襲来
おれはつねに考えながら動いていて、その目的は何らかの“勝利”のためだ。逆にいえば勝ったあとのことは詳らかに考えておらず、予想外のことに出くわすケースも多い。
実際、交渉を終えたらさっさと撤収すると一方的に決めつけており、反社のボスが「せっかくだし飯でも食おう」といい出したのに驚いてしまった。
目を丸くしたおれに、お前ならこういうんじゃないか。「ビンジにわからないことは世の中にたくさんある」と。
「おれは母親が沖縄の人でさ、共通の知人もいてシャオ氏とはすぐに仲良くなった。彼が九州全域に拠点を築く手伝いもして、そこから一緒にビジネスをはじめたってわけさ。めちゃくちゃ稼がせて貰ったが、アンタらに利益をぶんどられるはめになるとは。してやられたっちゃん、ほんなこつ」
方言まじりで淡々と話しながら、反社のボスは麻婆豆腐を口に運ぶ。おれは餃子、三つ編みは回鍋肉を箸でつまみ、シャオレンは炒飯を食ってる。このビルにはレストラン顔負けの社員食堂があるらしく、注文したらアツアツの料理が届いた。さっきまでの敵と膝詰めで飯を食うとか、想定外の展開だろう。
ボスは亡くなったシャオレンの父親を偲ぶように、彼の武勇伝を語ってくれた。事の起こりは大陸をヒト型悪霊が席巻しはじめたことで、先見の明があるシャオ氏は沖縄経由で大量の物資を九州に運び込んだ。正確には中国領となった琉球自治区が滅びる前に。
沖縄は親中独立派が大陸に併合される道を選んだが、おかげで中国の除霊師が死闘をくり広げ、悪霊は南方ルートを断念したとされる。「怪我の功名というものだ」と教官は無表情で感想を述べた。
ちなみにシャオ氏が日本で歓迎されたのはいうまでもなく、ボスの話によると貴重な戦略物資の供給源として政府と太いパイプを作った。古い言葉でいえば“政商”というわけである。
彼は日本人と利益共同体を築き上げ、富を何倍にも膨らませた。戦時下において人間を食わせるモノが価値を持つとシャオ氏は見抜き、それから九州で瞬く間に“王”のような地位を手にした。その武勇伝が本当なら、娘のシャオレンはさしずめ“王女”だろうか。
「ところでひとつ聞いていいすか?」
餃子をぱくぱく食いながら、おれはボスのほうを見ていう。ボスは冴えない顔でこちらをじっと見返す。
「この取引はシャオ氏が国との契約を破って物資をアンタに融通し、アンタは外国人に売ってるわけじゃない? でもおれの知る限り、外国人との取引は警察が直接管理してるはずで。やつらの目が行き届いてないとは考えられないし、黙認してるのか、それとも癒着してるのか。どっちなんすか?」
この疑問は半ば好奇心、半ば警戒心から出たものだ。もしなんのリスクヘッジもしてないなら、闇取引を摘発された時点でシャオレンの会社は終わるし、おれの野望も潰える。ようは「保険はかけてるの?」とおれは聞いたのだ。
「黙認、癒着、どっちだろうね。いずれにせよ手当はしてある」
ほとんど罪の告白に近いが、しかるべき対象者を攻略済みだと理解した。おれが警察関係者と知ったボスは、露骨に顔色を変えていたが、あれは“手当”の行き届いていない相手に対する反応、と解釈すべきだろう。
社会部の記者が聞いたら色めき立つような話だが、おれは元警察官のくせに他人の不正を糺す気がない。むしろビジネスの安全性を確認して安堵した。
「で、これから凄腕の除霊師集めてそっちにも精を出すって感じかね。だがリスク高いよ。報奨金はバカにならんが、強いのにあたったら一発で死ぬと聞く。そっちの兄ちゃん、元警察官らしいけどそんな腕が立つの?」
麻婆豆腐をかき込む手をとめ、ボスがレンゲでおれを指した。相変わらず不愉快なしぐさだが多めに見てやる。
「除霊局採用はだてじゃないっすよ。こっちの三つ編みもおれに勝るとも劣らぬ力量を持ってる。同レベルの除霊師をスカウトできれば無双できるんじゃないかな」
少し大きく出た気もするが、あながち嘘ではないだろう。シャオレンは社会貢献とかぬかしてたが、悪霊駆除は報奨金が出るため事業として成立することも理解してるはずだ。組織が結果を出し続け、いずれ警察が無視できない存在になったら面白いね。
器の大きさひとつでクビにされたことに対して、「ふざけやがって」という気持ちはひょっとしたらあるのかもしれない。やつらを出し抜くことができれば、溜飲もがっつり下がるとおれは思う。
「まあしかし、上には上がいる。くれぐれも気を抜くんじゃない」
きれいに食い終えた皿をローテーブルに置き、三つ編みは口をハンカチで拭った。そしてあらかじめ定まった動作のように、たばこを一本取り出して火をつける。コイツ灰皿さえあれば、いつでも喫煙していいと勘違いしてねーか?
