トゥンクのエビデンス
これは榎本知里子のある日のお話。
「ええい。全く。私はBL専だというのに。しかし、結の手前、読んで感想を伝えねばならない……」
私は友人の結からノマカプの漫画本を借りた、というか押し付けられたんだ。
「知里ちゃんもお年頃の乙女なんだから!! 恋する少女のセオリー学ぶんだゾ☆」
突っぱねてもいいところだが、結は両刀遣いでどっちもイケるクチだ。
そのため、私とやおい本をしょっちゅう貸し借りする親友なんだ。
その友人のオススメを無碍にするわけにもいかない。
私は神経質にメガネをいじった。
そして家に帰ると勉強イスにもたれて少女マンガを読み始めた。
「なになに……?」
―――たいへーん!! 遅刻遅刻!! 急いで学校に行かなきゃ!!――
少女はパンを口にくわえ、通学路を走っていく。
次のコマで彼女は誰かにぶつかった。
――いった〜!! んもう、なんなのよ!!――
顔を見上げるとそこには超絶イケメンが!!
――大丈夫かい? ケガは?――
イケメンは少女に手を差し伸べた。
トゥンクッッッ!! トゥンクッッッ!!
――なにこのムネのときめき!!――
私はメガネを机に置いて漫画をパタリと閉じた。
「バカバカしいね。このくらいのことでそんな激しく鼓動が高鳴るわけないじゃない。どうせ走行からくる動悸か(どうき)でしょ。それに、こんなことで恋に落ちるなんて……」
だが、純粋な好奇心が私をつっついた。
「まてよ……この話にエビデンスはあるのか? 通学路で誰かとぶつかればムネがトゥンクする……と? そして……」
思わずゴクリとつばを飲み込んだ。
「試してみる価値はある。ASAP!!」
翌日の朝、私は計画通りに準備をすすめた。
「まずはトーストっと。漫画のコマからするにパンは焼かない。色的にジャムを塗るべきね」
いつもは朝会の30分前には登校するが、あえてギリギリまで時間を遅らせた。
玄関で待機していると後ろからお母さんが声をかけてきた。
「ちり。どうしたの? 今日はやけに遅いじゃない」
私は適当にやり過ごした。気付くと時間が来ていた。
呼吸を整えて眼鏡をくいっとあげる。
ドキドキするかを証明するために息が切れない程度に通学路を小走りしはじめた。
(予測によれば次の次の交差点、桜園2丁目の電柱の角で誰かにぶつかるはず!!)
接触距離が近づく!!
「あいだッ!!」
「いっつ〜!!」
来た!! 漫画の通りね!!
先にぶつかった相手は立ち上がっていた。
日光で顔は見えないが、手を差し伸べてくれた。
「あ、ありがとう」
私は立ち上がって相手の顔を覗き込んだ。
「あれ? 先輩じゃないですか!! 家、近いんですね!!」
ぶつかった相手はRevi部の愛さんだったのだ!!
トゥンク……トゥンク!!
ムネのドキドキで胸を押さえずにはいられなかった。
そ、そんなまさか……。
おまけに頭がボーっとしてきた。こ、これは間違いなく恋に違いない。
だが相手は女の子だよ⁉ いや、そんなこと言ったらBLも同性なんだけどさ!!
じゃあこれは百合!! 百合なの!?
そんなことを考えていると愛さんがこちらを見つめてきた。
「あっ、あっ、あっ………」
モジモジすることしかできない。
「先輩、なんだか顔が赤いですよ?」
こっ、これはやはり恋!! 証拠が揃いすぎているよ!! 証明完了Q.E.D!!
「そ、そんなことぉ……ないよぉ……」
挙動不審な先輩を見て愛は思った。
(なんかいつもとキャラが違うな。そもそもキャラの方向性が定まってねぇんだよなぁ。そういうの、よくないだろ。見切り発車すんなよな)
ともかく、微妙な空気が漂った。
結局、無言のままそんな感じで2人は学校に着いた。
私は教室にたどりつき、イスに座った。なんというか、ボーっとする。
すると結が漫画の感想を聞きにやってきた。
「ねぇ知里!! あの少女漫画、どうだった?」
上の空になりかけつつそれに答える。
「ん〜、あ〜。ムネって本当にトゥンクするものなんだね……」
結は目の色を変えて根掘り葉掘り聞いてきた。
「そっかぁ。まさか運命の出会いが女の子とはねぇ。まぁ自分の気持ちに正直になればいいんじゃないかな?」
かなり無責任な事言ってるなと思いつつも、恋には落ちてはいるかもしれない。
やはりここは少女漫画のエビデンスを取らなければ釈然としないよ!!
結は思いついたように言った。
「あっ、恋心を抱いたら相手を体育館裏に呼び出して告白するんだよ!! そして2人は結ばれるんだ〜!!」
ムチャクチャな事を言ってる気がするが、よくわからない。
気付くと呼び出しの手紙が完成していた。
「じゃっ、これ、愛ちゃんの下駄箱調べておいてくるね!!」
ちょっ……ちょっ……。
妙なフットワークの軽さだ。こっちはそれどころではない。
ドゥンク!! ドゥンク!!
鼓動は激しくなり、頭はクラクラしてきた。
恋とはこんなにも激しく熱いものなの⁉
そして放課後、私は愛さんを待った。
もちろん結も盗み見している。
愛さんは誰に呼び出されたのかわからないようで、キョロキョロしながらやってきた。
ここは女子校だ。ノンケならばまさか女子から告白されるとは思っていないはず。
それならば確認してみる他無いね。
少女マンガと私の恋心のエビデンスを得るために!!
「愛さん……愛さん……」
「あっ、知里子先輩。こんなところに。何の用ですか?」
ええい、こういうのは思い切るに限る。
おかしくなって判断力がバカになっているのを感じた。
眼鏡をかけ直しても世界が歪んでしまう。
「あなたのことが……す、すきやき定食……」
ついには脳がバグりはじめた。
「そ、その……す、す、酸辣湯麺」
何を言ってるんだ私は!!
「わたしは!! あなたが……す、す、スープ・ド・ポワソン」
そう告白するとすぐに愛さんは駆け寄ってきて、熱く私を抱きしめてくれた。
「すっ…すっ…すっぽん雑炊……」
私は思わず倒れ込んでしまった。愛さんが額に手を当ててくる。
「先輩!! すごい高熱じゃないですか!! どうしてこんなになるまで!! 早く保健室へ!!」
そのあとのことは覚えていない。
ただ、適切に治療してもらったかららしく、快復は早かった。
やっと本調子を取り戻してきて、登校し始めの朝……。
のんびり歩いていると桜園2丁目の電柱の角にさしかかった。
すると誰かがぶつかってきてお互いに倒れ込んだ。尻もちをついていたのは愛さんだった。
「大丈夫? この間はありがとうね。おかげさまで助かったよ」
この件は明らかに恋ではなかったけど、代わりに愛さんと親しくなることが出来て良かった。
だけど、私が手を差し伸べると愛さんは胸を押さえていた。
「あ、あれ……私、ムネがトゥンクトゥンクします。これってもしかして……恋⁉」
翌日、愛さんは高熱で休んだのでした。