後悔しない、そう決意した
私の産んだ子供が男であるとわかった瞬間に私の手から子供が離れた。
「なぜですか? なぜわたしの子を」
「喧しいわね。私はあの子の母よ。男の子ならば将来の王になるの。私が自ら育てて立派な王にするに決まってますわ」
私の産んだ子であるけれども、前王妃の手に渡り一度抱き締めて以来目にいれることすら阻まれた。夫は政治も何も興味を示さず、私が内政も外交もせねばならず、取り返すこともできなかった。
その内夫は見初めた娘を側妃として迎え入れ、私が二人目を身ごもると同時期に側妃も身ごもった。
前王妃は側妃を息子を誑かした女としてえらく嫌い、私へ散々文句を言い続けたがゆえに、一時期心身ともに動けなくなってしまった。
思った以上に心労が重なってしまったのか、予定よりも早く小さな子が産まれてしまった。
「女を産んだの? しかも早産で小さな子を産んで、育つかしら。私にはいらないわ。ああ、あなた、子供を育てたがっていたわね。私はエドワードを立派な王に育てるからあなたが育てたら? まあ、わたしのエドワードよりも劣るでしょうけど」
私は歯を食いしばる。夫はますます私から遠ざかり、やがて側妃が男の子を産んだと聞いた。しかもその子は王妃に取り上げられなかったと聞いて、私は腕にいる子を抱きしめた。
本当ならばこの腕にもう一人抱きしめられたというのに。
産んで一度腕に抱いて以来、取り上げられたエドワードは前王妃によって優秀に育っているらしい。
やがて時が経つ。娘は5歳となった。今日も前王妃だけが来訪する。エドワードを連れてきてくれたら良いのに。王妃は娘が覚えたてのカーテシーを披露するのを鼻で笑う。まともにお辞儀もできないのかと馬鹿にされているのがわかるのか、わたしの娘は目にいっぱいの涙をためていた。
私は娘に向こうで家庭教師と居なさいと促して王妃に向かい合う。
「全くできない子じゃないの。あれくらい完璧にしなくては王族失格なのよ。それに比べてわたしの育てている子はね」
エドワードが7歳にして本を読み漁り、祖母と議論し、剣も子供にしては強いと自慢された挙げ句に告げられた言葉に私は絶句した。
「ああ、そう。問題があってね。側妃が亡くなってしまいましたしね。あの女の子供だけ生き残ったのよ。あなた、エドワードを返せっていうじゃない。私がエドワードを育てるのだから、あなたはね、あの女の産んだ子も育てたら」
あまりの言葉に私は手を握りしめた。私には肯定しか返事が許されていなかったけれども、この女が思う通りの子に育てるつもりはなかった。
私のもとに来た第二王子であるはずの子ルーカスはひどく人に怯える子であった。頭を撫でようとすれば体を固くして目をつむる。
不審に思い、私の手の者で調べれば前王妃によって側妃も第二王子もここ数年貶められていた形跡があった。夫も側妃に興味を失ったのか見向きもしなくなったため、余計に立場を失ったらしい。
私は知ろうとしなかった私に腹が立った。今まで前王妃に配慮してあまり目立たぬように動いていたけれども、余りに勝手すぎて苦しめられた人もいたのだ。私の手が届く範囲に。
私は第二王子ルーカスが私のもとに来た日から決めた。私の手の届く範囲の人は必ず守れるように、勝手をする人々から国を守らねばならないと。
第一王子が10歳を迎えた日、唐突に第一王子の妃候補をあげねばならないと前王妃が言い出す。前王妃も歳を重ねたがゆえに、体の衰えに焦りを隠さなくなった。自分の可愛い子どもたちの後ろ盾を探しているのがはっきりわかったがゆえ、私は静観した。
邪魔立てしても意味はあるまい。前王妃は王と第一王子が絡まなければ人を見る目は確かなのだから。その中で切り捨てられた一人のことに引っかかりを覚えた。
「身分は間違いなく一番釣り合いが取れるというのに体が弱いなんてほんと役に立たないわ。私のエドワードにふさわしくないわね。他の候補もなんか違うわ。ああ、あなたは選ばないでね。私が気に入った子が一番あの子にあっているに決まってるのよ」
