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3.

 電気どころか、この家は水道設備も近代式だった。スマートフォンが普及した現代で、まさか手こぎポンプで井戸水を汲み上げさせられるとは思わなかった。

 台所にあったのは蛇口を捻って水が出る流し台ではなく、ポンプを数回上下させるとキンキンに冷えた井戸水が出る旧式のものだった。あまりに古風な生活様式に、映画の世界にでも入り込んでしまったのではないかと勘違いしそうになる。当然のようにガスも来ておらず、料理をするにはかまどで火を起こす必要があった。

 居間は玄関と同じ南側に面しており、台所は居間のすぐ北側。そこから建物の裏手に出られる勝手口が造られている。沙夜の説明によれば、台所、風呂場、トイレといった水回りが同じ北側に集められているようで、利便性に富んだ設計になっていることに雪乃は小さく感動した。

「うわっ」

 台所には雑巾らしいものが見当たらず、風呂場を覗いたら思わずそんな声が出た。

 脱衣所の床に、タオルや衣類がうずたかく積み上げられていた。山の頂上は雪乃の膝よりもずっと高い。どうやら洗濯もとどこおっているらしい。

「まさか、これ……全部手洗い……?」

 電気が来ていないなら当然、全自動洗濯機は置いていないだろう。信じられない。映画どころか、おばあさんは川へ洗濯に、の世界だ。

 しかし、この量である。洗濯機に入れるにしても一回で済むかどうか。いったい何日分ため込んだことやら。やると決めた気持ちが途端に萎える。

 たまらず、雪乃は沙夜の手を借りることにした。

「沙夜ちゃん、この家にある袋、かき集めてきて」

「袋?」

「うん。カゴでもいいよ。とにかく、ここにある服を全部入れられるくらいたくさんの入れ物がほしいの」

「わかった。探す」

 沙夜が姿を消すと、雪乃は衣類の山の中から一番使い古していそうな黄ばんだフェイスタオルを一枚抜き取った。ラッキーなことに、山の中からエプロンが見つかったので拝借する。軽く手ではたいてから身につけた乳白色のそれには、ところどころ食べ物や調味料などで作った染みがあった。

 使い古しのフェイスタオルを持って台所に戻ると、壁に並べて掛けてある調理器具の中からキッチンばさみを選び取る。本当は布を切ってはいけないのだろうが、些細なことだ。ざくざくとはさみを入れると、タオルは二つに分かれた。

 一枚を水で濡らし、まずは台所から磨いていく。油汚れまで取ろうとするとキリがないので、今日はひとまず軽く埃を拭き取るだけの作業に留めておくことにした。

 台所が終わると、次は居間だ。ちゃぶ台や文机、書棚、置き時計の上を丁寧に拭いていく。文机の隅に色鮮やかな千代紙が置かれていて、沙夜が折り紙遊びでもするのか、と微笑ましい気持ちになった。

 縁側に出られる大きな窓を開ける。陽射しはほとんど差し込まず、見渡す限り深い森だ。

 座布団を手に取り、一枚ずつパンパンと素手でおもいきりはたいた。埃が舞ってくしゃみが出る。マスクがほしい。

 掃き掃除もしたいなと思い、掃除道具を探しに廊下へ出る。袋を求めてパタパタと走り回る沙夜にちょうど出くわし、箒とちりとりの置き場所を尋ねたら、「納戸なんど」と玄関の向かい側にあるほとんど壁と同化した扉を指さしで教えてくれた。

 五十センチほどの短い柄がついた棕櫚しゅろぼうきで、畳の目に沿って隅から隅へと掃いていく。壁と床の境界や窓のさん、部屋の四つ角にたまった埃は濡らしたタオルで拭い取る。こんもりと積もった埃をちりとりですくうと、ゴミ箱が見当たらなかったのでひとまずちりとりごと窓の外へ置いておく。

