしは無益な争いは好まない。人を殺して気分もよい」


 エレベーターホールから執務室に引き込むべく、弾幕を張りながら後退するおれたち。サドは手にした銃をくるくるまわしながら、こちらの誘いに抗うそぶりもない。


「防壁をいくら削ってもわたしには勝てない。おお、なかなかに立派な部屋である。寝室はついているのかな?」


 執務室に引き入れた途端、おれと三つ編み、黒人とボスは部屋の隅に展開した。三つ編みが彼らに的確な指示をしたのは間違いなく、これで戦力の分散は成功と見ていい。


 相変わらずピエロのような笑みを貼りつけたサドは、部屋の調度品を触り、「これは高価な代物だ」などと念入りに検分していやがる。四方からセミオート射撃を受けているのにどういう神経をしているんだ。


 とはいえおれとしても射撃をやめるわけにいかない。防壁がある以上、器にダメージは与えられず、器を壊さなければ悪霊は倒せない。パワーを過信すれば日本刀で斬り込みたいところだが、それでは勝負にならないだろう。相手の力を削って削って削りまくる。つねに先を読まなければ。


「おお、たばこがあるな。女子(おなご)も隠れている。出てきて火をつけよ。悪いようにはせぬと約束する」


 防壁の厚さに自信があるのか、サドの野郎はソファに悠然と腰かけ、ローテーブルに隠れたシャオレンを自分の隣に座らせようとする。シャオレンはチェスでいえばキングであり、「見つかっちまった」と焦る場面だろうが、サドは人間との戦力差にあぐらをかいており、戦況はそれだけでかなり有利だ。


 問題は銃弾がシャオレンにあたる危険があること。おれは「へたっぴは撃つな!!」と大声で叫んだ。その意味を理解したのか、ボスと黒人がライフルを下げた。三つ編みひとりがなおも精密射撃を続けてる。


「ふむふむ、日本のたばこは美味いな。ごまかしのない味がする」


 ライターを差し出したシャオレンに近づき、火のついたシガレットを深く吸い込むサド。天井に紫煙を吐き出して、「人殺しは楽しいが疲れてしまう」などと独り言をぬかした。高い倫理観を持ち合わせたやつならこの時点でブチ切れてもおかしくない。


 だが感情に左右されるくらいなら、状況の二手三手先を読むべきだし、おれはこのときプランを二つ立てた。


 ひとつは発言を追う限り、サドはこれ以上殺し合いを望んでない。やつが“お館様”と呼んだ相手はおそらく悪霊の上司にあたる人物と思われ、そいつが到着するまで停戦は可能だ。


 もうひとつは強硬策である。上司が着いた途端、皆殺しがはじまらないという保証はない。いちばん軽くても協力を要請され、人類の敵となるか踏み絵が差し出される。除霊師が寝返るなどありえない話で、だとするなら和平など結ぶ余地は存在しない。


 おれはすでにこの場を仕切りはじめていて、「もういいだろう」と攻撃停止を三つ編みに命じた。やつはその指示に従う義務はないのだが、すぐに指示どおり銃撃をやめた。同じように二手三手先を読めていれば、その指示の意味することを理解できたのだと思う。


「おれにもたばこを吸わせて下さい」と申し出たのはまさにそのタイミングだ。サドは口にたばこをくわえながら、「は?」という顔でこちら側を振り返る。


 頭の良いお前ならわかるだろうが、おれの本心は停戦にはない。その証拠に、サドの体越しにシャオレンを見つめ、さりげなく目で合図を送った。勘が悪ければ失敗に終わるだろうが、彼女はおバカでなく非凡なところがある。


「停戦の証というわけかな?」


 相当な銃弾を浴びているためサドの防壁はかなり削られているはずだが、コイツは灰皿で火を消しつつおれのほうにたばこのケースを差し出した。

 おれはシャオレンのほうに近づき、彼女はライターを寄せてくる。シガレットを取り出して体をかがめた瞬間、彼女はソファを飛び越えた。そのまま脱兎のごとく壁際まで走り、床に身を伏せた。


 フェイクがはまるのはいつだって気持ちいい。だれだってそう思うだろう?