「ええ、分かっておりますわ」
とりあえず適当な返答をしつつ、わたしの手の者へ調べるように合図を送る。しばらくして調べられた内容が信じられなくて瞠目した。
聞き覚えがあると思えば、私が娘の家庭教師として召喚した婦人から優秀なのに気力のないと悩みを零されたからであった。
他の家からの間諜に入られ放題で娘を放置する公爵家。娘は娘で貶められて気力を失ったのか泣きもせず淡々と生きているだけ。
王子妃にするには気力は持たないだろう。なんとか家から離してやりたいが、あのプライドだけは高い公爵だ。きっと反発も強いに違いない。
手の者を潜り込ませて公爵令嬢を守れる体制を取る。手の者たちが簡単に潜り込んだと聞いて余計に呆れ果てたけれども、なんとか毒を盛られたり悪意を囁かれたりするのを防いだ。
前王妃がなくなり、王が第一王子を王太子に任命した。王太子の婚約者も王妃教育は進み、お茶会で第一王女と国をより良くするための話を弾ませる。
この子達がいれば一応安心だ。
「女は黙って笑ってれば良いものを」
そう言い放つ優秀な男どもがいなければ。
前王妃の育てた王も王太子も確かに学問ができるという意味では優秀だ。ただそれだけなのだ。
前王妃と王に口出しを禁じられたがゆえに裏から手を回すしかない。口惜しいことが多くある。王や王太子の発案には理屈では足りないところがあるというのに。
スラム街の一掃や炊き出しやなんやかんや、一見いいことをしている。スラム街の一掃を行ってその場を整備したとして、そこで生きていた人間はどう生きればよいというのか。その生き方しか知らない者は、結局王都外れのより悪辣な環境に身を寄せ合うようになっていった。
炊き出しなんて、働かなくても食べ物を貰えると憐れなふりをする者があらわれた。
それを説けば説くほど、王も王太子も私の言葉を聞き入れることがなく、短い間は良いが長い目で見ればより改悪された法を整備していく。私はやがて諦め、自分の使えるお金を使い、自分の手のものを派遣して、自分の手で拾える範囲を広げていった。
お金も商会の運営をうまくすれば個人的に持つことだってできる。より広く、より多くの人を。学び、働く場を作り、働くとしても無理な働きをさせないように。
気づいたら王太子の婚約者のデビュタントの日を迎えた。
この日が運命の日だった。
私が密やかに手の者を派遣していたウォルカー公爵家のエリザベス嬢も初めて公の場に現れるとあって、わたしの胸は期待に膨らんでいた。
最近になって令嬢から手紙を返してもらえるようになったのだ。そこに書かれていたのができることならば私の侍女になりたいとの言葉であった。挨拶の後でぜひ話をしたいと返事を返したのだ。だから、本当に私は楽しみだった。
「体調はもう大丈夫かしら? 体が弱いのでしょう。無理をなさらないでね。あなたはまだ若いのだから」
私は微笑みながらエリザベス嬢へ挨拶をする。エリザベス嬢も素晴らしいカーテシーを披露した。儚げではあるけれども1輪の白薔薇のような美しい姿に周りの貴族は息を呑んだ。
更に言葉を重ねようとしたときだった。
「一目で惚れました。私の伴侶となってください」
キラキラした笑みで他の女をそばに置いた王太子が白薔薇の手を取った。エリザベス嬢は顔をサァッと青褪めさせて手をすぐ抜き取る。
「お断り致します」
震える声ではっきり断ったエリザベス嬢はそのまま振り返りもせずバルコニーへ向かい、身を投げ出した。
止める間もない出来事で。
私はすぐに騎士団長に指示を出し、彼女の無事を祈った。騎士団長と第二王子が広場を駆け抜けて彼女のもとへと向かう。王太子は意味がわからないと立ちすくみ、王はデビュタントを台無しにしたと怒り狂っていた。
我が手で育てていたら、このようなことにならなかっただろうか。
エリザベス嬢が身を投げたあと、王太子は次期王太子妃がいながら別の女を連れ歩き、挙句の果てにエリザベス嬢を口説いたとして婚約破棄をされた。