「雪乃」

 沙夜が両手いっぱいに袋らしいものをかかえて居間に戻ってきた。とうで編んだ持ち手付きのカゴ、麻布あさぬののトートバッグ、特大サイズの米袋と、なかなかユニークなものまである。

「ありがとう、沙夜ちゃん」

 沙夜からごっそりそれらを受け取り、雪乃は再び脱衣所へ向かう。足もとにカゴやバッグを並べ、衣類の山を少しずつ崩してはカゴの中へほいほい小気味よく突っ込んでいく。衣類の中に浴衣や甚兵衛がちらほら混じっていて、これらは別でクリーニングに出したほうがいいだろうかと思ったけれど、ええい面倒だ、一緒に洗っちゃえと見なかったことにした。

 山のふもとが見えてくると、そこには籐のカゴがあった。なるほど、脱いだ服はここへ入れるのがこの家のルールらしい。洗い物が多すぎて見事に埋もれてしまっていたけれど。

 結局、洗濯すべき衣類はカゴ二つとバッグ一つに収まった。居間へ戻ると、雪乃はリュックの中からスマートフォンを取りだした。

「うそ」

 画面に明かりを灯して愕然とした。圏外の表示が出ている。

「さすが、山の中」

 あやかしたちとひっそり暮らしていくにはいい環境かもしれないが、バリバリの現代っ子である雪乃にとって、携帯電話が使えない暮らしなどそう簡単に受け入れられるものではない。軽い気持ちで最寄りのコインランドリーを検索するつもりが、出鼻をくじかれ、途方に暮れた。

「おーい、沙夜ー。いるかー?」

 その時、玄関のほうから声がした。聞き覚えのない、若々しくて男らしいテノールボイスだ。

 沙夜が居間の扉を振り返ると同時に引き戸が開いた。グレーのパーカーに白いトップス、下はロングジーンズで、髪は冴え冴えとした金髪という若者だった。

「弥勒」

 沙夜が言うと、現れた若者・弥勒は「よ」と沙夜に片手を挙げた。

「おぉ、この子か。雄飛に聞いたぜ、家政婦候補が見つかったって」

 スマートフォン片手に立ち尽くしている雪乃に、弥勒は少し目を大きくしてピュウと嬉しそうに口笛を吹いた。

「なんだよ、えらいべっぴんさんじゃねぇか」

 軽快な足取りで歩み寄ってきた弥勒が雪乃の髪をすくい上げる。胸のあたりまで長く伸ばし、明るめの茶色に染めた髪だ。彼は手の中の髪にそっと顔を近づけると、くんくんと恥ずかしげもなくにおいをかいだ。

「うーん、最高。美人のにおいだ」

 変態か。うっとりと目を瞑る弥勒から雪乃は一歩距離を取るが、弥勒はめげる様子もなく雪乃の肩にふわりと腕を回してきた。

「なぁ、円が起きるまで暇だろ? オレとお茶でも行かねぇか? 駅前にあるうまいケーキの食える店、連れてくからさ」

 雪乃はおもいきり頬を引きつらせる。言葉も出ない。今どきの若者かと思いきや、前時代的もいいところだ。こんなにもどストレートなナンパを仕掛けてくる人なんて、どこを探したら見つかるだろう。

「弥勒」

 沙夜が無表情のまま声を上げる。

「雪乃、これから洗濯」

「雪乃? へぇ、雪乃ちゃんっていうのか、お嬢さん。かわいい名前だな」

 弥勒はナチュラルに雪乃の名を褒め、笑う。雪乃は愛想笑いを返しながら、沙夜のおかげで名案が閃いた。スマホがダメなら、このあたりに詳しい人に聞けばいい。

「あの……弥勒、さん?」

「おう、なんだ」

 肩を抱かれたままだった弥勒の腕をそっとはずし、雪乃は弥勒の瞳を覗き込むように見つめて言った。

「ここから一番近いコインランドリーの場所を教えてくれたら、お茶、お付き合いします」

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