4.
オレは狐だ、と弥勒は言った。
「人間の血は混ざってない。純粋なあやかしだよ」
「じゃあ、その姿は……?」
十六キロ用の大きな洗濯機に衣類をせっせと放り入れながら尋ねた雪乃に、弥勒は自慢げに鼻の下をさすりながらこたえた。
「うまいだろ。人の姿に化けてんだ。オレは人間も、人里での暮らしも好きだからよ」
なるほど、つり目なところなど、言われて見ればどことなく狐っぽい顔をしている。ひょっとすると、頭髪の黄金色は地毛だろうか。
「ということは」
声をひそめ、雪乃はそわそわしながら周りを見る。仕上がりを待つ客がふたり、備え付けのベンチに座ってテレビを見たり本を読んだりしていた。
「あなたのことは、あの人たちには見えていないんですか?」
「いや、見えてるよ」
「え?」
「人の姿をしていれば見える。オレたちあやかしが人間と一緒に暮らすには、人への変化を習得することが絶対条件なんだ」
雪乃は納得してうなずいた。どうりで他の客が雪乃の様子を怪しまないはずだ。
お金を入れて――洗濯と乾燥で千五百円かかった――洗濯機を回し始めた雪乃は、弥勒に尋ねた。
「円さんというのは、どんな方なんですか?」
「どんなって」
弥勒は少し迷うように視線をさまよわせてから答えた。
「優しいヤツだよ。人間の住む世界――オレたちは『人里』って言葉を使うけど、そこでの暮らしに興味を持ったあやかしのために、人里での暮らし方を教えてる」
「人里での暮らし方?」
「そう。読み書きそろばんを教えたり、人間がつくったルールを学ばせたり、人間への上手な化け方を教えたりね」
「化け方? あれ、円さんって人間なんじゃないんですか?」
「人間だよ。半分は」
「半分?」
「あぁ。母親が人間だからな」
「母親って、確か、櫻子さん?」
「そう。成田櫻子。若い頃は……いや、ばあさんになってからも、雪乃ちゃんと同じくらいべっぴんだった。姿も、心も。あの八雲の旦那が惚れたくらいだからな。最高にいい女だったよ」
「八雲?」
弥勒がうなずく。
「白銀の毛並みが立派な狼でな。力の強いあやかしで、オレたちの集落の頭領みたいな存在だった。あやかしのくせに人間が大好きで、ひと目惚れした相手も人間だった」
「それが、櫻子さん」
「そういうこと」
「それじゃあ……?」
ご明察、と弥勒は言った。
「雪乃ちゃんがこれから会おうとしている男は、八雲の旦那と櫻子の間に生まれた子……つまり、円に流れる血の半分は、あやかしの血ってことだ」
大型洗濯機がぐるんぐるんと回っている。雪乃は目を見開いた。
半分は人間で、半分は狼のあやかし。
それが、雪乃の雇い主になるかもしれない男。
頭が勝手に、恐ろしいものを想像してしまう。人間の顔に、狼のからだ? 狼の頭に人間のからだ? どちらでもなかったとしても、きっと見た目はひどくおぞましいに違いない。小刻みに肩が震えだす。
「心配することないって」
急に怯えだした雪乃を見て、弥勒はケラケラと笑って雪乃の背を優しく叩いた。
「なんかとんでもないバケモンを想像してるみたいだけど、あいつはそんなんじゃないから。見た目はフツーの男だよ、基本的に」
「基本的に、って?」
「そいつは会ってからのお楽しみ」
意味ありげな笑みを浮かべると、弥勒は「さぁさぁ!」と言って雪乃の背後に回り、両肩に手を乗せた。
「ここで洗濯機が止まるのを待っててもつまんねぇし、早くケーキ食いに行こうぜ」
「ケーキ?」
「あれ? コインランドリーの場所を教えたら、デートに付き合ってくれる約束でしょ?」
期待に満ちた眼差しに、とても逃げられそうになかった。