そしてエリザベス嬢が王城での手厚い手当の甲斐無く息を引き取ったときに、王太子は後悔の祈りを神へ捧げていたのだ。
王太子の立場が揺らいだけれども、今回の件がなければ優秀だと誰も王太子から下ろそうとしなかったことがまずかったかもしれない。
エリザベス嬢の件で一時期は反省したかに見えた息子は時間が経てばまたやらかした。
能力で認められた平民の学者に圧力をかけて学者の手柄を奪おうとしたり、街遊びで気に入ったと結婚間近の娘をさらったり。
そのたびに私が手助けをして尻拭いをしていく。王太子は私が邪魔立てすると糾弾し、貴族は王妃派と王太子派に割れかけていた。
ある日、外交できていた隣国の公爵夫人にあの日のように求婚した。王も流石にかばいきれず、王太子をすぐに拘束した。
夫人は隣国の王女であったゆえに、もう少しで隣国と事が起こりそうになったのを理解せず、なぜ愛してくれないと喚きながら牢屋へ引きずられていった。
そして廃嫡されると決まったとき、激高して私へ刃を向けた。
学問ができ、武術も身についたとしても、王としては欠けているものが多すぎる。前王妃に育てられた子は、甘やかされすぎて自分のことは誰もが愛していると自信に満ちた優秀で愚かな子となっていたのだ。
母であれども王妃に刃を向けたことで幽閉から処刑に変わった。
私はあの子が処刑される日、教会で祈りを捧げていた。
「王妃様、体が冷えます。部屋へ戻りましょう」
低く柔らかな声が私の耳を包んだ。後ろを向けば我が手で育てた腹違いの第二王子の姿があった。
「ああ、そう。第一王子に言われましたよ。なぜ側室腹の私が王太子なのだって。仕方ないじゃないか。王妃様を傷つけようとしたのだから。王妃様の実の子であるのにそんなことを」
「そう」
「王妃様」
「第一王子は、それだけのことをしたの。相手の国も大事にしたくないからこその処置。隣国と問題を起こして私に刃を向けて。当たり前よ。当たり前、なのよ」
「母上」
背に手を添えられた。気づいたら頬を涙がつたっていた。ポケットからハンカチを渡される。
「近くには私の腹心が誰も近寄らせません。今だけでも」
涙が溢れゆく。次々と。ハンカチから水が滴り落ちてもなお、止まらない。
嗚咽する背を優しく大きな手のひらがゆっくり撫でた。
私の息子。私の息子。私の手で育てていればこんな子に育てなかった。私だって手放したくなかった。私が育て、導きたかった。学問もできて武勇に優れた愚かな息子。
なぜ取り返さなかったのだろう。夫を味方につければよかった?
いや、あの人は何もしてくれない。
遠くから聞こえてきた鐘の音に我に返った。涙を拭き、顔を上げる。
「もう、大丈夫よ。ごめんなさいね」
顔を上げたら息子は口を一文字に結んでいた。その頬へ私は手を添えた。
「気にしないで。私の子はルーカス、あなたと娘マリーだけよ。第一王子は前王妃の手で育てられた子なの。私の子は」
そう、私の息子はルーカスだ。母を恨んで刃を向けた第一王子から身を挺して守ってくれたルーカス。親をなくしてしまったと前王妃が乳母とともに連れてきてからずっと私が教え導いた。
私は立ち上がった。
「これから大変よ。王太子の教育が待っているわ。あなたの婚約者も王妃教育を施さなければならない」
「ああ、アイシャ・・・・・・私の婚約者は私より優秀です。能力の劣る私を支えてもくれる、素晴らしい人ですから、私が頑張らねば」
「あなたはきっと大丈夫よ。気負わず、しかし必要なことは学び、人の声をよく聞いて、立派な王になりなさい」
祈りの場の外から時折心配気に顔を出す彼の側近たちの姿を認めて、良き臣下を持っているとルーカスへ微笑んだ。第二王子も素直に頷くと私をエスコートして祈りの場から外へ導いてくれた。
部屋へ戻ると私の娘、第一王女マリーからお茶会の誘いが届いていた。衣装を整え、涙の跡を消して赴くと、マリーともう一人、お茶を嗜んでいる。二人は物音に顔を向け、あっ、と立ち上がった。
