反社
シャオレンの父である富豪は、国の規制に反して戦略物資を横流ししていた。戦略物資といっても多岐にわたるが、彼が中国から持ち込んだのは化学肥料の原料である。尿素、りん鉱石、塩化カリウム、りん酸アンモニウムなど、そうした物資は日本には圧倒的に足りず、農業の持続にとって死活問題といえる。戦争で輸入が途絶えた状況下、国全体が富豪のような人物に依存しているのが現実だ。
ただし外国人といえど、適正な分配を警察は管理しており、価格も統制されている。したがって交渉の目的が価格に関することであるなら、シャオレンの父は二重に法令違反を犯していると見てよい。警察の資料を山ほど読んだおれがいうのだから間違いねーぞ?
「しわひとつないスーツだね?」
取引相手のボスはむかい側のソファに座るなり、おれのジャケットを指差した。最初に着目する点としてはどうなんだろうと思ったが、初対面の人間を指差すのは少々無礼だ。
まあ無礼といえばこちらも人のことはいえず、三つ編みの野郎はたばこに火をつけ、堂々と喫煙をはじめた。ローテーブルに灰皿があるとはいえ、目下の者がとるべき態度ではない。
「ふうん、ボディガードもやってるの」とボスはおれの刀をじろじろ見た。大して興味があるようには感じない。
「早速ですが商談に入りましょうか。父は貴方から卸売価格について不満を承っていたようですが」
雑談にむかう流れをさえぎり、シャオレンが本題を切り出した。ボスは到底ボスとは思えない卑屈な笑みを浮かべ、「そんなせっかちにやらんでも。文句はないけどね」という。
幼少期に学んだこと、バイトで得た知識、研修から吸収したこと以外、おれに仕事のノウハウはない。ただそれなりの社会経験があれば展開はざっくり想像はつく。なんてことを考えてたら、商談はめまぐるしい応酬となった。最初のラウンドからバチバチの打ち合いになり、おれは「は?」となってしまう。
「確かに物価の上昇は厳しく、卸値を下げたいという不満は理解できます。以前は同じ申し出をのんでいたようですが今回は譲れません。利益を出せなくなるからです」
シャオレンはなぜか脚を組み、最後通牒のようなものを突きつけた。どこかでスイッチが入ったのか、まるで一発で沈めるつもりの態度。
この女は何というか、ビビリだが度胸はある。
おれはボスの反応に目をむけたが、コイツはコイツで渾身の強打を打ってくる。
「ウチとの取引はほかと比べて割高だろ? 利益はまだ出るはずだ。理屈が合ってないよ」
「利益はトータルなものですから。貴方に安く売ればほかで高く売らねばならない。しかし国の価格統制がある以上、それは不可能なのです。要求はのめません」
「ウチと取引しといて価格統制もくそもなかやろ」
正論をストレートにぶつけられると大抵の人間は言葉に詰まり、踏み込めなくなる。シャオレンもそうだった。彼女は返事に窮して「ぐぬぬ」と呻き、しきりと耳を触りながらおれのほうを見た。その瞳には「あとは任せた」と書いてあった。
妥協点すら見出せない状況でバトンを渡されるとは、ぶっちゃけ予期してた。トップが困ったときに支えてやるのが秘書の役目だし、何の問題もない。おれは両手をスッと合わせ、ボスの両目を覗き見た。
「落ち着いて論点を整理しましょう。物価にスライドさせて卸値を柔軟に動かしたい、そういう考えは理解できなくもないです。ただそれはこっちも同じなんでね。おたくが販売価格にコストを上乗せすればいいのでは? 広く薄く稼ぎましょうよ」
お前はきっと驚かないと思うが、おれに念入りなプランなどない。事前の打ち合わせすら断った。シャオレンは少し不安そうな様子だったが、「任せておけ」と断言した。その証拠に目の前のボスは押し黙った。痛いところを突かれたのだ。
果たせるかな、ボスの返しはやや苦し紛れだった。
「買い手が困る」とボスはいった。「どんなふうに困る?」とおれは応じた。
「ウチは租界をはじめとした外国人居留区に売ってる。彼らはぎりぎりの状態で農業をやっていて、飢餓に瀕した者も少なくない。いま売値を上げりゃあ死人が出るやろう」
感情がこもると方言が出るっぽいボスは、またしても反論の難しい正論を述べた。まるで慈善事業でもやってるふうの言いぐさだが、筋が通っているのも確かだ。外国人が死のうと知っちゃこっちゃないだろうが、たくさん死ねば警察の目につく。そういう事態は避けたいに違いない。
「そもそも警察の統制が厳しくて物資が正規ルートから手に入らないのが悪いよ。ウチがそこをカバーしてるのは理解して貰いたいね」
正論に次ぐ正論で、ボスが畳みかけてきた。これはどう見てもお互い妥協点を探り、痛み分けに終わる流れだ。
しかし問題は、このボスが本当に外国人の買い手を保護する気があるのか、である。
おれはこう見えて相手の嘘を見破るのが上手い。相手の目の芯の部分をじっと見つめていると、頭のなかに目の動きがストックされる。その画像を何枚も重ねることで、ある事実がわかった。ボスの目がかすかに泳いでおり、瞬きの数も心なしか多い。横柄な態度で正論を吐く人間の挙動ではないだろう。
顔をあげてひと呼吸置くと、ボディガードの黒人がパソコンにむき合い、会話の内容をカタカタと打ち続けていた。この取引を口約束でなく文面に残すつもりなのは間違いない。
「飢餓だの死ぬだのそこまで親身になるならアンタが価格を下げてやれ。貧しい外国人もさぞ喜ぶだろう」
おれは相手の言い分に乗っかって巨大な撒き餌をまいた。釣り針もデカいが食いつかなかったら相手の負けだ。
「ウチもボランティアじゃないんでね。利益ば出しゃなならん」
「資産を売って埋め合わせろよ。この豪華なビルを売れ。辻褄が合ってないぞ」
「お前、それ本気でいっとーと?」
どデカい撒き餌をまいた結果、ボスの野郎がブチ切れた。見た目は平凡なサラリーマンだが怒るとそれなりに怖い。いやめちゃくちゃ怖い。さすが反社のボスだ、本性を現しやがった。
だが率直なところ、研修中に出会った警察官のほうがはるかに怖い。特に教官なんかと比べると月と太陽、圧倒的な小物に感じる。
おれの受け取った印象はこうだ。相手はこちらの卸値を下げさせたうえ、買い手である外国人には物価を上乗せした価格で売る気なのだろう。そうやって二重に利ざやを稼ぐつもりだ。
これがこのボスがついた嘘の正体。少々荒っぽいが、洗いざらいぶちまけてやり、恫喝し、抵抗するようなら取引を中止してもいいと脅す。そういう腹を固めた。
シャオレンはびっくりすると思うが、こっちはおれと三つ編みがいて、相手は黒人のボディガードがひとり。大した覇気は見受けられず、除霊師としては三流だろう。暴力沙汰になっても負ける気はしない。
どうせ外国人を食い物にする気なんだろう、という言葉が喉元まで出かかった。そこからは目にもとまらぬラッシュを叩き込む。ローテーブルをぶっ叩いてもいい。
全部演技だが、少し嘘臭くてもバレやしない。おれは腹にグッと力を込めたが、その動きをシャオレンが遮った。
「卸値は倍にしましょう。これがわたしの出した結論です。いかがですか?」




