解除の方法:床を強く踏み鳴らす!
差し上げます、とあっさり告げたエマに、王子の目は点になった。エマを再び床に押し付けていた取り巻きたちの手も、思わず緩む。その隙に、素早く起き上がってドレスの乱れを整えたエマは、ぐるっと周囲を睥睨した。
「無礼にもほどがあるでしょう……」
女性を床に押し付ける不届きな野郎どもの顔を覚えておいてお父さまに報告しとかなくちゃ――という意気込みである。
美女が、本気で睨みつけたのである。それはもう大変な迫力で、フィリッツ王子やその取り巻きたちが一歩後退ったほどだった。
ティア子爵令嬢が王子の腕にぎゅっと縋りつき、一瞬、魅了の魔法――エマの目にはピンクの靄として見えている――が強く放たれた。周囲の人々があっという間にとろんとなる。
「……鬱陶しい魔法ですわね……纏わりついてくるのね」
だん、と床を強く踏み鳴らせば靄はさっと晴れる。エマの周囲数名が、はっと我に返る。どうやら、簡単に解けるものでもあるらしい。
ティアが小さく「ちっ」と舌打ちしたのをエマが見逃すはずもなく、ぎょっとしたようにティアを見る。視線がぶつかると、慌てて目線を伏せて、おどおどとか弱い令嬢を演じるのだから、大した女優である。
「……殿下が先ほど述べられた罪ですけれども、わたくしには覚えのない罪ですわ。殿下、無実の罪、冤罪、濡れ衣って言いますけれども、ご存知かしら?」
「そ、それくらい知っているぞ」
知らないのだろう。王子の視線が泳いでいる。いくらか青ざめた取り巻きの一人がさっと耳打ちする。
確か彼は、宰相の長男だったか。父は文官だが息子は武官志望、騎士団入りを目指していると聞いたことがある。たしか、フィリッツ王子の乳兄弟だったはずだから王子のアホさを知っていても不思議はない。
「では、わたくしの父を通して、あなた方を訴えますわ。えーと、フィリッツ王子殿下、ティア子爵令嬢、それからそちらは取り巻きの……」
なに!? と王子の目が吊り上がった。
「まて、まてまて! 王子だぞ、おれは。このおれを訴えるというのか? そんなこと、許されないんだぞ。王子は罪に問われるはずがない。不可能だぞ」
出来るに決まってるでしょう、と、エマは腰に両手をあてて胸を張った。
「馬鹿ですか。王子だろうがなんだろうが、罪は罪ですわ」
「あぁん、エマさま、殿下のことをバカっておっしゃったわ。ひどぉい」
「いいんだ、ティア。優しいティアはおれのために泣いてくれるんだね、いい子だ」
いちいち、ピンクの靄が放出され二人だけの甘いムードになる。勘弁願いたい。ドレスの裾を少し持ち上げて、だん、と床を強く踏み鳴らす。ピンクの靄をさっさと取り除き、王子の意識をこちらへ向けさせる。
「よろしいですか? 冤罪の場合は名誉棄損罪と虚偽告訴罪……は、当てはまらないかしらね。あとは精神的苦痛を被ったわ。賠償請求、させていただきます」
「エマ、お前何を言ってるんだ? 難しい単語を並べて……頭は大丈夫か?」
「わたくしは正常ですわ。殿下こそ、お気をつけになってくださいましね。では、フィリッツ殿下、ティア子爵令嬢、ごきげんようさようなら二度と会うことはないでしょう」
ドレスを鮮やかに捌いて颯爽と退場するエマに、人々は注目した。ミーリアとロザリアがエマに続き、ミーリアのそばにフィーゴが駆けつけ、憑き物が落ちたかのような――エマが床を踏み鳴らしたときに魅了が解けたのだろうヘンリーが、ロザリアを追いかけた。
その場に取り残された人々は、いくらか混乱していた。
これまでのエマとは、明らかに何かが違う。だが、嫌な変化ではない。それに王子が連れていたピンクの髪の令嬢はだれだろうか。あまりに王子と、公爵令嬢になれなれしい。
それに比べてエマはむしろ――。
「エマさま、カッコよかったわ……だん、と床を踏み鳴らされたときは、ハッとしたわ」
だん、と真似をする令嬢があちこちに出るが、ぺた、と可愛らしい音しかしない。
「オレ、エリザベータ嬢ってもっとわがままで気位の高い、とっつきにくいレディだと思ってたけど、イメージ変わったわ」
思わぬところでエリザベータ・アニエス・エマ・アンドゥーの人気が上昇したようである。