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12/24

渡航者

 韓国の消息筋によりますと、中露の除霊師部隊がハルビンにてヒト型悪霊数体を撃滅し、勝利したことがわかりました。


 警察省の報道官は、今月中のヒト型悪霊による侵攻はなくなり、東アジアの制圧が最大で1年遅れるばかりか、人類側領土の回復すら不可能ではない情勢になったとのコメントを発表しました。


 これを受けて国民評議会では、中国大陸に除霊師部隊を送ることを含め、高官協議を開始したとのことです。


 今夜はこのニュースについてゲストの方々に解説していただきましょう。


   †


 朝鮮半島と九州北部の間にある玄界灘は、複雑で速い潮の流れで有名だ。多くの旅客船はサイズが小さいため、潮流の影響を受けやすく、海難事故に見舞われることもまれではない。


 その船は韓国の釜山(プサン)港を出て、対岸の博多港へむかいひた進んでいた。乗船しているのは船長のほか客が1名いるばかりで、どう見ても赤字覚悟の運航である。操縦室内には日本語のラジオ放送が流れているが、船長たちがそれに耳を傾けている様子はない。


 というのも、たったひとりの客は船長の背後に立ち、背中に筒状のものを押しつけていた。それは見た目こそ骨董品だがまぎれもない銃である。旧式のくせに殺傷能力はべらぼうに高く、船員が跡形もなく射殺されたことで船長は客の指示に震えながら従っている。

 客の足元には大きな旅行カバン。ブランドはルイヴィトンだ。


「そんなに怯える必要はない。福岡に着いたら報酬をたんまり与えてやる。外国製だがゴールドはゴールドだ」


 そう熱弁する男はフランス人で、一般的にはマルキドサドという名前知られている。マルキはフランス語で“侯爵”の意味で、彼は暴力的なポルノ小説の書き手である以前に貴族だった。その証拠として庶民とはかけ離れたきらびやかな正装を着ており、そこには何挺ものフリントロック式銃が挿さっている。映画の世界から飛び出してきたような武装は異様と呼ぶしかない。


 彼には本来、ペアを組む相手がいたのだが、あいにく朝鮮半島を制圧する過程で落命した。それ以降、サドは単独で虐殺をおこなったのち、同じく半島を侵略していた軍人に命の危機を救われ、行動をともにするようになる。


 ふたりの関係は主従のそれに近く、圧倒的な戦闘力を持つ主人をサドは敬っていた。主人はちょうど韓国第4の都市、大邱(テグ)の制圧を完了させた頃で、住民は皆殺しに遭っているだろう。


 主人はサドに、先に福岡へ赴くよう指示を出した。サドはその命に従って釜山の街に赴き、港から逃亡する準備をしていた船長をひっ捕らえ、拳銃で脅しつけながら海峡を横切っている。


 港で彼を拉致したとき、船長は恐怖のあまり泡を吹いていった。


「旦那はあの、その格好から察するにですけど、何というかその、いわゆる、あ、あああ……」


 現代的な衣服を着ておらず、まるで歴史映画から甦った格好をしていること。それが5年前から世界を蹂躙する集団の特徴であることを、一般庶民の船長といえど熟知していた。


「ご明察。わたしは悪霊だ。ヒト型悪霊という存在を知っているな? 現代人がつけた不埒な呼び名だが」


 悪霊は自分はサドであると名乗り、べつに侯爵と呼ぶ必要はないと述べた。

 もっとも船長にとって、そのような処遇はどうでもよく、彼はとにかく生き延びたかった。


 悪霊は人類領土を占領するとき、そのほとんどを殺し、わずかに生き残った者を奴隷にしているらしい。そんな噂話を信じれば、生存の余地は一応あるだろう。相手に恩を売れば、助かる道はあるかもしれない。


 大混乱に陥った釜山の街とその住民をあとに残し、船長はサドを連れて船を出した。愛情を注いだ家族を捨てたつもりなどないが、彼らを船に乗せる選択肢は捨てた。余計な真似をしてサドという男の機嫌を損ねれば、助かる命も無駄になる。そう本能が告げたからだ。