 サドの魂胆はある意味丸裸で、やつはこちらの戦意を奪った気でいた。シャオレンを人質に取ることで。ならばその流れに乗っかったふりをして、隙が作り出せるだろう。シャオレンはその意図を的確に汲み取り、サドのそばから離脱した。おれはライフルを捨て、日本刀を抜いた。


「あら、意地汚く歯向かう気?」


 呆れるように吐き捨てたサドは、胸に挿した拳銃を抜いた。その動作はもちろん速く、次の瞬間には銃口が突きつけられている。

 だがその場所にもうおれはいない。あるのは日本刀を振りおろす斬撃だけだ。相手の二手三手先を読んで動ければ、カウンター攻撃は難しくない。


 もっともこのとき意外なことが起きたよ。おれの一太刀を浴びてサドの腕がどこかにすっ飛んだ。おそらくだがその部分の防壁が破れていて、肉体がむき出しになっていたのだろう。


 ダメージはそれなりにあったらしく、サドは大声で喚きはじめた。「痛い痛い!!」とか叫んでいた気がする。まるで蛇に噛まれた子供の反応だが、ヒト型悪霊がやると狂気を覚えなくもない。


 完璧に計算されたプランはきれいに倒れるドミノだ、とおれは思う。そこから先の流れもおのずと美しく展開されていった。


 サドが余裕を失ったのを見て、反社のボスと黒人が再び銃撃をはじめた。お膳立ては十分整えたのだからそれくらいやってくれなきゃ困る。


 体の前面で銃弾を受けるサドに対し、おれは背後にまわって、足下に斬り込みを入れた。


 対悪霊戦のセオリーは、防壁を破るまでとにかく撃つ。そして無防備になったところで白兵戦に持ち込む。研修でもそのように学んだが、おれは違うやり方を模索してひとつの解を得た。それは悪霊を下から攻めることだ。


 どうやらだれも試したことがなかったようで、実験体の悪霊を剣戟でひっくり返し、その足下を狙ったおれに教官は「コロンブスの卵だな」といった。


 最悪の場合、全滅するまで戦わせる気だった教官は、覆面野郎をいとも容易く退けたことを控えめに褒めた。防壁を破ることなく器をぶっ壊し、ほかの研修生は目が点だったが。


「以前から考えていたんですよ、足元の防壁がどうなっているか」


 実技試験を通じておれが発見したのは、悪霊の足下は防壁が薄い、もしくはほとんどないという事実だった。正確にいうと床との接地面にあたる部分、そこは悪霊の弱点だったのだ。


 おれは同じことをサドに対しおこない、やつは斬撃を食らって宙に浮いた。裏側の見えた足を追撃すると、まったく無抵抗に攻撃が通った。逆さまにしたコップを下から突けば、底にあたる部分にダメージがいく。ヒト型悪霊の場合、それは器の次に守らなくてはならない箇所、頭部である。


 実際、頭部に器があることは少なくない。人間の器は頭部か心臓部に集中しているが、悪霊も確率的には高いのだ。


 刀の先に重い手応えがあって、その直後、血しぶきが舞った。


 防壁のない場所を通じ、防壁の裏を突く。そんなトリッキーな攻撃を食らうとは予想していなかったのだろう。打撃を受けたサドは天井まで吹っ飛び、激しくバウンドしてから床に落下した。


 ダメージは相当深かったらしく、サドは立ちあがれない。反社のボスと黒人、そして三つ編みの野郎がここぞとばかりに銃弾を浴びせ、ガラスの割れるような音を奏でつつ、確実に、容赦なく防壁が削られていく。


 戦況は一気におれたち有利に傾き、相手をなめた後悔をサドに刻んだと思う。しかしながらおれは、こんなときこそ敵の二手三手先を読む。ヒト型悪霊は普通の悪霊とは違う。やつらの多くは特殊能力を持つのだ。