三つ編みの向こう側に、パソコンデスクに座った黒人ボディガードが見え、やつは器用な箸さばきでラーメンをずるずる啜っていた。視線を戻しかけたとき、急にやかましい呼び出し音が鳴り響いた。
腰に差した無線機を取り出し、黒人が低い声でだれかと話している。手にした箸をどんぶりに置き、「リアリー?」とか「オーケイ」とか落ち着いた様子が窺える。
無線機が鳴るとピリピリ緊張しちゃうのは警察で訓練された人間の性ともいえるが、三つ編みもたばこを消して黒人のほうを見ている。ボスは我関せずといった様子で、シャオレンも同様だ。
おれはなぜか箸を置き、ソファから立ち上がった。なぜか、というのも少しばかり違うな。すぐ目と鼻の先に教官の姿を感じとり、体が反射的に動いてしまったというのが正しい。
ここは警察大学校ではないし、その教場でもない。けれど研修中に刷り込まれた意識がおれを落ち着かなくさせた。教官はおれたちが一瞬たりとも気が抜けぬようさまざまなトラップを仕掛け、研修生に冷水を浴びせ続けた。
一度躾けられた犬は死ぬまで「お手」をくり返すという。おれは人間のつもりだが、知らぬ間に犬のような存在へと作り変えられてしまったのだろうか。そんな埒もないことを考えた瞬間、数発の発砲音が外から聞こえた。
発砲音といったが、どっちかというと爆発音のほうに近い。ボディの奥深くにズシッと響く、硬くて重い音だ。
「襲撃か?」とボスが眉をひそめながらいった。
発砲音が鳴ってすぐ、そういう言葉が出ることにコイツの危うい立場が透けて見えるよな。おれはといえば、ボスの顔色を窺える程度に冷静そのもの。ビクついた様子を見せるのはシャオレンただひとりだ。
発砲音はさらに散発的に続き、やがて鳴りをひそめた。何らかのトラブルがやんだようにも見えるが、黒人のボディガードは壁のほうに歩きだし、壁に埋め込まれたクローゼットを開いて武器を取り出した。自動小銃だ。
いつの間にか三つ編みが近づき、黒人に対し「おれにもよこせ」と英語で話しかける。やつは警備員が使う見慣れたライフルを二挺受け取り、そのうちひとつをおれに手渡した。
お前はきっと一般人だから、突然の物々しさに動悸を覚えることだろう。けれど先ほどもいったとおり、この状況に慌てたのはシャオレンひとりだ。ボスですらライフルを手に取り、黒人と会話をしている。
発砲音が鳴った瞬間、おれは三つの可能性を思い描いた。
ひとつは敵対する組織からの襲撃。ついで富裕層を狙ったテロ。最後に不満をため込んだ外国人の仕業。
これまでの話を踏まえると、外国人の可能性がいちばん高いように思えた。相当な搾取を続けたのだろうし、積年の恨みを晴らす狙いだろうと。
そういう願望を考慮すれば、相手は最上階へ来るはずだ。ボスと直談判しつつ譲歩を引き出すか、ぶち殺して思いを遂げるか、そのどちらかだろう。やつらをライフルで出迎えるのはオーバーキルだが、相手は複数人かもしれず、妥当な対処の範疇だ。
けどおれは、ここで意外な言葉を耳にしてしまう。後から振り返れば、べつに意外ではなかったのかもしれないが。
