「だん!」 想定外の流行もの
そのころ、プティリア王立アカデミーでは妙なものが流行っていた。
レディたちがそこかしこで、ドレスの裾をちょっと持ち上げてだん、と床を強く踏み鳴らすのだ。
「エリザベータ嬢ほどうまくできないわね……」
再び、片足を持ち上げて「だん!」とやる。
「何かコツがあるのでしょうけれど……」
――だん!
――だだん!
「お尋ねしようにも、エマさま、ご自宅に戻ってしまわれたわね」
エマがいつも優雅に暮らしていた部屋に、荷物は残っているものの、いつも一緒だった乳母もいなくなっている。なんとなく、長期不在が予想された。
しかし、だん! と踏み鳴らせばなぜか頭がスッキリ、心が晴れやかになるから不思議である。
もしここにエマがいれば「まぁ、当然よね。知らぬこととはいえ、自分たちで魅了解除してるんだもの。良いことだわ」と笑ったに違いない。
塵も積もれば山となる。あちこちで令嬢たちが「解除」し続ければ、学園に蔓延しているティア子爵令嬢の魅了の魔法も薄れていく。
その一方で、「だん!」のせいで、苦々しい思いをしている人もいる。
その中の一人は、銀の髪をひっつめて、濃い緑のドレスを着た年配の先生――『淑女の嗜み』の先生である。
廊下の端々で繰り広げられる「だん!」が気に入らないのだ。
「誰ですか! そんな品性の感じられないものを流行らせたのは! いいえ、わかっていますエリザベータ嬢、エリザベータ・アニエス・エマ・アンドゥーに決まっています」
ぷんぷん怒ってエマが登校次第、捕まえてみっちりと再教育しようと鼻息が荒い。
「日頃から公爵令嬢としての嗜みに欠けているのですよ。鍛えなおして差し上げます。早く戻っていらっしゃい」
そしてもうひとり、ティア本人である。
このところなぜか、がんばって自分の取り巻きとして攻略した男性陣の好感度が、少しずつ下がっているのだ。朝、寮を出るときは全員好感度マックスなのに、学校にいる間に好感度が少しずつ下がっていく。さすがにフィリッツ王子は常に好感度マックスを維持しているが、王子の取り巻きの貴族子弟、教官、アンドゥー家の執事見習い……あたり、徐々に好感度が落ちている。攻略しかけていた教皇の息子フィーゴもいつの間にかエマ陣営に移っていたし、あと少しでこちらに引き込めると思ったヘンリーも、ロザリア嬢とよりを戻してしまった。
「どうしてっ……完全な逆ハーまであと少しだったのにっ……」
誰にも気づかれないよう、ぎりりと奥歯を噛み締め王子にすり寄る。
それに、婚約破棄に追い込んで学園を去ったはずのエリザベータ・アニエス・エマ・アンドゥーが話題の中心と言うのも気にくわない。
「フィリッツさま、次の授業は体育館に集合だそうです。参りましょう」
「よし、行こう」
フィリッツ王子一行が歩き出してすぐに、令嬢たちの噂話が耳に飛び込んできた。
「エマさまが去ってしまわれるのも無理ないですわね。王子殿下をお捨てになって、婚約も破棄になさったのですから」
「フィリッツ殿下は、ティア子爵令嬢と婚約なさるのかしら?」
「すぐには無理でしょうけれど……婚約破棄されたばかりですからね」
ティアが何か言おうとする前に、それはちがうぞ、と噛み付く声がした。フィリッツ王子その人である。
「殿下……あの、わたし、そんなつもりじゃ」
「ティアは何も気にしなくていいんだよ」
王子は俯くティアの額に口づけを一つ落とし、小刻みに震えるティアの肩を抱いて一緒に長椅子に座って、あたりを睨みつける。
「いいか! こっちから、あの悪女との婚約を破棄してやったんだ。あいつは王子の妃にふさわしくない悪女だからな。間違えるなよ、こっちから婚約破棄してやったんだ」
「それにくらべてティアさまは心優しく、素朴で純粋で……まさに聖女のようです」
「まぁ! ディケインさま、褒め過ぎですわ」
ティアは、すかさず取り巻きの一人であるディケインに向かって微笑んだ。のみならず、腕にチョン、と触れた。それだけでディケインは耳まで赤くなり、鼻の下が伸びきっている。
ちょろい、あと一息、とティアは計算する。が、通りすがりの男子生徒が余計な茶々を入れた。
「あいつ、ラファール伯爵家の嫡男だろ。卒業したら近衛隊に入るって聞いたけど、このところ鍛錬してるところなんて見てないぞ」
「そうそう。それにさ、あいつ学園内に婚約者がいるはずだろ」
「伯爵家のローズ嬢だろ、気の毒になぁ……だいぶ思い詰めて、ティア嬢に報復しそうな勢いって話だよ」
と、男子学生たちが眉を顰める。
「……なるほど? その手があったわね……。邪魔者はまとめて消えて頂きましょ」
ぽそっ、とティアがつぶやいた。