 教官をはじめとする警察関係者は、その能力を“神秘”と呼んでいた。防壁が破れたあとに待ち受けているもの。ヒト型悪霊はそこに“本当の姿”を隠し持っているとされる。


 幸い試験で対戦した実験体はそうした力を保持しておらず、純粋な殴り合いで決着がついたが、サドが同じ部類と限らないし、最大限警戒すべきなのは確かだろう。


「ふふん、超越界を恐れているのかな?」


 こめかみの辺りに刀傷を受けて流血のとまらないサドだが、次々割れる防壁の音などお構いなく、相変わらずピエロのような笑いを浮かべてる。


 やつは「よっこらせ」とばかりに腰をあげ、胸に挿した拳銃を一挺取り出した。動揺するそぶりすらないのは不気味というほかない。とんでもなく窮地であるにもかかわらず、何か切り札のような手段があるのだ。


 それが“神秘”ってやつか?


 おれは防壁が破れるのを待ちながら、先の先を読んでほかの連中に「下がれ」と命じた。根拠はあるようであり、ないっちゃない。ただ失地挽回すべく、おれたち全員を巻き込み、一挙に戦力を削りにくる。そんな気がしたからだ。


「あいにくわたしは殲滅が苦手でね。政治指導者の暗殺に特化してきた。こんな体たらくではお館様にお叱りを受けてしまうが、どうせ死ぬなら腹を切って死ぬ」


 急におしゃべりをはじめたサドは、残った手に拳銃を構えて周囲を見渡した。


 いろんな相手と戦ってきた経験上、人が饒舌になるのにはパターンがある。見え透いたフェイクか、高いプライドのなせる業か。


 サドの言葉を真に受ければ、やつは切り札を持ってない。持ってないが、そのプライドを満たすほどの自信がある。


「援軍でも呼ぶ気か?」と餌を撒いてみた。サドはピエロ顔のまま「そのとおり」と流暢に答えた。


 こりゃ未来は明るくねーな、と思った。実際サド自身は切り札を持ってないが、違う奥の手を隠してやがった。


 研修で学んだ話だが、ヒト型悪霊は“現界”という手段を使って仲間を召喚する。一般国民を不安に陥れるため、ニュースなんかでは絶対出ない情報だ。


「注意しろ、通路(ゲート)が開いて瞬間移動(ワープ)が起きる」


 そのひと言を放ったのは、なぜかおれではない。味方に指示を出そうとした瞬間、三つ編みが警告を発してきた。


 自分の出番を取られて前につんのめったが、どっちにしろ変な話だった。ゲートに関するくだりは初任除霊科にいたから知り得たこと。部外者の三つ編みが持てる情報ではないはずだ。


「お前なんで……?」と声が洩れた瞬間だった。腕を左右に振ったサドが、ほかの二人を撃ったのは。おれと三つ編みの攻防にまぎれ、削りに徹していたボスと黒人。サドはこの二人が目障りだったらしく、あえて狙い撃ちにした。


 経験値の浅い人間は、目の合わない相手が撃つタイミングを認識できない。サドの射撃に反応できず、ボスの顔面がスイカみたく割れた。黒人は肩の付け根を撃たれ、右腕が吹っ飛んだ。


 短い付き合いだが、さっきまで味方だと思っていたやつが死ぬのは胸が痛む——わけがない。撃たれたのがシャオレンでないことを確かめ、おれは床に伏せった彼女とサドの間に移る。その動きの意味を汲み取ったのか、三つ編みはライフルをガンガン撃ちまくるが、すぐに弾切れになった。


「チッ」と舌打ちのようなものを放ち、ライフルを捨てた三つ編み。すかさず腰から刀を抜き、顔をしかめ、一直線にサドにむかった。その動きの意味も読み取るしかないが、やつはサドが仲間を“現界”させるのを阻止したいのだろう。


