魅了魔法垂れ流しとは困ったものです、本当に……
王子はのろのろと、ティア子爵令嬢はよろよろと。寝ぼけ眼を擦りながら出てきた二人は、はっきりいって貴族らしさの欠片もない。
だが、昨日とは違う服を着ている。
「あら? いつの間に着替えたの」
エマは昨日と同じ己の服を見つめた。貴族令嬢らしからぬボロボロさだが、さほど気にならないのはアンドゥー公爵令嬢というよりも安堂恵茉という意識が強いからだろう。
先に出てきた王子は、寝癖がついて瞼が腫れているが、シャツとトラウザーズ、スカーフを身に着けて一応は貴公子に見える。
「王子、ティア、御屋敷からのお荷物は届けましたにゃぁ」
「ご苦労!」
「では、あたくしはこれにてサヨウナラ」
王子に続いてテントから出てきたのは、白い毛並みが美しい大きな猫――くりっとしたブルーの目と、耳と手足、鼻先としっぽがちょこんと黒いペルシャ猫。彼女もまた、郵便マークのついた上着を着ている。どうやら手紙と着替えを届けに来たらしい。軽快に帰っていく。
そして最後に出てきたティアは、シンプルなピンクのワンピースを着て、可愛らしいルビーのペンダントを手に持っている。うまく金具がつけられないのだろう。デザインがいささか古い。アンティークなものかもしれない。
「ふあぁぁぁ、眠い」
「殿下、おはようございます。人が朝食を作るために奮闘している間に、惰眠を貪ったのにずいぶんと眠そうですね」
いやぁんエマさまこわぁい、とティア子爵令嬢がつぶやくが、どうしたことか王子はティアには見向きもせずすたすたと歩く。
「おおっ、いい匂いの源はこれだったか。美味そうだな」
王子は鼻をクンクンと動かして切り株の椅子に座る。だが、ティア子爵令嬢は、えぇぇ、と可愛らしい声をあげた。
「ティア、どうした?」
「……お腹壊したらどうしよう、って思って。殿下も、こんな見知らぬ素材のお料理は食べない方が良いと思うんです」
「そうか、それもそうだな。よし、シェフはいないのか! すぐにここへ呼べ! 王子の命令だぞ」
いるわけがない。馬鹿ですか、と喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだエマは、出来立ての塩を焚火で焼き直したオレペンの肉に振る。
「お、エマ、それは塩に見えるが」
「はい、そこの海水から作りました。普段お使いのお塩より苦いですが、オレペンのお肉によく合うそうです」
言いながら串焼きにかぶりつく。
「あ、おいし……」
見た目は豚肩ロース肉のかたまりのようだが、実際食べてみるとずいぶん柔らかく脂分が少ない。上質な鶏の胸肉と言われたら信じてしまうだろう。
「うまそうだな、どれ、頂こう」
王子も、がぶっと噛み付く。ティアも空腹に耐えられないのだろう、ペンダントをつけることを諦めて、かぷ、と小さく噛み付く。テーブルに置かれたペンダントが、きらりと光った。エマの目には魔力が宿っているのが見える。
「ティアさま、綺麗なペンダントですね」
「あ、はい。祖母の形見なのです。良くないものから守ってくれる石だから肌身離さずつけているように、って」
にこっ、と笑ったティアがエマに差し出す。どうやら大きなルビーに魔力が宿っている。どのような種類の魔力なのかまではわからないが、きっと持ち主、つまりティアを守る類のものだろう。
エマがペンダントを見ている間に、見慣れたピンクの靄がじわじわと充満してきている。無自覚の魅了魔法垂れ流しとは、困ったものである。
――モンスターまで呼んでしまった。
「きゃああ、殿下、こわぁぁい!」
鮮やかな青色の巨大なトカゲ。がうがう、と大口を開けて噛み付こうとするかと思えば、丸太のように太い前足で木々をなぎ倒す。
「ティアさま、下がって! 巨大トカゲ、我々を叩き潰すつもりのようですから」
「ティア、大岩の影に隠れよう」
は? とエマは憤った。手に手を取って逃げるか、このシチュエーションで!? この色ボケクズ王子、目の前のモンスターに食われてしまえ、と腹が立つ。だが、モンスターはお構いなしで攻撃を加えてくる。
エマは片手剣と盾を構えて、巨大トカゲに飛び掛かる。手あたり次第に斬りまくる。が、ちっとも相手が弱った気配がしない。どの程度ダメージを与えられているのか、さっぱりわからない。ゲームならダメージ量がわかるし敵の体力バーもあるが、ここにはそんなものがない。
むしろ、不慣れな戦闘と、敵の攻撃回避行動でエマが疲労してきている。
「特殊技が使えたり属性付与出来たりすればいいのだけど……」
そもそも目の前のトカゲの弱点は不明――と思っていたら。
「御主人、頭下げて目を閉じるニャっ!」
エマは、すっと地面に伏せた。頭上を何かが飛んでいき――空中で破裂した。そして一瞬の強い光。どすどす、と地響きがして、巨大トカゲが去っていく気配がする。
「もう大丈夫、出てきていいニャ!」
その声に、王子とティアが抱き合ったまま姿を見せる。
「閃光弾ね! 猫ちゃん、ありがとう!」
戦闘服を身に着けた、巨大なノルウェージャンフォレストキャットが立っていた。
「助かった、ありがとう!」
ひしっと抱き着いたエマの背中を、ノルウェージャンフォレストキャットは優しく撫でてくれた。
「冒険のオトモをする許可が下りたから助けに来たニャー!」
「ありがとう、ありがとう! お腹は空いてない? オレペンの肉、まだあるわよ」
「いただくニャン!」
こうして、悪役令嬢エマと、元婚約者の王子、婚約者を奪った正規のヒロインティア、そしてモフモフ猫で朝食が再開されたのであった。