無線機に呼び出された黒人が、ノイズ混じりの声にむけて「アクレイ?」と問い返した。
おれが反応する前に、三つ編みの野郎が「マジか」と小さく洩らす。かすかにではあるが、顔色が変わったようにも見えた。
奇しくもではあるが、おれもやつに似た感想を持った。状況を整理して落ち着いて考えてみよう。
襲撃者はどちらにせよ人間に思われた。なぜなら銃を撃ち、警備の連中、最悪の場合社員に対して発砲をくり返したからだ。
しかし黒人のボディガードは「アクレイ?」とこぼした。それはつまり“悪霊”のことを指す。けれど除霊師の立場に沿って考えれば、それがおかしいことに気づくだろう。
悪霊は生物とモノが融合した存在だが、おれの知る限り、銃と融合した悪霊はそれを一斉に、まるで連射する大砲のように撃ち鳴らす。だが聞こえてきた銃声音は散発的で、人が人を撃ったときの音だ。これが何を意味するのか?
その答えは約1分後、疑う余地のないかたちで明らかとなった。
執務室のドアを開け、黒人がエレベーターホールにむけてライフルを構える。おれはその背後に立ち、エレベーターの到着する「チン」という音を聞いた。
黒人はエレベーターホールめがけて激しい威嚇射撃をぶっ放し、すり足で前進をはじめる。相手をエレベーター内に釘づけにし、そこで一網打尽にする気だろう。やり方としては正攻法といえる。
もっとも正しい方法というのは、襲撃者が普通の人間に限った話だ。そこまでいえば、勘のいいお前なら敵の正体に気づいたと思う。
威嚇の効果も虚しく、エレベーターから背の高い白人の男が現れた。さっき見た受付係の男を引きずり、血まみれの顔をハンカチで拭う奇妙な男。同じ手には旅行カバンが握られている。
奇妙に感じた点はいくつかあった。真っ先に目についたのは服装。昔のヨーロッパ貴族が着るような衣服、といって想像がつくだろうか。古典絵画に描かれているバッハやモーツァルトを連想してくれ。
そんなモーツァルトのような男は、床に受付係を放り投げ、旅行カバンを置き、くすくす笑っている。まるで殺人を楽しんだあとであり、命がけでテロを遂行する輩には見えない。
最後の違和感は、男が無防備な点だ。まるで「撃ってくれ」といわんばかりの立ち姿で、事実、黒人のボディガードはそいつが現れるや否や、鼓膜が張り裂けるような銃撃を浴びせた。
通常ならその時点でジエンドである。だが男の体表面には目に見えない盾があり、銃弾をすべて弾き返しやがった。
男はそこでようやくこちらを見て、ひどく場違いな笑みを浮かべた。
人間であるにもかかわらず、本来悪霊が持つ目に見えない盾、すなわち防壁を兼ね備えた存在。そういう輩をおれはひとつしか知らない。
ヒト型悪霊。
ボディガードが「アクレイ?」と洩らしたのは間違いではなかったのだ。
「だれだ、お前!?」とボスが叫んだ。素人である彼も、いや素人であるからこそ、目の前の異物に気づいたのだろう。
その問いに反応し、白人の男は両手に持つ銃をだらりと下げた。くすくすという笑い声は次第に大きくなっていき、男はこうほざきやがった。無邪気な子供をあやすピエロのような顔で。
「——マルキドサド」




