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5-1.

 雄飛の背に乗るのも三度目となれば慣れたもので、いつしか雪乃は上空から地上の景色を楽しめるくらいの余裕が持てるようになっていた。

 そうして気づいたのは、円やこのあたりのあやかしたちが暮らす山は、雪乃の通う大学からそれほど遠く離れていなかったことだ。道が整備されていないので自力で登ることは難しいし、円の住む家は山深くに建てられていたので、ここと麓を行き来するにはどうしても雄飛の手を借りることになる。往復二百円。回数を重ねれば高くつきそうだが、他に交通手段がないので払うしかない。

「ありがとう、雄飛くん。助かったよ」

 すっかり乾いた洗濯物の入ったカゴを漆黒の背から下ろしながら、雪乃は雄飛に礼を言った。カゴの一つは弥勒が持つのを手伝ってくれた。

「まいどあり。またいつでも呼んでくれよな」

「今日は大儲けだな、雄飛」

 弥勒がニヤニヤしながら茶々を入れた。烏への変化を解いた雄飛は「まぁね」とまんざらでもない風で応える。

「これでハンバーガーが食える」

「ポテトもな」

「コーラも」

 ニシシと笑い、雄飛は「じゃあまた」と言ってどこかへ飛び去って行った。今度は烏ではなく人の姿に化けて人里へ下り、ハンバーガーを買いに行くのだろうか。

「人間のおかげだよ、オレたちが食事の楽しさを知ったのは」

 母屋に戻りながら、弥勒が穏やかに微笑みながら話してくれた。

「オレたちあやかしは、腹が減ったり眠くなったりすることがない。だから、食事っていう習慣は未知のものだったんだ。けど、八雲の旦那や櫻子が食事の楽しさを教えてくれてさ。いろんなものを食わせてくれた」

 引き戸を開け、弥勒は「ただいま」と言った。居間から出てきた沙夜が「おかえり」と今や見慣れた無表情で出迎えてくれる。

「雄飛なんてわかりやすいだろ。あいつが金を稼ぐ理由は、うまいメシを食いたいから。人間と同じように、人間らしく暮らすつもりは毛頭なくて、ただうまいメシのためだけに働いてる。あいつの取る客は、常時人に化けて人里で暮らし、人間の使う金を持っているやつだけなんだ」

 へぇ、と雪乃は感心して声を漏らす。人もあやかしも、生き方は個人の自由に委ねられているというわけか。

 三人で居間に戻り、きれいになった洗濯物を畳んでいく。半分ほどを畳み終えたところで、振り子時計がボーンボーンと重低音を響かせた。四時だ。

 ジリリリリリリリ――ッ!

 振り子時計の音に、けたたましい音が重なった。廊下の向こうから聞こえてくる。扉越しにも凄まじい音で、雪乃は顔をしかめて耳をふさいだ。

「なに、この音……!」

「目覚ましだよ、円のな」

 弥勒の解説どおり、耳をつんざく轟音は段階を追って少しずつ小さくなっていった。

 一、二、三、四。

 最後まで残っていたのは聞き覚えのある電子音、携帯電話のアラーム音だった。目覚まし時計四つに携帯のアラーム。そこまでしないと起きられないということか。

 アラーム音はしばらく鳴りっぱなしだった。痺れを切らした沙夜が「見てくる」と言い、居間を出る。弥勒が小さく息をつき、その表情にはわずかに影が落ちたように見えた。

 居間の扉も、玄関を挟んで反対側の寝室の扉も開け放たれたままで、かすかに沙夜の声が聞こえる。

「パパ、大丈夫?」

「ん」

「四時。仕事の時間」

「ん」

「お客さん、来てる」

「ん?」

「人間」

「え!」

 ガチャン、となにかがぶつかる無機質な音がした。目覚まし時計でも倒しただろうか。「やっと起きたか」と弥勒がつぶやくのとほぼ同じタイミングで、携帯のアラーム音が止んだ。

「人間? 誰?」

 弥勒よりいくらか低い、耳にすぅっと馴染む美声が沙夜に尋ねた。

「雪乃」

「雪乃?」

「パパのお手伝い、してくれる人」

 ドタドタとふたり分の足音が響く。まもなくして、沙夜を従えたひとりの男が居間の敷居を跨いだ。

 現れたその人物とまっすぐに目が合う。

 一八〇センチほどの長身に、薄墨うすずみ色の着物に濃紺の帯を合わせた着流し姿だった。混じり気のない真っ黒の髪は短すぎず長すぎず、目鼻立ちのはっきりした顔によく似合っている。切れ長で大きなふたえの瞳も、髪の色と同じ、吸い込まれてしまいそうなほど深い闇を思わせる漆黒だ。

 きれいな男の人だった。年の頃は雪乃より少し上だろうか。洋服を着ていたらあるいは大学生にも見えそうだ。

 この人が、円さん――。

 弥勒の言っていたとおり、どこからどう見ても人間の男性としか思えなかった。それも、目の覚めるような美青年である。半分は狼のあやかしなのだと事前に教えられていなければ、一生気づくことはないだろう。

「すみません、お待たせしてしまって」

 やや低い美声が、雪乃に向かって申し訳なさそうに言葉を紡いだ。「い、いえ」と雪乃は慌てて立ち上がった。

「はじめまして、三宅雪乃と申します。こちらこそ、勝手にお邪魔しちゃってごめんなさい」

 声が裏返りそうだった。「とんでもありません」と応じた円の声が落ちついていて、慌てふためいている自分が恥ずかしくなる。

「はじめまして、成田円と申します。たいしたお構いもできませんが、ゆっくりしていってください」

 穏やかに微笑みかけられ、雪乃は頬が紅潮するのを感じた。胸の鼓動が速くなる。

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