「お母様、いらっしゃいませ。唐突に申し訳ありません。無礼講にしようともう嗜んでしまいましたわ」
見事なカーテシーをふたりとも見せながら、涼やかに言った。私は微笑む。
「大丈夫よ。私も招待に気づくのが遅れてしまったわ。無礼講、いいわね。私も交ぜてくれる?」
「はい」
椅子を引かれ座る。ストロベリーの香る紅茶を目の前で入れてもらいながらバニラの香りの高いケーキを口に入れる。ほのかに甘い香りが柔らかな生地を包みこんだ。
「今回の件、察するばかりでございます」
頭をなお、下げる少女シャーロット嬢へ顔を向けた。ルビーのような瞳をぎゅっと閉じ込めて顔を上げようとしない。娘はどうしたらよいかとオロオロしている。
王太子の婚約者であった少女シャーロット嬢は破棄されたあとも何故か執拗に王太子に言い寄られ、家族からも再度婚約させられかけたゆえに私が侍女としてなんとか匿っていた。
シャーロット嬢の家族は彼女をモノのように扱おうとしていたから余計腹が立ってしまって、色々探っていたら真っ黒であった。故に、彼女との縁を切らせ、シャーロット嬢は私の配下の者と養子縁組を行った。
ようやく静かにお茶会も楽しめる。彼女にとっても久しぶりのお茶会だ。
「顔を上げなさい。いいのよ。気に病まないでね。シャーロット嬢。あの子の自業自得よ。それよりあなたには安心かもね」
ルビーの瞳が大きく見開いた。瞳の揺れる少女へ座るよう促す。少女はようやく腰を掛けた。
やっと人より細いくらいから少し肉付きの良くなって。一時食べ物を受け付けなくなっていた彼女を知る私は目を細めた。
「お母様が襲われたときはヒヤリとしましたわ。実の母を襲うなんて」
「あれは私が」
「違うわよ。シャーロットが悪いわけないじゃない。第一王子であるお兄様が勝手にお茶会に現れたからよ。女のみの参加なのに。しかも婚約破棄して1年も経たないのにあなただって気づかず、また求婚して。お母様が止めてあなたを逃したのに腹を立てて剣を抜くなんて、信じられなかったわ」
「でも王妃様にあのようなことを仰るなんて」
仕方ないのよ。私が育てられたわけではないから。あなたなんて王妃にふさわしくないと、剣を突きつけられながら言われた日、私はあの子の親であることを止めた。ただの王妃として第一王子と接することを決めたのだ。
剣を抜いたのだって私を脅すためだったのだから。第一王子は私すら女だと馬鹿にしていたのだ。
「もう、ここに戻らない人の話はしないの。で、シャーロット嬢、新しい家族と生活には慣れましたか?」
「はい、お義父様もお義母様も跡取りの方も良くしてくださいます。また次期王太子妃の教育係の一人に選んでくださり、誠にありがとうございます」
「良かったわ。まだあの頃はこの城で第一王子と遭う危険すらあったのに次期王太子妃の教育係の一人を引き受けると言ってくれたときは本当に頭が下がりました。今後もよろしく頼みますよ」
はい、と静かに返事をして背筋を伸ばす姿に、私は目を細めて微笑んだ。ここにはいないけれども、もともとなると思わなかった王太子妃の勉強に四苦八苦するアイシャ嬢の良き教師として、また年の近い姉のような存在としてすでに慕われている。
危険もなくなり、ますます導き手として活躍するに違いない。本人はまだ社交の場には戻りたがらないが、着飾らなくても花開く華やかさは我が娘とともにいずれは社交の華として彩りを添えるだろう。その日が楽しみだ。
本人の元の実家は問題が多すぎて領地を治める能力に疑問があるとしてすでに廃位しているし、あとは本人の傷が塞がるように支えていかねばならない。
養女に出した先も表向きは伯爵位の普通の貴族であるけれども、私の配下の影の家だ。今尚見えぬところに私達と彼女を護るように影が配置されているだろう。
少女たちはお互いに顔を見合って楽しげな笑い声を上げる。
今後も全ては助けられないかもしれない。しかし自分の力の及ぶすべてを守る。この国を、この子達の未来を。私は後悔なんてしてたまるものか。
そう、決意した。