「海は好きだ。船も心地よい。だが飛行機というものだけはダメだ。なぜかわかるかね、船長?」


 サドはおしゃべりな男なのか、さっきからしきりに話しかけてくる。そのほとんどは雑談の類だが、機嫌を損ねてはなるまいと、船長は必死に応じていた。


「飛行機は墜落する危険がありますからな。その点、船は舵取りの腕がよければ沈没することはない」


「まあ確かに。だが船長、我々悪霊が飛行機を嫌うのにはれっきとした理由がある。簡単にいえば、我々を守るバリアのようなものが溶けてしまい、霊体を構成する物質が分解されてしまうらしいのだ。それを解き明かして以来、大陸は艦船で渡り、戦争も長期化を余儀なくされた」


 船長はその説明を聞き、悪霊が飛行機を使わない理由について、人類側が立てた仮説と合致していることに驚いた。人類も決して無能でなく、相手のことを調べ尽くし、緻密な戦略を用いて戦ってきた。逆にだからこそ、世界の征服に5年もの時間がかかったともいえる。


「吸血鬼が昼間出歩けないのと同じ理屈ですかね」


 船長がふと思いついたままを口にすると、サドはくすくすと笑い声を洩らした。


「巧みな比喩だ。やるではないか」


 悪霊に褒められても嬉しくないが、ここで船長は急に暗澹たる気持ちになった。

 なぜならいま自分のやっている行為は、悪霊という敵を利し、海を挟んだ隣国を滅ぼすものだからだ。


 彼は知る由もないが、たった7日間で朝鮮半島は敵の手に落ちた。中国の除霊師部隊は実力が高く精強で、悪霊軍もかなりの苦戦を強いられた。


 しかし一部の部隊が国境線にあたる鴨緑江(おうりょくこう)を渡河すると進軍に弾みがつき、絶対的な除霊師不足に陥る韓国は瞬く間に席巻された。


 そんな朝鮮半島の知人から得た電話連絡などで、日本国民の一部もパニックに陥っているだろう。だが人口衛星を利用した接続以外インターネット網は寸断されており、その声が全国に拡散することはない。


 これまでの征服地がそうだったように、真実を知る者は少なく、また念入りに検閲され、下々は何も知らず戦時下の日常を送る。


 とはいえサドの主人は日本をその他の国々と同一視せぬよう固くいい渡した。日本には650年もの間国家を統治した武士という戦闘集団がおり、彼らが建てた軍事政権は奇跡的な領土拡張をなし遂げ、世界中から恐れられた。


 そんな荒っぽい集団の末裔たちが堅牢な防備線を敷いていることは確実であり、いくら一騎当千の悪霊といえど命知らずな抵抗に遭えば死ぬ者も出る。


 けれどもサドはあくまで楽観的だった。彼が“お館様”と呼ぶ主人が大邱を滅ぼせば、すぐさま日本に渡って圧倒的な戦力を見せつけるだろう。

 サドの任務は福岡に着き次第ゲートを開き、主人の移動を助けることだ。


「それまでは華々しく前祝いといこう。味方した褒美に船長も楽しむがいい。今日は無礼講だ」


 渡航が順調なことに気をよくしたのか、サドは軽口を叩いた。もちろん船長はそんな話を額面通り受け取ったわけもなく、自分の死期をある程度覚悟している。愛する家族を助けなかったことで、ろくな最期を迎えないだろうと諦めの境地だった。


 それでも万が一というものがある。恩を売らねば即死だが、恩を売ればその限りではない。生存に絶対の自信はないものの、船長には危うい綱渡りに挑むだけの度胸があった。


「旦那と酒が飲めるのは楽しみですわ」


 背中に押し当てられた銃口を感じつつ、船長は強気にいった。その言にサドはけたけたと笑い、愉快げな様子だ。

 どちらにしろ、30分も経てばすべては明らかになる。

 命のサイコロを振るのは自分ではないが、どんな目が出ようと潔く受け入れる気でいた。それこそがおそらく、数時間前に見殺しにした家族への唯一の手向けにほかならない。

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