 しかし、痩せても枯れてもサドはヒト型悪霊だった。大物ではないが雑魚でもなく、いつの間にか生えた腕を大きく伸ばし、片手で三つ編みを、もう片方の手で黒人を撃った。


 どういう理屈かわからねーが、三つ編みはサドに接近できずにいる。銃の連射速度は恐ろしく速く、接近戦を拒否されたのだ。

 一方の黒人はといえば、なぜかトドメを刺さずにいる。ケツの穴の付近に銃弾をブチ込まれ、やつは泣きながら激昂していた。


「もっと泣け、泣き喚け。ここは無法地帯だ!!」


 サドはサディズムの語源になったほどだから、黒人をいたぶって愉悦に浸っているように見える。が、おれの目にはそうは映らない。サドが黒人を殺さないのにはわけがあるのだ。


 これまで散りばめたキーワードをつなげれば、答えはおのずとわかるはずだ。それでもピンとこないというなら、さらなるヒントをくれてやる。黒人はいわば生贄なのさ。サドが呼び寄せた仲間を受胎するための。


 もしシャオレンというお荷物がなければ、三つ編みとのタッグで止められたかもしれない。けどできなかった。理由はいわなくてもわかるだろう。


 自分が黒幕になるという目的のため、おれはチャンスを逃し、弩級の危機を迎えちまう。


 欲しいもの全部を選べないことに腹が立ち、激しく咳払いした。すると辺りが急に暗くなり、部屋の電気がプツンと切れる。サドの野郎が天井に両手をかざした直後、黒人の体を中心にまばゆいばかりの光が現れ、周囲を煌々と照らし出す。アニメや漫画に出てくる魔法陣というやつだ。


 悪霊がある地点から、天国を通過して違う地点に着く。そのために発生する魔法陣を通路(ゲート)と呼ぶ。


 出現した通路(ゲート)は仄暗い場所をネオンの渦に変え、奇怪な模様が床に投射される。片膝を突いたサドが天井に手をかざして、「おお、悪霊召喚!」と恍惚とした声を洩らす。魔法陣の出現に酔いしれ、感極まったように見える。


 突如、ごうという強烈な風が吹いた。それは魔法陣の中心に吸い込まれ、小さな嵐が巻き起こる。渦の中心部にいた黒人は風によって切り刻まれ、体の肉が抉られていく。生か死かでいえば、死に引き摺り込まれているのは明白だ。


 覚悟の決まったおれ、なぜか冷静な三つ編み。視界の隅で怯えた様子のシャオレンとは対照的。彼女の両目は周囲の物体を巻き込む中心部にむけられており、やがてそこにヒトの姿がかたどられていった。


 徐々に輪郭ができあがり、ヒトの姿を持つ者が転送されてくる。


 それは髪を後ろで結び、武将が戦で着るのと同じ甲冑を身につけていた。けれどひとつだけ違う点は、胴体の鎧だけが西洋風である点だ。そして猛烈な風になびく真紅のマント。おれはひとりだけ思い当たるふしがあった。進んで西洋文化を取り入れながら、天下人を名乗ったある戦国武将の名を。


 目つきは鋭く細く威厳があり、引き締まったアゴは怖いほど精悍だ。日本人ならきっと、だれもが一度は目にしている。みずから魔王と称した逸話を持ち、悪霊になる資格が十分な男を。


「まさか織田信長……!?」


 どっちが冷静でいられるか競争をしてたわけじゃないが、先に呻いたのは三つ編みだった。これだから素人は、とか思っちゃいけない。声には決して出さないだけで、おれもかなり驚いたからだ。


 信長は筋肉質な肩を怒らせ、魔法陣の中心で仁王立ちになる。そして、すでに跡形もなくなった黒人の遺骸に浮き、小具足を履いた足を床に下ろす。


「大儀であった、サド侯爵」


 恭しげに跪くサドを見下ろし、部屋の壁が割れるような声を出した。その瞳は赤い宝石のような光をたなびかす。

 けれど爛々と輝く信長の眼には喜怒哀楽のようなものがなく、感情が読み取れない。

 どんな心も感じられない。

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